93
5/14 誤字修正
休憩所を強襲してきた賊を殲滅したまではいいが、俺はこの世界に落ちて初めての負傷をし、久しぶりの息切れをしていた。
今の俺の体は、前の世界の一般男性の体ではない。身体能力自体が極端な向上をしている訳ではないが、その代わりに俺の体はVMBのゲームの体となり、疲れを知らぬスタミナと傷を負っても、非戦闘状態で待機するだけで傷が自然回復する超治癒力を手に入れていた。
暗殺者の頭部を真横から前後に分断し、その返り血を全身に浴びていた。むせ返るような血の匂い、生きた証であろう暖かい血の温度を胸に感じながら、暗殺者の死体を俺の胸の上からどかす。
ぐちゃっ
真横で鳴る、あまり聞きたくない音を聞きながら、体の回復状況を確認していく。
左肋骨が折れ、右腹には暗殺者の短刀が刺さったまま、右手は肘の先から無くなっている。仰向けに倒れたまま、まずは右脇腹に刺さる短刀を引き抜く。体全身に走る激痛に喉を鳴らしながら引き抜き、流れ出る血を左手で押さえながら起き上がった。
周囲を確認し、残存する賊がいない事に安堵した。この状態でもう一人、例えそれが子供だろうとも殺される自信が有った。
まずはこの傷を癒さなくてはならない、自然回復を待ってもいいが、1秒でも早く、アシュリーとラピティリカ様を王都へ連れて行かなければならない。彼女たちはまだ、”魔術師殺し”による死の危機は去っていないのだ。
TSSを起動しようと、右手を持ち上げて――
「あっ……」
右手がなく、TSSの起動スイッチを押す事ができなかった……これ、このまま右手を喪失した状態で傷が治るとどうなるんだ? VMBでは四肢の欠損描画などは規制されていて見る事はなかった。この失った右手がどうなるのかわからない、手が生えるのか、このまま傷が塞がり失ったままになるのか。
「まずい……右手はどこだ……」
思わず言葉をこぼし、斬り飛ばされた右手を捜すため立ち上がろうとするが、俺の体は今まで感じた事のない重さ、気怠さをみせていた。
立ち上がれない……息を吐き、新鮮な空気を吸って力を入れようにも、吸い込むのは充満する血の匂いばかり、むせるように咳き込み、折れた肋骨と刺された右腹に激痛が走る。
再び血の池となっている地に仰向けに倒れ、夜空を見上げて息を整えていく。どうやら、やっと自然回復が始まったようだ。左肋骨と右脇腹の痛みが消え始める。斬り飛ばされた右手の肘の先も、なにかムズムズしてきた。
右手を持ち上げ、夜空を見上げる顔の前に持ってくると、手の切断面から血管や筋組織が細い触手のようにうねりながら伸びていく。骨の切断面に光の粒子が集まりだし、少しずつ骨が形成されていき、それを筋組織や血管が包んでいく。
どうやら、失った右手は再生するようだ……。右手を失う不安が晴れた事に安堵し、急激な眠気を感じるが、まだ、まだ寝るわけにはいかない……。
痛みが引き、右手が完全に再生するまでに10分ほどの時間を要した。逆に言えば、たった10分で全回復するのかと、驚くと共にこの化け物の体に恐怖した。
「団長、二人の様子はどうだ?」
ラピティリカ様とアシュリーを寝かせているテントの幕を上げ、中にいる護衛団の団長へと声を掛けた。
「しゃ、シャフト殿! 血まみれだが怪我か!?」
「いや、これは返り血だ、俺に怪我はない。それよりも二人だ、どんな状況だ」
「お、お二人とも”魔術師殺し”の影響でひどい、こ、高熱だ、呼吸するのにも難儀している。このままでは、本当に不味い」
「これ、使えるだろうか?」
俺は、賊の死体から剥ぎ取ってきた防毒マスクのような魔道具を団長に渡した。
「これは、エアーマスクですか! げ、解毒とまではいきませんが、しょ、症状は和らげられると思います」
「シャフト殿、ぞ、賊はどうなりましたか? それに、わ、私の部下たちは?」
団長はラピティリカ様とアシュリーにエアーマスクという防毒マスクを装着させながら、こちらを見ずに聞いてきた。俺の答えは想像がついているのだろう。
「賊は全て殲滅したが……すまない」
「いえ……いいんです」
団長も口にエアーマスクをつけるが、ここで何かに気付いたようだ。俺の顔を見て何かを考えている。
「どうした?」
「いえ、シャフト殿は”魔術師殺し”の影響は受けなかったのですか?」
あ……そうだよな、そこ不思議に思うよな……。
「こ、この黒面が魔道具でな、エアーマスクに近い効果を得られる」
「なるほど、そうでしたか」
マスクの中央に魔力を込めたのか、団長のつけるマスクの中央にある風の魔石が淡く光を増す。続いてラピティリカ様とアシュリーのマスクにも魔力を込めていく。
「これから王都へ向かうぞ、使用人達を連れてくる。出発の準備をさせてくれ」
それだけ言いテントを出ると、隣に設営されているテントの幕を上げる。
「ひぃぃぃ!」
「怖がりすぎだ。賊は排除した、出発の準備をしてくれ、それと隣に行ってラピティリカ様とアシュリーを頼む。」
震えながら首を何度も縦に振る使用人達を見て、これで大丈夫だろうか? と少し心配になりながらもテントの幕を落とし、TSSを起動しインベントリからギフトBOXを三つ召喚する。
一方には賊の死体や武器、エアーマスクを投げ込み。もう一方には護衛員たちの遺体を馬車から引っ張り出した布で包み、丁重にギフトBOXへといれていく。
最後のギフトBOXにはバルガ公爵家の馬車の荷物をどんどん投げ入れ、馬車の荷を空にしていく。最後に馬車に付いているバルガ公爵家の紋章プレートを引き剥がし、ただの高級馬車にしたところで放置した。
”魔術師殺し”の毒煙のせいなのか、賊が殺ったのかはわからないが、馬車を引く馬達もまた全頭息を引き取っていた。どの道、馬車を使っては時間的に間に合わない。
ラピティリカ様をこのまま死なせるわけにはいかないし、アシュリーを死なせはしない。
ガレージから選択したのは、VMBのゲーム内では一度も使った事のない、コンチネンタルというモーターホームだ。
モーターホームという車種は、一言で言えばキャンピングカーの豪華版。もともとVMBのPvEモードの中にあったステージオブジェクトカーで、連続人質救出ミッションを好成績でクリアすると購入できるようになる。
PvPなどでも使用する事はできたが、召喚すると嫉妬のRPGが飛んでくると言う曰く付きの車両で、破壊された場合の修理コストがかなり高く、装甲もたんなるバスで棺桶にしかならないので使った事はなかったのだ。
所有プレイヤーの中には、PvEモードを進めないで、途中で召喚してVRの世界を鑑賞する拠点として使っていた人もいたそうだが、生憎と俺にはそういう趣味はなかった。
光の粒子が形作り、俺の目の前に召喚されたコンチネンタルは、長さ12mを越える大型ロングバスタイプの長方形で、カラーリングはシルバーに統一されている。側面にあるタッチパネルから暗証番号を入力すると。自動で側面下部が反転し、階段が現れる。
それを上がりドアのスイッチを押せば横にスライドし中に入っていける。
召喚するのは初めてなので、内部を見るのも勿論初めてだ。カタログスペックとして運転席、リビング、キッチン、トイレ付ユニットバス、ツインベッドルームがあることは知っていたので、順々に確認していく。
電気は……付くな、水は? 出る。お湯は? 出る。 トイレはどこ繋がってるんだこれ……。冷蔵庫は冷たい、TVは……映らない。ロフトへ上がる梯子を降ろして上も確認、ここもベッドルームだ。
確認はこの辺でいいだろう。キャビンから降りて外に出ると、団長がコンチネンタルを見上げて固まっていた。
「シャフト殿? これは一体……」
「…………ま――」
「ま?」
「ま、魔導馬車――魔導しゃ――人ぞう――魔導無馬車、そう窓有無馬車だ。魔導無馬車だ」
「魔導無馬車ですか?」
「そうだ、俺がバルガ公爵とは別の方からの依頼で運用実験を行なっている、馬を使わない馬車だ。こいつを動かすには大量の魔力と魔石が必要なのでな、今回の外遊では使っていなかったのだ。だが、この緊急事態ではそうも言ってられん。こいつは馬車よりも速い、すぐに乗り込んで出発するぞ」
「なんと、そのような依頼まで受けていたとは、しかし魔導無馬車なぞ初めて聞きました」
「それはそうだろう、これの実験は極秘裏に行なわれているからな、さぁ早く準備をしよう。賊の死体は回収し、護衛員の遺体も丁重に回収した、馬車の荷物もだ。あとはラピティリカ様とアシュリーを乗せ、使用人と団長を乗せるだけだ」
「ご配慮ありがとうございます、わかりました。すぐに出発の準備を致しましょう」
コンチネンタルを使う事は決意した、ドーチェスターという選択肢もあったのだが、あれにはベッドがない。それに使用人は4名いる、彼女達を乗せ2人を寝かせるスペースをと考えると、ドーチェスターの居住スペースでは不安だったのだ。それにドーチェスターの外観はラピティリカ様に一度見られている。後々シュバルツとの繋がりに気付くとも限らない。ここはより大きなインパクトで違和感を隠すつもりだ。
団長の肩を叩き、二人が寝込むテントへと向かう、コンチネンタルを使えば王都までそうは掛からないはず。馬車で二日とちょっとの距離だ、深夜の街道を走り抜け、午前中にはつけるだろう。