四・魔王と勇者と妖精と・2
「アンタたち魔族が協力してくれたら、あたしは『勇者』にならずに済んで、ピピだって人間から追われずに済むのよ。そこのところ少し考えたことある? ハーツイーズが魔王として追われるようになったのは、九割アンタたち魔族の仕業なの。言ったでしょ? 過剰に反応しすぎだって」
「ぬ……」
雪白だけの言葉ならば反論もできただろうが、牙煉の後ろでゲイボルグが唸りを上げてくれたので、魔族も信じざるを得ないらしい。
己の種族の存在がかかっているのだから、魔族としても必死になるのは充分理解できるのだが、それでハーツイーズが普通に生きられない環境を作ってしまったのはさすがに反省すべき点だろう。護るために護る相手の幸せを壊してしまっては意味がないのだ。
「……コリアンダー、貴様が真実を話しているという理由は」
少しだけ、殺気が薄れた。
「ゲイボルグの態度が理由じゃ、いけない?」
聖剣はともかく、魔槍・ゲイボルグの態度は魔族たちにも説得の理由になるだろう。ピピを護るために牙煉を召喚した魔槍。雪白に味方するような態度を見せる魔槍。
その態度そのものが理由になると思う。
「あたしはピピの友達よ。そして一緒に生きていく仲間。この先もずっと仲良くしていきたい幼馴染みで、大事な親友」
ピピもそう思ってくれているのなら、嬉しい。いずれ自分たちに家族ができたとき、きっと今までの先祖の苦労に報いることができそうな気がする。
でも、アークライトの灯のことを抜きにしたって、ピピは大切な友人だ。
牙煉は黙り込んだ。殺気はすでに霧散している。雪白の真意が伝わったようだ。
自分たちは敵同士じゃない。戦う必要はない。雪白は見上げたまま、牙煉の行動を待った。彼はもう雪白を敵と見ていないと感じたから、ピピを返してくれると思っていた。
ライバル同士が友情を感じるのってこういうときなのかな、なんて考えながら。
「……ここでこうしているのは、まずいのか」
ぽつりと牙煉は言ってきた。
「そうね。村の人たちが戻ってきたらかなりまずいわ。あたしとピピがコリアンダーとハーツイーズだって一部の人にはバレているから……なんとかごまかさないとならないし」
考えると頭が痛い。ほかの人がいるところで自分たちの家系の話をしてしまったことは、本当に迂闊だった。ノノが起きているとは思わなかったのだ。普段気配には敏感な自分たちが、ノノに気がつかなかったのは、やはり眠かったからだと思う。
レングス王子に付き合った心労もあったかもしれない。
「どうごまかす?」
「……アンタも来ちゃったしね……魔族の姿を見られてるから……よっぽど上手く嘘つかなきゃならない……」
雪白は頭を抱えたくなった。これでは今までの先祖がやってきたことをやらなければならない。
『勇者』を名乗る、壮大な詐欺。
「……結局それしかないのかしら……」
自分が魔族を撃退し、魔王を退治したと村人に伝えるしかないのか。
考えるとゲンナリしてしまう。
この際牙煉には共犯者になってもらうとして、問題は寝こけているピピをどうするか。
牙煉が彼女に危害を加えることは絶対にないので、彼に人目のないところにピピを運んでもらい、雪白が村人を説得してから合流するのが一番いいかもしれない。
「えーっと、とにかくピピをどこか人目の着かない場所に運んで――」
なんとか丸く収めたいと説明しようとしたとき、オレンジ色の光が目に入った。牙煉の斜め後ろから突き進んできた光は、そのまま彼の体に突き刺さった。
「っ!!!」
ぐらりと、魔族の体が傾ぐ。彼が抱えていた少女の体が、腕から離れた。しかし少女魔王は地面に落ちることなくオレンジ色の光に包み込まれ浮上する。反対に魔族は地面にどさりと落ちた。
「ピピ! 牙煉!」
何が起こったのか。雪白にも把握しきれない。ゲイボルグが唸り、ハウルディアもまた唸る。聖剣に注意を促され、雪白は視線をずらした。
中に浮かぶ影を見て、絶句する。
「やぁ、雪白さん」
雪白を見て、うっすらと微笑む青年。
「う、そ……」
彼の背には透き通ったオレンジ色の羽がある。トンボのような、しかしオレンジ色に輝く羽。
過去の記憶の中で見たものと似ている。その羽根を持った種族は、世界から追放されたはずだった。世界の敵となって、世界を求めて、しかし世界から追い出されたはずだった。
「なんであなたが……人間じゃ、なかったの!?」
「人間だったよ?」
彼は微笑んでいる。オレンジ色の光に包まれたピピを傍らに引き寄せながら。
「昨夜までは、ね」
そう言って、笑っているのは。
「レングス、王子……」
魔王崇拝者で、昨夜雪白にぶっ飛ばされたリュングリングの王子だった。
***
どうしてなのか分からない。昨夜見たレングスは人間だったと思う。なすすべなくぶっ飛ばされた王子は確かに人間だったはずだ。
妖精の羽など持っていなかった。自分たちで勝手に作り上げた魔王像を崇拝する、リュングリング国民には頭の痛い、かなり間抜けな王子様だったはず。
それがどうして一晩明けたら妖精の羽根を生やしているのか。
雪白は混乱の極みだ。そんな彼女に王子はにこやかに笑いかける。
「昨夜の一撃はありがたかったよ? 君のおかげで私は目覚めることができたのだから」
本当に嬉しそうに、彼は言う。
「ありがとう……種の継承者」
透き通った羽根を背に、王子は笑っている。今は人間も忘れてしまった種の存在を口に出して。
「ちょ、ちょっと待って、どういうこと!? 簡潔に! 要点だけを教えて欲しいんだけど!」
なにせ説明なら、たった今、コリアンダーの血の記憶とハウルディアの記録の中で、腐るほどされたのだ。これ以上面倒くさい説明を受けたら理解など無理な話である。見たのはほんの一瞬の間、でも実際は長い歴史だけで説明は充分だ。
アークライトの灯の話だけで雪白の脳内は容量の限界だった。
面倒な話などもう聞きたくない。
「簡単だよ、私は妖精だ。それだけの話さ」
レングスは笑っている。丸いオレンジの光にピピを捕らえたまま。
「よう、せい……だと?」
牙煉が声を絞り出して起き上がった。オレンジの光はまだ彼の背に突き刺さったままだ。人間ならば即死しただろう。
「そんなものが、いるわけが……」
牙煉の声に雪白はやはりと理解する。魔族の間でも一連の事件は遥かな過去になっているのだ。
彼らも妖精のことを忘れてしまっている。雪白たち人間と同じように。
いや、妖精自体が世界から忘れられているのかもしれない。アークライトの灯に手をかけた罰のように。
「ははは、魔族はやっぱり馬鹿だな。愚かだよ」
レングスは楽しそうだ。明らかな嘲笑を湛えて牙煉を見下している。
「き、さま」
「邪魔だよ、牙煉」
再びオレンジ色の光が飛んだ。今度こそ息の根を止めるだろう一撃。すでに一撃を受けている牙煉にかわしようもない。
雪白は咄嗟に動いていた。ハウルディアでオレンジの光を叩き落す。できると思ってやったわけではないけれど、オレンジの光は刃に切り裂かれて霧散した。
ハウルディアは魔力にも干渉して消し去ることができるようだ。
「コリアンダー……?」
少女の背にかばわれた魔族は不思議そうだ。
「だから言ってるでしょ。あたしたちは敵じゃないの。アンタと戦いたいわけじゃないって」
背中の魔族に言い置いて、雪白は宙の王子に目を向けている。
昨夜は運命の相手だと思った。数時間後に違うと理解してぶっとばした。あの一撃でかなり打ち所が悪かったから、矯正するよりも妖精という変な生き物になってしまったのだろうか。
そんなわけがない。雪白が殴っただけで妖精になってしまうというのなら、今までぶん殴った魔物も全て妖精になっているはずだ。今までそんなことが起こったりした例はなかった。
「ほんとにどういうことなのよ!? 妖精は、もういないはずでしょ!?」
世界の果てよりも外に飛び出していった種族だ。このルバーブのどこにも現存していない種族のはずである。
ドユコト? な展開。