四・魔王と勇者と妖精と・5
「……そうね。ピピの言うとおりだわ」
妖精が考え方を変えなければ、彼らは永遠に他者を犠牲にして世界に帰還してくるだろう。
赤子か、瀕死の人間を犠牲にして。
「そ、そんなことはないよ! 雪白さん、あなたは分かってくれるだろう!? 優しい貴女なら理解してくれるだろう!? 貴女には危害を加えないと約束しよう! アジョワン様にもそう進言する!」
『彼』は命乞いをするかのように言い、ピピを指差した。
「彼女だけでいい! アジョワン様が還ってくるために彼女をチェンジリングさせてくれないかな。雪白さんは諦める、いや、大事にするよ! 貴女は玉の輿が好きなんだろう!? 私は今、リュングリングの王子だ、富も地位も思うままだよ! 王妃になりたかったんだろう!?」
「そーね」
雪白は肯定した。確かにリュングリング王子との結婚を狙っていたのは事実だ。
「あたし、素敵な男の人と結ばれるのが夢なの」
玉の輿ならばなおさらいい。
「そ、それなら」
「あたしの言ったこと、聞いてた?」
『彼』を見る自分の視線はきっと冷たいだろうなと、雪白は我ながら思う。
「素敵な男の人と結ばれるのが、小さい頃からの夢なの。そんで可愛いお嫁さんになって可愛い子供産んで、魔王とか勇者なんて関係ない生活を送って幸せになりたいの」
「充分かなう夢だよ!私と」
「聞いてた? あたし言ったわよね? 『素敵な男の人と結ばれるのが夢なの』って。ちゃんと聞いてたわよね?」
「あ、ああ、だから、私と」
「妖精は論外」
きっぱり。ピピと同じように雪白も『彼』を拒否する。
「言ったでしょ! 魔王とか勇者とか関係ない生活を送って幸せになりたいのって!! 妖精と結婚なんて正反対じゃない!! そんなの冗談じゃないのよっ! それにっ!」
びしっとハウルディアをつきつけて、雪白は『彼』を睨みつけた。
「あたしの大事な親友を差し出せなんていう男が、あたしにとって『素敵な男の人』のわけがないっ!! あんたは失格っ!! 結婚なんて大却下ッ!!」
ピピを生け贄に、自分だけが幸せになるなんて意味がない。その時点で幸せではないのだ。 ピピと一緒に幸せになる道を探したいと思っている雪白に、『彼』の誘いは無意味だった。
雪白は迷わなかった。秤にかけるまでもないのだ。
魔王でも勇者でもなく、ごく普通に一緒に幸せになるために、こうして二人で旅をしているのだから。
「あんたなんかより牙煉のほうがよっぽど素敵だったわよ!! ちょっと一方的な思考回路だったけど、なんとか話は通じたし、人間の顔させておけばかっこ良かったし!! もったいない!!」
力説する雪白である。
「魔族でなかったらかなり考えても良かったのに!!」
「雪白ちゃん、面食いだもんね」
ゲイボルグを抱えているピピが太鼓判を押す。そんな会話をしていても『彼』にかかってくる威圧は変化がない。ピピに油断がないのだ。同じく『彼』に剣を突きつけている雪白にも。
『彼』はピピに抑えられて飛べない。剣技や力では雪白に敵わない。
種の継承者の前で、妖精は無力な存在に成り下がった。先ほどまでは人間だけでなく、魔族まで見下していたのが嘘のようだ。
「く……っ」
憎々しげに二人の少女を見る『彼』に、先ほどまでの強気な姿勢は見られない。
「ねぇ、ピピ。この場合どうしたらいいの?」
端正な男性に睨みつけられ、はっきりと居心地の悪さを感じて、雪白は眉を寄せた。どうせなら妖精でも魔族でもない男性と、睨み合いでなくロマンチックに見つめ合いたいものである。
現実はやはり、理想とは遠かった。
「どうって?」
「レングス王子……戻す方法はないのかな」
魂を取り替えられた王子。当人を戻してあげる方法はないのだろうか。
「ごめんね、分からない……おじいさまも知らないと思う。『取替えっ子』を防ぐ方法は知ってたみたいだけど……取り替えられた後までは……」
「……そっか」
物知りおじいちゃん魔王の知恵でも駄目なようだ。この場でレングス王子を戻してあげることは不可能。しかし、このまま斬るのも気が引ける。元に戻せるのならば、戻してあげたいのに。
リュングリング国のためにも、レングス王子の家族のためにも。
そう思うのは、甘いだろうか。
それに、最初の目的も思い出した。もともとはレングス王子との結婚を夢見ていたのに、何故にこうして剣を向ける羽目になったのか――全て妖精のせいだ。
「普通の人間だったらすごい玉の輿なのに……カッコイイ人だし……なんで妖精なのよっ!? 妖精になる前は魔王崇拝なんてしてるしっ!!」
妖精でなく、まともな思考回路の持ち主だったら、そのままなんのためらいもなく花嫁衣裳を着ただろうから、余計悔しい。
「っそそそうだよ!? 私は王子なんだ! いいのかい? このまま私を倒したら、貴女たちは犯罪者だ、お尋ね者だよ? 王子殺害犯になってもかまわないのかい!?」
言われた言葉に雪白はさすがに固まった。確かに『彼』の言う通りなのだ。魂が別人で、体も妖精になってしまっているが、羽さえ見えなければ王子であることに変わりはない。長年、別存在が王子の体に入り込んでいたなんて、周囲の人間は考えたこともないだろう。
「雪白ちゃん、大丈夫」
力強く、ピピは断言。
「目撃者いないから」
「……完全犯罪を促さないで欲しいんだけど……ピピ、まだ寝ぼけてるの?」
「だって王子さまがここにいること知ってるの、わたしたちだけじゃないの? 村の人、いないし……牙煉ちゃん消えちゃったし」
「……ええと」
「それに、王子さま野放しにしておくと、ほかの人『取替えっ子』されちゃうよ、きっと」
「……そーね」
他に犠牲者を出すのは防ぎたい。我が子でないことすら気がつかないまま、家族として過ごすのは悲惨なことだろう。しかも中身は妖精なのだ。世界の敵になり、追い出された存在に騙されて、家族として過ごす――悲しすぎる。
「ししし、しないっ! しないと誓う!!」
両手を上げて命乞いをする『彼』に、ピピは続けてこう言った。
「アジョワンに誓える?」
『彼』が息を呑む。己の種族の王に誓えるかと。ピピに言われた『彼』は、瞬時に顔色を変えた。道化のような命乞いをしていた姿から、ふてぶてしく開き直った表情へと。
「は、はは。上手いな、ピピさん……我が王に誓えと言われれば……できない相談だ!」
叫んで『彼』は雪白が突きつけているハウルディアに飛び掛ってきた。非力な妖精が、種の恩恵を受けている雪白の力にかなうわけがない。
「なにすんのよ、この変態妖精ッ!!」
反射的に雪白は腕を横に振るった。ただ単に殴るつもりでいたのだが、手にハウルディアを持っていたことを忘れていた。いつも剣など持たないし、ハウルディアは重さを感じさせないせいもある。
手ごたえは軽かった。聖剣は切れ味もいいらしい。
「あ」
血も、出なかった。それは『彼』が人間ではないと言う証で、レングス王子の体もすでに王子当人のものとは程遠い存在であることを意味している。
戻らない、取り替えられた王子は、ふらついて尻餅をついた。
「ふふ、これで貴女たちは王子殺しの大罪人だ……私は妖精だが、死体は残る……レングス王子の体としてね……」
切られた腹を押さえて『彼』は呟く。
「世界中から追われるよ。王子殺しの大罪人……くくく、あははは! 堕ちた勇者となれ、雪白・コリアンダー!!」
あざ笑う『彼』の言葉を聞いて、雪白はとんでもないことをしてしまったと青ざめる。
人を切ったのは初めてだ。正確には人ではないが、人型のモノを切ったのは初めてだ。
気分がいいとはとても言えない、行為。待っているのは犯罪者――お尋ね者の道。
家族にも顔向けできないし、ピピまで巻き込んだと動揺する雪白を嘲笑し、高揚する『彼』の最期の高笑いを止めたのは、やっぱりピピだった。
「体が残るから危ないの? じゃあ、残らず燃やしてあげる」
こくりと首を傾げ、にこりともしないで彼女は言い切る。本気で言っているようだった。雪白とは違って人型のモノに己の力を向けることにためらいはないようだ。
「ちょ、ピピ!?」
「雪白ちゃん、気にしないでいいよ」
幼馴染みは、真顔で雪白に言う。
「妖精はこの世界にいていい存在じゃないの。わたしは迷わないよ。わたしは、魔王ハーツイーズだから」
人の形をしていても妖精は人ではない。だから気にしないでいいとピピは言う。迷わないと親友は言う。世界を護るために、彼女は妖精に対する一切を迷わない、と。
その覚悟は雪白にはまだないものだった。自分よりも早く継承したからなのか、それとももともとのピピの資質なのか。素直なのにも程があると、ちょっと思った雪白である。
「いいえ、あたしがやる」
一旦首を振って、雪白はハウルディアをもう一度構えた。しっかりと柄を握りしめ、心から思う。
ピピ一人に背負わせる気はない。同じ種の継承者なのだから、背負うのならば一緒に。
きっと一人の背に負いきれるものではないから。
そうして世界を護ろう。
そうして一緒に幸せになろう。
魔王も勇者も関係なく、普通の女の子の幸せを手に入れよう。
そのために、誰かを犠牲にするような方法で還ってこようとする妖精を止める。
重さを感じさせない剣を手に、雪白は思う。
『アークライトの灯』は妖精の手の中では輝かない。
それが魔王カトルエピスの残した呪い。
ならば、種も妖精の傍では力を発揮しないのではないか。
たとえ、妖精の王アジョワンが、雪白かピピと『取替えっ子』して戻ってきたとしても、おそらく『アークライトの種』の力は消え失せる。
種の消失は世界の破滅だ。アジョワンが、雪白たちコリアンダー、ピピたちハーツイーズくらいの力の持ち主との『取替えっ子』でなければ戻ってこられないと言うのならば、妖精の王の帰還は、そのまま世界の崩壊と同一の意味を持つ。
『アークライト』の光は、妖精と共には輝かない、芽生えない。すなわち、妖精の王は、この世界――ルバーブと共には生きられない。
「この世界はもう、あなたたちの還る場所じゃない」
還ってきても、彼らはここで、王と共には生きていけないのだ。
これは世界を護るための戦い。遥かな昔から、先祖たちが護ってきたこの世界を、彼女らもまた護ると決めたのだ。
種の継承者としての、覚悟。
自分たちを護って滅んだ魔族の牙煉のためにも、ここで『彼』を止める。
少女勇者の手の中で、彼女の心に呼応したように、銀の輝きが増した。
たとえ、どれだけの汚名を着ようとも、護りたいものがあるから。
「さよなら、王子様……ううん、名も知らない妖精」
閃刃が、空間をも裂くように流れ落ち、すぐ後を追うように、多大な魔力が炸裂した。
自覚。そして。
次回完結です。