第27話 白銀ゆめとムチの味 【蟹江陸と白銀ゆめ2】
家で両親に勉強を叩き込まれていたオレには、小学校の授業などたいして難しいものではなかった。
だからオレは毎日、ななめ前に座る白銀ゆめのしなやかな背中、華奢な首筋、つややかな黒髪、そして時々見える美しい横顔を眺めながら過ごすことができた。
ところがある日。
オレは白銀ゆめの首筋にどす黒いアザが浮かんでいることに気づいた。
そのアザは線状になっていた。
首筋に線状のアザ? ムチで叩かれたりしたのだろうか?
ムチで叩かれる白銀ゆめを想像し、オレは授業にまったく集中できず、担任から何度も注意を受けてしまった。
それから3か月ちょっと。白銀ゆめのアザは、断続的に首筋に見られるようになった。
たまに襟元にアザが見えるのだから、服の中にはもっとたくさんのアザがあるに違いない。
また、いつも明るくクラスの太陽のような存在だった白銀ゆめは、次第に暗く、うつうつとした人間に変貌していった。
クラスでもとくに目立つ女子たちの輪にいた白銀ゆめが、ときどき、その輪から外れるようになっていった。
そんな人間性の損耗と引き換えに、もともと優秀だった白銀ゆめの学力はさらに飛躍的に向上していった。
算数の教師が授業中、たわむれに高校数学レベルの問題を聞いたところ、見事に正解を答えたのは今でも鮮明に覚えている。
逆に、白銀ゆめがまったくの劣等生と化した科目もあった。毎回欠席していた体育の授業だ。
当時のオレは、アザを隠すために着替えられないのだろうと思っていたのだが、今考えてもそれは正解だったと思う。
自分の椅子にぽつんと座っていることが多くなった白銀ゆめに、オレはときどき話しかけるようになった。
最初は落とした消しゴムを拾ったりする程度だったが、次第に普通の話をするようになっていった。
白銀ゆめと話をするようになって、気づいたことがある。
白銀ゆめの、最近流行りのテレビ番組や少女マンガの知識は豊富だったが、それは4月の時点で完全に止まっていた。
アザを作るようになってからはその代わりに、いわゆる古典と言われる作品ばかり読まされているようだった。
オレもずっと活字の本以外、一切の漫画やアニメを親から禁止されていた。だから、白銀ゆめのおかれている状況がよく分かったのだ。
白銀ゆめは、本の話についてこれる、オレとの会話を楽しんでいた。そのまま自然な流れで、オレたちは気に入った本の貸し借りを始めるようになった。
彼女から借りて読んだ本はよく覚えている。最初に借りたのは、『鏡の国のアリス』だった。オレが『不思議の国のアリス』しか読んでいなかったからだ。
それから同じくだいたい読んでいたホームズもののなかから、抜け落ちていた『シャーロック・ホームズの帰還』。
さらには子供向けに簡略化された、でもめちゃくちゃ長い『西遊記』、『シェイクスピア作品集』、そして『ドン・キホーテ』。
『ドン・キホーテ』はちょっと異様な存在で、岩波少年文庫版ながら、とんでもない分厚さだった記憶がある。
主人公が妄想に取りつかれたジジイという時点でとっつきが最悪。内容も思いのほか複雑。今思うと翻訳が読みやすい名文だったからなんとか読み終えることができたが、小学生にはなかなか重厚すぎる代物だった。
オレが貸した本はなんだったろうか。そちらの記憶はあいまいだ。
たしか、最初は白銀ゆめの『鏡の国のアリス』に合わせて『グリム童話』だったと思う。もちろん初版を元にしたやつ。「白雪姫」を殺そうとするお妃が、初版だけは実母だったりするなど、残酷さが増していて大好きだったのだ。
その次は白銀ゆめの『シャーロック・ホームズの帰還』に合わせて、江戸川乱歩の大人向けのやつを。たしか『パノラマ島奇譚』なんかが入っていたやつだ。
その後はあまり覚えていないが、危険な本を白銀ゆめに読ませて反応を見ることに喜びを感じていた記憶はある。
おそらく『吸血鬼ドラキュラ』や『吸血鬼カーミラ』、ガストン・ルルーあたりの作品を貸していたのだと思う。
白銀ゆめは意外と恥ずかしがったりせず、それらの物語を率直に楽しんでいるようだった。
オレも白銀ゆめから借りた本や、白銀ゆめから返却された本が大好きだった。
好きだったのは内容だけではない。もちろん、内容もそれなりに楽しめたのだが、それよりも大切なことがあった。
なにせ、白銀ゆめの愛読書なのだ。
においをかぐと白銀ゆめの香りがするような気がしたし、自分が興奮するページを読んで、そこを読んだ時の白銀ゆめの反応を想像して楽しむことができた。
官能的な箇所や暴力的な箇所をどんな顔をしながら読んだのか、思いをはせるのはオレだけに許された特権だった。
まさに最高のエンターテインメント。
オレはある日、帰り道でたまたま白銀ゆめと一緒になった。
いっしょに歩く道はそれほど長くなかったが、話は弾んだ。
もしかすると今日はチャンスかもしれない、そうオレは思った。
「ねえ、白銀さん」
「なんですか? あらたまって」
白銀ゆめの笑顔がまぶしい。オレを完全に信頼している、純粋な笑顔。
「この後、もし時間があるならオレの家に遊びに来ない?」
「蟹江くんの家に?」
「うん、今日はたまたま両親がいないんだ。友達と遊ぶ予定も今日はないから」
「……私も今日はお父様の帰りも遅いし……それに、ちょうど蟹江くんに話しておきたいこともあったんですよね」
「よし! じゃあオレの家においでよ」
オレは興奮した。白銀ゆめと二人きりになれる。
オレはいろいろなことができるだろう。
無理矢理キスをしたら、どんな表情をするだろう。
細くて白い首を絞めたら、どんな目をするのだろう。
オレの部屋には、白銀ゆめの体を叩くのを想像して買った、ムチのようにしなる堅くて太いロープもある。それで白銀ゆめを縛ったり、叩いたりするのもいいかもしれない。
叩かれたときの白銀ゆめは、どんな悲鳴を上げるのだろう。
いずれにせよ、その答えはそう遠くなく分かるのだ。
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