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ラピティリカ様のヴェネール外遊も、今夜の晩餐会で終了となる。昨夜の襲撃をかわし、ラピティリカ様暗殺を目論む闇ギルド”サボテン”とその下部クラン”槐”が、果たして暗殺を諦めたかは判らない。しかし、諦めたなどと楽観しするつもりはない。
今夜の晩餐会が襲われるとは考えていないが、警戒を怠るわけにはいかない。
晩餐会の会場である、ラヴィアンローズに到着した馬車の御者台から降り、キャビンの扉に手を掛けアシュリーとラピティリカ様の降車を補助する。
今夜の晩餐会はここまでの外遊で参加したどのパーティーよりも格式が高く、主催するのも有力な魔導貴族の侯爵家だそうで、会場の警備も基本的には侯爵家が手配している。
俺がテールコートと顔には黒豹のベネチアンマスクを着けているように、ラピティリカ様とアシュリーもまた、ドレスコードに従いイブニングドレスを着ていた。
俺が落ちたこの世界、やはりファッション関係が前の世界以上に進んでいる。中世っぽい生活様式や雰囲気に比べ、裁縫技術自体はまだまだのようだが、服飾のデザインだけは中世と言うより、近代に近い。
ラピティリカ様は青いベアトップドレスで、大きなダイアと思われる宝石のついたイヤリングを着け、白い肌と共に輝きを見せている。アシュリーは赤いVネックオフショルダードレスに、首には俺が――シュバルツとしてプレゼントした、赤いルビーの光るチョーカーネックレスをつけている。
二人ともすごく綺麗だ、逆に俺は黒豹のマスクで、まるでプロレスラーの虎面のようだがな……。
メインの招待客であるラピティリカ様の手を取り、ラヴィアンローズの中へとエスコートしていく。入り口では招待状の確認をおこない、護衛として同行している俺だけボディーチェックを受ける。今夜のアシュリーは護衛としてではなく、ゼパーネル家の者として貴族扱いで招待されている。
アシュリーは、ゼパーネル家のことを細かく話すことはなかったが、何か話しにくい理由があるのだろうか? 護衛団の団長から聞いた話で、大体の事はわかっている。俺としては全く気にしていないのだが、彼女には何か引っかかる事があるのかもしれないな。
会場であるラヴィアンローズの中に入り、最初に通されたのはドローイングルームだろう、赤い長椅子が複数置かれ、同じく赤い一脚テーブルが置かれている。ルーム全体が赤い部屋だ。すでにルーム内には複数の男女が談話しており、俺達が入室すると給仕の女性が食前酒のワインを運んできた。
晩餐会が始まるまでは今しばらくの時間がある。ここで招待客同士談笑しながら、親交を深め時間を潰すのだろう。
俺としては誰が誰だかわからないので、ラピティリカ様とアシュリーの後ろについて歩きながらワインを揺らすだけだ。飲む事はしない、もしものことがあるからな。
しかし、ラピティリカ様はもちろんだが、アシュリーも思った以上に顔が広いようだ。壮年の伯爵も、中年の子爵も知り合いのように気安く接している。若い男爵や子息子女達も増え始め、だんだんとルーム内が混雑してくる。
聞こえてくる談話に耳を傾けていると、やはり貴族同士の会話か、国政や新年度となった今年の予想、商売、税、女、趣味嗜好と色々な事を話しているのが聞こえる。どんなに隅へ固まって小さな声で話し合っていても、同じ室内で俺の集音センサーが聞き漏らす事はない。
『今年は幸先がいい、迷宮が一つ潰れてバルガ領を中心に市場が賑わっている――』
『問題は転送魔法陣だ、我が領内にはまだ配置されていない、何としてでも勝ち取らねば――』
『魔力回復薬が市場に大量に出ている――』
『魔水の価格が下落気味だ、私の管理する水脈以外に近場ではないはずだが、何か知らないか――』
『南の海賊たちが勢いを増しているらしい――』
『このワインうまいわぁ――』
『海産物があがるか――』
『今年には魔術学院を卒業し、修行へでます――』
『たった二年で成果を挙げた娘もおるのだ、励むのだぞ――』
『黒い貴公子、ご覧になられましたか――』
『バルガ侯爵家が黒面を手に入れたと――』
『リーダァー、もう一杯頂きましょぉ――』
『マリーダ商会の新しい食品が好調らしいですぞ――』
『昨夜、栄光で騒ぎがあったそうだ――』
『娼館に新しい娘が入ったそうです――』
『カードはどうでしたか?』
『第一王子は王都の舞踏会に来られるかの――』
『そうでさぁ~、こんなにうまいのは中々飲めないでさぁ――』
『それよりも第二王子の火遊び――』
『第三王子の妃は――』
『決まりでしょう』
『王都の北迷宮の門番越えは――』
『地下百五十階層か、さすがは覇王花――』
色々な話が聞こえてくる……やはり、ヴェネールの貴族にまで”黒面のシャフト”の話が届いているのだな。
馬車で移動中に見かけた演劇場の演目看板は、何か別の演目だったが、噂話か吟遊詩人でもいるのか、少しずつ外へ伝わっているようだ。
それに、どうやらマリーダ商会の迷宮弁当は、販売好調のようだな。時間があれば王都のマリーダ商会の本店に顔を出したいところだが、護衛期間中に休みなどないからな、依頼終了後にバルガでマルタさんに会えなければ、一度王都に来て見るのもいいかもしれない。
マルタ夫妻の娘、ミネアの通う第一魔術学院というのも見てみたい、この世界の学問がどのような水準なのか、非常に興味がある。
グラスに揺れる食前酒の赤ワインの香りだけを楽しんでいたが、美味しいらしい声も聞こえていたので、少しだけ口に含んでみる。
ほんの少しだけ感じる酸味とそれを包み込む丸みのあるコク、確かに美味いな。
もっと飲みたくもなるが、それは我慢し、再び香りだけを楽しみながら周囲の談話、目の前のラピティリカ様とアシュリーの会話を聞いてその時を待つ。
やがて、ドローイングルームの扉が大きく開き、「お待たせいたしました」と給仕の女性が晩餐会の会場へと招待客たちを促し始めた。俺達もそれに従い、会場へと進んでいく。
女性の招待客を決められた席まで誘導するのは、エスコートする男性の役目だ。事前に席の配置表と席次は確認してある。バルガ公爵家三女であるラピティリカ様と、権力は持たずともクルトメルガ王国、永世名誉宰相ゼパーネルの家系であるアシュリーが座る席は、今夜の晩餐会の主催である、ベネトー侯爵夫妻と同じ主賓席だ。
晩餐会の会場には多くの長テーブルがあり、一つのテーブルに12席の椅子が置かれ、4グループが同一テーブルに座る配置になっている。席次表をもとにラピティリカ様が座る椅子を引き、次にアシュリー、そして俺の座る場所へと座り、他の招待客を待つ形になった。
主催であるベネトー侯爵夫妻は最後だろうから、あと2グループ来るはずだ。席次表によれば……ヴェネールの小領主である、ヴェネール侯爵家と、もう一つは……ドラグランジュ辺境伯家と書かれていた。
辺境伯、他の国との国境付近に領地を持つ大家に与えられる爵位だな、この世界では違うかもしれないが。クルトメルガ王国はかなり大きな国のようで、隣国の話など全く聞いたことがない。アシュリーたちに聞けばすぐに教えてもらえそうだが、他家の話をしている時に本人たちが現れても気まずいしな、どうせ俺は話をしないだろうし、静かにしておくとしよう。