第八話:ガラスグラウンド
『どうする。逃げるか?』
アンジェリカに問いかける。
神妙に浮揚する機躰からは、静かな声が返ってきた。
『ガラスグラウンドって、知ってるか?』
唐突な話題に戸惑う。
『あ、あぁ。オーストラリアに現れた熱量系怪獣の被害だろ。砂漠の三割がガラス化したっていう』
凄まじい高熱にプラズマ化した気流で、空が緑色に曇ったらしい。
砂と風に浸食されたガラスの粉で、オセアニアは今も壊滅的な被害を受けている。
『その、砂漠をガラス化させるほどの高熱を持つ怪獣こそが、GZ型だって言われてる』
『……嘘だろ』
その怪獣は国連軍の多大な犠牲と国費を引き換えに撃退した、というのが公式発表だ。
『撃退したのは本当だ。でも怪獣は死んだわけじゃない。むしろ、見逃してもらった、ってのが本当のところだ』
GZ型の特殊捜索隊は、そんな機密を滔々(とうとう)と語る。
今そんな話をすると言うことは、他でもない。
『あれが……、GZ型だって?』
ゆらゆらと水底に見える影は、恐ろしく大きい。
そしてこの場は、真冬の南極において唐突に、真夏のように晴れている。
GZ型が熱量系の怪獣だというなら、充分にありうる話だった。
『隼人。怖いだろ?』
『怖いな。そりゃ怖いさ』
砂塵がプラズマ化するような、恒星級の高熱だ。
まともにさらされれば、機躰も無事では済まない。
『怖いなら基地に戻ってこのことを報せてくれ』
ふわり、とアンジェリカが前に出る。
『あたしは行く! たのんだぞ、隼人!』
『待てっ、アンジェリカ!』
アンジェリカは左右にジェットを吹かし、ふらふらと不安定な突撃を仕掛ける。
安定をジェットのみに頼るのは、推進器の操作だけで機躰の姿勢全てを操るためだ。
無軌道な動きとは裏腹に、彼女の機躰は迷いなく突撃銃を腕に構える。
あの綱渡りのような動きは、見覚えがあった。
血気盛んで勝負に逸る単細胞。
……確かに、俺はアンジェリカとよく練習試合で立ち合っていたらしい。
水面が爆発したように弾ける。
機躰を傾げ、速度を保ったままぐるりと三回後転したアンジェリカは、海面から飛び出した蛇の顎をすり抜けていた。
放たれた氷柱の銃弾が、蛇の頭から胴へ薙ぎ払われる。
頭に無数の穴を開け、蛇はくるくると揺れて氷に倒れた。
『やっ、やっつけた!』
『ひとつ目はな』
機躰の――“ステラ”の肩を引いて、バランスを崩す。
すっ飛んだ彼女は、はるか後方で姿勢を整えた。
『な、なにすん』
顎を空振りさせた二つ目の蛇を照準し、トリガー。銃撃をフルバーストで浴びせる。
身をよじった蛇は射線から逃げて、再び氷河に隠れてしまった。
……なるほど。
アンジェリカの対GZ型精鋭部隊という自称は確かなようだ。
ちょっと悔しい。
『は、隼人……?』
『悪い、逃がした。あの頭、いくつあるんだろうな』
アンジェリカが氷山に縫い付けた蛇頭は、ず、ず、と血の跡を引いて少しずつ動く。
どうやら群生ではなく、多頭蛇の類いらしい。
『待て、隼人っ! オマエ……コイツに頭が複数あること知ってたのか!?』
『んなわけないだろ。それなら最初から本体の胴を探してる。こんなヒュドラみたいな怪獣、見るのも聞くのも初めてだ。……まさか、本当に頭が再生したりしないよな?』
『あたしが知るかっ!』
そりゃそうか。
見たところ潰された頭の組成が再生される気配も、自切する気配もない。
『そんなことより訊きたいのは、どうして隼人は蛇の頭が複数あるって気づいたのかってことだ!』
『簡単だ。こいつはGZ型じゃないからな』
『はっ……?』
アンジェリカがカクリと銃口を下げる。
『気づかないか? 海水温は、今ゆっくりと下がっている。この怪獣が熱源なら、全力の高熱を発していないにしても、温度が下がるのはおかしい』
氷を溶かし、壁のような気圧差を生じさせる怪獣だ。
天文学的な高熱に耐える体組織が、氷点下への温度変化にまで耐えうるとは考えにくい。
人間の体ならば、45℃を超えれば酵素が死ぬし、20℃を下回れば命が危ないのだ。
虫や魚などの変温動物ならば体温の変化は大きいが、彼らは自ら熱を生み出さない。GZ型は該当しないだろう。
つまり、温度を保つことはあれど、下がることはあり得ない。
そして、ここから先の推論がアンジェリカへの回答となる。
『二つ目、これは後出しの理由だけどな。アンジェリカを襲った蛇。機躰の腕くらいしかない太さってのは、どうにも不自然だ。何せ、海上から影が視認できるほど巨体な怪獣だぞ?』
象の体にハムスターの頭をつけたようなものだ。
不釣り合いすぎて気持ち悪い。
だが、そのハムスターが象の鼻先として生えていたら? それ自体の不気味さはともかく、大きさの差に違和感がなくなる。
『だから、この怪獣の正体は、蛇の頭を触手として持つ、イソギンチャクかタコみたいな怪獣だ』
ざざざざざ、と、まるで正解のファンファーレのように。
海面を弾いて生えた、数えきれないほどの蛇頭が、ゆらゆらと鎌首を揺らしながら俺たちを取り囲んでいた。
『なるほど』
危地において楽しそうに、アンジェリカは両手に武器を構える。
シャコ、と音を立てて銃剣が飛び出した。
『やっぱり隼人は、あたしがライバルとして見込んだだけのことはあるな』
『そりゃどーも。アンジェリカは、この数でもやれるな?』
『|がいしゅういっしょく(鎧袖一触)』
頼もしい答えだ。
冷えた空が崩れ始めて、雪の破片が舞い込んでくる。
瞬間、
堰を切ったように蛇が殺到した。
鉄色の嵐が湧き上がる。
イワシの群れにも似た蛇頭の怒涛を押し返していた。
自らバランスを崩し、駒のように旋転するアンジェリカだ。蛇を撃ち抜き、銃剣で切り裂き、足で蹴り飛ばして頚をへし折る。
俺はアンジェリカの背後を撃ち、傾いだ蛇にとどめをさし、目眩ましで銃剣の的を増やす。
まさに嵐のような暴虐が、数で圧倒しようとした怪獣を、それ以上の手数で蹂躙していく。
一瞬、
群れる蛇が『なびく』。
その瞬間を俺は待ちわびていた。
『アンジェリカ、任せた!』
『おうっ!』
嵐の少女が舞い上がる。
蛇が上を向くと同時に、俺は雪虫を氷海に沈めた。
宝石をばらまいたような水泡が弾けて囲う。
視界とレーダーが断絶する。
ジェットエンジンの吸気口が水を吸い、咳き込むように水泡を爆発させる。
しかし、怪獣を素材とするこのエンジンはこの程度で壊れる代物ではない。
吸気口はそのまま水を吸い込み続け、エンジン内部に水が充填された。
「行くぞ……!」
歯を食いしばって、指をスロットルに添える。
再点火。
怪獣の器官を利用した発熱構造は、限定的に密集させた空間において驚異的に、燃料の混入を必要とせず空気の容量を膨張させる。
その威力は、
突沸した水が行き場を失い、内発した水蒸気を伴って、排気口から噴出する。
ジェット水流。
「ぐぅ、くッ!」
爆発的な推進力に蹴飛ばされ、機躰は水中にあって水の壁に衝突した。
手足が持っていかれそうな抵抗を繊細にさばき、触手の包囲を飛び越えて、その収束点へ。
レーダー波が乱反射するノイズのプリズム。
濁った水の向こうに、怪獣の影が見えた。
氷を身にまとうヤドカリにも似た、イソギンチャクのような、何だろう。
なんでもいい。
構えた砲口を中央の口に向ける。
質量にぶつかって減速する衝撃で、バクンと体が揺れた。揺れながら、トリガーはしっかりと絞る。
粘弾は水中でも無事に砲口から吐き出され、怪獣にぶつかり、その形状を崩した。
すべての計器が勝手を示す。
一瞬で天地が消滅する。
体が木の葉のようにふっ飛んだ。
砕けた水が機躰から散らばっていく。
根本からちぎれ飛んだ触手が絡まって沈み、
雲は雪崩を打つように倒れ込んで吹雪で押し包み、
それらを突っ切った、鉄色の砲弾が機躰を直撃した。
もう何度目かもわからない、運動ベクトルを反故にする激突に、意識は朦朧と揺れる。
吹雪に閉ざされた中、子を抱くように担がれて、真っ直ぐ基地へと飛翔する。
機躰ごとそんなふうに運ばれていると気づいたのは、ずいぶん遅かった。
『……アンジェリカ?』
『この、すかぽんたん!』
懐かしい語彙だ。だが既出だ。
『いくら機躰が頑丈でも、搭乗者は無茶についていけないんだぞ!』
『お前には言われたくないな……』
苦笑とともにグリップをひねる。
軽くアンジェリカの機躰を叩いて、下ろしてもらった。
エンジンを空吹かしして水気のすべてを蒸発させ、再びジェットエンジンとして稼働させる。
このジェットだけを頼りに、まるで殺陣か舞踏のような、無茶苦茶な機動をして戦うのがアンジェリカその人だ。無茶でなくて何だと言うのか。
『あたしはいいんだよ、それが出来るんだから!』
確かに、蛇に外した弾は射撃数の半分以下だ。
直立してなお動体目標に命中させるのは難しいことを鑑みて、超人的な動体視力と制御能力と言えるだろう。
分析力の高い“ステラ”と併せ、特殊部隊に選抜されるだけの素質は備えている。
『そういえば』
その辺まで考えて、ふと疑問にたどり着いた。
『なんで俺なんかを気にしてたんだ? 名前を知るだけでも手間だったろうに』
アンジェリカが言葉に詰まった。
“ステラ”が揺れて機躰が離れそうになったので近寄る。高速機動中は少しの誤差が命取りだ。
『お前が……』
『ん?』
『お前がっ! あたしを、簡単にあしらったからだっ!』
アンジェリカの怒声が爆発した。
『あまつさえ、あまつさえ試合のあと、言うに事欠いて、あたしを、楽な相手だって……このあたしをッ!!』
憤慨そのものといった声が通信機から溢れて跳ね回る。
音量の自動制御がキイキイと音を立てて働いている。
機躰の制御を保つのに苦労した。
『……えーとそれは、練兵時代の試合のことか?』
『とうぜんだっ!』
そういえば確かに、アンジェリカとよく試合になって……勝つのは、とても簡単だった。
もともと機躰を不安定にしているのだ。
そこを小突いて揺らせば、姿勢の制御が必要になる。立て直すまでは格好の的だ。
『あれはお前が悪い』
『教官にも言われたっ!』
やっぱりか。
だいたい、アンジェリカが俺と同じ成績というのはおかしいのだ。彼女のほうが極限まで機躰を制御できる。
いくら機躰をうまく使えても、使い方を間違えていればうまくいかない。
単細胞で直情径行、軽率で洞察する前に動く。
アンジェリカの短所は、長所を多い尽くして余りある。
『……お前、本当に特殊部隊のみそっかすなんだな』
『隼人までそんなこと言うなぁっ!』
アンジェリカの悲鳴が響く。
思わず、先ほどの死闘も忘れて笑ってしまった。




