目覚めは天国
小タイトルに【Ohters Side】の表記がない今話では、主人公の一人称視点となります。
以後、主人公視点とその他の三人称視点が交錯しながら物語が進行します。
満身創痍どころか、生きているのが不思議な状態だったはずだ。
そんな状態で召喚された姿には、さぞかし周囲の皆々様を驚かせてしまったことだろうよ。
俺自身は気を失っていたから、その時のことは何も覚えていない。
気づいた時には、清潔で柔らかなベッドの上でお目覚めだ。久々に見る光と相まって、天国にきたのかと思ったぜ。
まあ、俺が行くとしたら間違いなく地獄だろうがな。
とにかく助かった。クソみたいな事情によって瀕死の重傷だったが、まさしく天文学的な確率で九死に一生を得た。
むしろ一度死んで生まれ変わったと考えてもいい。
さらに異世界と聞いて怯むどころか、逆に嬉しい限りだ。元の世界になんて何の未練もないし、あるわけがない。
人生やり直せるなら、大歓迎ってものだろう。
この世界がどれだけ危険で悲惨な世界だったとしても、今までの人生と比べれば、まだマシに生きていけると思う。それより酷いなら、ここは地獄でしかない。俺のような人間が招かれるには相応しいのかもしれないが、さすがにそれはないと思いたい。
深刻だった体の怪我はもうなんともないが、しばらくは安静にして養生しろと勧められた。
担当医はやたらと耳の長いじいさんの医者だったが、驚くべきことに魔法を使っていた。そう、魔法だ。
そのじいさんが魔法で治してくれたらしい。
覚えているだけでも俺は瀕死、誰がどう見ても死ぬ一歩手前だったはずだ。それが今は完全に五体満足で、子供の頃に負った古傷すらなくなっている。
まさしく魔法の名に相応しい凄まじい力だ。訳の分からん力であっても、治りさえするのなら理屈なんかどうだっていい。
じいさんによれば、俺の体は怪我だけではなく薬物や病気によっても深刻な状態だったらしい。じいさんを含めた超一流の医療団によって、まさしく死の淵から蘇ったわけだ。
俺の常識からは現実離れし過ぎているが、今ではこれが現実だ。
もっとも、恩恵にあずかった側に文句があるはずもない。医者のじいさんたちと、その治療の手配をしてくれた奴らには感謝している。しかも料金が掛からないのはもちろん、恩着せがましいことも一切言われずにだ。
気前が良いにも程がある。無論、タダより高いものはないというのは分かっているつもりだ。
こんな俺でも今は世界にとって大事な勇者らしいからな。勇者さまさまだ。
信じられないことに、勇者だってよ。笑っちまう。まあ、なんでもいいさ。
これが夢の中だってのなら、それならそれで別に構わない。一生覚めない夢なら、それは現実と同じだ。
それにしても、ゆっくりできる久々の機会だ。遠慮なく満喫させてもらおう。
なにをするでもなく、一日中寝て過ごす。借金取りや拷問に気が休まらない日々と比べれば、ここは天国だ。
あてがわれた部屋には、大きなベッドや上等な家具一式、さらには便所もあるし、豪華な風呂までついている。
宿泊の経験はないが、まるでホテルのスイートルームのようだ。おまけに運ばれてくるメシも美味いし、食後には茶と菓子まで出てくる始末だ。
粋がっていた頃なら調子に乗って女の一人も要求しただろうが、しばらく女はゴメンだ。情けないが失敗してトラウマみたいになっているからな。
ただ食っちゃ寝しているだけだが、最大限に尊重されているのが伝わってきて、むしろ居心地が悪く感じるのは俺が庶民どころか底辺だからだろう。
いや、底辺ですらないな。最下層すら突き抜けて、奈落に落ちる途中とでもいおうか。今となってはどうでもいいことだが。
部屋付きの担当になったメイドは最初の頃は俺を怖がっているようだったが、幸いにもすぐに慣れてくれた。そのメイドや他に訪ねてきた奴の話によれば、勇者というのは俺以外にも何人も召喚されているらしい。
しかも全員が同じタイミングで一斉に、ということだ。
つまり他の勇者たちには、かなり悲惨だったらしい俺の姿をバッチリ見られているわけだ。
こっちとしては特に気にしていないが、向こうはそうもいかないだろう。決してお近づきになりたくはないだろうよ。
メイドは一応の配慮でもしてくれたのか言葉を濁していたが、召喚直後の混乱と相まって、それはそれは大混乱だったという噂らしい。
ちなみにこのメイドは、良く気がつくし働き者だし明るくて良い人だが、トラウマは別として俺の食指が動くことはない。この人があと二十歳も若かったら、話は違ったかもしれないが。
聞いた話によれば召喚された勇者というのは、俺を含めて全部で二十二人。
面白いことに勇者にはタロットカードのアルカナにちなんだ名称がついている。
例えば『運命』とか『星』とか『魔術師』とか。
俺の場合は『刑死者』ってことらしい。刑死者の勇者ってなんだよ、頭おかしいだろ。異世界の奴らの考えることは、さっぱり分からん。
とにかく召喚された勇者は全員がまだ若い男女だって話だ。その中でも俺は一番の年長者にあたるのだとか。しかも一人だけ断トツの十歳くらいは年上らしい。
つまりだ。勇者の中で俺だけがおっさんってことになる。自分としてはそれほど年を食っているつもりはないが、まだ十代のガキどもから見れば十分におっさんだろう。
こっちとしても、同郷の人間とはいえ、坊ちゃんや嬢ちゃんに混じって仲良くする気なんてさらさらない。
お互い様なのか、他の勇者からの見舞いは全くない。勇者という立場がまだ完全に理解できていない状況では、それでいいのかマズいのかも分からない。まあ、どうとでもなるだろう。
気になることは、それこそ山のようにあったが、俺にとってゆっくりとできる機会は貴重だ。勇者に求められているのは当然のように戦いだが、今のところは免除されているわけだし、その時がくるまでは知らん顔だ。
休養を与えられたというのは、嘘や建前ではなかったようで、簡単な聴取くらいはされたが、ややこしい話は一切されなかった。
立場上、どうせ近いうちに厄介事に巻き込まれるのは目に見えているからな。それまでは、せいぜい贅沢させてもらうさ。
そんな夢のような、のんびりとした日々を五日ほど過ごした。