婚約破棄して下さいますよね?ね?
逃げ出したい。その気持ちを押し殺してソファに座る。
私の前に座るのは、このの国の第一王位後継者レオン様。その眼を見れば悪魔すらも逃げ出すような鋭い眼孔と押し潰されるような重圧感。ああ……逃げたい。
「急に呼び出して悪かったな、アズリシャ」
「いいえ。レオン様から御声を頂き、有り難く存じます」
だから早く帰らせて。思っている事は絶対に口にしてはならない。視線を合わせているようで少しずらし、微笑む。
「用件だけを伝えようアズリシャ。お前との婚約、破棄させて貰う」
ずらした視線は足下に行き、震えた手でスカートを握る。動揺と興奮のあまりで。
第一王位後継者のレオン様との婚約。それは将来王妃になるということ。貴族の女性にとって最も名誉なことであるが、私は絶対に嫌!
ただでさえ、レオン様の婚約者ということで妬まれるは嫌味は言われるは。王妃になる為の教育を幼い頃から受け、それはそれは辛く険しい日々だった。
それも今日でさよなら!
「一方的な破棄だ。お前にはそれなりの謝罪を籠めた金は払う」
「…………」
お金! 喜んで貰おう。私の家は公爵家ではあるが、資産はあまりない。それは母が浪費家だからだ。父が頑張って稼いでもそれ以上に浪費する為、我が家の資産は減る一方。このままだと弟の未来が。
王妃になるのだからと、母は私を着飾り、おまけに自分まで着飾っては楽しんでいる。派手に豪華にと。切にやめて欲しかった。
「……黙ったままか。なにか言いたいことがあれば言え。罰は与えん」
罰は与えんとは、暴言や文句を言っても許すと言うこと。一方的な婚約破棄なのだから許そうと言うのだろうけど、そんなことは出来ない。絶対に。
ふるふると首を左右に振るだけで俯いたままの私に、レオン様は深いため息つく。俯いたままだからどんな表情をしているかわからないけど、きっと冷めたような眼で見ているに違いない。
私はレオン様が苦手だ。幼い頃に決められた婚約者だけど、顔を合わすのは年に両手で数える程度。それはどちらも教育を受ける上で、とても忙しい日々を過ごしていたから。
「お前はなにを考えているかわからん」
呆れたような、どうでもいいよなそんな声。
初めてレオン様に御会いした日は今でも覚えている。
燃えるような真っ赤な髪、大きい瞳。子供ながら迫力はあったけど、生意気そうな子供といった感じで怖くはなかった。レオン様を前にこんなに萎縮することも、眼を合わせないようにすることもなかったのに。何時しか私達は成長し、徐々に王として威厳を身に付けていくレオン様に恐怖した。
だって、あんな、あんな顔に成長するなんて誰が思うの!?
私以外の女性はレオン様を見てこう言う。なんと素敵な人なのだろうと。燃えるような真っ赤な髪は、相手を圧倒させるような気迫を生み、鋭い眼孔は相手をひれ伏させるような冷酷さを感じさせる。だが他の女性は恐怖するはずが、その冷酷な顔を格好いいと言うのだ。目が腐ってるとしか言えない。
「なにも言うことがなければ話は終わりだ」
絶対的王者。そんな存在感を漂わせるレオン様の妃とか、絶対に嫌。心臓が持たない。只でさえ王妃なんて嫌なのに。
だからこそ、今回レオン様から婚約破棄を申してくれて嬉しかった。私からは絶対に言えないから。
ああ、今日からぐっすり寝れる。明日からはもう王妃としての教養を受けなくていいんだ。レオン様から婚約破棄されたのだから、嫁の貰い手なんて見付からないだろう。家を出て平民として暮らすか教会に入るか。それは後で決めよう。今はこの幸せを噛み締めるんだ。
「最後に、この書類にサインを。婚約破棄を認める誓約書だ」
「はい!」
「……………」
満面の笑みで応え、ペンを取る。この時、久しぶりにレオン様の顔を見た気がする。赤い髪は獅子の鬣のように前髪ごと後ろに逆立て、金色の瞳が驚いたかのように見開いていた。
嬉しい気持ちが勝っていた為怖くなんかなく、浮き浮きで書類にサインをしようとした。
しかし書類に触れる前に、その書類はするりと逃げた。
「えっ」
「随分と嬉しそうだな」
しまった。そう思った時には遅かった。
「俺と婚約破棄出来るのがそれほど嬉しいか?」
「そ、そそんなっ」
青ざめて諦めたような顔をするべきだったのだ。レオン様と婚約破棄されて喜ぶなんて、罰せられてもおかしくない。
上手い言い訳が思い付かず、ただ俯いて震えていると、
「……まあいい。さっさとサインしろ」
「……はい」
今度は間違えてはいけない。力なくペンを握り、震えた手で自分の名前を書く。後一文字。その時に又もや書類が引っ張られ、机にインクが付いてしまった。
「え?」
まだ書き終えていないのにどうして。困惑の表情を浮かべる私とは逆に、レオン様は面白そうに微笑む。ひぃぃっ、怖い!
「やめだ」
「はい?」
「婚約破棄はやめだ」
なんて言ったんだろう。聞き違いかな? うん、きっとそうに違いない。
「あの、まだ名前書き終えていないのですが」
さっさと名前を書いて退出したい。視線は合わせず書類を催促する私を鼻で笑う。その笑いに肩がビクリと揺れた。
「必要ない。婚約破棄はしないのだからな」
「どうして!」
思わず立ち上がりレオン様を見つめる。こんなに真っ直ぐにレオン様の顔を見たのは初めてかもしれない。
「婚約破棄……したいのか?」
ちらつかせるように書類を揺らし、まるで極悪人の顔のような笑みで問う。推定することなんて出来ない。言えるもならとっくに言っている。
だから私は、今回婚約破棄をする切っ掛けを話題に出した。
「レオン様は……ミルフィア様のことが好きなのでは?」
ミルフィア・フローダス。伯爵家の二女にして、この国一番と吟われる美貌の持ち主……らしい。会ったことがないので、噂程度にしか耳に入って来ないのだ。
そのミルフィアという女性は、レオン様と楽しくお茶をしたり、私が出席していない舞踏会などでレオン様のダンスの御相手をしたりと、かなり親密な関係だと友人が教えてくれたのだ。辛いかもしれないけど、と言っている本人が辛そうにしていて、優しい友人を持てて幸せだと感じた。
辛いことなどない。寧ろ私は凄いと思った。あのレオン様とお茶を飲むなんて、と。絶対に味なんかしない。味がしない上に無言のお茶会なんて、なんの修行だ。
「別に普通だ。お前よりは社交が出来ると思っていただけだ」
「でもでも、ミルフィア様はお美しいですし、お優しいと噂されてます。きっと未来の王妃様に相応しいかと……」
「お前は王妃になりたくないのか?」
なりたくないです、そんなもの。王妃なんて重圧に私が耐えきれる訳がない。それに、家の同士の繋がりはあっても、私個人の繋がりは少なく人脈がないのだ。人付き合いが苦手なのは、王妃として致命的。おまけに学力もダンスも頑張っても人並み。こんな私が国の代表なんて、この国の品位が落ちてしまう。
「私のような未熟者よりも、ミルフィア様のような気品と包容力に溢れ、ダンスも学力も優れている方こそ、王妃に相応しいと思うのです。私ではレオン様に恥をかかせるだけですもの」
貴方の事を思って言ってるんですよ、とアピール。これなら私が嫌がっているとは気付かれないはず。
「ならば努力すればいい」
「え」
「王妃になる為に足りないというならば努力で補え」
「え、ですがこれ以上は……」
個人的な能力という物がありまして。今でも充分努力してきてこれなのだから、私は凡人なのだろうと思う。
「私に恥をかかせたくないんだろう? ならばその思いを努力に変えろ。なに、俺専属の教師を貸してやる。1年もあれば充分に身に付けられるだろう」
レオン様の専属の教師といえば、スパルタ式で有名な先生ばかり。 そんな恐ろしい人達に1年間も教えをこうなんて、絶対に嫌!
「い、い……」
「お前の為に専属の教師まで用意するだけじゃなく、これからは社交界でお前を連れて歩く。人脈は必要だ。ドレスなどの様々な費用は俺が出してやる。此処までしてやるのに、まさか断らないよな?」
悪魔のような笑みが深くなり、幻か、背中に悪魔の翼と尻尾が見える。
に、逃げられない。でも此処で諦めたら元の木阿弥。
「ミルフィア様の事は本当によろしいのですか?」
「くどい。何度も言わせるな。ミルフィア嬢には何の感情も持っていない。ああ、妬きもちか」
そんな訳ない!
ニヤニヤと笑うレオン様に苛立つも、そんな感情を見せる訳にはいかず、スカートを握り締める。どうしよう、打つ手がない。
「王妃に相応しい教養が身に付くまで、待っててやるからな」
「なんで、そこまで……」
「どうしてだろうな? さて、アズリシャ。返事は?」
拒否を許さない威圧。足を組み頬をつくその姿は王族ならでは。
「い、い、い……」
「ん?」
「……一生懸命頑張りますぅ」
負けたぁぁぁ。おまけにスパルタ教師を付けられて、今まで以上に鍛えられるなんて!
「結婚式が楽しみだな、アズリシャ?」
身を乗りだし私の髪先を触る。面白そうにくるくると。絶対に遊んでるに違いない。
悔しい! 次こそは絶対に婚約破棄させてみせるもん!
「懲りない人ですね」
レオン様の従者が何かを呟いていたけど聞こえなかった。
ミルフィア様のような人がダメなら、子供向けのお話であったような天使様の使いとか、巫女様とか現れないかな。それだったらレオン様も惹かれるはず。
「……無駄だと思うがな」
頭の中で試行錯誤している中、いつの間にかレオン様は私の隣にいて腰に腕を回されていた。ひぃぃっ、怖い!
息抜きで書いた流行りもの。王子のキャラが楽しく、どんなに主人公が頑張って婚約破棄させようとしても、手のひらで遊んでるのが目に見えます。
初めての短編、楽しかったです。またいつか書きたいと思います。
読んで下さり、ありがとうございました。