73 おるすばんふたり、リアンのばん。
十回寝たら帰るから。
子どもに諭すように言って、アドニスは高いお山の向こう側、隣国へ出かけてしまった。
お館様の遣いで、十二いる内の半数の部下を連れて、翼竜に乗って。
あちらの国王から直々に招待されたのはお館様だが、それに変わって『招待はお断りする』とただそれだけを言うために出かけて行った。
アドニスは簡単そうに説明したが、実際に簡単でないことは普段のんきにしているリアンにも分かる。なんとなくだが。
ただの言付けに部下の半分と、頭と口がよく回る副官コンラッドを帯同させているのだから、遊山気分ではないのだ。
何かきっと面倒で、難しいことをしに行くに違いない。
多少なりとも危険を伴うのかも知れない。
それならしょうがない。
笑って見送って、黙って待つのだ。
決して連れて行ってもらえないのが悔しいからではない。
隣の国は行ったことがないから、行ってみたいなんて、絶対に言わない。
置いて行かれた気がして淋しいなんてない。それから決して悔しいんでもない。
ないったらない。
最初の三日はそんなことを考えながら、内心では不貞腐れていた。
その翌日からは、不貞腐れる元気がなかった。砦に居るみんなには心配と迷惑をかけないように、なるべくいつもと変わらないように過ごそうとして、実際にそうできていたと思う。
午前中は翼竜たちの世話をして、午後は砦の用事や、頼まれごとをした。お館様のところに遊びに行ったり、夜には本を読みながらいつの間にか寝ている。普段と変わらない。
ようにできている。はずだ。
八日目になってくると、それも難しい気がしてくる。
「こんなとこに居た。探したよリアン」
「エド……どうしたの?」
「ルオのことで相談したくて」
ルオはエドウィンの翼竜で、肩に乗れる大きさの幼体の頃から面倒を見ている。
そのルオの様子が気になるのだと手短に説明する。
「……でさ、落ち着きがないんだよね」
「あぁ、うん」
「何でだか分かる?」
「もぞもぞするんだよ」
「もぞもぞって?」
「最近 急に大きくなったでしょ。色々押されたり引っ張られるみたいでもぞもぞしてるの」
「……なるほど」
エドウィンはエドウィンで、少し前までリアンとそんなに変わらない位の背丈だったのに、みるみる他の騎士たちと変わらない身長になってきた。今もまだ伸びているらしく、身体はみしみし、膝ががくがくしているから、ルオの気持ちはよく分かる。
ルオはこれまで砦の内部の通路を歩いたり壁や天井を這ったり、自由に動き回っていた。
今では蜥蜴のような形から翼竜の姿に近付いて、さらには人と変わらない大きさになった時点で砦内をうろつくのは禁止された。
今はエドウィンとではなく、高楼の厩舎で他の翼竜たちと一緒にいる。
「…………で? リアンは何してるの」
「やることないから」
「うん?」
「数えてた」
「何を?」
「階段の数」
「…………ん?」
「あ、エドが話しかけるから忘れちゃった」
ちょうど砦の中層辺りにいたので、上か下か悩んで、リアンは階段を下から数え直すことにした。
エドウィンはリアンの後を追って階段を下り始める。
「やることなくて階段を数えてるの?」
「そうだよ」
「え、ちょ……本数じゃなくて、まさか段数を数えてるんじゃないよね?」
「うん? だから?」
「…………あぁ……リアン」
「……なに」
「もう少ししたら団長、帰ってくるから」
「あと三日!」
「リアン……」
「あと三日もあるもん……」
「……見てられないな」
「見なきゃいいでしょ!」
「ぅわぁぁぁ…………そうだ。じゃあさ。こんな不毛なことじゃなくて、探検しようよ」
「探検?」
「俺、隠し通路ひとつだけ知ってるんだよね」
「隠し通路……?」
「どこに繋がってるか行ったことないから、一緒に行ってみない?」
「…………行く。行ってみたい!」
「決まり。そうしようよ」
「エドは知ってて探検しなかったの?」
「ひとりじゃちょっと怖いし、誰かに一緒に来てほしいなんて言ったらバカにされるだろ? だがら今まで誰にも言えなかったんだ」
「バカになんかしないよ!」
「リアンならそう言うと思った」
「探検かぁ……準備がいるねぇ」
「よし、これから作戦会議しようか」
「しよーう!」
かくしてにわかに結成された探検隊は、それなりの装備を整えて隠し通路に潜入する。
割にあっけなく別の通路と繋がっているのが判明したが、適度な緊張感と興奮はあったので、かなり楽しく過ごせた。
隠し通路の中にも分かれ道が存在しているのを発見したので、探検隊の第二陣は明日にも出発すると決定して、この日は解散になった。
埃や蜘蛛の巣や、何かよく分からない汚れまみれになって、部屋に戻るなりシャロルにしこたま怒られた。
夜になって静かな部屋でひとりになると、余計なことを考えてしまう。
考えなくてもいいことまで考えて、勝手に涙が出てきそうになる。
辛うじて目から溢れてはいないからまだ負けてはいない。
毎晩抱えていたアドニスの枕も、もう使っていた人の匂いがしなくなっていた。
「うぅ……」
広く感じる寝台に大の字に寝転んで、いつもと違うふうにしてみようと、変な格好に捻れてみたり、頭と足の位置を逆にしてみたりしたが、一向に眠たくならない。
「ううぅ……」
砦に来るまでは夜はひとりでも大丈夫だったはずだ。
ひとりが駄目ならと、ふかふか号を引っ張り出して、リアンはそのまま部屋を出る。
真夜中に飛ぶなんてと部下たちは文句たらたらだったが、高楼の天辺に降り立った時には、全員がひと息吐けたと嬉しそうな顔をしていた。
まだ戦火があちこち燻っていた頃。砦に常駐するようになるまでは、昼だろうが夜だろうがお構いなしに空を駆けていた。
腕が落ちたとまでは思わないが、平穏なことに慣れるのは、騎士として果たして如何なものだろうと思わなくもない。
疲れたと口々に言っている部下たちに、年寄りは体をお大事にと言っておく。
すぐさま返った反論に、アドニスはふふんと笑っておいた。
夜駆けはむしろ好きな方だ。
夏だろうと空はとんでもなく寒いが、そこも込みで嫌いにはなれない。
それは多分、部下たちも同じだと思う。
竜乗りならどんな空だって思いのままに駆けたいものだ。
だから真夜中だろうと帰ってきて良かったに決まっている。もちろんだ。
アドニスは相棒のチタから鞍と荷物を外し、よくやったと言葉をかけて、首元をごしごし撫でてやる。
チタは目を細めて、嬉しそうにびしびしと石床に尻尾の先を打ち付けていたが、何かに気を取られたようにふと顔をそらし、いそいそと厩舎に下りていった。
鞍と荷物を担いでアドニスも厩舎へ続く階段を下りる。
チタは自分の寝床の向かい側にある、シイの寝床に顔を突っ込んでいた。
「どうした、チタ」
鞍を壁に引っ掛けて、チタの側に歩み寄る。
くるると鳥の鳴き声が返ってきて、何かあるのかと中を覗き込んだ。
「……おい、嘘だろ」
丸まったシイの中には、丸まったリアンと、丸まったルオが並んで寝ている。
シィの寝床はぎゅうぎゅう詰めだ。
次々に下りてきた仲間たちも、どうしたと寄ってきて中を覗き、あらあらとニヤついた。
誰も踏まないように間に割って入ってしゃがみ込み、リアンの頬をむにむにと摘む。
シイはゆったりと頭を持ち上げた。リアンが連れて行かれるのが分かってか、不満そうにぐるぐると喉を鳴らす。
「おいこらリアーン。風邪ひきたいのかお前はー。おーきーろー」
唸ってアドニスの手を退けると、眉間にしわを寄せて目を開けた。
ぼんやりした顔がアドニスの方を向く。
「…………アドニス?」
「おう。帰ったぞ」
「…………おかえりなさい」
「ただいま」
丸まったシイの間からのろのろと抜けて出て、そのままよろよろとアドニスに両腕を伸ばした。
「おい、待てリア……ぅお」
やってきたリアンを受け止めて、アドニスはゆっくりと後ろ向きに床に転げる。
それを見下ろしている部下たちは、まあまあとさらににやけた顔を惜しげもなく晒していた。
アドニスは顔を顰めて手を振る。
「はいはい……解散、解散。お疲れー……見せ物じゃねぇぞ。帰れお前ら。帰って寝ろ!」
いいもん見たと快活に笑い、相棒たちを寝床に連れて行き世話をする。アドニスは床に寝転んだまま、横向きに見える部下たちを去っていくまで見送った。
ざわざわとした気配が遠くなって、それでも静かにしている腕の中のリアンに目を向ける。
「…………なに。泣いてるの?」
「泣いてない!」
「ぬくいし、なんか湿ってるんですけど?」
「泣いてないもん!」
「ほんとか? 顔見せろ」
「うぅぅーやーだー」
「……俺が居ないの嫌だった?」
「ないもん!」
「えぇぇぇ? お前が喜ぶと思って、早く帰って来たんだけどなぁー。あーあぁ頑張ったのになぁ」
アドニスは両手を頭の下に持っていってそれを枕にする。
がばりと顔を上げて、リアンはアドニスの腹に跨って体を持ち上げた。
「負けてないもん!」
「うん?」
「我慢できたからわたしの勝ち」
「何との戦いだよ」
「アドニスが帰ってきて嬉しい!」
「淋しかったんだろ?」
「……淋しかった!」
「……よしよし。素直でよろしい」
よいせと起き上がると、にやりと口の端を片方持ち上げて、そのままリアンに口付けた。
鼻先がくっ付く距離で見つめ合う。
「……ただいま、リアン」
「……おかえりなさい、アドニス」
「……ったく、なんなんだよ。かわいいな、このやろう!」
「……知ってる」
うへへと笑ってリアンがむぎゅむぎゅに抱きついてきたので、アドニスは腹にリアンを引っ付けたまま、荷物を担ぎ、ふかふか号を引きずって高楼を下りた。
その晩リアンはアドニスにべたべたに引っ付いて眠る。
が。
翌朝にはもう気が済んだので、愛でようとしてくるアドニスを軽くあしらって、隠し通路探検隊、隊員として次の冒険に出かけていったのは言うまでもない。




