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02 夏、実のなる。







「兄さんなら、今、店の準備してる! 行こう!喜ぶよ!」

「……店?」

「うん、ちょっと前から飲み屋を始めたから」

「飲み屋?」

「酒場?」

「ああ……いや。それは分かるんだが、また、どうして」

「ここんとこ、旅の人が多く来るようになって……」

「ああ……そうかもしれないな」

「うん! 早く早く」


下ろしてほしくて膝から下をぱたぱたと振る。抱かれたくない猫のように両腕をぐいと突っ張っているのに、アドニスはリアンを抱えたまま歩き出した。


「こんな午前中から店を開けるのか」

「だって夜は危ないし……」

「……そうだな」


竜の住む森はすぐそこまで迫っている。

日暮れ以降に外を出歩くなんて、どうぞ私を召し上がれと言っているようなものだ。


飲み屋、酒場と公言はしているが、豊富なのは食事の方で、酒はおまけだった。


もっぱら食事を用意して、主に店を采配しているのはディディエの恋人。用心棒兼お手伝いとしてディディエは店先に立っている。




アドニスはリアンを抱えたまま、建物の角を曲がって表へと歩いていく。

すでに大した間もなく、リアンはまぁいいかと小さな抵抗をやめていた。


それよりも突然の訪問に驚く兄の顔が楽しみで、にこにこと、足もついでに歩くように動かしている。




店の扉をくぐると、リアンは大声を張り上げて、兄の名を呼んだ。


奥から慌ててやって来た兄の顔を見て、自分が今どこに居るのか、そしてどこに居るべきだったかを思い出した。


「あ……しまった」

「リアン!! どうしてここに、っていうか、お前誰だ! リアンを離せこの変質者! そいつから離れろ、リアン! いいから、こっち……」

「兄さん兄さん……これ、だーれだ?」


ぽかんと口を開けて、記憶を探っているディディエを見て、アドニスとリアンはいたずらが成功した子どものように笑い合う。


「あいかわらず頭の中身が残念だな」

「…………アドニス?」

「元気そうで何よりだ」

「アドニスか!! よく来たな!! いやぁ何年ぶりだ?…………いいから、リアンを離せ、このやろう!!」

「近くまで来たからな、顔を見に寄ったんだ」

「おいコラ、お前こそあいかわらず人の話を聞かないな。リアン、こっちに来い。そいつに触るな、汚れる」

「久々の友にごあいさつだな」

「誰が何だって?」


応酬される会話とは裏腹に、アドニスもディディエも顔はにこやかだった。


「いやぁ、よく来たな!」


笑いながら空いている方の肩をばしばしと叩くついでに、アドニスからリアンをひったくって取り返す。


ディディエは分かりやすく怒った顔を作ると、リアンを見上げた。


「……なんでお前が外から来るんだ」

「……なんでかな?」

「部屋に居ろと言ったろう」

「いたよ! さっきまで」

「明後日までだ」

「だってね、もう……」

「もうも何もあるか! いいから戻れ」

「やだ! アドニスがいるのに……わたしもアドニスと話したい!」

「…………ダメだ、変態が感染る」

「おい、堂々と失礼なことを言うな。俺も久しぶりに会えて嬉しいんだ。話ぐらい構わないだろう?」


不承不承といった顔で、ディディエは店の奥にちらりと目をやった。

くいと頭を振って、付いてこいと身振りで示す。

一番奥の卓に案内して、リアンを椅子に座らせ、酒瓶の並ぶ棚の方へ向かった。


「……何をしでかしたら二日も部屋から出られなくなるんだ?」


アドニスはリアンの向かい側の席に着くと、こそりと聞く。


「二日じゃなくて、三日だけどね」


リアンがふふと笑って返すと、アドニスは呆れたと言わんばかりの顔になる。

どちらに呆れたのかは口にしなかった。


近くなっているふたりの顔の間に、ディディエの太い腕が割って入る。


琥珀色の酒が入った小さなグラスを、わざと音を立てて置いた。


「……何かあったのか? どうして王都に?」

「うん、いや。中央に呼び出されたんだが、用事はすぐに済んだ。街道の復旧がまだだって聞いて、お前を思い出した」


三年前、王都から南へ続く街道上で、大規模な地盤沈下があった。小さな集落ならまるまる飲まれそうな規模で、幸いそこに人は暮らしていなかったが、主要な街道なのに未だ復旧も遅々として進まない。


旅する者には不便なリアンたちの町が、その街道の迂回路上にある。


街道を行く旅人や商人たちがよく訪れるようになり、それに便乗してディディエは新しく酒場を始め、それがもうすぐ二年目になる。


「これどうぞ……まだ仕込みが始まったばかりで、大したものはないけど」

「ありがとな、テイルー」


卓に料理を乗せてにこりと笑ったのは、実質この店の店主であるテイルー。

ディディエの幼馴染みで、長年かけて思いを実らせた恋人だ。


「テイルーは初めて……じゃないよな」

「そうだな」

「何度か顔だけは……話すのは初めてよね?」

「俺はよく話を聞いていたぞ。というか、聞かされていた、だな」

「ふーん……良い話なんでしょうね?」

「うん? もちろん! 当たり前だ! な?!」


こんなとこが可愛いだの、ケンカしたからどうしようだの、いつになったら振り向いてもらえるかだの、そんな話ばかりだった。

もっぱら恋のお悩み相談だったのを思い出して、アドニスは笑いを堪えていた。


「どうだか。……まあゆっくりしていってね」

「ありがとう」


どうぞとついでのように酒瓶を卓の上に置くと、仕込みの続きをしに、テイルーは奥に引っ込んでいった。


テイルーの後ろ姿を見送っているディディエに、アドニスは堪えきれずにくくと笑い声を漏らす。


「上手くやったみたいだな」

「……おう。…………まぁね」

「兄さんもたもたして、すごくじれったかったけどね!」

「ちょっと、リアンさん?!」

「……だろうな、眼に浮かぶ」

「お前まで!!」


ディディエが余りにもあんまりだったので、業を煮やしたテイルーの方から付き合う気は無いのかと言われた。

この話は墓場まで持って行く気満々なので、ディディエは色々を飲み込んで口をつぐむ。


「チタはどうしたの?」

「ああ、町に入る前に森に放した。なかなか自由にさせてやれないからな」

「そうかー」

「ああ、そうだディディエ。翼竜は今いるか?」

「あー。いや、今はいないな」

「そうか……ずっとチタ一頭だからな。さすがに負担が大きいんじゃないかと思ってたんだが」

「おお? なんだ、甲斐性が出てきたのか?」

「……やっとな」

「ほーん。ご立派になられたもんだな」

「なんだイヤミか。……まぁ、でも時に休ませてやりたいとも考えていたんだ」

「翼竜なぁ……金のこともそうだが、時間もいるぞ?」

「ああ。頼めるか?」

「おっと。お大尽だな」

「おい、客だぞ。丁重に扱え」


馬や牛の代わりになる、地を走っている竜は、比較的に森の手前の方で生活している。

発見するにも捕まえるにも、地上を走っているのでそれほど苦労がない。


しかし翼竜となると、山に近い森の深部に生息しており、まずは棲み家を見つけるところからしなくてはいけない。

相手は空を駆けるから、それなりに時間と人員がいる。


「まあ、気長に待っててくれるか」

「短気じゃないが、早めに頼む」

「……私が行こうか?」

「リアン!!」

「え、だって……」

「部屋に戻れ!!」

「でも……」

「いいから部屋に戻れ」


それまでのディディエの和やかな雰囲気が一変する。


リアンを見る目も鋭く、怒りを孕んでいた。


覆せそうもないと感じて、リアンはあからさまにしょんぼりした顔で、のろのろと立ち上がると、ディディエに言われた通り、店の奥に引っ込んでいった。


「兄妹のことに口を挟むつもりはないが」

「なら挟まないでくれ」

「…………出直す。しばらくはそこの宿に居る予定だ。事情は知らないが、あの態度はないぞ。リアンに謝っておけよ」

「余計なお世話だ」

「……またな」


こちらを見ようともしないディディエの頑なな態度に、アドニスは小さくため息を吐いて席を立った。


そのまま店を出て町の中心に向かうことにする。


顔を見たらその足で帰ろうと思っていた。

チタの他にも翼竜がもう一頭必要だとは思っていたが、そこまで真剣には考えていなかった。


久しぶりに再会して、思いつきのような感覚で示した話が、まさかここまで険悪な雰囲気になるとは思わなかった。


「……アドニス!待って!」


小声で精一杯呼んでいる声に、アドニスはその声の方を見た。


先ほどの露台から、またしてもリアンが降りようとしている。


ひとつ笑い声を漏らして、露台の下に駆け寄り、同じようにしてリアンを抱えた。


「……また怒られるぞ?」

「いいもん」


むっとした顔でそっぽを向いたリアンに、アドニスは苦笑いを返す。


「……どうした、俺に用か?」

「アドニス、もう帰るの?」

「いや、しばらく居ることにした」

「……そう」

「何かあるのか?」

「わたしも狩りに行くように言って」

「なに?」

「わたしも一緒に狩りに連れて行けって、兄さんに言って」

「リアンが狩りを?」

「わたしなら一日あれば狩れるから」

「なにを……」

「約束するから。だから兄さんに頼んで」


お願いと抱きついてきた背に手を当てる。

ぽんぽんと叩いてその手でそっと撫でた。


「……理由を聞いてもいいか?」

「兄さんが許してくれたら教えてあげても良いよ」

「……そうか。……じゃあ、部屋に戻れ」

「……アドニス」

「ディディエはかなり怒っていた。また頭が冷えた頃に来るつもりだ。それまではリアンも大人しくしているんだな」

「…………うん」

「いい子だ……ほら」


ぐいと体を持ち上げると、リアンを露台の方に向ける。


足の裏に手を当てて持ち上げると、リアンはそれを踏み台にして、難なく露台に上り、すぐに内側に入った。


柵にすがるようにして、アドニスを見下ろす。


「アドニスまた来る?」

「また来るよ」

「お願い聞いてくれる?」

「話はするがあまり期待はするな?」

「待ってるからね」

「部屋で大人しくな」

「……わかった」


にこりと笑ったリアンに同じように笑い返す。


手を上げると、リアンはさらに笑みを深めて、同じように手を上げて部屋への窓をくぐっていった。





ディディエとの友情も、リアンの稚いかわいさも、変わらないものは確かにあった。



同じくらい確かに変わったものもあるようだ。


会っていなかった時間の長さを、アドニスはしばし露台を見上げて考えた。










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