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怪獣とロボットの競演<コンピート>  作者: ルト
第一章:GZ<すべてのはじまり>
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第十二話:予期された奇襲

 澪とのいざこざは有耶無耶になった。

 拓也が遠征哨戒任務に出てから、急にアンジェリカが隙を見ては付きまとってきたからだ。

 すると、アンジェリカの前では俺が好きという設定で振る舞う澪が「アンジーばっかりずるいー」と間に入る。

 ギクシャクする暇もない。

 そうかと思えば、ときどき澪の背中はびくついていた。話題を避けたがっているように。

 そうして、なんとなく水に流された。

 平穏な、内心穏やかではない日々が刻々と過ぎ、アンジェリカの様子が露骨におかしくなっていく。


「なんでお前が変になるんだよ」

「いやっ! えっ? なんでもない!」


 明白な嘘だった。

 目が縦横無尽に泳ぎまくって、一人で「あっち向いてホイ」を戦っているかのようだ。

 熱に浮かされたような視線を食堂の壁掛けカレンダーに注いでいたり、俺を引っ張って目的地もなく廊下をさ迷ったり、そんな奇行が増えることは「なんでもない」とは言わない。


「……バカ隼人っ!」


 謂れのない罵倒を浴びせ、アンジェリカはついに食堂を飛び出した。


「本当、何なんだ?」

「さぁ……。あそこまで変だと、さすがに心配だね。前も落ち込んで廊下を歩いてたし」


 澪も首をかしげる。

 すぐに首を戻して、席を立った。


「さて、じゃあ私は整備に戻らないと。またね」

「あぁ、無理するなよ」


 ニコッと笑って俺の言葉を受け流し、小走りで食堂を出ていく。

 休憩時間のギリギリまで粘っていたらしい。あれでは呼び止められない。


「最近、こんなことばっかりだな」


 天井を仰ぐ。

 茶色いシミが、つかみどころのない雲のようにパネルの際を這っていた。


「隼人っ!」


 声に飛び起きる。

 出ていったはずのアンジェリカがいた。

 息を弾ませている。出ていって、一巡りして戻ってきたらしい。


「隼人、このあと! 空いてるか!?」

「え、まあ」


 気迫に圧されて頷いた。

 食堂を少し離れると、廊下に人の気配がなくなる。

 並々ならぬ気合いとは裏腹に、こうして誘われて廊下を歩くのは初めてではない。

 アンジェリカのおかしな症状の最たるものが、この無目的的な徘徊だ。


「何の用なんだ?」

「いいから、はやくあるけ。なんなら走る」

「走らなくていい」


 断熱が崩れたり調子が悪かったりする箇所は霜が降りているので、たいへん危ない。

 さておき、今回は普段と違って目的地があるようだった。

 その見当は、すぐについた。

 ひと気のないほうへとひたすら真っ直ぐに進む、その行き着く先は一つだ。

 観測台。


「いいだろ! こないだ、偶然見つけたんだ! あれっ? あんまり驚いてないな」

「……まあ、知ってたからな」


 なぁんだ、とアンジェリカはがっくり肩を落とす。

 その姿の向こうに、見慣れたベンチと望遠鏡が見えることに、奇妙な動揺があった。

 しんと冷ややかな空気が胸をざわつかせる。


「それで、こんなところに連れてきて、何の用なんだ?」

「うっ」


 アンジェリカは息を詰まらせて、指を胸の前にさ迷わせる。顔や耳がみるみるうちに真っ赤に染まっていった。

 その姿を見て、気づかされる。

 たぶん、俺は薄々気づいていたのだ。

 アンジェリカは深呼吸して、胸を落ち着かせるように手のひらを置く。

 年相応の少女然とした仕草は、意識してのものではないだろう、守り支えたくなるような儚さがあった。


「あの、あのな」


 たどたどしく口を開く。

 聞きたくなかった。

 聞き遂げなければならなかった。

 俺は誰に呪いを吐けばいいのか、それだけを考えて、アンジェリカが言葉を整理するまでじっと待つ。


「あのな! 隼人。あたし……隼人のこと、好き……みたいなんだ」


 知らず、指が震えた。

 心臓を直接叩かれたように、胸が震えている。

 源泉も種類も分からない感情が、吐き気のように込み上げて強く心を揺さぶった。


「あのな。あたしもよく分からないんだけど……隼人といると、楽しいって思う。離れると、また会いたいって思う。駆け戻ってまた話せたらどんなにいいかって。おまえは優しいし、よくしてくれるし、だから、あの……」


 へどもどと言葉を重ね、言葉を継ぐ度に言いたいことから離れるようで、首を傾ける角度が増していく。

 冷たくよどんだ空気がぞわりと体を包む。

 のぼせそうなアンジェリカは弾かれたように顔をあげた。


「あっ、だからな! 隼人、あたしと、付き合ってほしい」


 覚えたての言葉を(そらん)じるように口走って、アンジェリカは俺を見た。

 蒼穹よりも蒼い瞳が、

 一秒と目も合わせられず頭ごと伏せられる。

 うつむいた先に何を思い描いているのか、手足がそわそわと落ち着きをなくす。


「つ、付き合うって、その、つまり? なにをするかっていうと、えっと」


 うきゃあ、とアンジェリカは頭を抱えて照れた。

 恋愛の苦手な彼女には、この会話の先がもう想像の許容範囲外らしい。

 空寒かった。

 途方もない無力感に全身を縛られた。

 この無垢で素直な姿を守りたい。

 けど、そのためには?

 口の中に苦い味が広がって、自分が頬の肉を噛み締めていたことに気がつく。

 どうすればいい?

 俺はどうすればいい?

 絶望的な思いで、アンジェリカの旋毛を見おろす。

 冷たい空気がジャケットの隙間から忍び込み、体温を削っていく。

 俺には。

 俺は、この純粋な少女に、嘘をつく答えしか持っていない。

 寒さ以外の何かで震える唇を、開く。


「アンジェ……」

「うあぁあ!!」


 突然。

 アンジェリカが猛然と駆け出した。

 怪獣でも現れたかと周囲を窺ったが、見慣れたベンチと星図と望遠鏡があるだけだ。

 そこを真っ赤になったアンジェリカが目をつぶって駆け回る。

 彼女が逃げているのは、現実からだ。


「あっ!」


 結露した床に足を取られた。

 アンジェリカは驚異的なバランス感覚でスケートのように滑り、ゆっくりと背中側に傾いていく。

 伸ばした腕が間に合った。

 小さな体躯は、俺の腕にすっぽりと収まる。

 大きく見開かれたアンジェリカの目は、湖面のような蒼で俺の影を映していた。

 腕に触れる細さが、熱い。

 見えない針金で結ばれて、アンジェリカから視線を離すことができない。


「アンジェリカ」


 びくり、と腕に抱える小さいものが震える。

 俺は、この状況で、口を開く。


「すまない」


 アンジェリカは言葉を掴み損ねていた。

 逃げた鮭を見送る子熊のような、不思議そうな顔で俺を見上げる。


「俺はお前の気持ちに応えられない。お前とは付き合えない」


 えっ? と。

 ほとんど呼気が漏れただけのような声を、アンジェリカは上げた。


 俺は、


「好きな人が、いるんだ」


 嘘をついた。


 見開かれたアンジェリカの湖面のような瞳に、波が立った。

 それは小さな目蓋の縁を、容易く溢れて転がり落ちる。


「え、あ……うあっ」


 アンジェリカは心臓がワイヤで絞られているかのように胸をきつく握る。

 喉に拳を詰められたかのように喉を押さえる。

 殺されているかのように、アンジェリカの小さな体がもがいた。

 俺を突き飛ばした手に力はなく、ただ自分の体を俺から滑らせただけだ。

 ごつんと後頭部が床に当たる。痛みに耐えかねたかのように、涙がぽろぽろと頬を転がっていく。

 苦いものを飲み下す。

 胸の痛みは錯覚だ。俺も望んだわけじゃない、と自分に言い訳するための。


「知らない……! こんな、苦しい……知らないっ! いらない……っ!」


 床を這うアンジェリカが、歯を食いしばって呪う。

 膝を立てて、袖で(はな)を拭って、走り出す。

 体ごと当たるように鉄扉を開けて、逃げるように駆けていった。

 逃げているのは俺からだ。

 自分が怪獣になったようだ。

――あるいは、似たようなものかもしれない。


 呪うべきは俺で、呪われるべきは俺だけで、呪われているのが俺だった。

 たとえアンジェリカをけしかけたのが拓也であれ、遠征から帰るまでに告白するよう宿題を課されただけであれ。

 たぶん、拓也にアンジェリカへの手出しをやめるよう言ったあの日、彼は既にけしかけていたのだ。そして、アンジェリカの反応を見ていた。いずれは告白すると予見していた。

 宣言どおり、アンジェリカの背中を押したのだろう。その結末を予想だにせず。

 結末を選んだのは、俺だ。

 アンジェリカを断ったのは、俺。

 だから、この結末は誰にも押し付けることができない。

 吐いた息が、嫌になるほど熱かった。


 ある一面において。

 俺に好きな人がいる、というのは嘘ではない。

 澪に対して、それに近い複雑な感情を抱いていることについては、間違いないからだ。

 だが、その他の重要な側面が、俺の感情に真実性の一切を失わせている。

 つまり、俺は機躰の搭乗者である、ということが。

 装甲という鋼鉄の拘束具に縛られた怪獣――機躰。

 その怪獣と接続する人間。

――あるいは、人間だったもの。


 アンジェリカのように適性が高ければ、違ったのかもしれない。

 しかし、俺はそうではなかった。

 消耗品に限りなく近い人間。接続リスクを担う道具。機躰を動かすイグニッションキー。部品のひとつ。

 母語をすり替えられたロシア人がいる。

 彼は、自分の脳が機躰によって書き変えられたことに気づかないまま、二階級特進して退役した。

 俺の記憶が書き換えられていないと誰が保証できる? 俺の人格が変わっていないと誰が言える?

 俺は苗字が認識できない。

 俺は間違いなく一度、機躰を、怪獣こそを自分自身だと認識した。

 俺の記憶も感情も、俺自身のものかどうか、確かめるすべなどありはしない。

 腹を撫でる。

 機躰を降りる度に襲われる『異物感』。

 怪獣は経口摂取の食事をしない。消化器官を持たないからだ。


 これは弱さなのだろう。

 今ここにいる「俺」にとって、「隼人」はもう、「自分」ではないかもしれない。

 それは分かっていたことなのに。

 俺はまだ、隼人でありたい。

 拓也や澪、アンジェリカと近しくありたい。

 その甘えが、澪とアンジェリカを傷つけたのに。

 凍えた鉄扉が甲高く軋む。


「……ここにいたんだ。あれ、アンジーは一緒じゃないの?」


 澪が顔を覗かせている。

 俺を見て、彼女は顔を曇らせた。


「何かあった? ――隼人」


 その声に、呼び方に。

 俺は思わず薄く笑った。


「――ああ。いや、何でもないよ」


 そう応える。

 さも当然のように。

 アンジェリカのことは、今はそっとしておいたほうがいいだろう。少なくとも、俺はなにもできないし、すべきじゃない。

 澪は少し首をかしげ、気を取り直したようにうなずいた。


「ハンガー来れる? ちょっと大変なことになって」

「どうしたんだ?」


 それはまるで報いのように。

 澪の口から報された。


「たっくんが、拓也くんが帰還してない。消息不明だって」


 血の気が引く感触がした。


 ふいに思い出す。

――怪獣が流す血の色も、赤い。

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