非常事態
グリント帝国最大の迷宮都市アリアドネに鐘の音が激しく鳴り響く。
Cランク冒険者であり、パーティ《溢れる盃》の2人、ジンとバッカスがその鐘を聞いたのは馴染みの酒場に着いてすぐの事だった。
仕事終わりの1杯を楽しむには少し早い時間だった為か、酒場の中には数人の客の姿が見えるだけだった。
今日は休みにした冒険者、嫁に家を追い出された肉屋の親父、そしていつもの様に酒に溺れる酔っ払いのバル。
カウンターには以前、ロック鳥の卵をたらふくご馳走し、ようやく嫁さんと仲直りしたマスターが居る。
「おいおい、こりゃあ非常事態の鐘だぞ!」
「すまねぇなマスター、今日は辞めとくぜ」
「ワシらはギルドに向かう。
マスターも今日は早めに店を閉めた方が良いぞ」
そう言うと酒場に入って来たばかりのジンとバッカスだったが鐘の音を聞いてすぐに踵を返し冒険者ギルドへと向かった。
ジンとバッカスが目的地に到着するとアリアドネの冒険者ギルドはすでに鐘の音を聞いて集まって来た冒険者達で溢れていた。
「静まれ!」
ギルドのホールの真ん中、カウンターの前には簡易的な演説台が作られ、その上にだった壮年の狼人族の男がざわめく人々を一喝して黙らせた。
ジンとバッカスも知っているその男はこのアリアドネの冒険者を束ねるギルドマスターである。
「諸君らも聞いた緊急事態の鐘について説明する。
本日早朝、旧イザール神聖国領より魔物の大群がこの街に迫っている事が分かった。
領主様は緊急事態を宣言された。
諸君ら冒険者には戦線への参加義務がある」
冒険者達の間からどよめきが上がる。
冒険者は基本的に自由であり、自己責任の元、どこへ行き、何をするかを自ら決める権利を持っている。
例え、町に拠点を持っていたとしても冒険者である限り、町民としての納税の義務は無い。
その為、領主などから町民としての保護も受けられ無いが冒険者ギルドの存在がそこもカバーしている。
なので、例え領主が戦争の為に領民を徴兵したとしてもギルドの依頼として受けない限り、冒険者に従う義務はないのだ。
しかし、相手が魔物や魔族などの人類共通の敵であり、領主が非常事態を宣言し、ギルドマスターが承認した場合、冒険者はギルドの指揮下に入る義務がある。
特別な許可や事情も無く無視すると、ギルドランクの降格や除名、悪質な場合は指名手配される事もある。
もっともその様な状況は街の壊滅の危機なのが殆どであり、その街を拠点にしている冒険者がほとんどなので、大抵の冒険者は大人しく指示に従う。
自分達が逃げたら住み慣れた街や親しい市民に被害が出てしまうので当然だ。
ジンとバッカスも闘う覚悟を決め、ギルドマスターの説明に集中してする。
説明によると、魔物の到達予想時刻は明後日の昼。
明日の午後に集合し、Eランク以下の冒険者は街の中で人々の避難を誘導し、Dランク以上の冒険者は外で魔物を撃退すると言うのが大雑把な作戦の様だ。
解散となった冒険者達は戦いの準備や親しい者に会いに行ったりと行動を始める。
ジンとバッカスも準備を始める前にマスターの様子を伺いに酒場へと向かった。
魔物の大群の話はすでに知れ渡っているのか住民は皆、慌ただしくしている。
そんな中、酔いどれスライムではマスターがいつも通りカウンターに立ち、バルがいつも通り呑んだくれている。
「おいおい、マスター。
魔物の大群が迫ってるって話は聞いてるだろ。良いのかよ、そんないつも通りで?」
「そうじゃ、嫁さん連れて街の中心の方に逃げた方がいいぞ?」
ジンとバッカスがそう言うが、マスターは首を振り避難勧告を拒否する。
「嫁さんは街の中心に逃がしたさ。
俺が一緒に居るより女1人の方がより奥に逃げれるかも知れないしな。
お前達は戦うんだろ?」
「ああ、ギルドから召集されたからな」
「そうか、ほら、奢りだ呑めよ。
一杯くらい良いだろ?」
「ああ、悪いな」
「頂くぞ」
ジンとバッカスはマスターから受け取った琥珀色の液体で満たされた盃を煽る。
するとあまり強くない酒精が喉を熱しながら胃の中へと落ちて行く。
みずみずしい果実の香りが鼻から抜けてジンとバッカスを楽しませる。
「エイバ森林国産の果実酒か」
「みずみずしい香りが良いな」
「そうだろ、今、店にある1番良い酒だ。
こいつをお前達にやるよ」
「なに?」
「本当か?」
「ああ、ただしこの戦いを生き残る事が条件だ。
生き残ったら2人で受け取りに来い」
「わかった。
マスターも生きて俺たちに酒を渡せよ」
「そうじゃ、酒の約束を破るとワシらは許さんぞ」
「ああ」
マスターと3人、そんなやり取りをしているとそこに水を指す者がいた。
「はっ!くだらねぇ」
さっきまでカウンターで一人呑んでいたバルだった。
「どうせ、この街はお終いさ。
イザールの様に魔物共に蹂躙されてみんな死ぬ。無駄な足掻きは苦しみが長引くだけさ」
「なんじゃと!」
「おい、よせバッカス」
「バル、お主の境遇には同情する。
たが、ワシらは足掻く為に戦うわけじゃない。
生き残る為に戦うんじゃ!
それは決して無駄ではない」
「お前に何が分かる!お前は何も知らない!
次から次へと襲い掛かってくる魔物の恐怖がお前に分かるのか⁉︎
隣にいた者が一瞬で挽肉にされたのを見た事があるのか⁉︎
俺はもう諦めたんだ。
俺はここで死ぬ。
そうすれば家族の所に行けるんだ!」
「このバカ者が!」
バッカスの剛腕に殴り飛ばされたバルは卓をなぎ倒し床に転がる。
「そんな事をお前の家族が望んでいるとでも思っているのか!
だいたい、お前の家族が死んだ証拠がどこにある?」
「俺はもう何年も探しているんだ!
それでも見つからない!
死んだに決まっているだろ!」
床に這いつくばったままバルが叫んだ。
「何故決まっている?
何年も探して見つからないのなら、見つかるまで何年でも探せばいいではないか!」
「おい、バッカスやり過ぎだ。
行くぞ、そろそろ戦いの準備を始めねぇと」
「ああ」
バッカスは不機嫌そうな答える。
「バル、悪かったな、マスターも気をつけろよ」
ジンはバルに軽く謝罪しマスターとの会話を切り上げて未だに怒りの治らないバッカスと共に去って行った。




