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第32話 白銀さんのいない朝

 その日の朝は、いつもとちょっとだけ様子が違った。


 鏡越しにつながった白銀さんの部屋から、白銀さんとチェシャの会話がほとんど聞こえてこなかったからだ。


 とはいえ、こちらは高校に行く準備がとっくに終わっている。そろそろ学校に行く時間だ。なのでためらいはあるものの、俺は白銀さんに呼びかけることにする。

 

「どう? そろそろそっち行っていいか?」


 布がかかった鏡の向こうから、すぐに白銀さんの返事が返ってくる。

「ええ、どうぞ」

 声音は普通だったことに安堵しながら、俺は鏡を通って白銀さんの部屋に入る。

 

 いつもと変わらない部屋の中に、いつもと同じ制服姿の白銀さんが立っていた。

 ベッドの上でだらしなく寝転がるチェシャのようすも変わらない。

 しかし、白銀さんの表情はどことなく暗かった。

 

「秋葉野くん」

 白銀さんの声音もいつもと違う……ような気がする。

「今日は、ちょっと体調が悪くて。念のため病院に行ってから学校に行こうと思うの」

「大丈夫?」

「うん、ちょっと風邪をひいたみたい。大したことないんだけど、試合が近いし病院で薬をもらおうと思って」

「一人で大丈夫? 俺も一緒についていこうか?」

「そんな、一人で大丈夫よ。いざとなったらチェシャに助けを呼ぶし」

 

「ふにゃああ、呼ばれればすぐ駆けつけるにゃぁ」

「お前、あくびしながら話すなよ」

「にゃははは、まあ、今日はちゃんと起きておくから安心するにゃ。わらわはご主人の居場所にならどこからでも瞬間的に空間移動できるからにゃ。ご主人が念じてくれればすぐに加勢できるにゃ」

 

「ね。だから、まずは生徒会長室に秋葉野くんと私で行って、それから私だけ戻ってきて、病院に行きます」


 その固い表情には、いつもと違う何かがあるようにも思えるが……単に体調が悪いだけなのかもしれない。

「わかった。じゃあ病院に行ったあと、学校に来るにしても休むにしても、俺のケータイに連絡をしてほしい」


「ええ。約束しますね」

 白銀さんはそう言ってほほ笑んでくれた。俺は、それを信じるしかない。

 

「わかったよ。白銀さんを信じる」

 俺はいつもと同じように、白銀さんに右手を差し出す。

 そうして俺は白銀さんの「鏡の国」で生徒会長室に連れて行ってもらい、いつも通りに生徒会長にイライラし、さらにいつも通りに芳介にかけられた錯乱魔法を解いてやり、それからいつも通りに教室に向かった。

 

 いつもと同じ教室と、クラスメートたち。しばらくして先生がやっていきて、いつもと同様に授業がはじまる。

 ……しかし、そこにはいつもと違って白銀さんがいなかった。

 白銀さんがいないだけで、こんなに物足りない気持ちになるのか……。

 

 

 

 俺はそれから、白銀さんからの連絡を待ち続けた。

 しかし9時20分、一時間目が終わっても連絡がない。

 まあ、病院によっては9時に始まったりするかもしれない。

 まだ連絡がなくってもおかしくはないだろう。

 

 そわそわしているだけで1時間目が終わり、2時間目が始まる。

 すでに9時30分になっていた。

 俺はがまんできず、「どう?」とメールを送ってしまう。

 

 授業中何度もメールの確認をするが、返事はこない。

 そのまま2時間目の授業も終わりを迎えた。時間は10時20分。

 白銀さんは「ちょっと風邪をひいたみたい」と言っていた。べつに大学病院などに行ったわけではないはずだ。

 近所の開業医のところで診てもらって、もう終わっていないはずがない。

 

 今は休み時間だ。何を遠慮する必要もあるまい。

 俺は白銀さんのケータイに電話をかける。

 すぐさま、無情な自動音声が流れ始める。

「お客様がおかけになった電話番号は、電波が届かないか、電源が入っていないため、かかりません」

 

 病院に行ったのなら、携帯電話の電源を切っていてもおかしくはない。だが……。

 俺の気が短すぎるのだろうか?

 しかし、俺たちは何者かに狙われているのだ。とくに白銀さんは、ターゲットとされている可能性が高い。少し心配しすぎなくらいでちょうどいいはずだ。

 

 3時間目は数学だ。

 教室のドアが開かれ、数学教師が入ってきて休み時間が終わる。

 この3時間目が終わるのは11時20分。もしそれが終わってもメールがないようであれば、その時は必ず動くようにしよう。

 

 ……いや。

 その時点で何かあったとしたら?

「鏡の国」で自由に行き来できるのは白銀さんだけだ。俺は空間移動はできない。

 一度自分の家に戻り、固定化された鏡を通って白銀さんの家に行くしかない。時間がかかる。

 

 俺は決断する。

 いま、行くべきだ。

 

「すみません! 家に急用ができたので帰ります‼」

 そう叫ぶ。

 そして数学教師が返事をする前にバッグをひっつかんで教室を飛び出す。

 我ながらめちゃくちゃだが、仕方ない。

 

 何かあってからでは、後悔するだけだ。

 俺は下駄箱に向かって、全力で走っていく。

 

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