令嬢たちの悲鳴
よろしくお願いします。
鬱展開・地雷要素・主人公によるいじめの描写があります。
なんでも受け入れられる方のみお読みください。
三年間通った学園の大広間では、盛大な卒業記念パーティーが執り行われていた。子息と令嬢の上品な笑い声がさざ波を生み、華やかな宴がより一層きらびやかに彩られる。
私はゆったりとした豪勢なドレスに身を包みながら、壁の花に甘んじていた。
この国で最も有力な公爵家の一人娘にもかかわらず、周囲の視線は冷たい。対照的にダンスフロアの中央には熱烈な視線が向けられている。
この国の第一王子キール様と、その恋人のメロディアさん。
二人が仲睦まじく頬を寄せ合い、軽やかなダンスを踊っている。
キール様の慈しむような眼差しを受け、メロディアさんの頬は薄紅に輝いている。二人には勝者にふさわしい光が当たっているように見えた。
「なんて忌々しい光景でしょうっ。よろしいのですか、ベリルお嬢様!」
侍女が悔しそうに喘ぐ。
私はすっきりした風味の果実ジュースをあおり、嘆息。
やけ酒を飲む大人の気持ちが少し分かってしまった。
「仕方ありませんわ。私にできることは全ていたしました。それでも殿下が彼女を求めるのなら、この結果を受け入れるしかありません。せめてこれ以上は見苦しくないようにいたしましょう。私の身には公爵家、ひいてはこの国の未来がかかっているのですから」
分別のある返答をしつつも、私の心中は穏やかではない。
幼少のみぎりより愛してやまない婚約者の寵愛を、平民上がりの男爵令嬢ごときに奪われた。
私の十六年の人生の中で最大の屈辱である。
私とキール様は七歳のときに出会い、間もなく婚約した。
当然のように親の決めた政略結婚だったが、一目見たときから私は彼に夢中だった。彼もまた同い年の私に早くから心を開いてくれていたと思う。
今でもはっきり覚えている。
初めてキール様に会ったときの、全身の血が凍りつくような感覚。
あまりの美しさに私は自分の存在が恥ずかしくなった。
キール様の柔らかな金色の髪は神々しく輝き、緑色の瞳は全てを見透かすような澄んだ光を宿している。
彼に見つめられ、甘い声で名前を呼ばれ、胸を震わせない女性はいないだろう。
事実、彼付きのメイドはみんな仕事が手につかないとぼやいているらしい。
彼の美点は見目だけではない。
学園での成績は常にトップ。人心掌握術に長け、才能ある者を適所に導くという、権力者としての資質にも秀でている。
加えて身分に囚われず、誰にでも気軽に声をかけ、弱者に寄り添う優しさもお持ちだ。
キール様の素晴らしさは近隣諸国の王侯貴族だけでなく平民にまで伝わり、次期国王として圧倒的な人望を集めている。
早めに王位を譲らなければと、現国王陛下が苦笑しているほどだ。
非の打ちどころのない完璧な王子様として、キール様は崇拝されている。
一方、メロディアさんも聡明で可憐な少女である。
貧民街で生まれ育ったそうだが、彼女の隠しきれない才知が男爵の目に留まり、養女として温かく迎えられたという。
絶世の美女というほどではないものの、彼女には人の固い部分を解きほぐす不思議な力があった。ようするに一緒にいて癒される雰囲気を纏っているのだ。どんなに彼女を見下していた者も最後には心を開き、いつの間にか改心してしまう。
メロディアさんは誰もが愛さずにはいられない人徳を持っていた。
彼女の微笑は天使に例えられている。
けれど私は知っている。彼女はふんわりとした見た目とは裏腹に、負けん気の強い性格だということを。
「まぁ、素敵。お似合いですわ」
「メロディア様なら身分差も気になりませんわね」
「ごらんくださいませ。ベリル様の青い顔」
「当然の報いですわ」
上品なさざ波の中に混じる私への嘲笑。
きりきりと奥歯を噛みしめる。
いけない。顔が歪む。
私は耐えた。
身を焦がすような嫉妬、屈辱、そして――。
「一人ぽつんと、いい気味だな。メロディアを見下すからそうなるんだ」
一人の男が私に声をかけてきた。
メロディアさんの兄、ヒューバート様だ。
二人の間に血のつながりはないが、本当の兄妹以上に仲睦まじいことは周知である。
ヒューバート様は眩しそうにダンスフロアの中心を見やる。その瞳に渦巻く複雑な感情を読み取り、私は扇で口元を隠した。
「あら、心外ですわ。彼女には普通の人生がお似合いですもの。私はご忠告を差し上げただけですわ」
「忠告だと? あれが? ふざけるなよ、貴様」
凄みのある言葉に侍女が身構えたが、私は平然と受け流した。その程度の殺気で怯むような生易しい教育は受けていない。
確かに私は学園で過ごした三年間、メロディアさんを徹底的に虐げた。
入学当時から彼女は目立ちすぎた。キール様の尊い視線を奪うほどに。
急速に距離を縮めていく二人を見て私は焦りを覚えた。
今更言い訳がましいが、本当はあんな事やりたくなかった。けれど嫉妬の炎は燃え盛るばかりで止まらない。
さして楽しいとも思わなかったものの、卑劣な方法でメロディアさんをいじめたのは事実である。
ある時は公衆の面前で取り巻き達を使って罵倒し、ある時は事故を装って制服にぬるめのお茶を浴びせ、ある時は人気のない倉庫に一時間ほど閉じ込めて放置した。
しかし。
すぐに泣いて逃げ出すと思ったのに彼女は一歩も引かなかった。
むしろ黒幕の私を突き止め、果敢にも食ってかかってきた。決定的な証拠は残していないはずだが、さすがにあれだけ手数を仕掛ければ誰が犯人かは分かるだろう。彼女は愚鈍ではない。
正論を、清き心を、あるいは幸運を武器に、メロディアさんはみるみるうちに支持者を増やした。
最初は私に味方していた取り巻きたちも、今やすっかり彼女の信者だ。
メロディアさんのすごいところは、私から受けた嫌がらせをキール様に告げず、一度も助けを求めなかったところだ。
彼女のなけなしの誇りがそうさせるのか、キール様の立場を思いやったのか、女同士の醜聞を聞かせられないだけなのかは定かではない。
敵ながら見事。その点に関しては私も感服した。
ここ数か月は私も意地になっていじめていたが、もはや何をしても無意味だった。メロディアさんはすでにキール様の心を射止めていたのだから。
私は負けた。彼女の底知れない、あえて美しくない言葉を使うなら「根性」の前に敗北した。
だけど、このままで終わると思われたら困る。
今は引き下がって大人しくするしかない身だが、いずれ彼女は思い知るだろう。
一年後、私とキール様は結婚式を挙げる。
これだけは断言できるが、キール様は絶対に私との婚約を破棄しない。一夫多妻が認められる国ゆえ、メロディアさんも王室に加わるかもしれないが、せいぜい側室。
この国の未来の正妃は私なのだ。たとえ寵愛を得られなくとも、キール様が優先させるのは私。
私はヒューバート様に毅然と答えた。
「私は今後一切、メロディアさんに手を出しませんわ。その必要はないのです。彼女がいつまで無垢な天使でいられるか、見ものですわ」
ヒューバート様が静かな怒気を向けてきた。
「何を企んでいる? これ以上メロディアを傷つけたら許さない。あいつから幸せを奪うつもりなら、俺にも考えが」
「そこまで彼女の幸せを願うなら、殿下に差し出すのではなくあなたが連れ去ったらいかがです? そんな度胸もない癖に私に喧嘩売るなんて……失恋の八つ当たりでしょうか?」
「貴様っ!」
「気分が優れないので失礼いたします。ああ、ヒューバート様、私はあなたの秘めた恋を心から応援いたします。どうかまた声をかけて下さいませ。お力になれることがあるかもしれませんもの」
悔しそうに歯噛みするヒューバート様。嘘でもメロディア様への恋心を否定できない彼の愚直さは嫌いではない。
私は優雅な笑みで場を辞したが、まるで気は晴れない。心には暗雲が立ち込めていた。
学園を卒業した後日、私は王家の別荘に招かれた。
馬車で向かえば都からそう遠くはない。キール様が好んでよく使う、山の中のささやかな屋敷である。
昔から頻繁に招待されているので、別段懐かしさはない。つい数か月前の長期休暇のときにも訪れている。
ただいつもと違い、今日はメロディアさんも来ていた。彼女は初めてらしい。学園の制服ではなく、飾り気のないワンピースに身を包み、相変わらず天使のように清廉だった。
「………………」
ついにこの日がきてしまった。
三人分のお茶を用意して使用人も下がり、完全に人払いがなされた部屋にキール様と二人の少女が残る。
修羅場になることは分かりきっているだろうに、随分と不用心である。使用人たちもキール様の手腕を信頼しきっているのか、あるいは。
私とメロディアさんがテーブルを挟んで向かい合って座り、キール様はどちら側にもつかず、横の辺に面した席に腰かけていた。
メロディアさんは膝の上で拳を握りしめ、士気を高めている。
私と同い歳にもかかわらず、その顔にはまだ甘い幼さが残っていた。これからキール様の愛を受けてますます美しくなるのだろうと思うと、胸がむかついて仕方がない。体に悪いのでなんとか苛立ちを押さえる。
「今日はわざわざ足を運んでもらってすまない。これからのことについて、邪魔が入らない場所で話さなければと思ったんだ。いいかな?」
キール様は理知的な光を携え、二人の少女を交互に見た。
私は余裕の笑みで頷く。
「ええ。私も殿下のお言葉ではっきりさせてほしいと思っておりました」
メロディアさんは何か言いたげに私を睨んでいたが、結局口は開かなかった。第三者の目がない場でも慎みある行動を選べることに、私は内心敬意を表した。
メロディアさんはキール様を心から信じているようだ。
その姿が哀れに思え、私はさりげなく彼女から目を逸らした。
「不誠実と感じるかもしれないが、僕は二人とも妻として娶りたいと思っている。が、同時にというわけにはいかない。まずは予定通り一年後にベリルと式を挙げ、正室として迎える。いいかな?」
「もちろんですわ」
私が華やいだ声で答えると、メロディアさんはぐっと押し黙る。
国内の貴族や商人のみならず、隣国の王室にもすでに出席の打診をしていた。今更式を取りやめにすることはできない。
「すまない、メロディア。どうか納得してほしい。ベリルはこの国の王妃となるべく厳しい教育を受けている。単純な学業ならばメロディアも負けないだろうが、高い教養や礼儀作法などは簡単に身につくものではない。それにきみを正室に迎えれば、公爵家の反感を買い、いらぬ混乱を招くことは目に見えている。きみに我慢を強いることは本当に申し訳ないと思うが、僕は一国を背負う身。個人の感情に縛られるわけにはいかないんだ」
キール様の顔が陰ると、メロディアさんは慌てた。
「は、はい。大丈夫です。わたしも自分が正室になれるとは露ほども思っていません。側室でもキール様のそばに置いていただけるのなら、それだけで……」
「ありがとう。きみなら分かってくれると思っていたよ。必ずきみも妻として迎えるし、これからも寂しい思いはさせない。僕を信じて、何もかも委ねてくれるかな?」
「はい、もちろんです……」
キール様の柔和な微笑みに、メロディアさんはうっとりと頬を染めた。
一方、フォローを後回しにされた私は若干むくれる。キール様は如才なく私に目を向けた。
「ベリル。幼い頃から一緒のきみがそばにいてくれれば僕も安心だ。これからもよろしく頼むよ。公私関係なく僕の一番の理解者がきみであることは、未来永劫変わらない。世継ぎもきみに産んでもらいたい」
「……光栄ですわ」
愛しい人がそっとのぞかせた酷薄な笑みに、私は恭しく頭を下げた。
予想通りの展開だった。
私やキール様はもちろん、おそらくメロディアさんにとっても。多少夢を見ていたかもしれないが、正室になれないことくらい彼女も分かっていただろう。
こうして全員の同意の下、いわゆる三角関係が形成されることとなった。
話が一段落し、私達三人はティーカップに口をつけた。
自分が思っていたより緊張していたらしく、喉がからからに乾いていた。メロディアさんは私の比ではないだろう。香り高い紅茶に癒され、惚けている。
「ああ、良かった。二人ともこれからはできるだけ仲良くしてね。立場は違っても僕は二人を平等に愛すから」
キール様も脱力した。そして無邪気に笑う。罪な人だ。この表情をされると不満があっても怒れなくなってしまう。
しかしメロディアさんは違った。簡単には流されない。
彼女は震えながら告げた。
「あの、よろしいでしょうか? 今この場しか機会がないと思うので、処罰を承知で申し上げたいことがあります」
「なにかな?」
思いつめたようなメロディアさんに対し、キール様は涼しげに発言を許した。
メロディアさんは躊躇いがちに、私から受けた数々の嫌がらせについて語った。
なるほど、ここでその話を持ち出してくるのか、と私は小さく唸る。
「……わたしはどうしても、在学中にベリル様から受けた仕打ちを許せません。公爵家のご令嬢であるベリル様にこんなこと願うなんて、許されないことですけど……どうか嫌がらせがあったことを認め、キール様の前でわたしに謝っていただけないでしょうか」
一言でいい。私から謝罪の言葉を聞ければ過去のことは水に流す。これからは同じ男性を愛する者として、未来の王の妻として、手を取り合って彼と国を支えていきましょう、とメロディアさんは清々しいまでに真っ直ぐに述べた。
彼女の強張った表情を見る限り、ここで私を陥れて今後の立場を有利にしようという思惑は感じられない。あくまでけじめとしての謝罪を求めているようだった。
その高潔さは素晴らしいと思う。私は尊敬の念さえ覚えた。
ただ、扱いに困ってしまう。
キール様は美しい指で自らの唇をなぞっている。獲物を愛でるような視線を向られていることにメロディアさんは気づいていない。緊張でいっぱいいっぱいらしい。
本当に可哀想な子。まるで四年前の私を見ているようだった。
私はため息混じりに告げた。
「嫌がらせを認めることはやぶさかではございませんわ。本当に必要なら謝罪もいたしましょう。……あなたのためを思ってやったことでもありますけれど、まるで望んだ結果は得られませんでしたから」
「なっ、わたしのためだなんて、何を言っているのです!?」
「こんなことになるなんて、私も予想外ですの。後悔も反省もしております」
「嘘をつかないでください。わたしのこといじめて楽しんでいたんじゃないですか!?」
憤慨するメロディアさんに、私は冷静に告げる。
「恋は盲目だと聞きますが、あなたほどの人がなぜ気づかないのか不思議でなりません。キール殿下のお側にいながら、私から理不尽な仕打ちを受け続けた意味をもう少し考えてほしいですわ」
メロディアさんは困惑して、キール様に助けを求める。彼は平然とお茶を楽しんでいた。
「キール様、ベリル様は何をおっしゃっているのですか? 意味が分かりません」
「そのままの意味だと思うよ。僕はきみがいじめられているのを知っていて放置した。気づかないはずがないし、止められないはずもないだろう? この僕が」
学園中に私とメロディアさんの対立の噂は広まっていたし、キール様ほど人を見る目に長けた人が身近な女性の異変を見過ごすはずがない。
そして、優しさに溢れる彼が恋人のために何の対策も取らないなんて、普通はあり得ない。
メロディアさんは血の気の引いた顔を両手で覆う。
「え? え? もしかして、二人で共謀してわたしを弄んで……?」
「はは、そんな面倒なことはしないよ。多分ベリルは、嫉妬と親切心からきみを僕から遠ざけようとしただけ。そして僕はそれをみて楽しんでいただけさ」
「親切心……? 楽しむ……?」
何を言っているのか分からないだろう。実際に体験するまでは。
彼女が問いただそうとしたとき、華奢な体がよろめき、まぶたがとろけるように瞬いた。
やはり薬入りか。私とキール様は平気なところをみると、お茶を用意した使用人はグルらしい。
私は驚かない。さっきキール様は彼女に「何もかも委ねる」という言質をとっていた。その時点でやると思った。
キール様はご機嫌に笑う。
「メロディア、一つ重要なことを教えてあげる。信じられないかもしれないけど、ベリルは人をいじめるのはあまり好きじゃないんだ。……いじめられる方が好きなんだよ。僕がそうなるように調教した。特に好きなのは恥ずかしい格好でーー」
「ちょ、それは言わないで下さいご主人様! ……あ」
思わず秘密の呼び方をしてしまい、私は顔から火が出そうになった。不覚過ぎる。
幸か不幸かメロディアさんにはもう驚く余裕もなく、たゆたうように眠りに誘われていった。
幼い頃から違和感はあった。
キール様は人前ではとても優しく完璧な王子様なのに、私と二人きりになると言動が冷たくなるのだ。嫌われているのかと感じるほどだったが、彼は「可愛い」も「好き」も惜しみなく言ってくれる。
国王夫妻からの愛情に不足はない。周囲からも大切にされている。物騒な事件に巻き込まれたこともない。
だから、彼の異常性は生まれつきのものだろう。
私がキール様の本性を知ったのは十二歳の頃。
ある日突然、耳たぶを噛まれた。驚いて泣き出した私を見て彼は無邪気に笑ったのだ。
それから会うたびに紐で手足を縛られたり、首をきゅっと絞められたり、汚い言葉で罵られたり……。
「ねぇ、どうしてそんな目で見るの? 僕が怖い? 嫌い?」
私が強く抵抗すると、キール様の美しい顔が悲しみに歪む。それだけで私は途方もない罪悪感を突き付けられ、正常な判断力を失くした。
最初は痛みや恐怖にただ耐えていただけだったが、徐々に体がうずくようになり、従順になっていった。
同い年なのにどこでそんな技術を覚えたのか、はたまた天性の素質だったのか、キール様の飴と鞭は見事だった。
そんな関係が何年か続き、とうとう私は虐げられて喜ぶ変態性癖に目覚めてしまった。
卒業間際、学園中から侮蔑の視線を向けられたときですら、嫉妬と屈辱の中に快感を覚えていたくらいだ。ヒューバート様に睨まれたときも、怯えるどころか少し喜んでいたなんて口が裂けても言えない。
人に知られたら舌を噛み切って死ぬしかないようなことも経験済みです。
お父様お母様、国民の皆様、本当に申し訳ございません。
全てキール様の調教の賜物……いえ、悪影響です。
「いや、ベリルは元から素養あったよ? 理解してもらえない人に僕は手を出さない」
私はすぐに二の句が継げなかった。
不思議なもので、私のキール様への恋心は初めて会ったときから少しも揺らがない。何をされても許してしまう。むしろ特別なことをされているのだと胸が躍る。
ああ、泥沼だ。
「……ではメロディアさんも? どんなにいじめても、全く快感を覚えているようには見えませんでしたけど」
「それはベリルが下手だからだよ。ただ攻撃するだけじゃダメに決まっている。見ていて歯がゆかったし、メロディアが可哀想だった」
あなたには言われたくないと心の底から思ったけれど、私は口をつぐむ。ご主人様への反抗的な態度は控えなければならない。
あの三人の対面から一週間後。
私は再び山の中の屋敷に足を運んでいた。
キール様と並んでソファに腰をかけ、和やかにお茶を楽しんでいる。
この屋敷の地下には防音の特別室がある。
メロディアさんはそこにいて、今は疲れて眠ってらっしゃるそうだ。
私は深く後悔している。
もう少し上手くメロディアさんを遠ざけられれば、キール様の寵愛は私だけのものだったし、彼女も普通の人生を送れただろう。
まさか真実を話すわけにもいかないから、身を引かせようと執拗にいじめてしまったのだが、私の行動は何もかもが裏目に出た。
メロディアさんの負けん気の強さはキール様の加虐心に火をつけ、彼女の口の堅さや慎み深さは本性を晒しても大丈夫だという安心感を与えた。
本当に悪いことをした。
今日は面会させてもらえなさそうだが、折を見てこっそり尋ねてみよう。
もしも後悔しているなら、逃げられるようにヒューバート様に掛け合い、手引きしてあげる、と。
キール様がメロディアさんを妻に娶るまでまだ数年の猶予がある。入念に準備すれば逃亡も不可能ではないはずだ。
まぁ、キール様の手練手管をその身を持って知っているので、望み薄だろうと私は思っている。
キール様の愛情表現は異常だが、最低限の常識(?)は守る。
合意が得られるまで一線を越えることはしないし、命にかかわるようなこともしない。まっさらな肌が好きなので長く残る傷もつけない。
倒錯的な行為の途中でも、頭は冷えているらしい。そこがまた恐ろしい。
最初のうちはじりじりとした根競べが続くだろうけど、彼の美しさと甘辛い言葉の前に屈服せずにいられる女性がどれだけいるだろう。
目の前で優雅な仕草でお茶を飲む彼。
その表情からメロディアさんを順調に手懐けていることは想像に難くない。
「天使の翼をもぐのは楽しいね。まだ少し抵抗するときもあるけど、彼女も痛みの虜になりつつある。きみには程遠いけど」
まるで心を読まれたかのようなタイミングだったので、私の心臓は跳ね上がった。
その言葉に寒気を覚えると同時に羨望がもくもくと胸に広がる。物欲しげな視線に気づき、キール様はくすりと笑った。
「無事に子どもが生まれて結婚式が終わったら、またベリルのことも可愛がってあげる。それまで我慢してね。しばらくは普通の夫婦として過ごしてみよう」
彼は私のお腹を優しく撫でた。
その仕草から子どもに対する愛情は正常なのだと分かる。そうでなかったら、遠くに逃がさなければならない。それは私も嫌だ。
これも彼の計算のうちな気がする。
キール様が新しい恋人を作ったという噂は公爵家にも伝わっている。内心穏やかではなかっただろう私の父も、この妊娠を知って胸を撫で下ろしていた。婚前のあれやこれについては苦々しい表情をしていたけれど。
私も子どもができたこと自体はとても嬉しい。この子が親に似ないように、細心の注意を払って育てようと今から張り切っている。
でも身重の期間ずっとメロディアさんに彼の異常愛を独占されるのは面白くない。非常に複雑な気分だけど、これもメロディアさんを傷つけた報いだろうか。
結局、彼だけが一人勝ちをしている。一番罪深い人なのに。
「えっと……出産まではともかく、式が終わるまでお預けなんですか?」
懇願の色が混じる私の問いに、キール様は冷ややかな笑顔で答えた。
「それくらい放置された方が燃えると思わない? きっとすごいことになるよ」
確かに、想像しただけでため息が漏れる。
仕方ない。
体中の赤い痣を隠してウェディングドレスを着るのは、スリルと背徳感がありすぎる。さすがにその状況を楽しめる域にはまだ達していない。
キール様が私の頬を冷たい指でなぞった。
「ベリル。きみの嫉妬深さは嬉しいけど、もうメロディアをいじめちゃダメだよ。それは僕の特権。いい子で待っていられたら、その分うんと愛してあげるから。ね?」
魅惑の微笑みに私は悶えた。
少々異常な愛情表現は、完璧に見えるキール様の唯一無二の傷かもしれない。
それでもそう遠くない未来、キール様は稀代の名君になり、この国は大いに潤う。彼にはそれだけの技量も頭脳も魅力もある。たくさんの人が幸せを享受するだろう。
もちろん私と彼女も、嬉しい悲鳴を上げ続けるに違いなかった。
お読みいただきありがとうございました。