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12 きもちは千里をかけぬける。






胸が重苦しい。


内側に鉄の塊が詰まっているんじゃないかといつも思う。

重くて重くて息が吸えない。


横向きに体勢を変えると、喉が塞がれたようになって、息ではなくて咳が出る。

落ち着くまで待って、なるべくゆっくり息をする。細く、長く。


もう慣れたものだ。

ここで慌てて一度に息を吸うと、また咳き込んで余計に苦しくなる。

空気を欲している体を堪えて、なだめて慎重に息をする。


ひゅうと高い音が鳴り、空気が出入りするたびに、喉を引っ掻いて擦っていくようだ。


生きるために必要なはずなのに、その空気が少しずつ体を痛め付けている気がする。





リアンから見える窓の外は、太陽がだいぶ高い位置にあるような明るさだった。




細くゆっくり吸った空気は、さらに細くゆっくりしたため息になって出ていく。


「お目覚めですか? リアン様」


落ち着いて、小さく絞ったようなシャロルの声が背後からかかる。


口を押さえていた布を、ぐと枕の下に押し込んだ。


迷惑をかけたことを、この一言で理解して、情けなくて苦笑いを浮かべる。


すみませんと声にもならない返事をした。


「お疲れが出たんですね。今日はゆっくり休みましょう」

「……疲れるようなことは」

「いいえ、そうは思われなくても、少しずつ溜まっていっていたのです。気付いて差し上げられなくて、申し訳ありません」

「……そんな……こと」


寝台から起き上がろうとすると、シャロルがそれを手伝った。

楽な姿勢になるように、枕を動かして調節もしてくれる。


「お茶を淹れてあるので、飲んでみられますか?」


頷くとシャロルは茶器を置いてある部屋の端に歩く。

その間にリアンは手を握ったり開いたりしてみる。

力は入るから、器はきちんと持てそうだ。


砦から用意して持参した茶器は、薄くて白い陶器の器で、端々に金の縁取りがされていた。


器を両手で受け取っても熱くない。

中身はいつもの紅茶とは違い、ごく薄い緑色のお茶が入っていた。


華やかではなく、甘いような香りがほんの少しだけしている。


いくらいい香りでも、紅茶の香りにすらむせてしまいそうだ。このお茶なら大丈夫な気がする。


気を遣ってもらっていることに、リアンはぎこちなく笑って、お茶をゆっくりと飲み下した。


「他にも何か召し上がりますか?」

「……いらないです」

「では食事はもう少しあとにいたしましょう……失礼しますね」


シャロルはリアンの持っている器に手をかざし、短く呪を唱えた。


息を吹きかけたように、お茶に小さな波が立つ。


何をしたのかと、リアンはシャロルの顔を見上げた。


「お荷物の中に薬が入っていたので、少し見させていただきました。一般的に痛みを楽にする成分と、魔術が組み合わさったものでした。私も似たようなものは作れます……さぁ、飲んでみて下さい」


甘みの感じがすっきりしたものに変わって、抵抗なく喉を通っていく気がする。


それがお腹まで届くと、そこからじわじわと楽になっていく感じがした。


効き始めの速さが全然違う。


「全部お飲みになったら、休みましょうね。昨夜は辛くてよく眠れなかったでしょう?」


胸も背中も、何かにずっと挟まれて押されているようだった。

そこら辺を中心に硬くなっていた体から、少しずつ力が抜けていく。緊張が解けていくようで目には涙が溜まっていった。


「……楽になりました」

「そうですか、それはよかった」

「予定が変わってしまって、ごめんなさい」

「リアン様……謝らなければならないのはこちらの方です。こちらの都合に合わそうと、無理を強いていたのですから」

「そんなこと……わたしがもっと……」

「リアン様、お辛いなら我慢はしなくていいんですよ。苦しいならそう教えて下さい。少しなら私でも楽にして差し上げられます」

「シャロルさん」

「はい」

「シャロルさんのお茶で、すごく楽になりました。ありがとうございます」

「それは良かったです……全部お飲みになって下さい」


こくりと頷いて、リアンは器の中味を空にした。別の理由で飲み下すのが難しかったが、ゆっくりと飲みきった。


不出来な自分を、それでもいいと受け入れてもらえたようで胸が詰まる。

楽にしてあげたいと、言葉も行動もどちらも惜しみなくくれたことがありがたかった。

受け入れてもらえたようで、嬉しかった。


「……さぁ。リアン様、横に。それともこのままの体勢が楽ですか?」

「はい、……しばらくこのままで」

「分かりました」

「……コンラッドさんは、怒ってないですか?」

「まさか。怒るどころか、ヘコんでましたよ」

「え? どうして」

「私に散々リアンさんに迷惑をかけるなとか言ってたくせに、自分が一番迷惑をかけたって」

「え? なんで? そんなこと、ぜんぜん……」

「副長様も私も、なんて言うかやっぱり加減が分かってないんですよね。周りが規格外の人間ばかりだから」

「きかくがい?」

「団長様がふた言目には丁重に、とおっしゃっていた意味が、こうなるまで解ってなかったって、部屋の角で猛省中です」

「だから、それはわたしがダメだから」

「いいえ! 簡単にご自分のせいにして、あの男を甘やかさないで下さい」

「えぇぇ?」

「そうやってリアン様に許してもらおうって魂胆ですよ、どうせ」

「……そんな」

「向こうに着いたら団長様に言ってやって下さいよ、副長のせいで行程がキツかった〜、疲れた〜って。面白いことになりますから」

「おもしろい……こと?」

「はい……とっても……」


するりと額を撫でられたような感覚の後のことは、リアンは何も覚えていない。


ごちゃごちゃに絡まったような糸が解けたようになって、ふと意識が途切れた。




シャロルが茶器を持って続きの部屋に入ると、椅子に座って書き物をしていたコンラッドが目線を上げた。


「どんな様子?」

「……眠っておられます」

「そう……もう大丈夫そう?」

「どうでしょう、今は落ち着いていますけど」


これ、とリアンの枕の下から出した布を、コンラッドに見せる。

血が染み込んだ白い布に、コンラッドは眉をひそめた。

ああと息を吐いて、顔を歪める。


「そっか……これはどうなの、ちゃんとしたもの?」


机の上に乗っている、濃い青色の小瓶を、こんとペンの先で叩いた。


「……その薬自体は悪いものではありません。成分も、まぁ、王都で手に入る最上のものでしょう……組み込まれた術も、まぁまぁ手が込んでます」

「……ふぅん。高級品か……こうまでなってもそうそう簡単に飲みたがらない訳だ」

「高価だと思いますよ。ご家族の方も苦労されたんじゃないでしょうか」

「……もちろん君の方が良いもの作れるんでしょう?」

「そうですね、もちろんです」


しれっとシャロルから出てきた答えに、コンラッドはくくと笑った。


「さすがだね……団長が君を連れて行けと言った意味が分かったよ……たく、あの人ホント肝心なことは言わないんだから」

「見た目通りに儚いなんて…………はぁ。ほんと私の性癖を抉ってきますね……可愛いの極み……心が踊ります」

「……これだから君を連れて行くのが疑問だったんだけどね」


まあ、と続きを全て書き終えるとコンラッドはその紙をシャロルに手渡した。


「せっかくの良い馬車だし、ゆっくり陸路でって思ってたけど、悠長にしてられないな」


受け取った手紙の内容を読んで、シャロルは頷いた。


「久しぶりの下界だったんで、楽しかったんですけどね……何で飛ばします?」

「ハヤブサでね。よろしく頼むよ」

「了解です……この後町でお買い物してきますね。リアン様に似合う服とか服とか服とか服とか美味しいものを買わないと」

「え?……大丈夫? 彼女は?」

「すぐに戻りますよ。それまでは副長様、お願いしますね」

「……やめてよふたりきりとか。団長に殺される」

「内緒にしてあげます。それとも有ること無いこと言いますか?」

「それはそれで面白いけど……見合わないな……命をかけるのはここじゃないでしょ」


シャロルが手紙を半分に折りたたみ、それをさらに半分にする。

両方の手のひらに挟んで呪を唱え、ゆっくりと手を離していくと、手紙はひとりでに複雑に折り曲がって、真っ白なハヤブサの形をとった。


窓を開けながら、シャロルは振り返る。


「どなたに宛てましょう? 団長様?」

「うん……あ、待って、びっくりさせたいから別の人で」

「なるほど……じゃあ、チェルシーにしましょう、彼女も残ってるんで」

「そうだね、彼女なら上手いことやってくれそうだ」


窓の外に手を出すと、ハヤブサは翼を広げ何度か羽ばたいた。

かさかさと紙が擦れる音がする。


こそりとシャロルが行き先を言うと、飛び立ち、家々の屋根の向こうへ。

ハヤブサは青い空に吸い込まれるようにすぐに見えなくなった。


「では、私は服とか服とか服とか服とか……」

「ああ、はいはい、気を付けて行っておいで」

「王都に行ってきます!」

「は?! 王都?」


すぐにその場から転移して居なくなり、コンラッドはため息を盛大に吐いた。


「……そりゃ王都の方が服とか服とか服とか服はいっぱいあるだろうけどさ……」


続きの部屋の扉を静かに開けて、隣の部屋にいるリアンの様子をその場からのぞいた。


寝入っているのを確認して扉を閉める。




その日、リアンが目覚めた後は休息日だとゆっくり穏やかに過ごした。


リアンは恐縮して、コンラッドは謝り倒して、お互いに顔を見合わせ、笑ってこの話を終わることにした。



その翌日、一日は馬車での移動だった。


そしてその次の日、もうひとりの侍女と待ち合わせていると、半日進んで到着した町で馬車は停まる。


シャロルと同じ衣装を着た女性はにこりと笑い、早速リアンの手を取ると目を閉じるようにと言った。


首を傾げてシャロルを見ると、シャロルもリアンの反対側の手を取った。


「転移します。最初はちょっと気持ち悪くなるかも知れませんから、目を閉じて下さいね」

「てんい?」

「魔術で移動するんです」

「魔術で?」

「初めてですよね?」

「……はい」

「リアン様の初めて……!! 滾る!!」

「……え、怖い」

「大丈夫です、痛くないです。優しくしますから」


ごすと音が聞こえるくらい、シャロルは頭を拳骨で叩かれる。

その手で侍女はシャロルの手を握った。


「置いて行かれたくなかったら黙れ」

「はい……ごめんなさいぃ……」

「こいつがすみません。お嬢様……行きますよ、目を閉じて」


ぎゅと目を閉じると、地面が急に無くなった感じがする。


でも足の裏には、地面を踏んでいる感覚はある。


体の中身だけが、ふわふわぐるぐるとあちこち入れ替わっている気がする。

両手を握られている感覚を頼りに、自分がちゃんと居るのが確認できる。

今まで味わったことのないこの感じを、これまでの経験で何に似ているかとリアンは考えた。

高い場所から落ちる感覚に似ていると思い付いた時には、体のぐるぐるは消える。


「……もう目を開けてもいいですよ」




リアンの目の前には石造りの大きな門があった。



門だけがあり、その横には壁ではなく、大きな木がずらりと並んで立っている。


右を見ても左を見ても、視界いっぱいに森があった。




森に石造りの大きな門柱と門扉が建てられている。森は大木や雑木で、獣道さえ見えないほど、緑で溢れている。




その門の幅の分だけ、石畳の道が、森の奥へと続いていた。










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