第十一話:零れ落ちる想い
南極基地は、GZ型を警戒している。
考えてみれば、異常は明白だ。
半年間続く猛吹雪、連続した大幅な増員、さらには特殊部隊の派遣。
さらに輪をかけて異常なのは、怪獣遭遇率の増加だ。
怪獣との交戦によって哨戒途中で帰還する機躰は増加する一方で、もはや決められたローテーションは意味をなさなかった。
二日に一度犬に噛まれる生活は、あまり穏やかとは言い難い。
異常なことが起こっている。
それはつまり、怪獣の関与を意味する。
基地がGZ型を意識して動いているのは、無言ながら明らかだ。よく考えれば分かるはずだった。
そして、機躰の出撃が急増すれば、負担はパイロットのみならず、整備員にも集中する。
当然だ。
だから、不思議なことではない。ある程度は想定して然るべきだ。
顎に伝う汗をぬぐいながら、自分にそう言い聞かせる。
「そんなに私のこと心配してくれたんだ。ありがと」
ベッドに膝を立て、掛け布団に愛らしく頬を乗せて澪はそうささやいた。
「でも、着替えるから少し出てもらってもいい? 男の子と会うのに、汗臭いのは嫌だよ」
本音を匂わせる、くすぐったそうな微苦笑。
そうして俺は追い出され、澪の部屋の前に突っ立っている。
掌を描いた解錠パネルを見る。
澪は俺の静脈パターンも鍵に登録していた。オーナーの承認に関わらない最大権限で。
なんてやつだ、と顔をしかめる。
この解錠パネルに手を乗せれば、澪がどんな状況であろうと扉が開く。
たとえ着替え中であっても、入浴中であっても、就寝中でさえも。
機躰から降りた直後特有の胃のむかつきに、胸を押さえる。
まったく、なんてやつだ。
珍しく完遂した遠征哨戒から帰って、出迎えた男性整備員に驚いたのは失敗だった。
体調を崩して寝込んだ澪のことを教えられ、泡を食って駆けつけた。その結果があれだ。
元気そうで安心した。
「入っていいよ」
かすかな音を立てて、扉が開いた。
ピンクの小花柄をしたパジャマ姿の澪が困ったように笑っている。
「本当はシャワーを浴びたいところだったけど……」
「ダメだ、体調が悪いときにそんなもん」
これだもんなぁ、と澪はため息をついてみせた。
このやり取りはお約束。小言を言うのがどうやら俺の役割らしい。
澪はチラリと解錠パネルに目をやる。
「ちょっとくらい覗いてくれたほうが、女の子としての面目が立つんだけど」
「女の子がそんなことを言うもんじゃない」
「言うものだよ、女の子って結構打算的だから」
シビアな現実を突きつけながら、澪は扉の前に掛けられたカーテンを束ねた。
女の子らしいベッドやクッションと、実用本位なパイプデスクや金属ラックが同居する部屋。
モザイクピンクのクッションを借りて床に腰を下ろす。
「体調は大丈夫なのか」
「よくなってきた」
答える澪は顔色もいいし疲れた様子もない。
「熱はないか? 寒気とか、だるさはないか? 飯の手配は済んでるのか?」
「平気平気、大丈夫」
三言で返事をされた。
「そのぶんなら大丈夫そうだな。じゃあ、俺は戻るよ」
「だめ」
中腰で固まってしまった。
澪は寂しげな顔で俺を見上げ、
にっこりと、悪戯な妖精のように笑ってみせる。
「せっかく来たんだし、暇潰しに付き合ってよ。ただ寝るだけっていうのも難儀なんだよ? それに」
澪は小さな唇を尖らせて、拗ねる。
「こないだの休養日、アンジーと一緒したんでしょ?」
うっ。
と、詰まった時点で俺の負けだ。
「アンジーすっごく嬉しそうに話してくれたよー? 隼人がどんなことしたとか、言ったとかって、一挙手一投足まで」
「なにやってんだアイツは……」
「だから、私とも遊ぼう?」
だから、で何もつながっていない。
が、
「体に障らないものだけな」
止まっていた腰をあげる。この部屋に遊び道具を担ぎ込むために。
なんだかんだ言って、俺は澪とあんなふうに遊んだことがない。
澪ならどんな反応をするのか、少しだけ興味があった。
「へへ、やたっ」
この小さなガッツポーズもその一つ。
さて。
最初の映画から、揉めた。
「おい、澪?」
「あ、ごめん。今のとこ聞き取れなかった?」
「いや、そもそも、なんで倍速にするんだよ」
「え? 別に等速でも倍速でも、聞き取れるなら同じじゃない?」
「全然違うだろ。演技の間とか、息遣いとか……」
「その辺がカットされる超技術じゃないよ。ただの早回しだもん」
多忙な整備士らしい習慣だった。
観ているうちに意外と慣れるから面白い話だが、しかし思い返せばやっぱり早足早口だ。
「面白かったねー。じゃ、次何しよっか」
余韻もなにもあったものじゃない。
「お前やっぱ根っからの技術者なんだな」
「なに、どういう意味。あ、これ宣伝見たことある」
澪が手に取ったのは、機躰をモチーフにした専用携帯機で遊ぶゲームだ。
とりあえず協力モードで開始する。
廃墟を進んで、次々と現れる怪獣を爆発させた。
「こんなに怪獣が出たら地球滅亡だよね。ていうか、なんで爆発しちゃうの? 勿体ない」
リアリティに対し逐一手痛いツッコミを入れつつ、澪は器用に画面の機躰をブーストスライドで地と空を滑らせている。
「うーん。この加速で切り返したら操縦者死ぬよねぇ……そのくせ停止の慣性には寛容だし……」
「これゲームだよ」
そんなやり取りをしているうちに、BGMが切り替わって巨大なドラゴンが現れた。ボスだ。
口が開き、口腔で光の玉が大きくなっていく。
「気を付けろ、このボスは開幕の一撃が……」
「とつげーき!」
澪の機躰が俺の画面にも映る。ボスの真正面。
ブレスに焼かれて吹っ飛ぶ澪の機躰は、真っ赤に点滅していた。
「ちょ、光線? こんな怪獣発見されたことないよ!」
「だからこれゲームだって!」
ゲームだから、澪の機躰はろくに故障もしないで起き上がる。自動回復もするがそれには少し時間が必要だ。
ボスが首を振り上げた。尾の薙ぎ払いモーション。
澪はまだ相手の間合いに留まっている。
「危ねぇ!」
「ぎゃっ! ちょっと何でグレネード当てるの? 死ぬなら俺の手でってこと!? ヤンデレ!?」
「違う、ダウン中無敵時間が入るんだよ!」
射撃硬直で攻撃を食らった自機を立て直す。簡単だ、ボタン一つでいい。
「澪は武装ポイントまで逃げてミサイル系武器に変更してくれ! 俺がタゲを取る!」
ドラゴンの前で大加速。
目前の羽虫を鬱陶しがるように、ドラゴンの攻撃がこちらを向く。
「ミサイル持ったよ!」
「よし、撃ちまくれ!」
澪のミサイルがドラゴンに降り注ぐ。累積ダメージで怯みモーションが入った。
「この調子でダメージを与えていくぞ」
「はーい」
俺の機躰は、オーバースピードでジリジリとHPが減る。だがスピードは緩められない。
ダメージヘイトが高まって澪に狙いが移るたび、パイルバンカーをきっちり直撃させてダウンを取ってリセットさせた。
補給を挟みながら何度もそれを繰り返す。
「次で弾切れー」
「澪避けろ!」
「へ?」
瀕死になっても攻撃モーションのキレだけは変わらない。滑り込みからの薙ぎ払い。
パイルバンカーを当てようとしたが、当たり判定に引っかかって機躰が怯む。空撃ち。
ドラゴンが顎を上げる。薙ぎ払いモーション。
澪はミサイル発射の反動で動けない。
まずい。
咄嗟に、ボタンを同時押し。オーバースピード中に使える突進攻撃で、澪の機躰を吹き飛ばした。
吹っ飛びモーション中はダメージ倍率が下がる。回復に専念した澪のHPゲージは持ちこたえた。
「ちょ、隼人?」
「大丈夫、それより攻撃」
俺の機躰は、オーバースピードでダメージを受けすぎていた。直撃に耐えきれず爆発する。
澪の強力なミサイルは、あっさりとドラゴンに止めをさした。
一人きりの勝利ムービーに、澪はまったく不満そうだ。
「ちょっと、なんであんなことしたの? 接待?」
澪は少し怒っていた。
そこまでゲームを楽しんでくれていたと思うとこそばゆい。
「……モノが機躰だから、なんかな。たとえゲームでも『澪』を死なせたくなかった」
澪は目を丸くして、
不機嫌だと主張するように口を引き結んだ。
「バカじゃないの。ゲームなのに」
「ゲームじゃないと気軽に出来ないだろ」
ぱしっ、と肩をはたかれた。
ゲームに入れ込んでいたのはお互い様だ。
「で、遊んでみた感想は?」
「ん」
澪は少し考えて、小さく笑った。
「一緒に遊んでる感じがいいして、いいね」
「そりゃよかった」
ゲームを終了した画面が夕方の時刻を示す。
「そろそろ戻るか。変に熱中しちゃったし、この調子じゃ邪魔しちゃいそうだ」
「別にいいのに。何なら泊まってく?」
澪がまた、誘惑するように顎に指を添える。
「お前、そういう挑発やめろよな。いい加減襲うぞ」
澪はふいに真顔になった。
ベッドの上で、俺をまっすぐに見る。
「隼人なら、いいよ」
な。
えっ。
はぁっ?
神妙な表情をしていた澪が、苦笑に緩む。
「ほら。固まるんなら、そういうこと言わなきゃいいのに」
澪はからからと冗談を笑うように笑っている。
目眩がしそうだ。
「……あのなぁ。冗談でもやめろ。引っ込みがつかなくなったらどうする気だ」
「それが隼人なら、……嬉しい」
「ぐっ」
この繰り返しは負けしかない。
手のひらで目を覆った。
「軽々しく使っていい切り札じゃないぞ、それ」
「説教垂れないでよね。女の子のこと何にも分かってないんだから」
言われるまでもない。
澪はもちろん、単細胞のアンジェリカすら俺の手に余る。
でも。
でもさぁ。
「だからって、『それ』はやりすぎだ。さすがに、ちょっと、ひどい」
俺は、聖人君子などではないんだ。
覆う手を取れば、パジャマを押し上げる二つの膨らみから目を逸らす自信はない。
澪はじっと時間を置いた。
やがて、ため息のように。
「……そうかもね」
細く、長い吐息が聞こえる。
「ごめん。やりすぎた」
うずくまるような衣擦れの音。
「アンジーが来てから、なんだか気が落ち着かないの。二人きりで一日過ごしたなんて言うし。ずっと私だけの隼人だったのに、なんか、急に他人みたい」
暗く沈んだ、自分を恥じるような声でつぶやく。
「分かってる、隼人はそんなつもりじゃないって。でも私はそう思って……思い上がって、焦っちゃう。最初から、そうだったことなんてないのに、ね」
なんだか本音のような、隠すことに疲れたような声だった。
なんだろう。
「もしかして、俺は告白されてるのか?」
「え?」
澪の声は半音高かった。不意を打たれたかのように。
思わず顔を覆う手を下ろし、
掌の赤が閃く。
打たれた。
頬を、頚ごともっていかれそうな全力で。
自分の体が壁際まで転がったことに気がついた。
「バカ隼人!」
叫んで、澪は部屋から駆け出した。
火照った耳が網膜に焼き付く。
澪の足音が遠くなる。
やがて、その音もかすれて消えた。
家人のいない部屋を見上げる。落ち着きと華やかさを兼ねた、くすんだピンクに飾られた部屋。
「なにやってんだか、俺は」
壁が冷たい。
固い土壌に水を撒いたように、焦れったい鈍さで事態が頭に染み込んできた。
澪を、怒らせてしまった。
もし澪の独白が告白だとしたら。
告白している最中に「それ、私に告白してるの?」とか問い返されたら、俺だって心が折れる。
だが、告白じゃなかったとしたら?
まぁ、怒るだろう。真面目に話しているときに、頭がお花畑な勘違いで水を差されたら気が削がれるし、腹も立つ。
だから、つまり、
……どうなってるんだ?
なんかもう、頭を抱えるしかなかった。