第十六話:祈り
パッドに角度をつけ、ペダルを蹴り込み、グリップを持ち上げてトリガーを絞る。
サイドステップで怪獣の爪を掻い潜った機躰が、すれ違いざまにアサルトライフルの連射を刃として、サソリのような胴部を断ち切った。
ペダルを蹴り込む。機躰はサマーソルト気味に後方宙返り。
頂点でひねりを加え、インメルマン・ターンで兎と亀を混ぜたような怪獣を飛び越える。
動作の隙間に撃った粘弾の爆発が、既に遠い。
「怪獣が連携してるにしても、多すぎるだろ」
まとも交戦していたら、俺の体がもたない。
最初にレーダーノイズを二つ同時に確認した瞬間から、まともに戦わないとを決意した。それでも六体ほど銃火を交えている。
異常な数と密度だった。
一号丸の予定航路が正しければ、そろそろ基地が見えてくるはずだ。と思った瞬間、レーダーが反応を捕えた。
基地ではない。
壁、……熱? 反応が増減、いや脈動している。
怪獣。
吹雪を焼き付くして、視界が晴れた。
黒々とした偉容、南極基地を足蹴にする巨大な『生命体』がそこに在った。
巨体に対して切り株のような足に、巨大な尾。胴からはいやに人間めいた腕が生え、四つの爪を揃えている。
表皮は爛れたように黒く、刺のように生え揃った背鰭は白く色が抜けて不気味に冷たい。
金の瞳を持つ頭蓋は、鰐より短く、獅子より平たい。頬のないむき出しの牙は蒸気の吐息を漏らしている。
――GZ型。
「って、ゴジラかよ」
失笑する。
笑うしかない。
00年代以降モデルのシャープなゴジラが、小都市並みの基地シェルターに爪を立てて、引き崩している光景など。
と、GZ型に気を取られてアラートを見逃した。
横っ飛びに障害物をかわし、
「今のって、嘘だろ」
グリップをひねって旋回する。可能な限りの急減速。蹴散らした雪が大きく飛沫をあげて散った。
何度も反応を確かめる。
友軍信号も熱源反応もない。だが、間違いなかった。
そこに埋もれているのは、機躰の残骸だ。
近づけばよく見えた。
特殊部隊の機躰。
片腕と両足を失いながら、肩に記された雷のマークが誇りのように掲げられている。
……いや、違う。
腕に抱えたカプセルを庇うように、倒れているのだ。
カプセルに手を伸ばす。人間を丸めて詰め込めそうな銀の円柱は、スライドカバーが開いている。
中にあるのは、
「生肉……?」
蜘蛛の巣に絡まって磔にされた肉片に見えた。
ドクン、と心臓が弾む。
――大気が揺らめく。
――体表面を爆破される。
――皮膚が飛び散る度に、内側の細胞に役割を代替させていく。急速に分裂した細胞が体積を増して、新たな皮膚を押し上げる。
――外皮も内臓も、そして『わたし』も、
――すべてが彼女であり、不可分だ。
「っくそ!」
グリップから手を離して、HUDを叩いていた。
ショック症状のフラッシュバック。
接続中に起こるのは稀だが、皆無ではない。拓也もこれにやられたのだ。
肉片から伸びる白い筋は、当然ながら蜘蛛の巣ではなかった。単なる肉の腱だ。
筋肉は行使される性質上、磨耗しづらく代謝が遅い。つまり変化しにくい。スポーツ選手が怪我で引退するのは、その体細胞が完全な組成まで快復しないからだ。
しかし、『これ』は再生先を求めるように野放図に伸び、変形していた。カプセルの金属に触れて、角質に変質した。金属との接触面は、体細胞で最も硬質なエナメル質――つまり歯と同じ物質――のようだ。
これは負傷させたGZ型の肉片であり、GZ型の標本だ。
そう。
GZ型の体組織は、環境に適した性質へと容易に変わる。
全身が「胚と同様の万能細胞」に戻りうるのだ。
対GZ型の特殊部隊は、ただの捨て駒などではなかった。
GZ型のアキレス腱を調べるための、そのための交戦でもあったのだ。
「こいつは請け負った」
釣り鐘型のカプセルを持ち上げる。
GZ型は、空っぽの基地本部をくしゃくしゃに掘り返すことに夢中だ。
第二格納庫は……半壊。
一も二もなく、スロットルを開けて跳躍した。
GZ型が長居したせいか、基地の回りは薄く霙が降るばかりだ。
怪獣の視細胞なら問題なく見通せる。
二号丸は密かに活動していた。
GZ型の挙動を探りながら、機躰を数機出して邪魔な瓦礫を退けている。もちろん、GZ型からの視界を妨げる瓦礫を残して。
「急いで、ほら! 左舷が座礁しちゃう、シールド近くの壁を取って! 邪魔なところだけ切っちゃえ!」
甲板に出て無線機に気炎を飛ばしているのは、よりによって澪だ。
二号丸に乗ったのは主に専門職員で、士官が不足したためだろう。被害が比較的少ない砕氷船前部の指示を担っていた。
対GZ型特殊部隊は、各所に身を隠して待機している。二号丸の脱出準備が整うまで、息を潜めているようだ。
澪が振り向く。
俺に気づいた――のではない。
他所を向いているGZ型の強靭な尾が、基地の壁を強かに打ったのだ。
砕けた壁が、質量の塊が、失敗した円盤投げのようにくるくると回る。裂けた格納庫の砕氷船に、澪の上に落ちていく。
澪の目が見開かれるのが見えた。
とっさに、グリップを握りしめてスロットルを全開にする。
目が眩んだ。
だが、手応えはあった。
ばす、と遠くで雪が弾けた音がする。
極端な急加速と急減速で、脳みそが頭蓋骨のあちこちにへばりついたようだ。気持ち悪い。
眩んだ目が少しずつ息を吹き返す。
澪の目は、瓦礫を迎える以上に見開かれていた。
「……隼人、なんで!?」
『助けに来た』
言って、自分で笑う。俺の柄じゃない。
甲板に着陸し、カプセルを置いてコックピットハッチを開ける。
雪焼けしそうな光に目を眇めて、
がん、という音とともに視界が失せ、胸を叩き潰された。
「隼人っ!」
澪がハッチを蹴り上がって、飛び込んできたのだ。
「隼人、隼人ぉ……っ! もう会えないかと思った……!」
接続された機躰の視界が邪魔でよく見えない。五感が遠い。ヘルメットを上げようとして、
「ダメ。下手に接続を切ったら、隼人が危険だよ」
声が潤んでいるようだ。
「澪……よく見えないんだ。怪我はないか?」
「大丈夫だよ。隼人のお陰で擦り傷ひとつない。こんな簡単に死んじゃうんだって怖かったけど、隼人が助けてくれた」
無事を知らせるように、澪は俺の胸をさすってくれていた。感覚が遠い。紙の向こう、あるいは乾いた紙粘土を擦られているような感じだ。
――あぁ、煩わしい。
「あっ、隼人ダメ!」
澪の叫びを振り切って、ヘルメットをひっぺがした。
冷気が顔に直接かかる。
呆然と口を開ける澪がそこにいた。潤んだ瞳がいつにも増して手弱女ぶりを印象づける。
分厚いファーコートを着る彼女は、どうやら確かに無傷のようだ。
澪の体重が、体温が、俺の上にのし掛かっていた。
澪の命がここにある。
「ずっと、」
もう何も考えていなかった。
「ずっと言い訳を探してたけどな。やっぱり限界だ」
俺が機躰の搭乗者だから、とか。
澪が次代の麒麟児だから、とか。
俺はもう「なんとか隼人」じゃないから、とか。
どんな理由も障害も、結局、最初からなんの役にも立たなかった。
「俺は搭乗者だから、怪獣に変質させられたかもしれない、いつのどこの誰なのか知りゃしない。ひょっとしたら、澪の知ってる『隼人』とは別人かもしれない」
澪は小さく首をかしげた。瞬きも忘れて俺を見ている。
いつからかなんて分からないし、キッカケがあったとしても覚えていない。俺は本当に『隼人』じゃない『何か』なのかもしれない。
「けど、今ここにいる『俺』が、お前を好きにならないなんて、もう無理だ」
いつだって、たとえ別人に変質していたって、そのときその瞬間から、否定しようもなく『そう』なのだ。
「澪。俺はお前が好きだ」
澪は息を呑んだ。
硬直した拍子に、涙が頬を転がる。宝石のような粒に指を当てると弾けて消えた。
GZ型がいなければ、澪の睫毛は凍っていたかもしれない。
澪の顔は、くしゃりと歪んだ。涙がぽろぽろと溢れる。
「バカっ! なんでこんな、とき、に……っ!」
「散々、お前が誘ったんじゃないか」
細い肩に手を乗せて、抱き寄せる。今度は拒絶されなかった。
「そりゃ、そうだよ」
澪はまるで、言い訳するようにささやいた。
「私だって、『そう』なんだもん……隼人のこと、好き、なんだから」
胸から熱い気持ちが突き上がった。
しかし、感情としては狼狽が先立ったらしい。気づけば情けないことを口にしていた。
「え……それ、本当に?」
こくん、とうなずいた澪は真っ赤な顔で、上目使いで俺をにらむ。
「好きでもない人に、できるわけないじゃん……あんなこと」
あんなこと。
水着姿を唐突に見せてきたり、アンジェリカにライバル宣言したり、甘えてみたり。
「って、ことは」
それらは、なんのてらいもひねりもなく、すべて『そのまんま』だった。
最後に取り澄ました「これは冗談ですよ」という表現をつけ加えただけで。
「お前、それはズルいだろ!?」
澪は驚いたように飛び起きた。
「ず、ズルいって何よ!」
「そんな嘘が許されるんなら、俺だってお前を可愛がりたかったっての! お前自分ばっかり好きなように!」
「それは、別に隼人がただヘタれただけじゃん! そりゃ……確かに、最初はさ、怖くなって蹴っちゃったけど! でも、それでもう一切手を出さないとか思わないじゃん!」
澪は顔をさらに赤くして焦ったように叫び返した。多少は自覚があるらしい。
ばふ、と澪は頭突きするように俺の胸に顔を埋めた。
ふて寝するように。
ここなら大丈夫、と気を緩めるように。
澪の冷えきったこぼれ髪が頬に触れる。
ががん、と遠くで崩れる音がした。あまり悠長にしている時間はない。
「……澪、頼みがある」
「なに?」
「『助けて』って言ってくれ」
澪が訝しげに俺を見た。
彼女の瞳に笑みを返す。
「困ってる好きな女の子を助けるのは、男の子なら『誰だって』憧れる」
俺と、そう。
俺のどこかに消えたフルネームの隼人だって、きっと。
澪は得心したような、呆れたような顔で笑った。
「お願い。……助けて」
「任せろ」
強く笑って、澪を離した。
耐Gスーツに吹き込む冷気に身が引き締まる。
「あのカプセルを艦内にやってくれ。GZ型の一部だ。それと、『アーセナル』のとびきりいいヤツを一基出してほしい。この船の装備が標準なら、あるはずだろ?」
「ん、分かった」
ずりずりとコックピットから降りる澪。
彼女を連れて戦えたら格好いいが、現実は厳しい。
「艦内に戻ったら、避難勧告と進水準備を頼む」
「頼みごとの多い騎士様だなぁ」
「申し訳ない」
まったくその通りだ。
甲板を走ってカプセルを抱えた澪が、振り返った。
「私からも、もうひとつ」
「なんなりと」
「無理しないで……死なないで。帰ってきて。絶対に」
澪の顔は少し強張っていた。
彼女の恐怖をほぐせるように、せめて笑みを送る。
「当然だ」
コックピットハッチを閉鎖する。
ヘルメットを被り、目を伏せた。
無音が耳に響く
勝算なんて何もない。
しかし、やはり。
算段や作戦なんて、どうでもよかった。
どうあっても、なにがあろうと、何もかもをなんとかする。
「頼ませたもんなぁ。『助けて』って」
たとえ俺が誰であろうと。
グリップを握りしめて、口にする。
祈りを。
「接続!」