序・少女ふたり
晴れた日、豊穣の女神カラミンサの守護する大陸・ルバーブ、とある街道。
立て札の立つ別れ道、そこを通る人々を漏らさず眺めながら、こんな晴れた日こそ、運命の出会いにはふさわしいと、彼女は感じていた。
そう、今日こそ、出会いがある日だ。間違いない。
「ねぇ、雪白ちゃん」
隣にいた幼馴染みが声をかけてくる。先ほどまで一緒に立っていたのだが、疲れたのか座り込んでいた。大きな空色の瞳でこちらを見上げてくる。
「ほんとうに王子さま、通るの?」
小首を傾げると、緩くウェーブのかかった長い蜂蜜色の髪が揺れた。
「通る! そう聞いたんだから間違いないわ、ピピ!」
ぐっとコブシを握り締めて、雪白はしゃがみこんだ少女、ピピを見下ろす。今の自分の瞳には迷いがないだろうと思う。いつもなら少し気になる紫の短い髪が首筋に流れるのも気にならない。雪白の勢いに、ピピは首をかしげたまま続ける。
「そう? でも、もうすぐ日が暮れるよ? 暗くなったら街道にも魔物が出るよ。雪白ちゃんとわたしだったら大丈夫だと思うけど、雪白ちゃん、魔物と戦いたくないんでしょ?」
一般常識から考えて、まだ十六、七くらいの少女が夜の街道を歩くのは大変に危険である。昼間安全な街道でも、夜間は魔物が出没するのだ。腕に自信がある者でも、夜間に出歩くのはなるべく控えるものである――その程度の常識なら雪白も知っている。
しかし、ピピの言葉には魔物に対する怯えはない。怖い物を知らない年頃の少女にしても恐れが無い。かといって、彼女たちが歴戦の戦士というようにも見えない。格好は旅装姿ではあるものの、ピピは長いスカートをはいており、背には布に包んだ杖らしきもの。
雪白は短いスカートにスパッツと、動きやすい格好ではあるものの、武器らしいものは何も携帯していない。どう見ても普通の旅人、少女二人だ。魔物と戦う術もないような無力な少女にしか見えないだろう。
雪白は眉間にしわを寄せた。
「むー、そうよね。非力な女の子二人が夜の街道を歩くのは危ないわよね」
真剣な彼女の声に、ピピはきょとんとした。
「え」
雪白の言っていることが理解できないとでも言いたげだ。おそらく心の底からそう思っているだろう。だからこそ、彼女に分からせるために雪白は大きく息を吸って言い切った。
「危ないの!!」
自分の言っていることは正論だ。年頃の女の子が二人、夜の街道を歩くのは確かに危険なのだから。
「どうして? わたしと雪白ちゃんだよ?」
しかし、ピピは変わらず不思議そうに言う。儚げで優しげな雰囲気で、心から不思議そうに。
「あ・ぶ・な・い・の!! いい? ピピ。あたしたちはか弱い女の子。普通の女の子。年頃の可愛い女の子! 女の子は夜、出歩いたりしないの!」
「そうなの?」
「そういうものなの!」
断言する雪白である。
年頃の少女が二人だけで夜道を歩くなど、普通なら危険極まりないことなのだ。幼馴染みはその辺の常識にとんでもなく疎いので、分からせるのに苦労する。
「夜は女の子二人で歩くもんじゃないの!」
「そうなんだ。じゃあ、王子さまはあきらめて、そろそろ近くの町か村に行こうよ」
「う」
何気ないピピの言葉に、雪白は硬直。夜、出歩くのは危険だと言ったのは彼女自身だ。日が暮れる前に町か村にたどり着くべきである。
しかし、雪白には目的があった。お忍びの旅の最中で、この街道を通るはずのリュングリング国の王子と出会って玉の輿に乗るという、壮大な目的が。
「ねぇ、雪白ちゃん」
「う、うー、でもぉ、王子様が通るかもしれないのよ?」
「昼前から待ってるよ。通らなかったよね? 王子さまっぽい人」
「うぅー。でも絶対通るはずなのよ! 白馬に乗った美形の王子様が!!」
「白い馬、通らなかったよ?」
ピピは雪白と違い、王子には興味が無いらしく、注意して見ていたのは馬だった。確かに何度か平凡な荷馬車は見かけた。しかし、色はともかく、馬に乗った人物は通らなかったのだ。
「王子さま、違う道通ったんじゃない?」
「……でも、ここ通るって聞いたのにぃ」
雪白は未練たっぷりだ。もう少し待ったら今度こそ王子が通りかかるかもしれない。そうしたら可愛らしい雪白に一目惚れをして『どうか妻になってください』とプロポーズしてくるはずなのだ――と、いうのは彼女の妄想でしかないのだが。年頃の女の子にありがちな、夢見る お年頃というやつである。
「明日通るかもしれないよ? 今日はもういいじゃない。それとも夜まで待ってみる?」
「いや、それはだめ!」
ぶん! と首を振る。紫の髪が踊るように跳ねた。
「夜こんなところに立ってたら、魔物に間違えられちゃうかもしれないし」
日の暮れた街道脇に佇む、武器らしいものも持たない二人の少女……確かに魔物と間違えられそうである。
「そ? じゃ、行こうよ」
「……うん」
がっくりと肩を落として雪白は頷いた。本日の『運命の出会い』はあきらめるしかなさそうだ。
「明日こそ!」
明日に望みをかけて、歩き出した。
……そして、一時間後。
年頃の女の子である二人は、森の中にいた。街道からはすでに大きく外れ、日も暮れかけているのか、彼女らの周りは薄暗いを通り越している。
はぁあ。雪白が大きく息をついた。すでに大半を諦めているかのような目で、それでも横のピピに話しかける。
「ねぇ、ピピ」
なるべくとても穏やかで優しい声を出す。まるで幼子に話しかけているかのようだ。
「なぁに、雪白ちゃん」
「なんであたしたちこんなところを歩いているんだと思う?」
彼女は優しく問いかけ、周りを指差した。もう数歩行ったところにある茂みから、今にも魔物が飛び出てきそうな雰囲気だ。
「え、ここ、歩いちゃいけないところなの?」
「そうじゃなくて……ううん。もういい」
額に手を当てて、雪白は言いたかったことを飲み込んだ。いろいろとピピに対して文句はあるが、街道を歩いていたのに、突然ピピが『あ、変わった鳥さん』と言い出して道を逸れたあたりから、こうなることくらいは予想していていいことだ。引きずられるように一緒に来てしまったのはひとえに雪白の未熟といえよう。幼馴染みであるピピとの付き合いも長いのだから、いい加減に彼女の言動と行動を考え、対応を学習してもいいのだ。
自分の幼馴染みは、チョウチョを追いかけてどこまでも行ってしまうような娘だと、よ〜く理解しているはずなのだから。
「とにかく、街道に出よ。このまま森の中を歩くのはイヤ」
いろいろなことを飲み込んで、雪白はピピの手を握った。手を繋いでこちらが引っ張ってやらないと、この娘は何を見てどこに行くか分からない。今の痛い経験でそれを学習した。このままここで遭難するのは冗談でもイヤなので。
分かっているのかいないのか、手を引かれたピピはきょとんとして尋ねてくる。
「でも雪白ちゃん。街道って、どっち?」
「……ピピ、ちょっと黙ってて」
元はといえば誰のせいなのか。そんなことはもう口にはしない。どれだけ無駄な会話になるかも良く分かるからだ。
天然娘には黙ってもらうのが一番いい。
鬱蒼とした森の中、ピピの言うとおり、どちらを進んだら街道に出るのかも分からない。とにかく一方の方向を目指して歩き出してみた。
「……あーあ、手を繋いでいるのが王子様とか素敵な男の人だったらなぁ」
同性の幼馴染みと手を繋いでいるという事実が雪白には悲しい。どうせ迷うのなら素敵な男の人と迷ってみたい。どうにもならない状況になって、偶然あった小屋か何かで夜を過ごす二人……なんて空想をしてみたが、現実には繋いだ手の先にいるのは、同性で幼馴染みのピピだった。
「雪白ちゃん、夢見る少女だね」
「あんたに言われたくないような気はするわ」
思わず呟いた。普通に過ごしている状態でも、夢を見て過ごしているようなピピに言われるのはなんだか心外だ。しかしピピには分かっていない。首をかしげて訊いてきた。
「え、どうして?」
「……だってあんたって妖精を見たとか言いそうだもん」
架空の生き物である妖精を例えに出して、遠まわしに指摘してみる。
「え、そんなこと言わないよ? 妖精はこの世界には存在しない生き物だもの」
きょとんとしてピピはそう言い返してきた。例えをそのまま素直に受け取ったのだ。
「そーね……」
多分説明してもピピには理解できまい。それが天然娘の恐いところだ。雪白は会話を断念して歩みを進めた。茂みを掻き分けるようにして先を目指す。ややあって、視界にほのかに光るものが見えた。
「あ! 明かり!?」
人里でもあるのかと瞳を輝かせる雪白に、反して落ち着いているピピが呟く。
「魔物かもー。ほら、たいまつに擬態する魔物もいるっておじいさまが言ってたし」
「……アンタのじーさまの話はいいから」
「おじいさまの話は役に立つよ? 雪白ちゃんも知ってるでしょ」
「……知ってるけど、今この状況で魔物の話されても嬉しくないから」
「そう?」
ピピの祖父のことは雪白もよく知っている。なにせ彼女とピピは家族ぐるみの付き合いだから、祖父どころか祖母も両親もよく知っている。もちろんピピも雪白の家族のことを知っている。雪白も祖父・祖母、両親は健在だ。
祖父同士はチェス仲間、祖母は編み物仲間、父は野球仲間、母は乗馬仲間と、家族同士は大変に仲が良い。
仲が良いことが雪白にとっては悩みの種でもあるのだが。
「雪白ちゃん、行ってみる?」
「行くべきでしょ! 道に迷ってるのよ、あたしたちは!」
「そうだっけ」
「……行くわよ」
ガックリと肩を落としながら、雪白はピピの手を強く引いた。暗い森の中、けして手を離さないように。




