第2話 デートだと思われちゃうと、なにか問題でもありますか?
地理の授業が終わり、今日の科目はすべて終わった。
教室のみんなは、教科書やノートをカバンにしまいはじめる。
「なあ、爽太。お前、本当に部活に入らないのか?」
隣の席の純一が声をかけてくる。入学早々、たまたま隣になったことで仲良くなった、さわやかでいい奴だ。
「俺の入ったアメフト部、楽しいぜ。都立高の割には強いし、先輩もけっこう優しいし」
「いや、俺はあんまり……」
「なんでだよ。中学の時、なかなかの武勇伝を持っていたらしいじゃないか」
「俺はただの引きこもり気味のオタクだよ。悪い、今日は急ぎの用事があるんだ、またな」
「どうせブロードウェイめぐりかなんかだろぉ。……まあいいや、じゃあまた明日」
ここ、都立中野北高校は、中野駅北口徒歩5分の立地にある。
だから純一の言うように、俺は週に2・3回はブックファーストや中野ブロードウェイの漫画古書店を回ってから帰宅している。
でも、今日、急いで帰りたいのはもちろんそんな理由ではない。
白銀ゆめの意味ありげな笑みと、あの気味の悪い猫がしてきたウィンク。嫌な予感しかしない。三十六計逃げるにしかず。
俺は、面倒そうなこととは絶対関わらない。中学時代の「あの事件」の後、そう決めたのだ。
俺は、まだ白銀ゆめが教室内にいることを確認しながら、廊下に出る。
そのまま長い廊下を駆け足で進み、階段を3階から1階まで全力で駆け下りる。
そうして誰よりも早く下駄箱にたどり着くと……なんと、そこには白銀ゆめが立っていた。
「うふふふふ。驚きました? 私、足速いんですよ」
……知ってた。
陸上部短距離女子の中で、1年なのに一番速いって、男子の間で話題になっていたからな。
だが、それにしても速すぎる。まるで時空を超えてショートカットしたような速さだ。
「そっか。じゃ」
俺は構わず自分の下駄箱を開けて外履きを取り出す。
「ちょっと秋葉野くん。逃げ出さないでください」
ちょっとすねたような口調だが、顔には笑みを浮かべている。
「悪いな。今日はちょっと急いでるんだ」
本当はこの後もずっと暇なのだが、とりあえずそういう理由で振り切ることにする。
「嘘ですね。本当は逃げ出そうとしているんでしょう?」
そう言いながら、白銀ゆめも下履きに履き替えだす。
「違うって」
「じゃあ、駅まで一緒に行きませんか? 今日、陸上部休みなんです」
「おいおい、二人で下校なんて、デートだと思われちゃうだろ」
先に靴を履き替え終えた俺は、さっさと校門に向かって歩きだす。
靴を履き替えるのにちょっと手間取っている白銀ゆめを置いて。
だが、すぐに後ろから軽快な足音が聞こえてきて、横に白銀ゆめが並んでくる。俺の肩くらいの身長だ。
「わ、私と、デートだと思われちゃうと迷惑なんですか?」
ちょっと口をとがらせて、少しだけ好戦的な声音だ。自分に自信のある女性ならではのプライドの高さが垣間見れる。
「ちがうよ。俺とデートだと思われると、白銀さんに迷惑がかかるって言ってんの」
「え、なんで秋葉野くんはそんなに卑下してるんですか?」
「いや、俺は帰宅部のオタクなんだから」
「そういうキャラ付けされたがってますよね。でもそうじゃないのバレバレですよ」
教室内ではおしとやかな感じで通しているのに、なかなか押しが強いじゃないか。
「いやぁ、マジで勘弁してくれ。俺は面倒事にかかわることなく、目立たずひっそりと生きていきたいんだ」
そう言って振り切ろうとする俺の横を、白銀ゆめが全力で駆けて追い越していく。
そして俺の前で止まると、素早くこちらを向く。
目と鼻の先に、白銀ゆめの顔があった。
「つまり、私が面倒事だと言いたいわけですね」
「いや、まあ、その……」白銀ゆめの顔が近すぎて、思わず変にどもってしまう。
「それとも……」そう言いながらニヤリと笑う。
その肩に、笑う黒猫が浮かび上がる。
「うふふふふ。なろう病のことですか?」
俺は思わず言葉を失う。
「見えるんでしょう? チェシャのこと」
チェシャ? チェシャ猫? 『不思議の国のアリス』に出てくる?
「いや、見えない」
これ以上相手をしてはいけない。
俺は正面に立つ白銀ゆめと黒猫を迂回しながら先に進む。ようやく校門が見えてくる。
「わかりました! じゃあ3分だけ、3分だけ付き合ってください!」そう言って白銀ゆめは後ろから僕の手を握り、引っ張る。
同世代の女の子に手を握られるのなんて、生まれてはじめてのことだ。だが、喜んでいる場合ではない。
「おい、誰かに見られるぞ」
「ですから早く、こっちにいらしてください」
俺は白銀ゆめに手を引かれるまま、校舎の裏の方に引っ張り込まれる。
とはいえ、あのまま校門までずっと付きまとわれるよりは、3分だけという用事を済ませた方がマシかもしれない。
とにかく、なるべく最小のダメージで切り抜ける必要がある。
一歩間違えると、高校時代は目立たずにやり過ごそうと思っていた俺の人生設計が、がらがらと音を立てて崩れてしまうだろう。
「どこ行くんだよ」
「こっちです」
そう言って引っ張られていった先には、トイレがあった。こんなところにトイレなんかあったのか。
と、驚くべきことに白銀ゆめは俺の手を握ったまま、女子トイレに突っ込んでいく。
不意を突かれたのと、白銀ゆめの力が意外に強いのとで、俺も一緒に女子トイレにひきずりこまれる。
「ちょっ!」
おいおい、美少女に手を引かれて一緒に女子トイレに入っていく。こんなところ誰かに見られたら、変態として目立ちまくりじゃないか。
ていうか、下手すりゃ退学ものじゃね?