第31話 白銀さんのいる朝
「あれ、ねえチェシャ。昨日ここに用意していた陸部のユニフォーム、なくなってるんだけど」
今日も朝から、白銀さんの声が聴こえてくる。
「にゃああ、それ、ソファの下に入っていっちゃったにゃ」
「入っていっちゃったじゃなくて、あなたが入れたんでしょ。もー! ソファ動かすの大変なんだから」
「ごめんにゃ。なんかちっこくて丸まってたからつい……ちょいちょい、って」
「ユニフォームにほこりが付いちゃうからさぁ……。あー! 私のパンツまで入ってる!」
「あ、それもなんかちっこくて丸まってて楽しかったんだにゃ」
「これお気に入りの柄だったんだからいい加減にしてよ! あれっ、ひどーい!! お尻のところに穴が開いてる!」
俺の部屋と鏡を通じてつながっているというのに、白銀さんとチェシャ猫は朝からパンツ談義に花を咲かせている。
鏡がつながった当初はお互い物音や話し声に気を付けるようにしていたのに、今ではだいぶ遠慮がなくなってきた。
とくにチェシャと一緒に暮らしている白銀さんの方がガードが甘い。
たまたま俺の部屋は、この家の前の持ち主がバイオリンを練習するために防音にしていたからいいようなものの、そうじゃなければとっくの昔に家族に知られてしまっていただろう。
二人のパンツ談義をいつまでも聞いていたいのはやまやまだが、そろそろ芳介との約束の時間が来てしまう。
こちらは制服を着終えて、バッグと靴を両手に持ったまま突っ立っているのだ。
しびれをきらせて、俺は声をかけることにする。
「えーと、お二人さん。そろそろいいかな」
「あ、はい! そろそろ時間ですよね。えっと、ちょっとだけ待ってください。えーと、これをしまって、はい、大丈夫です!」
「じゃあ、そっちに行くよ」
俺はそう言って鏡を通り抜ける。
鏡を抜けた先には、高校生の部屋とは思えないほど大きな部屋が広がっていた。
天井は俺の部屋の1・5倍くらいあるし、大きい窓の外には小さなテラスっぽいものがある。
ロフトまである。
なんかいい匂いがするのもポイント高い。
先ほどユニフォームとパンツが入っていたらしいソファも、革張りだが可愛らしいデザイン。
ベッドも尋常ではない大きさで、高級そうな布団がのっているのだが、さらにその上には、チェシャ猫がお腹を上にしてだらしなく寝っころがっている。
白銀さんも、すでに制服を着てバッグと靴を両手に持っていた。
俺はいつものように白銀さんからバッグを受け取る。二人分のバッグを肩にかけるとなかなかの重量だが、短時間のことだし我慢すればいい。
白銀さんの部屋には、姿見が二つある。
一つは俺の部屋に半永久的につながってしまった姿見で、もう一つはその後に白銀さんが買い足したらしい姿見だ。
その、新しい姿見の前に移動しながら、白銀さんが笑顔を向けてくる。
「じゃあ、いきますね」
そう言って、白銀さんが左手を差し出す。
「ああ。頼む」
俺は右手を差し出し、白銀さんの手を握る。
そして、二人で鏡の中へダイブする。
輝く光の渦に全身を包まれ、そこから飛び出すと……そこは生徒会長室だった。
当たり前だが生徒会室はあっても生徒会長室などというものは本来なく、生徒会長が周りを洗脳して不当占拠しているだけの部屋なのだが。
今日も生徒会長と芳介が俺たちより先に来ていた。
畳の上にぺたんと座る生徒会長の膝に、芳介が頭をのっけて甘えている。
生徒会長がノーテンキな笑顔で片手を挙げる。
「あ、二人ともおっはよー」
「おはようございます」
白銀さんが答える。
「あらあら、二人とも、朝からお手てをつないでお熱いことで」
生徒会長のくだらない茶化しに、俺は思わず答えてしまう。
「しょうがないでしょうが。鏡の国はそうしないと使えないんだから」
「いやいや、ダメなんて言ってないよ。仲良きことは美しきかな」
くだらないことしか言わない生徒会長に、俺はクギを刺すことにする。
「登下校時はできるだけ二人で行動、ってルールは、あくまでも見知らぬ敵から身を守るのが目的ですからね。あんまり芳介を腑抜けにしちゃったら、役に立たないですよ」
「だって私の魔法、コントロールできないんだもーん」
「どうだか。生徒会長の言うことって、基本的に信用できないんですけど」
「もう、生徒会長とか言っちゃって。爽太くんも『珊瑚さん』とか『珊瑚お姉さま』とか呼んでくれていいのに」
「いえ、けっこうです」
なぜ赤の他人にお姉さまとか言わなきゃいけないのか。
俺はいつも通り言動がおかしい生徒会長をあしらいながら、芳介の頭部を両手でつかみ、両目を見つめあったままお互いのおでこをくっつける。
何度やっても気恥ずかしさは薄れないが、仕方がない。
芳介のとろんとしていた瞳が、急速にまともに戻っていく。
「爽太、ありがとう。本当にありがとう。君のおかげで今日も正気に戻れた」
その美しい顔は屈辱感にゆがみ、両目には涙が浮かんでいる。
そうか、またいろいろとつらい思いをさせられたのか。
毎日これだと、芳介があまりにかわいそうだ。俺は立ち上がり、生徒会長を睨みつける。
「生徒会長、やっぱりものには限度というものがあります。やりすぎでしょ」
「なにが~?」
「生徒会長の『謎チャーム』、制限人数4人までなんでしょーが」
「チェシャちゃんはそう言ってたね」
「かける相手の選択もできるそうですよね」
「そう言ってたね」
「芳介は毎日毎日新たに『謎チャーム』の洗脳魔法にかけられてるけど、芳介以外の4人で枠を埋めておけば、芳介は魔法にかからなくなるんじゃないですか」
「そうらしいけど、ほら、私まだ魔法のコントロールができないし。やり方もよく分かんないんだよねー」
「まずそれが疑わしいんですよ。ちゃんと色々試してます?」
生徒会長は片手で頭をかく。
「うーん。でもね、百歩譲って私が魔法をかける4人をある程度コントロールできたとする。だとしても、それで芳介を対象から外そうっていう爽太くんの考えは、根本的に間違ってる! そう私は思うな」
「は?」
「仮に制限人数枠を埋める必要がある場合、他人よりも身内の方で埋める方が良心的じゃない?」
「う……」生徒会長のくせにまともっぽいことを言ってやがる。
「それに私に魅了されるのは魔法関係なく当然のことだし、芳介も本心ではそこまで嫌じゃないはずよ」
「は? いや、あんたさぁ……」
反論しようとする俺の肩に、芳介が手を置いてくる。
「ありがとう。でも姉さんはね、本心から言っているんだ」
相手の心を読み取れる芳介がそう言うのだから、まあ本当なのだろう。
「……芳介もいろいろ大変だな」
「……ああ。……君がいなければまともに生きていけない体になってしまったよ……」
「お、おう」
それから俺と白銀さんは、少し時間をおいて校舎の裏口から外に出る。
そして下駄箱で上履きに替えて、教室にいく。いつもの学校生活がはじまるのだ。




