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07 りゅうのこころ。







幼い頃から体は弱かった。


少し出歩けばすぐに熱を出したし、ちょっと無理をすれば当然のように風邪をひいた。


医師には病の原因が分からなかったが、そもそもが丈夫な体ではないのだと言われた。


成長すればするほど負担が増えるのか、肺が悪くなり、心臓も弱ってきた。


治りはしないが、症状が治まる薬はよく効いた。


ゆっくりと少しずつ死んでいく体が、リアンには邪魔でしょうがなかった。



ディディエが手に入れてくる薬は高価で、決して裕福ではないのに、なのに当然のように惜しみなく与えようとするのも心苦しかった。

少しでも金を稼ごうと、無理な狩りをしているのも、辛くて見ていられない。


放っておけばいいのに。

また森に返して、捨ててしまえばいいのに。

もともとあの森で、短い人の命を終わらせるはずだったのに。


ちょっとのことですぐ熱が上がるこの体が憎たらしい。


息をするのもままならないこの体が許せない。


倒れるたびに兄を泣かせるこの体が嫌いで嫌いで仕様がない。


やりたいことがたくさんあるのに、何もできないこの体が邪魔で、腹立たしくて、消してしまいたくなる。





「目が覚めたか?」


冷やりと濡れた布を額の上に置いて、アドニスはリアンの目元を指で拭った。


ランプの灯りは小さく抑えられていた。

枕元の周りだけが照らされて、窓から入ってくる月光の方が明るいほどだった。


頭のすぐ横にはアドニスが、椅子に腰掛け、小さな円卓に片腕だけで頬杖を突いていた。


「……まだ生きてるの?」

「……そうだな」

「……兄さんは?」

「シイがな……お前が落ちた後、多分、驚いたんだろう。逸れてどっかに行った」

「そうなの……?」

「……ディディエが探しに行った」

「は? ……え、今?」

「もう夜中だ……長い一日だな」

「まだ戻らない?」

「上客の高価な翼竜だからな……探すだろ」

「……私が……呼べば……」

「あーこらこら。リアンは寝てなさい」

「だって危ない……」

「チタも一緒だ、心配ない」


起き上がろうとするのを、アドニスは額を押して枕に沈めた。

そのままついでにリアンの両頬を鷲掴みにして、ふにふにと揉む。


アドニスは怒っているように眉をひそめ、いつもより目元も鋭い感じだが、話し方はリアンに合わせてゆっくりと、声はとても優しい。


「なんで森で死のうと考えた」

「……そこから来たから」

「帰ろうって?」

「……うん」

「はっ……単純」

「うるさい」

「生きたくないのか?」

「何もできないのに……生きてても」

「何もできなくはないだろう?」

「え? ……これ見て言う?」


寝台に横になっている自分の手足を広げて、リアンはどうだと踏ん反り返る。


「何かしたいことはないのか?」

「うん? だから森で……」

「それ以外で」

「…………ない」

「じゃあここでずっと寝転がってればいいじゃないか」

「それはイヤ」

「何がしたかった?」

「ほんとは……」

「うん?」

「たくさんあった、と、思うけど」

「ああ」

「考えてもしょうがないから」


何か、この体で、この魂で、この生命で、あれもこれもと考えていた。

それもどれも困難に思えて、実際困難で。

今では『何かをしなくては』と思うばかりで、出来そうなことだけを計って、なんとか、心と体を誤魔化しながらでしか動けない。

『何かをしたい』と思うばかりで『これがしたい』なんて消えて無くなった。


ころりころりと目から転がっていく水の粒を、アドニスは指で何度も拭う。


「俺がいる所な。国の端っこだ……」

「うん」

「ここの山よりも高い山があって、そこの森よりも大きい森があって」


ぱちりと瞬いたリアンから、涙が落ちなくなったのを確認して、アドニスは口の端を持ち上げる。


「その山の真ん中に国境の砦があるんだけど、そこに住んでる」

「とりで……」


アドニスが辺境で国防の騎士をしているのはディディエから聞いていたけど、どんな場所に住んでいるのか、リアンは初めて知った。


「まぁ、国境だから警備は怠れないと思うだろ?」

「……うん」

「でもなぁ……一年のうち三分の二は雪が降るぐらい寒くて、国境は人じゃあ越せないような山だろ? 頑張って越した所で、手付かずのでっかい森がある…………誰が隣の国から侵入してくると思う?」

「ふふ……無いね」

「無いんだよなぁ……時々迷った渡り竜が山越えしてくるぐらいだな」

「へぇ……渡り竜?」


本当は隣国からの特使が来ることもあれば、偵察が目的の翼竜の飛来もあるが、どれも事前に隣国からの通達がある。


それはこちらも同じこと、停戦の協定を結んでからは、予定通りに決まった牽制をしあうだけだ。


「犬くらいの大きさの翼竜だった。そういう種なのか、幼体だったのか。まぁよく分からなかった。チタがな。どこかに落ちてたのを拾ってきた」

「チタが?」

「自分が助けてやりたかったのかな……人には誰も触らせないんだ。俺にもだぞ?」

「毒があったのかも……」

「うん? そうなのか?」

「……竜は大丈夫でも、人には毒とか割と多いし……。で? その竜はどうしたの?」

「……大事そうに抱えてたけど、次の日には死んでしまったよ」

「あぁ……」

「そうしたら、そのあとチタその竜を食ったんだよ。いや、食うのかよ! って全員でつっこんだね、あの時は」

「あはは」

「これが竜か……って、全員引いた」

「チタは生きたままの獲物は食べたことない?」

「あぁ……そうだな、無いな……あ?! 食おうと思って死ぬまで待ってたのか?」

「さぁ、それは分からないけど……大事だったから、食べたのかも」

「……そういう考え方もあるか……あるのか?」

「どうかな、わたしはあると思うけど」

「……なぁ、リアン」

「うん?」

「山に来るか?」

「はい?」

「翼竜は今十二頭だ……シイを入れたら十三になるな。世話する人間が足りないんだ」

「……わたし?」

「ああ。竜のことに詳しいし、もっと増やしたくなったら『竜狩りの資格』持ちだし」

「アドニスの所で働くの?」

「おう、俺の部下だな。お茶も淹れてもらおうか」

「死にかけだけど?」

「言ったろ、そう簡単に死なせるか。お前の能力を買うんだ。対価は薬で支払おう」

「……アドニス損するよ?」

「そうか? じゃあ、お茶汲み以外に、書類整理もしてもらおうか。誰も片付けしないから、資料部屋がめちゃくちゃなんだ」

「…………それでも損だと思う」

「じゃあ、もう一頭」

「え?」

「まだ足りないなら、もう一頭。俺のために竜を狩れ」

「山の上の砦?」

「ああ……寒いぞ? 腹立つくらいずっと雪だ」

「翼竜の世話?」

「背中に乗ったまま、湖を泳いで渡れるぞ」

「湖があるの?」

「景色だけは良いんだ。ほんと景色だけは」

「見てみたい」

「おいで。そしたらまたお前の世界が広くなる」

「……だね」

「……だからもう泣くな」


額に乗った布をずらして、アドニスはリアンの顔をぐいぐいと拭った。


「……本当に」

「なんだ?」

「アドニスの所で……働けたら」

「たら、じゃなくて、働くんだよ」

「そしたら楽しいだろうな」

「おいこら、仕事を舐めるなよ。楽しもうとするな? こき使ってやる」

「……兄さんが怒ってくるよ」

「それだよー……。あいつもうそろそろ妹離れした方が良いよな」

「ふふ……それだよー」

「リアンが働きに出るなんて知ったら、怒り狂うんだろうなぁ」

「一緒に怒られてくれる?」

「まぁそこは想定内だ」

「本当に……本当にアドニスの所に行っても良いの?」

「おい、今までの話はなんだったんだ」

「アドニスの妄想かと」

「ははは。なんだお前、起きてると思ってたけど、寝ぼけてるのか?」


ぐりぐり額を押さえられて、リアンは両手で外そうとしても、もがいても、びくとも手が離れない。


あきらめて脱力すると、やっと手が離れていった。


ついでに額の布が外される。


取った布を冷やそうとしているのか、頭の上でぴしゃぴしゃと水の音がしていた。


「ディディエが帰ったら話をしよう」

「本気で言ってるの?」

「半殺しくらいまでは甘んじて受ける気ではいる」

「……そりゃすごい覚悟だね」

「お前も覚悟しろ」

「半殺し?」

「俺のところに来る覚悟だ」

「……へへ」


小さくため息を吐き出すと、アドニスはリアンの額に布を置いた。


もう寝ろと灯りを消され、月明かりの中で目を閉じた。


たくさん考えなくてはいけないはずなのに。

何かを考える前には、もう意識は手を伸ばしても届かない場所で、リアンはその反対側の眠りの世界に引っぱられていった。









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