二・意外な以外・1
…………周囲の思考が停止しただろうことは、容易に想像がついた。
「どう、いう、こと、だ……?」
誰かが呟いた。無理もないことよねと、雪白は大きく息をつく。
これは、『当人たちしか知らない事柄』だからだ。
「別に変なことじゃないわよ。あたしの名前は雪白。雪白・コリアンダー」
名乗れなかった家名。名乗ることができない家名。魔物が活性化している現在、名乗ってしまえばとても大変なことになるから、だ。
魔王ハーツイーズが復活する前に倒してくれと、あちこちから言われかねない。
「同じ姓の、別人……? コリアンダーじゃ、ない、のか?」
またも誰かが呟く。別人だと言うのならばハウルディアが具現している理由が分からない。
「別人じゃないわよ。あたしの家系そのものがコリアンダーなんだから」
むすっと唇を尖らせて雪白は仕方なく説明する。あまり言いたくはないが、ノノが気を失っているのでちょうどいいかとも思った。
「うちの家系が世間で言われている勇者なの。コリアンダーは復活してるわけじゃなくて、代替わりしてるだけ。前回魔王をこらしめたのはうちの親父だし、前々回はあたしのじーさまがこらしめたの」
要するに、世襲制ということだ。『コリアンダー』というのはそもそも人の名ではなく、家名なのである。
「だから、生まれ変わりとかそんなアホみたいな想像は的外れよ」
ダメ出し。
「大体ね、あたしは勇者なんかになりたくないの! 一般的に勇者なんて魔王倒したら職無くすじゃない! じーさまも親父も魔王との一件が終わったら世捨て人みたいに田舎に引っ込んだって話よ!? そんな不安定な職業就きたくないし、剣振り回してたくましくなんかなりたくないわ! あたしは素敵な男の人と結ばれて可愛いお嫁さんになりたいのっ!! 美味しい料理作って、休みの日には旦那さまと出かけて、そのうち可愛い子供もできて、育児に精を出して、子供が独立したら、老後は旦那さまと二人で世界一周の旅にでも出て悠々自適の生活をするのよっ!!」
勇者の家系に生まれておきながら、雪白が目指すのは幸せな結婚だ。素敵な男性と結ばれることだけを夢に見ている。年頃の夢見る少女らしいといえばらしいのだが、勇者の家系で、聖剣ハウルディアを目の前にしていて言うセリフだろうか。しかも、魔物は活性化しており、魔王は復活している可能性があるのだ。
ハウルディアを継いでいると言うのならば、雪白は魔王を倒す可能性を持った人物――世界の希望だ。
そして、魔王崇拝者にとっては、天敵にも値するだろう。レングスと周りの男たちは一斉に武器を雪白に向けた。彼女をここで倒してしまえば、魔王に敵はいなくなる。
「憎き勇者の一族、その末裔であるのならば、生かしておく理由はない!」
レングス王子が再び牙煉に叫ぶ。
「牙煉!! 全員始末しろ!! 惚れたはれたなどと言っている場合ではない!! ここにいるのは魔王様の天敵、勇者の末裔だ! ニエに捧げれば魔王様もお喜びになる!!」
包囲され、雪白たちに逃げ場はない。ハウルディアの力を使えば逃げられるだろうが、雪白に聖剣を使うつもりは毛頭なかった。そもそも、聖剣を継ぐつもりが皆無で、逃げる気になれば簡単に逃げられるからである。野盗を倒したときのように、雪白が本気になればこの場を逃げ出すことは可能だ。
ただ、問題は周りの人間ではなく、魔族の牙煉。圧倒的な力を誇る勇者の家系といえども、平和な時代に生まれて育った雪白は、魔族との戦闘の経験がない。そのへんの雑魚魔物とは何度も戦闘を重ねているが、上位種である魔族との戦いは経験したことがなかった。
牙煉は雪白に殺意を向けているものの、ピピに邪魔されて戸惑っている。未だ行動に起こせない理由が、牙煉本人にも理解できないのだろう。
魔王ハーツイーズを愛する魔族としては、魔王の邪魔をする勇者一族をどうにかしたいと思うのが自然だ。
彼らにどうこうされるつもりもないが、雪白としてもここでこのまま足止めされるのはごめんこうむりたい。レングス王子が運命の相手ではなかったので、早くほかの相手を探したいのだ。夢見る乙女は忙しい。
「……ピピ、あのね」
「はぁい」
幼馴染みに話しかける。この膠着状態を脱するための切り札を、彼女が持っているのだから。
「もう一度自己紹介」
「わたし?」
「うん」
小首をかしげる幼馴染みに頷く。ピピは雪白の考えを理解してくれたのか、ほにゃりと微笑んで、周りの男たちに言い放った。
「わたし、ピピ・ハーツイーズといいます。今代の魔王です。前の魔王はおとうさまで、その前はおじいさまでした。魔王ハーツイーズも、雪白ちゃんのおうちと同じようにうちの家名です」
勇者と同じように、家系そのものが魔王だと、にこやかに少女魔王はのたまった。
時間が凍結する瞬間というものは、確かに存在するのよね。雪白は苦笑いを浮かべて周囲の男たちを見ている。彼らは金縛りにあったように動かない。告げられた言葉が脳内に浸透するまで時間がかかるのだろう――無理もない反応だ。雪白だって、何も知らない状態でピピに自己紹介されたら『嘘だぁ』とか言って笑い飛ばすこと確実だと自分で思う。
ややあって、硬直から開放されたレングスが声を張り上げた。
「な……!? そんな馬鹿な!!」
レングスや周りの男たちは信じられないようだった。それもそうだろう。ピピは、魔王という単語から連想されるイメージから程遠い印象の少女だ。真逆にも感じるだろう。
しかし、彼女が魔王であることは事実。魔族や魔物と違って、魔・最強の王であるハーツイーズは、見た目ではとても判断がつかないが、実力はとんでもない。
おとなしそうに見えるピピでも、山一つを軽く吹き飛ばせる力を秘めていると、幼馴染みの雪白は理解している。生来の性格で、普段からのほほんとしているから、力を振るうことは本当に稀な機会にしかないが。
「嘘じゃないよ? わたし、ゲイボルグもちゃーんと持ってるし」
にっこり微笑んでピピは背の包みを指した。そこにあるのは僧侶が持つ杖などではなく、魔王が持つ伝説の武器、魔槍・ゲイボルグである。旅に出た孫を心配した前々魔王の祖父が持たせたものだ。魔王の家系でも、おじいちゃんは孫に甘いらしい。
「嘘をつけ!! が、牙煉! お前の敬愛する魔王様を語る不届きなこの女を殺せ!!」
レングスはそう命令したが、牙煉は契約者の命令を無視し、ピピの前に膝をついた。頭を垂れ、服従と親愛を示す。ピピの言葉で疑問が晴れたらしく、行動にはもう戸惑いがない。
魔物は、魔族は、魔王を敬愛する。愛し崇める。それは種族の本能で抗うことはない。彼らは抗おうとも思わないのだ。
魔族である牙煉が、迷わずピピに膝をついたと言うことは、彼女らが嘘をついていないということであり。
ピピ・ハーツイーズの名が、事実であるということで。
「う、嘘だ……魔王が……こんな、こんな……」
ガクガクと震え、認めたくないというようにレングスは首を振る。
「小鳥さんこんにちはとか言いそうでちょっとおつむの悪そうな感じの女の子のわけがないっ!!」
「うわ、すごくよくピピを表してくれてるわね、王子様。でも、この子頭悪くはないのよ。むしろ逆。とても頭いいの。ただ――」
ちらりと幼馴染みを見て、雪白は苦笑。
「……かなり天然なんだけど、ね」
頭の回転はいいが、解釈の仕方が独特なので周りの人間が慣れるまで時間がかかるのだ。
「雪白ちゃん、褒めてくれてるの?」
「うん。一応」
「そう。ありがとう」
にっこりと笑うピピは、可愛い。どう見ても、広間の中央に飾られている魔王像とは似ても似つかない。大体、魔王像は男性像だった。
「そ、そんな……じゃあ、イケニエは」
「あ、いらない。ノノちゃんのこと、ちゃんと村に帰してあげてね」
魔王はのほほんとそんなことを言ってくる。彼女の周囲にいた男たちが剣を放り投げた。
こんなんが魔王かよと、やさぐれた様子である。
「馬鹿な……魔王が何故、勇者と一緒にいるのだ!!??」
まだ信じられないとレングスは悪あがき。オカシイと言えばオカシイだろう。
ピピは世界に恐怖を撒き散らす魔王の末裔。今代の魔王。
雪白は世界に希望を与える勇者の末裔。今代の勇者。
争いあうはずの二人が、何故に一緒に旅をしているのだと、レングスは目を剥いている。
「え、だって、わたしと雪白ちゃんはお友達だし」
ピピは悪びれずそう返す。雪白は難しい表情で黙り込んだ。ピピと友人であることに異議があるわけではない。
二人が幼馴染みであることも嘘偽りなく、仲の良い友人であることにも嘘はない。
しかし問題は、雪白が勇者の家系で、ピピが魔王の家系で、お互いに次代の座を継がされてしまっているということだ――雪白本人の意思にかかわらず。
「いつか私と雪白ちゃんはセカイセイフクをめぐって戦う仲なんだよね」
両手を組み合わせて、ピピがうっとりとそんなことを言い出した。雪白はうんざりと声を出す。全くこの幼馴染みは素直過ぎて困る。
「アンタね、親父どもの言うことを信用しないのって何度も言ってるでしょ」
「だって、戦いで友情は深まるっておじいさまもおとうさまも言ってたよ?」
「それに巻き込まれる周りの人がかわいそうでしょ! じーさまのときも親父どものときもその前から! 世界を巻き込んでじゃれあったのよ、うちとアンタの家系はっ」
頭痛を感じている雪白だ。
そう、彼女らの身内――家族は『仲が良い』のだ。それはもう、家族ぐるみで。
両親も祖父母も、その前のご先祖から、ずっと。
周りはすっかり混乱してしまっている。言われた言葉が理解できないのだろう。一般に魔王というものは、この部屋の中央に置かれている像のように、異形で人外の容姿だと思われている。
ピピはどうひっくり返しても可愛らしい少女だ。
同じように雪白も可愛らしい少女であり、とても勇猛果敢な勇者には見えない。
その上、魔王と勇者が幼馴染みであると言う。しかも彼女らは仲が良い。親友と言ってもおかしくないくらいだ。
「嘘だ!!」
冗談でも質が悪いと、魔王崇拝者たちは声を揃える。少女の魔王は首をかしげて不思議そうだ。雪白と一緒にいることが、ピピには至極自然なことなのだから。
「んー、だって雪白ちゃんがおとうさまやおじいさまみたいなことするの、ヤダって言うから。わたしはおじいさまたちみたいに、セカイセイフクをめぐって雪白ちゃんと戦って友情を深めてみたいんだけど」
「な、何故……勇者と友情を!? 魔王が!」
その必要性が何処にあるのだとレングスが声を張り上げる。
「だって、戦わないと真の友情は生まれないっておとうさまが」
ピピは幼い頃からそう言われて育ったのだ。仲良くなりたいのなら、コブシを交えろ、と。
「おじいさまたちもそうやって友情を確かめたのだって、いつも懐かしそうに言うし……わたしも雪白ちゃんと真の友情を育みたいんだけど、雪白ちゃん、イヤなんだって。だから、一緒に旅して仲良くなろうかなぁって」
世間知らずのお嬢様のように、魔王は微笑んでいる。
隣で勇者がため息をついた。
「分かるでしょ? この子、素直なのよ。うちのいい加減親父どもの言うことも信じちゃって、実行しそうだから目を離せないわけ。どうするのよ、この子にセカイセイフクされちゃったら。ピピにはできるのよ? 性格はこうだけど、実力はあるんだから」
雪白に聖剣ハウルディアが必要ないように、ピピにも魔槍ゲイボルグは必要ない。雪白にとって、あれは『勇者や魔王の身元を確認するために必要なもの』くらいの認識の仕方である。実力的にはアイテムに頼る必要などないのだ。だからこそ雪白はハウルディアを、ピピはゲイボルグを従えているのだから。
そんでもって、天然魔王。お、恐ろしい(笑)