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21 夜のように空をいく。






「……すまん」

「もういいってば、しょうがないよ。偉い人なんだもん」


シャロルから聞いたマブルークの話は、リアンにとって別の世界の住人の印象しかない。


隣国の、遠縁とはいえ王家の血筋を受け継ぐ御方らしい。普通に暮らしていたら、一生のうちに直々にお目にかかる事もないような人だ。

少し前まで田舎町に住んでいたリアンには、どれほど凄いことなのかすら上手く想像できない。


神妙な顔で寝台に正座しているアドニスは、膝の上で拳を握っていた。


それに向かい合って、リアンも同じように座っている。


「お茶飲むだけでしょ? 笑って座ってればすぐに終わるし」

「俺が側に居られれば……」

「だーいじょうぶ。シャロルさんが付いててくれるし、あの……マブルーク様? の護衛の人は、なんか良さそうな人だったし」

「……んん……でもなぁ……」

「笑ってごまかして、適当に躱して、帰りたくなったら、よろって倒れたらいいんでしょ? シャロルさんと練習したから」


ほらとリアンは寝台に力無く倒れる。

儚げなお嬢様の仕草も大したものだった。


「……何の練習してるんだよ」


むにむにと頬を摘まれると、リアンはぱちりと目を開く。


「余計なことも言わないから安心して」

「……俺が心配なのはそこじゃない」

「んー? じゃあ、どこらへんをがんばったらいいの?」

「頑張るのを頑張らないでくれ」

「……言葉遊び?」

「……言った通りの意味だ」

「わたしじゃ無理って思ってる?」

「無理してやり遂げそうだから言ってんだよ」


アドニスはそのままどすりと横に倒れて、唸りながら手足を伸ばした。

しばらく天井を見つめて、体ごと横向になると頬杖をついた。


「とまぁ、俺が気を揉んだところで、なるようにしかならないんだけどな」

「結局そういうことでしょ」

「……結局そういうことなんだよなぁ」


散らばっている、ゆるりとした巻き毛を手に取って、アドニスは無心で弄ぶ。


しばらくして正気に戻った時には、リアンはすうすうと寝息を立てていた。


「……おいこら。寝るなら暖かくしなさい」


ぐてっと脱力したリアンを布団の中に押し込んで、自分もするりと中に入る。

青白い頬に触れて、額に手を当てた。

昼間よりもリアンが熱い気がして片方の眉がぴくりと持ち上がる。


「……明日も部屋で謹慎だなこりゃ」


シャロル特製の薬は欠かさず飲んでいるようだが、毎日が良好とはいかないようだ。

少しの無理も効かないリアンを支え続けていたディディエの気持ちが、今ならよく分かる。


側に抱き寄せて、背中に手を当て、ゆっくりと撫でる。


静かな呼吸の音を手のひらで確かめてから、アドニスは灯りを消した。






ざわざわと風に揺れる木の葉の夢を見る。


その揺れはどんどん大きく、枝はしなり、幹はぐらりと傾く。


大木が目の前まで迫ってきて、潰されると思った瞬間に飛び起きた。


「……ゆめ……?」


部屋の中は暗く、とても静か。

カーテンの隙間から見えている窓の外には、点々と星が光って見えている。


今朝のような、世界を覆い尽くさんばかりの雲は、欠片すらない。

もちろん風に揺れる木なんてあるはずもない。


それなら何がざわざわといっていたのだろうか。


まだ胸の奥でどくどく大きな音が鳴っている。

喉が渇き、額が冷やりとして思わず手をやった。


「……なに?」


言いようのない不安が喉元を締め上げている。血の気がひいて指先が冷たく痺れる感覚。


リアンは真っ暗な天井を見上た。


隣に居るであろうアドニスを手で探り当てて、ぐいぐいと揺する。


「アドニス……アドニス……」

「……ん……なんだ……」

「ちょっと……見に行こう」

「……なに? なにを……」


衣擦れの音がしたかと目を開くと、視界に入ったのはひらりと見えたリアンの白い寝間着の端だった。


手を伸ばして掴もうとしてももう遅く、ぺたぺたと足音は遠ざかっていく。


「ま……て、どうしたリアン」

「塔に行かないと」


扉を開けながら振り返り、言い終えるとそのまま部屋を飛び出していった。

勢い良く起き上がったアドニスはその後を追う。


螺旋階段を裸足の足音が駆け上っていく。

日没後から次に陽が昇るまでは、階段塔に人が入ると、魔術で灯りが入るようになっている。


段の合間に橙色の小さな灯りがぽつぽつと続く。

ふたりの影が壁のあちこちに映り、不穏に揺れているように見えた。


「待てリアン! 何だ急に!」

「だってみんなが、すごく怖がってる!」

「怖がる? なんで?!」

「わかんない!」


たどり着いた厩舎では、真っ暗な中でちらちらと、金や青白い目だけが光って見えた。

ぐるぐると低い声と、ぎちぎちと警戒音が何重にも聞こえている。


「なんだこれ……どういうことだ……お! い、リアン!」


リアンは更に上に向かおうと高楼の天辺に続く階段を登っていた。

四角く切り取られた天井から外に出ていく。

アドニスは後を追うことしかできない。



空の天辺には満月を通り越し、逆側が削れている月が鎮座している。


リアンはぼんやりと白く光って見えた。

幽鬼のように、何かの拍子にふと消え失せそうな気がする。


「……これはなんだ、どういう……」

「しぃーっ! 静かに、アドニス」

「……なんだ?」


あちこち頭を巡らせて、すぐにリアンは夜空の一点を見定める。

大きく息を吸い込んで、ぶるりと体を震わせた。


リアンの口から細く長く出てくるものと、自分の吐いた息の白さに、アドニスは眉を顰める。


こんな薄着で寒空の下にいては、リアンは部屋の中どころか寝台の上から動けなくなる。

部屋に戻ろうと手を掴むと、するりと解かれて逆に手を掴まれる。

指先は氷かと思うほどに冷たい。


「リアン……」

「アドニス、見て」


リアンが見ている方に目を向ける。

夜の闇の中に星がちらちらと見えるだけだが、風を切る高い音がわずかに聞こえた。


「……なんだ?」

「見てて……こっちに来る」


夜の闇だと思っていたものが近付いてくる。

大きさを増して、そして、今にも頭上を通り過ぎようとする。

夜だというのに、それはふと高楼の上に影を落とす。


頭上を行くその闇は、翼竜の形をしていた。


かなり高い場所を飛んでいるはずなのに、輪郭はくっきりとしている。

暗いから距離感を掴めないのかと改めて見ても、やはり大きい。



風を切る高い音と、風が巻く低い音が同時にしている。


どう見積もってもここにいる翼竜たちの比ではない。


翼を広げた全長は、なんならこの砦くらいはありそうな大きさだ。


ぎしりと木が軋むような音が、翼の角度を変える度に鳴る。

長い尾がしなるとぎりぎりと締め上げるような響きがある。


白っぽく浮かんで見える腹と、そこから伸びる、考えられないほど太い足。

夜よりも黒い爪までが、高く遠い夜空にあるはずなのに、くっきりと見えた。





言葉もなく見送っていると、手を握られていた感触が消え、ぺたぺたと小さな足音がする。


リアンは頭上を越えて飛び去っていく竜の後を追って走り出し、そのまま高楼の縁に登ろうとしている。


高い部分はリアンの肩より少し下だが、低いところに足をかけて、難なくその縁に立ち上がった。


そのまま前に一歩、踏み出す手前でアドニスはリアンをこちら側に引きずり降ろした。

石床で強か背面全部を打ちつける。


「…………冗談じゃないぞ、こら」

「アドニス見た?」

「…………勘弁してくれ」

「あんな大きな竜、初めて見たねぇ……」

「…………ありゃほんとに竜か? あんなにデカい生き物がいる訳ない」

「でもいたねぇ……」

「どこに棲んでんだ……どうしてあの大きさで誰にも見つからない……てかあのデカさでどうやって空を飛べるんだ!」

「……世界は広いねぇ!」

「……俺もここまで広いとは思ってなかったわ」



飛び去った竜は大き過ぎて、自分の思考の範疇外で、何が何だか分からない。


それよりも。

何よりも。


落ちれば確実にぺしゃんこになれるような高さにいて、確実な死との縁に、いとも容易く立ち上がったリアンが恐ろしい。


広い世界を見てみたいと言い、後先考えず笑いながら、空中への一歩を踏み出したリアンが恐ろしい。


するりと離れていった冷たい手が無くなる感触が、今頃になってアドニスに寒気を呼ぶ。


ぞくりと背中を走っていく鋭い痺れに、腕の中身を確かめるように強く抱きしめた。


「……お前……くそ!! 何も面白いことなんて無いぞ!」

「な……に? 何が? なんでおこ……」

「お前自分が何しようとしてたか分かってないのか!!」

「……だって…………わたしは」

「なんだ!」


飛べると、何の疑いもなく思った。

あの竜と同じように空を駆け、谷合に帰り、自分の棲家で眠るのだと。


人であることなど、砂つぶひとつ分程も考えていなかった。


「許さないぞ……こんな持っていかれ方は許さない」

「…………アドニス」


腕が震えて、強く早く鳴っているアドニスの心臓の音に、同じように震えて、同じように鼓動が追いかけていく。


吐き出した息は熱くて弱々しくて、普通よりも死が近いところにある、ただの人だと。


リアンは自分のことすら忘れてしまっていた。


目の周りも喉の奥も、熱くて苦しくて、全身が痛い。


ぎゅうと縮こまったようなリアンの背中を、アドニスはゆっくりと撫でた。


「……大きな声を出して悪かった」

「…………ごめんなさい」

「もういいから泣かないでくれ。怒ってない……驚いたんだ」

「…………ごめんなさい」

「もう謝らなくていい」

「…………ごめんなさい」



星は変わらず綺麗で、自分たちの立てる音しか聞こえない。


リアンとくっ付いているところだけが暖かかった。


どれほどその場に寝転んだままだったのか、石床の硬さも冷たさも、痛く感じ始める。


「……落ち着いたか?」


胸の上でぐりと頷いた反応だけがあった。


「下のあいつらは落ち着いたかな……見にいくか……よっと……はは……不細工だな……」


一緒くたに起き上がって、ぐりぐりに頭を押さえつける。

ぐしゃりと歪んだリアンの顔を鷲掴みにして、頬をむにむにと揉んだ。




厩舎に降りていけば、相変わらず低い唸りと、警戒音の合唱が続いていた。


「……なんだ、どうしたらいいんだこれ」

「…………落ち着くまで、体を何かで覆って」

「うん? あー……藁とかでいいか?」

「……うん。大丈夫だって……声をかけて」

「お前も手伝え」

「……はい」


隅の隅に行こうとしている竜たちに、声をかけながらあるだけの寝藁を上からかけてやる。


コンラッドの相棒ルダは他の竜たちよりも酷く怯えていた。リアンはシイに長いこと話しかけて、ルダの小部屋にシイを押し込んだ。

不服そうな態度でルダにのしりと寄りかかる。


「朝まで一緒にいてあげてね……」


るるると返事をすると、シイは長い体をルダに巻きつけるようにして添わせ、ルダを枕にして目を閉じた。


「……チタとシイだけか、余裕がありそうなのは」


チタは上から被せた藁をふるい落として、端の方ではあるが、いつものように丸くなって目を閉じている。


他の竜たちは静かになったものの、かさこそ動いて落ち着きがない。



上空をただ通り過ぎていっただけの、あの大きな翼竜がどれ程の脅威なのか。

現実離れし過ぎていて、アドニスにはなんの想定もできない。


「……あれは……さっきの大きいのは……どうしようとしてたか分かるか?」


リアンは横に首を振る。


「……そうか……ただ飛んでただけだと思うか?」

「……帰ろうと、してたと思う」

「ふーん……」

「散歩の」

「散歩かぁ……俺らも帰るかぁ……」


リアンを無意識で抱き上げて、近道ではなくちゃんとした階段の方に向かう。

リアンはぐいぐいと肩を押して、下に降りようとしていた。


「……どうした?」

「……歩く」

「なんで」

「アドニス裸足」

「……お前もな……今さらだ。気にするな」




部屋に戻るとリアンを寝台に腰掛けさせて、アドニスは侍女たちに比べれば無いに等しい魔力で、ボウル一杯分の湯を作った。


そこにリアンの足先を浸けて、肩掛けを頭から被せる。



少しずつ体に暖かさが戻ってくると、リアンは噎せるようにして咳き込んだ。


打ち金の付いてない呼び鈴を振って卓に戻した。こちらでは音がしないが、シャロルの方でこの音が鳴っているはずだ。



横に並んで背中をさする。


少しの間激しく咳き込んだ後、ぴたりと動きが止まる。

ぐと胸の辺りの服を掴んだ途端、咳と一緒にごぽりと血を吐き出した。

血が染み込んでいく肩掛けを握りしめて、リアンは小さくなろうと身を縮こめた。


「……大丈夫だ……シャロルを呼んだ。もうすぐ来るからな」


涙をぽろぽろこぼしながら、リアンは唸っている。


「……いいか、謝るなよ。お前を惨めにしたくない。……何も心配しなくていい」




シャロルはすぐに訪れた。

いつもの衣装ではなく、寝間着の上に肩掛けを羽織り、髪も下ろして横でまとめられている。


起きてすぐに砦側まで転移した様子だった。


すぐに状況を察したシャロルは、いつもより穏やかに微笑んで、ゆっくりと言葉をかけている。


「さあさあ……シャロルが来たからもう安心ですよ。リアン様……体から力を抜いて楽にして下さい。ゆっくり息を吸いましょう……大丈夫」


言葉とは裏腹な厳しい視線をアドニスに向ける。


アドニスはリアンを支えていた両手を小さく上げて、するっとその場を離れた。


アドニスが居た場所にシャロルが腰掛ける。


「苦しかったですね……もう大丈夫ですよ」


撫でられた背中が楽になったのか、リアンは少しだけ顔を持ち上げてシャロルを見た。


「シャロルさ……よごれ……て」


血の染み込んだ肩掛けをぐいとシャロルに見せる。


「大丈夫です……洗えばいいんですよ」

「ごめん……なさ……」

「気になさらなくていいんです……なんですか、このくらいのこと」


呪を唱えて手を振ると、シャロルの手のひらの上に小瓶が呼び出された。

蓋を取るとリアンの手に握らせる。


「これを飲んで下さいね……いつものより少ないので、残さずゆっくり口に入れます……その前に口をゆすぎましょうね」


少し離れた場所にいるアドニスに、目だけで水を取りに行けと示す。


アドニスは神妙な面持ちで部屋の隅に向かって歩き、水を注いでさくさくと戻ってくる。




薬をなんとか飲みきった後、シャロルに額を撫でられると、リアンはくたりとその肩に寄りかかるようにして眠り始めた。


「……眠らせたのか」

「緊張を解いただけです……限界だったんですよ」

「……そうか」


リアンの髪に絡まった藁を抜き取ってアドニスに向けた。


「何ですかこれは。服も汚れて……裸足で! 鬼ごっこでもしたんですか?!」

「…………上手いこと言うな」

「何も面白くありません! 何があったか知りませんけどね …………もう、いいです」


シャロルは手の中にある藁を握ってこの場から消した。


「団長様もひどい格好です……どうぞきれいにしてお着替えを。リアン様はお任せ下さい」

「…………悪いな、夜中に呼び出して」

「こういう時の……為にいますから、私は」

「そうだな……助かった、ありがとう」





この夜の内に厩舎への立ち入り禁止の通達がされる。



夜中に上空を通過した翼竜のことは、話を半分以下にして、騎士たちの間に伝える。


明けて翌日、竜が落ち着くまではと限って、主人であろうが、誰の立ち入りもしてはならないと砦内の全員に告げられた。








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