一・魔王と勇者・5
「……ピピ」
「なぁに?」
「さっきからあんたが話そうとしてたの、ひょっとしてこのことだった?」
「うん」
こっくり頷くピピだ。彼女は始めから気がついていた。何度か話そうとしていたのを、雪白が聞かなかっただけである。
「……あたし、聞く耳持ってなかったわね……」
虚ろに微笑む雪白だ。もう少し幼馴染みの話を聞いてあげるべきだった。
「うーん、でも、雪白ちゃん忙しそうだったから」
ピピは優しい。自分の話を聞こうともしなかった幼馴染みを許している。彼女の優しさに苦笑しながら、雪白はやんわりと説明した。
「あのね、ピピ」
「はぁい」
「そういう大事なことは無理矢理にでも教えてくれていいの。むしろ教えて。次からは。お願いね」
「うん。分かった。次からはそうするね」
「あたしも次からは素直に聞くからね。ごめんね」
仲良く素直に言い合う彼女らに、レングスが馬鹿にするような表情を見せた。
「次? 次などないよ。言っただろう? 君たちはここで魔王様のイケニエとなるのだ」
周りの覆面たちが切れ味の良さそうな剣を少女たちに向けてくるが、幼馴染みコンビは互いに顔を見合わせただけである。やはり雪白とピピには怯えがない。魔王崇拝者の恐ろしい男たちに囲まれているだけでなく、彼らの背後には魔族までいるというのに、少女二人は全く恐ろしいと感じていないのだ。
「恐くはないのか? これから君たちは殺されるのだよ? 恐怖を感じてくれないと」
レングスは二人の反応に苛立ちを覚えているようだった。魔王に捧げるのは少女たちの命だけでなく、彼女らが感じる恐怖や怯えも供物になると考えているようだ。
「え、だって」
「ねぇ?」
雪白はあきれた顔で立っており、ピピは瞳をぱちくりとさせ、お互いに反応に困っている。困るしかないのだ。
「なんだ、その反応は? もっと怯えるものだろう、普通は!」
「そう言われても困るだけなんだけど……」
本当に困惑した様子でそんなことを呟く雪白である。
彼女の態度に腹を立てたのか、レングスは牙煉に命じた。
「牙煉! この生意気なお嬢さんに恐怖と言うものを教えてやれ!」
何をしてもいいからとにかく雪白を恐がらせろと。
少女らの背後から牙煉が足を踏み出そうとしたとき、雪白をかばうような位置に立ったのはピピだった。
「だーめ。雪白ちゃんをいじめたら許さないから」
細身の少女が前に立っても魔族には何の効果もないだろう。普通の人間だってピピを見ても恐いとは感じないはずだ。
「はは、友人をかばう気持ちは立派だが、意味はないよ、お嬢さん?」
レングスはそんな風にピピをあざ笑った。しかし、牙煉は戸惑いを浮かべたのだ。人間に躊躇などしないであろう魔族が、ピピを見て明確にためらうどころか、行動を止めた。
「……何故だ?」
低く唸るように魔族は呟く。本心から己に問うているようだ。
「何故、貴女を見て私は何もできなくなるのだろう?」
魔族は自問を繰り返す。何故ピピの言葉に自分は止まるのかと。
「!? なんだと!! 牙煉、貴様、気でも狂ったか!? まさか人間の女に惚れたなどと言うまいな!?」
愕然としたのはレングスだ。人間を超越した強力な存在である魔族が、何の取り柄もない人間の少女に恋をするなどありえない。
「……ある意味、あたしの直感も間違ってなかったわね……」
雪白は苦笑している。彼女も最初は牙煉がピピに一目惚れしたのだと考えていた。
牙煉が人間だと思っていたからである。けれど、彼が魔族であると言うのなら、一目惚れなどということではないと理解もしていた。
「ええい、ならば私が手を下してやる! 光栄に思うのだな、雪白とやら!」
レングスが剣を抜いた。王子のほうに迷いはない。彼を運命の相手だと思っていたことは大きな勘違いだったと痛感した雪白である。可愛い女の子に対して迷いなく剣を向けるような男など、こちらから願い下げである。
剣先を向けてくる王子にはっきりと幻滅を感じながら、彼女は構えようとした。
そのとき、である。
雪白とレングスの間の空間が、はっきりと光に包まれた。まばゆい光でありながら目を焼かない、不思議な光。
「ぬ、これは……!!」
牙煉が呻きを漏らす。魔族の彼の体はその光によって痛みを感じていた。
光が凝縮する。形を成すまでは瞬き一回の間だ。
一瞬後、光り輝く白く神々しい剣が、空中に浮かんでいた。
ただそこにあるだけで、多大な力を感じさせる剣。
誰が見ても一目で神々しいものだと分かる。あまりの力に、魔族の牙煉、魔王崇拝者であるレングスや覆面男たちも畏怖に数歩退いた。
が。
「ああ……もう……なんで出てくるのよっ!!」
雪白の反応は畏怖どころか拒絶に近い。
「あ、ハウルディア。雪白ちゃんのこと、心配して出てきたんだね」
そして、ピピの反応はやはりのほほ〜んとしていた。
「「「ハウルディアっ!?」」」
幾つもの声が重なる。伝説の中の武器。勇者が携えるという、星をも落とす聖なる剣の名。
目の前に浮かぶ剣が幻影や名をかたった偽物ではなく、本物であることは疑いようがない。なによりも剣身から発せられる力が、本物であることを周りに痛感させている。
「やだっ! あたしアンタの持ち主になんかならないって言ってるでしょ!!」
しかし、雪白はやはり畏怖しない。
「雪白ちゃん、ハウルディアが可哀想だよ。持ってあげるだけ持ってあげたら? ハウルディアは雪白ちゃんのことすごく好きなんだよ? 今だって雪白ちゃんのこと心配して出てきてくれたんだもの」
そして、ピピはやっぱりほんわかとそんなことを言っている。
少女二人だけが、聖なる剣を目にしても普段と変わりない態度を貫いている。
「剣に好かれるより素敵な男の人に好かれたいのよあたしはっ! ヤなの! 剣なんか振り回したら腕に筋肉つくでしょ!? 腕太くなるじゃない!!」
「ハウルディアはすごく軽いから大丈夫だって、おじさま言ってたよ?」
「あのクソ親父の言うことは信じちゃダメ! 剣なんか振り回したら絶対腕太くなる!」
伝説の剣、えらい言われようである。筋力アップアイテムと変わりない扱いだ。
雪白はハウルディアを手に取ろうという意思も無い。本気で腕が太くなるのを嫌がっているからだ。
「な、何故だ……!? こんな少女が、どうしてハウルディアを……まさか!!」
レングスが雪白を見た。
「貴様、勇者コリアンダーの生まれ変わりか!?」
言葉を発した王子と同時に牙煉が雪白に向けて殺意を発する。
聖剣ハウルディアを携えるのは勇者コリアンダーのみ。魔王ハーツイーズを何度も打ち倒す憎き勇者。その武器が、己を使えと言わんばかりに彼女の前に具現しているのだ。
ならば彼女は勇者なのかと目を見開く王子に、聖剣を前にした少女は。
「……違うわよ」
憮然と返答した。本当に機嫌が悪い。あからさまに牙煉に殺意を向けられているからだ。
「違うよね」
微笑んだまま、ピピも言う。雪白を背にかばうようにしているので、牙煉は行動に出られない。
「雪白ちゃん家がコリアンダーなんだものねー」
雪白・コリアンダーなのです。




