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第1話 黄金の昼下がりの、ガールミーツボーイ。  

 かつて、太宰治だざいおさむ江戸川乱歩えどがわらんぽを読んでいる若者はこう言われたそうだ。

「そんな小説ばかり読んでいると、馬鹿になるぞ」と。

 

 俺の父親は子どものころ、手塚治虫てづかおさむの漫画を読んでいてこう言われたらしい。

「漫画ばかり読んでいると、馬鹿になるぞ」と。

 

 そして今、読者投稿小説サイトの作品を読んでいる者は、こう言われる。

「なろう系小説ばかり読んでいると、病気になるぞ」と。

 

 このお話は、「なろう病」にかかってしまった、俺と彼女の冒険譚である。

 

 

 

 

 午後の地理の授業、俺の眠気は最高潮に達していた。

 5月半ばの快晴の日。あたたかな陽光が窓から差し込んでくる。

 

 日本史の授業はあまつさえただの暗記科目になりがちなのに、担当の教師はいつもひたすら板書をするだけで、露骨にやる気がない。

 

 せっかく、こんなに暖かくて天気のよい黄金の昼下がりなのに。

 俺たちは教室で淡々と板書をノートに書き写し続けるという、非人間的な苦役を強制されているのだ。

 そんな作業を続けていると、当然ながら眠くなってくる。ノートの文字が次第に乱れてくる。

 まずい。このままでは完全に寝落ちしてしまう。

 

 俺はノートに書き写す手を休めて、前のほうの席を見回す。俺の席は真ん中あたりの窓際だから、クラスの半分くらいを見渡すことができる。

 ここから見える範囲でも、半分くらいの生徒はウトウトしたり書き写す手が止まったりしている。ほら、やっぱり。俺だけじゃない。

 

 ところが。その中でただ一人、きびきびと楽しそうにノートを書いている生徒がいた。

 白銀しろがねゆめ。ピシッと綺麗な姿勢で、てきぱきと板書をノートに書き写し続けている。

 

 彼女は明らかにクラスどころか学校内でも目立った美人だ。

 いつも笑顔を浮かべて人当たりも良いらしく、高校入学からまだ2か月ちょっとしか経っていないのに、さっそく「白の女王」とかいうあだ名をつけられ、学校のマドンナになりつつあるようだ。

 また、天は彼女に二物を与えたらしく、入部した陸上競技部で、早くもエースになっているとか。

 

 ……といっても、俺が彼女について知っているのはそのくらいでしかない。

 とくに話をしたこともないし、これからもとくに接触することはないはずだ。

 俺がとっくの昔にあきらめた、輝かしい青春の日々を、これから彼女は送っていくのだろう。

 

 

 ……しまった、すっかりぼんやりしてしまった。

 俺は再び黒板に目を向ける。

 自分がノートに写し終えたところから、板書はだいぶ先まで進んでいた。

 

(あれ?)

 黒板の前、教師が立っている位置の横くらいに、何かが見える。

 空間がゆがんだような、何か。

 目が疲れたのか……俺はシャーペンを持ったままの右手で両目をこする。

 

 しかし、それは目の錯覚ではなかった。なにか白いものが空中に浮かんでいるのだ。

 ……歯?

 突然、それは明確に口になる。とても大きな口。

「にゃはははははは」

 口だけのなにかは、楽しそうに笑い声をあげる。

 

 俺の机で大きな音がする。

 しまった! 右手に持っていたシャーペンを落としてしまった、その音だった。

 

「にゃにゃ? わらわに気づいた奴がいるのかにゃん?」口がしゃべる。

 

 俺は慌ててシャーペンを握り直しながら、うつむいたまま周りに視線を送る。

 誰も異変に気づいていない。

 みな、つい数秒前と同じように、ノートを取ったりウトウトしたりしている。

 

 ……大丈夫。いつものように、俺しか気づいていない。

 だからこいつも、いつもの「奴ら」と同じだ。

 無視しておけば人畜無害なはずだ。

 

「奴ら」は、普通の人間には見えないし、その声も聞こえないし、触ることもできない(俺以外は)。

 しかし、逆に「奴ら」からは人間を見ることができるし、声も聞くこともできるようだ。とはいえ、これまで観察してきた限りだと、「奴ら」は不思議なことに、この世界のなにものにも触れることができない。

 

 地面にだけは立てるようだが、それ以外の一切のもの……動物にも、植物にも、建物などにも、一切触れることができないのだ。

 だから結局、「奴ら」は人畜無害だ。

 

 この口もきっと、いつもの「奴ら」と同じなのだろう。

 とにかく、このままやり過ごせばいいのだ。そのうちどこかに消えていく。

 

 俺は顔を伏せたまま、ノートに書き込んでいるようなふりをする。

 そのまま上目づかいで様子を見ると、口が空中浮遊したまま、ちょっとずつこちらに移動してくる。

 

 しまった。目をつけられたか……?

 

 その口は俺の机の前まで来て……突然実体を現す。

「うわっ!」

 俺は思わず声を出してしまう。

 クラス全体の視線が、俺に注がれる。だが、俺の目の前にいるそいつには、やっぱり誰も気づいていないらしい。

 

 そいつは巨大な猫だった。

 大きさは虎やライオンくらいあるが、そこまで精悍ではなく、体つきは普通の猫だ。

 もふもふの毛並みをした、黒い猫。ただし、漆黒と薄い黒とで虎のような模様が見える。瞳は青い。

 そいつが俺の席の目の前で、ニヤニヤ笑っている。

 

 俺は手を挙げながら立ち上がる。

「先生! トイレに行かせてください‼」

 教室内に失笑がいくつか漏れる。

 

「おいおい、まだ中学気分が抜けないのか。仕方ないなぁ、さっさと行ってきなさい」

 教師がそう言うと、クラス中に笑いの渦が湧きおこる。

 

 別に笑うほど面白くもないだろうと思うが、まあ、つまらない授業の中で、みんな面白い何かを求めていたのだろう。仕方がない。

 

 俺は「ありがとうございます!」と言いながら、教室内をなるべく落ち着いた足どりで歩いていき、廊下への扉を開ける。

 そこで自分の席のほうを振り向くと、もうそこには猫はいなかった。浮遊する口も見えない。

 笑っていた生徒たちも、今はみな黒板の方に目を向けている。

 

 しかし。一人だけこちらを振り返って見ている生徒がいた。

 白銀ゆめだ。

 彼女の口には笑みが浮かんでいた。

 まるでおもちゃを見つけた猫のような。

 

 こちらが警戒したことを察知したのであろう、彼女は再び黒板の方へ視線を戻す。

 その肩の上に、今度は一瞬小さな猫が浮かびあがる。

 普通サイズの猫だが、黒い虎柄の毛色が同じだ。

 

 さっきの巨大猫が、小さくなって白銀ゆめの肩にのっかってやがるのだ。

 その目がやたらと赤く光っている。

 あれ? さっきは青い瞳だったはずだが……。

 その猫はなんとウィンクをして、またかき消えていった。ニヤニヤ笑いを残しながら。

 

 俺は急いで廊下に出て、扉を閉める。

 心臓が大きく波打つ。

 

 完全にしくじった。

 謎の巨大猫には、把握されてしまったはずだ。

 俺が「なろう病」であることを。

 これまでずっと、絶対に誰にもばれないように隠してきたのに……。

 

 だが……。

 そういえばあの猫は、白銀ゆめの肩にのっていた。つまり、あの猫は白銀ゆめに触れたことになる。

 普通の人間は「奴ら」に触れることはできない。

 だが、「なろう病」である俺は「奴ら」に触れることができる。

 

 彼女が、「奴ら」に触れることができたのだとすると……。

 間違いない。

 

 きっと彼女も、「なろう病」なのだ。

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