一・魔王と勇者・1
たどり着いた明かり。それは擬態した魔物ではなかった。確かに人の手で生み出された明かりである。
……ただし、明かりを掲げているのは野盗らしい男たちだったが。
焚き火を囲んで下品な笑い声を上げている彼らを茂みに隠れて覗き見て、雪白は頭を抱えたい心境になった。遭難を免れたと思ったら、これだ。
神様、これは試練でしょうか。あたし、そんなにあなたに嫌われるようなことをしましたか。そんな気分になった。
「雪白ちゃん、よかったね。魔物じゃなくて人間だよ。街道はどっちですかって訊いてみる?」
ピピは相手が野盗と気がついているのかいないのか、無邪気な様子でそんなセリフを口にする。雪白は無言で首を振った。
荒くれの男たちだ。礼儀どころか節度も知らないだろう相手だ。そんな男たちの前に『可愛い女の子』の自分たちがのこのこ出て行ったら、どんな目に遭うか知れたものじゃない。少女二人での旅なのだから、用心はし過ぎるほどにしたほうがいい。
雪白は小声で横のピピに話しかけた。
「いい? あたしたちは何も見なかったの。そぉっと離れるわよ?」
危険には触らないほうがいい。そう考えた雪白の耳に、野盗たちの声が届いた。
「今日は実入りが良かったな」
「ああ、そうだな。いつもこんなのだといいんだけどよ」
がははと笑いながらのそんな会話に、雪白は細い眉を寄せる。野盗が『実入りが良かった』と言うことは、それなりの相手を襲って身ぐるみを剥いだのだろう。
身なりのいい旅人を襲ったのだ。
身なりのいい、旅人。少女の頭によぎったのは『王子様』という単語。通るはずだと待っていて、とうとう出会わなかった雪白の運命の人(予定)。
「早いトコ、人買いに連絡つけて売っぱらっちまおうぜ」
「そうだな。結構上玉だ、高く売れるだろう――」
がさり。雪白は立ち上がっていた。突然現れた少女に、野盗がいっせいに目を向け、眉を寄せた。何故にこんなところに年若い女の子がいるのかと不思議そうだ。
「あんたたちね」
雪白はかまわない。華奢な少女の全身から、怒りの波動が吹き出している。
「玉の輿に乗るって言うあたしの可愛い夢を打ち砕いたのは……!!」
コブシを握り締める彼女の横に、ピピが立った。長い髪を揺らして、こくんと首をかしげる。それがピピのクセなのだ。
「雪白ちゃん、怒ってる?」
「うふふふふ、すごく怒ってる」
「そう。だと思った」
「アンタは何もしちゃダメよ」
「うん。がんばってね」
がさり! 激しい音を立てて雪白は地面を蹴った。そのまま走りぬけ、ぽかんとしている野盗の一人に飛び蹴りをかました。
「雪白ちゃん、かっこいいー」
のん気に応援するピピの眼前で、我に帰った野盗たちが立ち上がって雪白を囲い込もうとしている。か弱い少女一人、屈強な男に囲まれたのなら恐ろしくて泣き出すだろう――普通なら。
しかし、怒っている雪白には『普通』という単語は当てはまらない。野盗たちのせいで玉の輿に乗り損ねたと思い込んでいるので、彼女の暴れっぷりは相当のものだった。
成人男性相手にもかまわず、ひるまず、見事なパンチで一人をのしたかと思えば、放った回し蹴りで数人を吹き飛ばす。華奢な体型に似合わないパワフルさである。俊敏さも兼ね備えているので、囲まれて背後をとられることもないのだ。
街道でピピに力説したことはすっかり忘れているらしく、清々しいまでの戦闘具合でもある。『か弱い女の子』という単語はどこか彼方へ消え去ったのだろう。
ピピが魔物に対しておびえが無いのは、雪白の強さを知っているからだった。確かに今の雪白の暴れっぷりを目撃したのなら、彼女らが魔物に怯えない理由も分かる。
のんびりと観戦しているピピの視線の先で、雪白は彼女の背丈よりかなり高い男をぶん投げて、数メートル離れた幹にたたきつけたところだった。
雪白は素手である。対する男たちはおのおの武器を手にしているが、雪白の動きの早さについていけず、気がついたら倒れているような有様。
残りが五人になったとき、野盗たちは大の男にしては情けない行動を起こした。
ピピを人質にとったのである。
「うううう、動くなぁっ」
がっしとピピの肩をつかんで、一人が叫んだ。そこで初めて雪白は動きを止めた。とととっと野盗たちから少し距離をとって、それからピピを見て、大きく息をついた。口には出さなかったが、本当に仕方ないと思っている。
「こいつの命が惜しければ動くなっ」
野盗は彼女のそんな態度にも怯え、声を張り上げる。何せ少女一人に仲間の大半がのされたのだ。何が起こったのか信じられない気持ちが強いのだろう。目の前にいるのは色の白い華奢な少女でしかないはずなのに、そこらの魔物よりも恐ろしいような気がする。
「あのね、おじさんたち」
雪白はたいして心配もしていない様子で野盗に声をかける。実際に彼女がピピを心配する必要はないのだ。雪白の実力をよく理解しているピピが、雪白のことを心配していないように。
「早くその子離した方がいいと思うよ」
だからこれは心底からの忠告だ。早くピピから手を離したほうがいい。これは現実的な忠告なのだ。野盗たちには伝わらなかったようだが。
「何を言ってやがる! 両手を頭の上に上げてそこの木のそばに立って背中を向けろ! 何かした瞬間にこの娘を殺すぜ!」
「あ」
言っちゃった。雪白は思わず額を押さえた。ピピにその言葉は禁句だ。彼女に対して殺すなんて言ってはいけないのである。
何故ならばピピの背には――彼女を護るものがあるからだ。
案の定、ピピの背負っている包みが光った。雷光のような輝きが瞬間的に発せられ、ピピを拘束していた男に突き刺さる。
「ほんげぇええええっ」
情けない悲鳴を上げて、男は卒倒した。
「あーあ」
雪白の上げた声に、残った野盗たちが恐れをなす。彼女が何かをしたと思ったらしい。
「ひぃええええ!! 化けもん女だぁあ!」
と、彼女を指して逃げていった。
「あたしがやったんじゃないわよ!?」
一応叫んでは見たものの、野盗たちに届いたかどうかは謎である。
「……はー、もう。ピピ、その人……生きてるよね? ぴくぴくしてるから、大丈夫よね?」
「うん、大丈夫だと思うよ。三ヶ月くらいは寝たきりになるかもしれないけど、命に別状は無いんじゃないかな」
「……自信ないの?」
「ないよ。だってまだ持ち主になってそんなに経ってないから、どれだけ力を持ってるかちゃんと理解してないの」
ピピの背にある包みは、彼女の祖父と父のもので、孫を心配する祖父が護身に持たせたものでもある。
「……まぁ、先祖代々のものだっていうのは知ってるけど……それ、持って歩くのは危なくない?」
「でも、おじいさまには肌身離すなって言われてるよ? おばあさまもおとうさまもおかあさまも離しちゃダメって」
「いいけど……あたしもアンタがそれを持つのはいろいろと安全のためだとは思うから」
「雪白ちゃんもあるじゃない。おじいさまやおとうさまからもらったんでしょ? ハ――」
「あたしのはいいの!」
どうやら雪白のほうにも家族が護身に持たせた何かがあるようだ。しかし、雪白はピピの言葉を遮って、周りを見回した。家族から持たされたもののことは考えたくないらしい。
「それより、王子様よ、王子様! 野盗にかどわかされた王子様!」
「王子さま?」
不思議そうにピピが返す。様子から幼馴染みが怒っていることは察知できた彼女でも、雪白の思考回路までは理解できていない。野党の言葉より、焚き火の明かりが綺麗だったことに気をとられていたのだ。まぁ、ピピが野盗の言葉を聞いても、雪白とは違う意見だった可能性は高い。
「王子さま、いるの?」
「いるのよ! あいつらが連れて行ったからあたしは王子様と出会うことができなかったの!」
雪白は野盗たちが王子をさらったものとすっかり決め付けている。
「野盗にさらわれた王子様を救うヒロイン……それもいいわね、運命の出会いだわ」
玉の輿をあきらめてはいないようだ。めげない。
「すごいね、雪白ちゃん」
感心しているピピの言葉も耳に入っていない夢見る乙女は、ついさっき力強く野盗を叩きのめしたことも忘れたように周辺に視線を向けた。
「王子様〜」
見ると、ちょっと土が盛り上がったところに、野盗たちがいかにもアジトにしそうな穴ぐらが開いている。衛生状態が悪そうなところほど、ああいう連中は住み着きたがるのだ。雪白には分からない神経である。
どうせ住むのなら綺麗で清潔なところがいいではないか。土くれの穴の中など冗談でもいやだと思うのは、やはり女の子だからか。
「あそこね! なんて可哀想! あんなところに閉じ込められているなんて!」
きらきらと何かを輝かせ、雪白は穴ぐらに駆け寄った。
「もう大丈夫ですよ! 野盗は逃げちゃいましたから!」
星振る瞳で覗き込み、彼女は硬直した。
「どーしたの、雪白ちゃん」
その態度にピピは首をかしげる。残党でもいたのだろうか。それにしては雪白の態度がおかしい。彼女の反応速度なら即座に反撃に出てもいいはずだ。
では、残党ではないのだろう。
「誰もいないの?」
そう問いかけたときだった。
「恐かったーーーっ!!」
黄色い声が、場を打った。華奢な雪白の体に抱きついていく人影。
「雪白ちゃん」
ピピは首をかしげたまま、もう一度問いかける。
「そのひと、王子さま?」
「……なわけないでしょ……」
たくましい雪白と、天然ピピです。