四・魔王と勇者と妖精と・3
「雪白さんもなかなかに馬鹿だね? 知恵より力に行っちゃったのかな、種の力は」
にこやかにレングスが言った言葉に雪白は少しひきつった。昨夜もっと強く殴ってやれば良かったと、ちょっと思ったくらいだ。女の子に向かって失礼な男である。昨夜はそんな雰囲気は感じなかったが、これがこの王子の素なのだろうか。だとしたらとんでもなく嫌な男だ。
「こっちの彼女のほうはどうかな? 種の力は……」
彼が視線を向けたのは、まだすこすこ眠っているピピ。ピピのこともきちんと理解しているのだ。
雪白はハウルディアを握りなおした。
大事な幼馴染みを護らなければ。
ぐっと気迫を込めてレングスを睨みつける。闘気を感じたのかレングスが雪白を見下ろした。
「ピピを、返しなさい」
低く告げる彼女に、彼は笑う。
「返してあげるよ? 『チェンジリング』した後にね」
とても楽しそうに、そう言った。
――『チェンジリング』。レングスが口にした言葉の意味が分からず、雪白は正直に怪訝な表情を作った。何をわけの分からないことを言っているのだろう、この王子は。
彼女には意味が分からない。ハウルディアの中で過去の記憶を垣間見たが、そんな単語はなかったような気がする。
では、過去には関係ないことなのだろうか。どちらにせよ、良い印象は受けなかった。単語を耳にした瞬間に雪白が直感したのは、させてはいけないという危機感だ。
何をするのかは分からないけれど、レングス王子に『チェンジリング』をさせてはいけない。
とにかく剣先を向けて逃がさないように威嚇する。幼馴染みはまだ眠ったままだ。眠れる姫じゃあるまいし、そろそろ起きてもらいたいものである。本当ならば、幼馴染みを勇ましく助ける立場より、素敵な男性に助けられるほうでいたいのに、現実は理想とは程遠かった。
雪白は護られるお姫様ではなく、相対しているのは王子様その人だ。しかも、王子は自分を妖精だと言い切った。まともな人間ならばまず言わない。
しかし魔王崇拝者だった男だ、思考がまともとはとても思えない。殴られた所が悪くて思考回路を悪化させたと単純に判断することは、何よりも背中の羽根が否定している。
レングス王子は妖精だ。間違いない。だが、何故。
ハウルディアを油断なく握り、雪白は眉を寄せた。そう言えばレングスは、雪白に殴られたおかげで目覚めることができたと言わなかったか?
だとしたら『チェンジリング』というのは、殴られて打ち所が悪かったことを言うのだろうか? 今まで前例はなかったが、レングスのときには運悪く発動したのか。
あたしのせいなの? 考えれば考えるほど分からなくなる。
「ねぇ、牙煉。チェンジリングって何のことか知ってる?」
自分よりは年上であろう背後の魔族に訊いてみる。彼なら知っているかと期待していた。
「分からない……あれはなんだ? 妖精など、いるはずがない……レングス、何があったのだ……? 昨夜、私が『境界』に戻った後に……!」
苦しげな声で牙煉が言い放つ。彼にもやはり意味が分からないのだろう。昨夜まで王子と契約を交わしていた魔族に、王子は迷いなく攻撃をし、魔族は深いダメージを負ったせいでまともには動けなさそうだ。ここは雪白が踏ん張るしかない。
意味の分からないことを言い放つ王子の相手をするより、ピピを助け出すことをまず考えよう。彼女は思考を切り替えた。
力を貸しなさい、ハウルディア……! あたしの親友を、遥かな昔からの盟友を、助け出すために!
心の中で告げ、声には別の相手に向かって叫ぶ。
「ゲイボルグ! あんたの主――ピピを助けるために力を貸しなさい!」
魔槍の継承者であるピピは眠っているため、ゲイボルグにできることは限られるだろうが、それでもやってもらう。
「やだなぁ、そんなに警戒することはないよ、雪白さん」
ゲイボルグにかけた声に、レングスはあわててそんなことを言ってきた。さすがに聖剣と魔槍、その継承者を相手にするのは恐いらしい。まして彼女らは多大な力を秘めた種の継承者でもあるのだ。敵に回すのは恐ろしいのだろう。
「ピピさんはちゃんと返すよ? チェンジリングした後だけど」
単語を聞くたびに背筋が粟立つ。嫌な感じがする。レングスが嬉しそうに言うからだろうか。
「どういう意味なのよ。そのチェンジリングって。すごく嫌な感じがするわ。させたくないって思うくらいに」
「いやいや、素敵なことだよ? 私を見て分かるだろ? 世界が変わるよ……いろんな意味で」
ざわり。危機感に鳥肌が立つのを感じた。王子の言葉は信じられない。
「ゲイボルグ!!」
悲鳴のように雪白は叫ぶ。
合図を受けた魔槍が吼えた。咆哮が魔力を伴い、ピピを包むオレンジの球を振動させた。
「っち」
レングスが舌打ちをして魔槍に視線をやる。剣のような鋭い形の光が飛んだ。
「させないっ!」
雪白はハウルディアを振りぬく。刃に宿った白い光が飛び、レングスの放った光を撃墜した。自分が持つ剣は本当に未知数の力を持っているのだと、今更ながらに実感しながら、雪白は続けてレングスに剣を振る。
「くっ」
さすがに直撃を受けたくはないのか、王子は身を引いた。その隙にゲイボルグの魔力でピピを捕らえていたオレンジの光が霧散する。
そのまま――ピピは落っこちた。
「ああっ、ピピ!!」
ぼて。
幸いと言おうか、落ちる勢いはゲイボルグの魔力でかなりゆっくりになっていたので、ピピはほてんと地面に落ちるだけで済んだ。怪我もないだろう。
「……う〜?」
衝撃で目が覚めたのか、雪白の幼馴染みはようやく起き上がった。まだ目は開ききっていなかったが。
「げいぼるぐ……うるさい」
半分以上閉じられている瞳でピピはそんなことを呟き、魔槍に向かって手を伸ばした。魔槍は逆らわず主の手の中に戻る。
「なにさわいでるの……だめじゃない。ゆきしろちゃんにおこられるよ……」
うにゃうにゃと喋っている。ダメだ。雪白は頭を抱えたくなった。ちゃんと起きてもらわないと困る。レングスは得体が知れないのだ、ピピの魔力が必要かもしれない。
「ピピ、起きて! そんなこと言ってる場合じゃないの!!」
「あー、ゆきしろちゃん……あれぇ、がれんちゃんもいるぅ?」
寝ぼけ絶頂のピピは、のほほんと牙煉を見てほにゃけた笑いを浮かべた。
「どうしたのぉ? おさんぽ?」
「いえ、違います。魔槍ゲイボルグに呼ばれまして」
「そーなんだぁ」
「そーじゃないのよ!! 牙煉!あんたも真面目に受け答えしないで!!」
レングス王子が視界内にいるというのに、ピピには緊張感がない。今の今まで眠っていたのだからしょうがないと言えばしょうがない
しかし、牙煉のほうは状況を見て、知っているのだ。悠長に話している場合ではないと理解しているはずである。
どうも魔族は魔王に弱い。弱いと言うより、甘い。相手がピピだから、美形の牙煉とこんな会話をしてもあまり違和感がないが、これでどちらかが、あるいは双方がごついおっさんだったりしたら、かなり想像したくない光景である。
「ゆきしろちゃん、おこったの?」
「怒ってるんじゃないの! 上! 上見て!」
「うえぇ?」
「なんかおかしいと思うでしょ!?」
雪白の指す方向を見上げて、ピピはとろんとした瞳でレングスの存在を把握した。
「あー、おうじさまだ」
「そうよ! 昨日のレングス王子よ!」
「ゆきしろちゃんのおうじさまじゃなかったひと」
「そーよ! なんかおかしいでしょ!?」
「おかしいの? なにが?」
「昨日は羽根なかったじゃない! というか、ちゃんと起きてっ!! お願いだからっ」
まともな会話が成り立たない。ピピが起きている状態でもまともな会話ができているかどうかはさて置いて。
「なんでこんなにねむいのかなぁ……かおあらってきてもいい?」
「そんな暇ないでしょぉおおおぉおおっ!?」
眠そうに目をこする彼女に絶叫する。かなり緊迫している状況にいるのに、ピピにかかると、ぬくぽか能天気なお日さま色に空気が変化するようだ。
起きろぉっ! ピピィッ!(←原稿を読んでくれた知人の叫びw)