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ラピティリカ様を襲撃した賊の内、わざと逃がした一人は、逃げた先で何者かに殺されていた。ラピティリカ様を狙う何者かの正体は依然として不明だが、捕縛した賊への紳士的な尋問により、幾つかの情報を得ることが出来た。
一つ、ラピティリカ様の暗殺依頼を受けた闇ギルドの名前は”サボテン”
二つ、昨夜の襲撃はサボテンの下部クラン”槐”の5名
三つ、暗殺の実行は槐に任されているが、サボテンからも一人、出向いている男がいる。
捕縛した男からは、これ以上の情報は得られなかったが、俺と護衛団の団長はこれでも十分と判断した。何よりも大きかったのは、ラピティリカ様を狙う組織が判明した事だ。
まずは昨夜襲撃にやってきた賊、闇クラン”槐”。エンジュ……植物園や森林公園で見られる、葉が垂れ下がる形の高木で、鈴なりのように白い花をつける。
そして、サボテン……闇ギルドと言うのは総合ギルドと対立する裏の組織だ。様々な犯罪依頼を請負、下部組織の闇クランへと振り分けていく。このような闇ギルドは国内にいくつも存在し、サボテンも名前だけが確認されている闇ギルドなのだそうだ。
俺は、このサボテンの名前に嫌な予感を感じていた。
翌朝、アシュリーとラピティリカ様とも、尋問で得られた情報を共有し、襲撃はまだ終わらないだろうと言う認識で一致した。
しかし、外遊日程を変更するわけにはいかない。今日はヴェネール内の著名な商会を回り、昼過ぎ頃に小領主夫人主催のお茶会へ出席、夜にはヴェネールで一番の舞踏会場での舞踏会に出席する。
捕縛した槐の構成員は、護衛団に連れられてヴェネールの警備隊詰め所へ送られた。俺が殺害した他の襲撃犯3名の死体も一緒にだ。その後の処分はヴェネールの行政に任せ、俺達は朝食を摂った後、さっそくヴェネールの商会回りを始めた。
歓楽都市ヴェネール、中心街を囲む城壁を隔てて、外と内で大きな貧富の差があるこの街に何故人は集まるのか? この都市における歓楽とは何なのか?
順々に回っていくヴェネールに本拠を構える商会は、その商館自体が歓楽施設となっていた。商館と共に併設される宿泊施設や、賭博場、屋内演劇場、舞踏会場と言った施設や、魔獣対冒険者などを見世物とした闘技場、高級娼館、見世物小屋など、まるでラスベガスだな、と思いながら、ラピティリカ様と商会長の歓談を聞いていた。
4つほど商会を回り、歓談をずっと聞いていたが、とくに何か政的な話をするわけでもない。商談をするわけでもなく、単純に顔見せに訪問したと言う感じだ。俺には政治的な綱引きや、やり取りはわからないが、この商会回りにもラピティリカ様の今後には必要なのだろう。
商会回りを終え、次に向かう先は小領主の夫人が主催する昼食会だ。
商会長との歓談では、護衛の都合上同室にいたが、昼食会は同じ会場には立たない。それはアシュリーに任せ、俺は昼食会がおこなわれている会場の隅にある待機スペースに、他の護衛と一緒に待機している。
ケブラーマスクのレンズに映るマップを見つつ、会場で談笑している淑女達の動きを追っていると、俺の後ろから誰かが近付いてきた。
「よう、黒面のシャフト。久しぶりだな」
近付いてきた誰かに名を呼ばれ、そちらへ振り向くと、そこに立つのは長身痩躯の短い茶髪の中年だ。口元は緩そうににやけており、少し垂れた目と相まって随分と頼りない印象を受ける。
「――誰だ?」
「おいおい、人の膝を壊しておいてそれかよ! 傭兵ギルドのジークフリードだ」
「――知らん」
「お前の傭兵ギルド加入の実技試験を受けてやっただろうが、本当に覚えてないのか?」
実技試験……ジークフリード……膝……あぁ、そう言えば実技試験やったな、王都で。傭兵ギルドの傭兵団本部には、登録した以降ほとんど近寄った記憶がない。この男、ジークフリードとも試験の時以来だった筈だ。
「どうやら思い出したようだな。傭兵ギルドはお前への問い合わせで大変だったのに、本人は全然顔を出さないから、実技試験を受けた俺にまで問い合わせが来て大変だったぜ」
「傭兵ギルドに顔を出す必要があるとは知らなかったな」
「普通は必要ないな、だがお前は王都で話題になり過ぎだ。王都の民は新し物好きだからな、当分の間はおもちゃだ」
「おもちゃか……」
「だが、お前の能力に興味がある商会や貴族もいてな。どうやらバルガ公爵の依頼を受けたようだが、今後も呼び出しがあるだろうから、傭兵ギルドには時折でも顔を出してくれよ」
「考えておこう」
これは、今回の依頼が終わったら当分の間はシャフトは姿消すか、牙狼の迷宮を討伐してしまいたいしな。
「ところで、貴様はここで何をしているんだ? 誰かの護衛か?」
「いや、俺は別件でヴェネールに来ているんだ。領主に話を聞きに来たら、バルガ公爵家の三女が昼食会に出席しているというのでな、お前もいるだろうとちょっと寄っただけだ」
「別件?」
「気になるか? まぁ、お前とも無関係な話ではないから一応聞いておくが、マリーダ商会の商隊護衛で一緒だったクラン”男郎花”を覚えているか?」
「あぁ、覚えている。名前は忘れたがな」
「クランマスターのマクシミリアン、それとヴォルカイザーとゴットハルトの三人だ」
「そいつらが何かしたのか?」
「何もしてねぇから追ってるんだ。依頼不履行と罰則逃れ、それに身分書偽造の容疑で指名手配だ。もしもこいつらを見つけたら、捕縛するか警備隊に連絡してくれ」
「――覚えておこう」
ジークフリードはそれだけ言い、待機スペースから出て行った。あの男は傭兵ギルドの職員ではなかったのだろうか? それとも犯罪者の追跡なども仕事のうちなのか?
だが、それよりも気になるのは”男郎花”か。あの三人組は、マリーダ商会の商隊が王都の西休憩所で盗賊団に襲われた時に、何よりも先に逃亡を図った三人だ。
その後のヤゴーチェ商会との騒動ですっかりと忘れ、てっきりギルドで何かしらの対応を取った物とばかりに考えていたが……とは言え、俺達がヴェネールにいるのは今夜が最後、明日の午前には王都へ向けて出発しなければならない。きっと会うことはないだろう……。
小領主夫人主催の昼食会も滞りなく終わり、ヴェネールでの最後のスケジュールである晩餐会を残すのみとなった。
この晩餐会では、ヴェネールを訪れている多くの貴族や、その子息子女が招待されており、淑女の同伴として男性のエスコートが必要となっていた。
会場となるのは、ヴェネールで一番大きな舞踏会場である、ラヴィアンローズと名付けられたバラの花を模した建築物だ。ドレスコードに従い、黒のテールコートに着替え、普段被っているタクティカルケブラーマスクを変えて、飲み物を飲めるように口部分の開いている蝙蝠男マスクに変更した。
「シャフトさん、そのマスクはテールコートに似合いませんわ。何か別のマスクはありませんか?」
しかし、蝙蝠男マスクではテールコートとデザインが統一できず、ラピティリカ様に駄目出しをされてしまった。
エスコートする女性に恥を欠かせる訳にもいかず、アバターカスタマイズから同種のマスクを探した結果、あの王都でみた演劇の中の”黒面のシャフト”が着けていたような、ベネチアンマスクを選択した。
現在俺が被っているマスクは、顔の上半分を隠す、黒豹をデザインしたベネチアンマスクで、黒く光沢のある素材に、銀糸で装飾が施されている。
このマスクには、ラピティリカ様もアシュリーも文句はなく、今後はドレスコードに合わせて、この黒豹マスクも使用していく事になった。