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アリアとマリア

作者: 武音 碧

 自分は誰かのパーツとなるために産まれてきて、その果てに殺されるのだと悟った時に、人はそれを受け入れることができるだろうか。私にはできなかった。それはきっと、『私』という存在が意識を持ってから1週間も経っていないことだけが理由ではないはずだ。


 貴女の肺が出来上がったそうよ

 まあ、それでは、私もみなと同じように外を駆け回れるのね


 先生の目を盗んで白い病棟を探検した時に聞こえた、そんな会話。どこかで聞いたような声がなんとなく気になって覗いて、後悔した。

 楽しそうに話す母娘。その娘、私と同じ顔、同じ声。否、『私が彼女と同じ顔』と言うべきか。

 肺とは、嗚呼、きっと、紛れもなく、私のこと。私は彼女を生かすために生み出され、そして殺されるのだ。肺を取り出すためだけに作られたクローンなのだから。


 私はどうするべきか。本来の存在意義を果たさなければならないか。否。経緯がどうあれ、私とて生まれたひとつの命だ。私にだって、生きる権利があるはずだ。私自身が『生きたい』と思っているのだから。

 では、私はどうすればいいのだろう。与えられた小さな部屋で、ひとり悶々と考える。逃げてしまえばいいのか。いや、駄目だ。病院の出入り口はいつもたくさんの人がいる。患者や見舞に来た人々はもちろん、看護師や医師の目もあるのだから、隠れて出ていくことはできない。失敗してしまえば、この無機質な部屋からでることすら叶わなくなるかもしれない。ではどうしようか。ああ、そうだ。あの娘を殺してしまえばいい。ああ、それは名案だ。そうすれば私が殺される理由はなくなる。理由もないのに人を殺すことは、許されないこと。医師たちだって、彼女のためという大義名分がなければ、私を殺すことはきっとできない。構うことはない。あの娘だって自分の命のために私を殺そうとしているのだ。私が彼女を殺したとて、逆になっただけのこと。どうして咎められようか。


 そうひとりで言い聞かせて、私は鋏を手にした。母親が帰る時を見計らって、そっと彼女の病室に忍び込む。

 けれども彼女は、鋏を振り上げた私に向かって、貴女はだあれ、などと穏やかに問うのだ。拍子抜けだ。かわいいこの子はきっと悲鳴なんてあげて助けを求めるのだろう、そうして私は見つかってしまう、そうしたらどうしよう、どうやって逃げ切ってやろうか、なんてことばかり考えていたのに。


 貴女は私の肺かしら

 いいえ、そんなものになるものですか

 ええそうね、私も要らないわ

 それはおかしい、ならばどうして貴女は私を作ったの

 私じゃないわ、私が生きたいわけではないわ、周りのおとなたちが私を生かしたいだけなのよ


私は生きたいと思ったことなんてないわ、などと勝手なことを言う彼女に、私は激昂して叫んだ。それならばどうして私はここにいるの、どうして私は貴女のために生み出されたの、生きたいなんて思わない貴女のために! ああ馬鹿な話だ。それでは最初から私はいなくてもよかったではないか。最初から生まれていなければ、こんな思いはしなくてよかったはずなのに。死ななくてもよかったはずなのに。


 そう、では貴女は生きていたいのね。死ぬのが怖い、そうなのね

 ええ、私も生きているのだもの。死にたくないと思うのが普通でしょう?

 ならば、私の方がよほど『死んでいる』のかもしれないわね


ああそうだわ、と、彼女は無邪気に手を叩く。その笑顔には、嫌な予感しかしなかった。


 だったら、私達ふたりで逃げてしまえばいいのよ。そうすれば、貴女は生き延びることができるし、私はありのままに死ぬことができるわ。


名案だわ、とばかりに目を輝かせる彼女に、けれど私は言った。


 逃げられるのなら、私だって最初からここに来たりせずに逃げているわ。貴女は知らないかもしれないけれど、入り口にはたくさんの人がいるのよ。目を盗んで逃げるなんて無理よ

 そうかしら。例えばそうね、これを御覧なさいな


そう言って彼女が指差したのは、自身に無数に繋がれた管。きっと彼女が、これがなければ生きられないのだろう。


 これを引き抜いたらね、お医者様たちが大慌てで飛んでくるわ。そうしたら、みんなの視線はここに釘付けよ。だからね、その隙に逃げてしまうの。

 貴女はどうして逃げたいの。ここにいれば、生きられるのではないの。どうしてそんなに死にたいの


殺されたくないとここにやってきた私には、彼女が考えていることが分からない。人とは、生きられる時は死にたくなるものなのだとでも。


 死にたい、とは少し違うわ。私は自然に生きたいの。病で死ぬのなら、それが私の終り方だと思うから、それを他人に捩じ曲げられたくはないの。望んでもいない延命は、殺され続けているようなものよ

 私には分からない。貴女の言うことは分からないわ

 構わない。きっと誰にも理解しては貰えないもの。それで、一緒に来てくれるのかしら


少しだけ考えて、私は頷いた。逃げ切れるかは分からない。けれど、ここにいても仕方がない。このままでいればいずれ訪れる、私の死と彼女の生。ふたりともがそれを望まないのなら、こんな場所に価値などない。


 それなら決まりね。では早速逃げてしまいましょう。ふふ、本当はね、ずっと逃げてやろうと思っていたのよ。貴女が来てくれてよかったわ。ひとりというのも味気ないものね


言うなり、管を強引に引き抜く。あまりに突然で躊躇いのない動きに呆気にとられた私は、彼女に腕を引かれてようやく走り出した。


 はやくはやく! 急がないと、みんなが来てしまうわよ!


ばたばたと慌てて走っていく医者や看護師から隠れながら、私たちは病棟から抜け出して雑踏へと踏み出した。22世紀も終わりを告げようかという冬の日のこと。



 しばらく走って、私たちは立ち止まった。彼女がごほごほと激しい咳をして苦しそうにしているのを、私はただ背中を擦るなんてその場凌ぎの対処で誤魔化した。ああ、そういえば、肺だったか、なんて。

 彼女の体に無理がかからないように、見つけた公園のベンチで座り込んでいると、不意にその彼女が話しかけてきた。


 私はアリア。貴女、お名前は?

 448番、と先生は呼んでいたわ

 それは名前ではなく番号ね、もしかして、名前は無いのかしら

 それ以外に呼ばれたことは無かったもの、名前は無いのでしょうね


そもそも、私はクローンである。数週間────あるいは数日もすれば目的の臓器を取り出して殺す存在に、わざわざ名前などはつけるはずもない。彼らにとって、私はパーツに過ぎない。


 それならば、私が名前を付けてもいいかしら


私が頷くと、アリアはうんうんと首を捻る。そんな様子が随分と可愛らしく思えた。私のクローンなら、貴女もアリアかしら、などと真剣に考えているのがとても滑稽で。私達にはもう私達しかいないのだから、名前など要らないのだ。「私」と「貴女」で済んでしまうのだ。だというのに。


 そう! ではマリアにしましょう! 貴女は私ではないものね、同じ名前ではいけないわ。それに、双子みたいで可愛らしい


与えられた名前というものは嬉しくて。呼んでくれるのはきっと彼女だけなのだけれど、誰かに誇らしく名乗ってみたくて。


 マリア。ええ、私は今から『マリア』よ。素敵な名前、どうもありがとう


私以上に嬉しそうに、アリアが笑う。そうやって笑いあっている時間は、あの病院にいては有り得なかった「しあわせ」と呼べるものなのだろう。


 冬の夜は冷える。地面の冷たさは、病院から逃げてきた私達の素足には痛いほどで、吸い込んだ空気は容赦なく体温を奪っていく。私にだって厳しい空気、肺に患いのあるアリアなら尚の事。咳が止まらなくなって、そこに血が混ざるのに長い時間はかからなかった。


 こうなることも分かっていて、アリアは逃げることを選んだの?

 ええ、もちろん。他では生きられないから、ずっとあの場所で管に繋がれていたのだもの

 後悔はしていないの?

 愚問ね、今の私が不仕合せに見えるかしら

 それならいいのだけど、けれど私、あのまま病院にいれば、貴女にはもっと幸せな未来があったように思うわ

 貴女がそれを言うのね、可笑しいわ。けれど、お母様がしてくれたどんな話よりも、お父様が見せてくれたどんな玩具よりも、貴女と過ごしたこの日のほうが楽しかったのよ


 ありがとうマリア。私、とっても仕合せよ


 降り始めた粉雪に彩られた彼女は、なるほど確かに満たされたようで。安心したように私に寄り掛かって眠るように目を閉じると、そのまま動かなくなった。少しずつ喪われていく体温が、アリアの体がもう生き物のそれではなく、ただの物質になってしまったのだと私に告げていた。


 寒いわよ、ばか


お互いの体温で暖をとっていたのに、これでは私まで凍え死んでしまうではないか。嗚呼、けれどそれでもかまわないと思ってしまうのは、随分と彼女に毒された証拠だろうか。

 否。結局は、私も彼女と同じだっただけのこと。周囲から強引に与えられる生と死に耐えられなかったのだ。だから『選択の末の死』なら、私達は受け入れることができる。クローンというのは、思考まで似るものなのかしらね。ぼんやりとそんなことを思った。

 降り積もる雪の中で、手足が痛む。けれど、痛くても辛くはない。なぜならこれは、叛逆の証だから。私達が自分の運命に抗った結果だったから。私達が生きた、何よりの証拠だったから。


 痛みが随分と薄れ、不思議と体が温まってきた頃には、もう身体は動かなくなっていた。それでもいい。今はただただ、アリアといたい、その一心。


 ねえアリア、私は何も知らないの。人間がどうやって生きていくのかも、他の人たちにとっての幸せがどういうものなのかも。けれどね、それでも、私は貴女の言う『仕合せ』がどういうものか、なんとなく分かるわよ

 それでね、私、自分だって今は仕合せだと思うの。貴女と来て本当に良かったわ。ひとりで逃げていたら、きっと寂しかったものね


 返事をくれないアリアを見つめて、私はそっと目を閉じた。


 目が覚めたら、きっと私達は本当の双子になっていて、暖かい部屋でたくさん遊んで、そんな夢────。

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