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屋内演劇場でのオペイラを見終わり、恥ずかしい余韻に浸されながらも、邸宅へ戻る準備をしていると、扉の外にいる護衛の声が聞こえた。
「シャフト、君に会いたいと言う人が来ている」
貴賓室の扉を少しだけ開き、扉の外に立つ護衛の男性が中を窺いながら、俺に声を掛けてきた。
俺に会いたい? 王都に知人はマリーダ商会の人しかいないし、ここはバルガ公爵の貴賓室だぞ? 公爵を差し置いて俺に会いにくるのか?
俺に客が来ていると言っても、俺の意思で会うわけにはいかない。今はラピティリカ様の護衛中なのだからな。ラピティリカ様とバルガ公爵に目線を送り、「少しだけよろしいですか?」と確認を取る。
二人とも何を言うわけでもなく、軽く頷くだけで了承してくれたので、横に立つアシュリーに少しの間だけ護衛を任せ、貴賓室から廊下に出て行く。
廊下に出ると、そこにいるのは会った覚えのない男性だ。黒のテールコートを着ているのだが、あまりに出すぎた腹に白い樽のようになっている……。
「おぉ! 貴方が”黒面のシャフト”ご本人様で?」
「そうだが、何用か」
「これは失礼を致しました。私、第一演劇場の支配人、フランクと申します」
この劇場の支配人であるフランクが俺に会いにきた理由は、王都で話題の人物を演劇化する場合の、主役となる人物に対する、慣例の挨拶として訪れたようである。
この世界、著作権や肖像権といったものはまだまだ未成熟なようで、今夜の演劇の登場人物の名前は、偽名ではなく本名そのままに使われていた。しかし、これは俺が元々この世界の生まれではないが故の価値観であり、この世界に、このクルトメルガ王国に生きる者にとって、第一演劇場で自身の自伝が、武勇伝が演ぜられるというのは大変な名誉らしい。
なのでフランクの挨拶も、舞台化する許可とかではなく、貴方の舞台をこれからもやっていくよ! 一杯活躍してね! そんな話に終始した……。
翌日、今日は休息日である。ラピティリカ様は一日ゆっくりと過ごし、明日の午前には王都を出発し、いよいよヴェネールへと向かう事になる。
俺は……同じくする事がない。護衛なのだから、ラピティリカ様の傍を離れるわけにもいかない。どこかへ外出はできない、とは言え、この待機室にはベッドルームとリビングしかない。やれる事がないのだが、やりたい事はある。
射撃練習だ、FPSのAimという狙いをつける行為は、人によって違うが、それでも三日から一日でその能力が落ちるとよく口にする。俺は三日空けると感覚が鈍る、鈍ると言ってもクロスへアと呼ばれる銃口の向く先が、狙いたいところとほんの5mm程合わないだけではあるが、その5mmが非常に大きい。
この僅かな誤差を修正せずにいると、簡単には取り戻せない大きな誤差になっていくのだが……まさか邸宅内で発砲するわけにもいかない。
VMBにはプレイヤーの個人ルームからVR射撃練習場という、射撃練習だけが行なえる個室に移動する事ができたのだが、TSSを起動し、個室への移動を選択しても、黒字反転していて選択する事はできない。
しょうがない、ラピティリカ様の私室にいるアシュリーに、邸宅の外を見回ってくると伝え、一人邸宅の外へと向かった。
バルガ公爵邸は周囲を緑に囲まれ、中には小高い樹木が植えられている区画もある。向かう先はそこだ。外を歩くついでにケブラーマスクのレンズに映るマップの縮尺を拡大し、付近に怪しい動きがないかもチェックしていく。
邸宅の窓から死角になり、かつ邸宅の外から見えない位置……そんな条件で樹木の立ち並ぶ場所を探す。
運よく死角になる場所を見つけたはいいが、今度は別の問題が出てきた。的がない……、まさか邸宅の敷地の植えられている樹木に撃ち込むわけにもいかない。
TSSを起動し、インベントリから何かないかと探し、これなら――と、取り出したのは防弾チョッキ2型だ。これは日本の陸上自衛隊や航空自衛隊で採用されていた物で、最新は3型だが、とりあえず2型を取り出し、その緑色のカラーリングが施されたアーマーを木の枝に掛け、樹木に防弾チョッキ2型を着せるようにして固定した。
後は狙い撃つだけだ。ウェルロッドver.VMBはアイアンサイトが無いに等しい、銃口の上にある、小さく出っ張る照星をすばやくクロスヘアと直線で結ぶ。構えを解いて銃口を下に向けて脱力、構える、解く、構える、解く、幾度と無く繰り返し、狙う位置に一瞬で合うのかを確かめていく。
次に実際に発砲し、ウェルロッドの発砲時の反動、クロスヘアの拡がり方、それらの特徴を体に教え込む。そうして1時間ほどの射撃練習を終えた。
明日からは更に気を引き締めなければならない。暗殺を依頼された闇ギルドが、どう動いてくるかはわからない、王都を出てからか、出る前か、それとも邸宅を出たところか、考えられる襲撃ポイントは多数ある。
ヴェネールでの使用も考慮し、邸宅の敷地に設置した、AN/GSR-9 (V) 1 (T-UGS)を回収し、待機室へと戻っていった。
翌日、ラピティリカ様を乗せたバルガ公爵家の馬車を含め、4台の馬車とバルガ家の私兵に護衛されながら、歓楽都市ヴェネールへと向け王都を東へと出発した。
目的地のヴェネールまでは馬車で五日もかかる。街道を進み、途中にある休憩所で野営をしながらの行程は、いつ闇ギルドからの暗殺者が来るともわからない危険な行程となっていた。
公爵が付けてくれた私兵の護衛団は、道中の馬車や他の使用人達の護衛が主となり、ヴェネール到着後も、ヴェネールの宿泊先の護衛が主となる。
ヴェネールにも公爵家の別邸があるのだが、今回は公爵自身が同行していないため、広すぎる別邸は使わず、ヴェネールに数ある高級宿を利用する事になっている。
ヴェネールへの外遊日程は、王都を出発して五日間の移動、ヴェネールに三日滞在し、昼食会、夜会、昼食会、夜会と参加し、また五日かけて王都に戻る。そして王都に着いた翌日の晩には、今回の外遊最重要の、王城での晩餐会が控えている。ラピティリカ様も参加し、ここで初めて、王国の第三王子にお目通りをする事になるそうだ。
そんな日程を護衛団の団長と再確認しつつ、ヴェネールへの移動は進む。
◆◆◇◆◆◇◆◆
王城から五日間、行きの行程は何も問題が発生しなかった。街道の先に歓楽都市ヴェネールが見えてくる……が、その都市の風景はこれまで見た都市とは全く違った雰囲気を醸し出していた。
ヴェネールの周辺には迷宮がない、何か理由があるのか、ただの偶然なのか、それは誰にもわからない。事実として都市の周りに迷宮は生まれなかった、この都市よりも更に東や、北になら迷宮はあるらしい。しかし、ヴェネールに近いと言える場所には生まれてこなかった為、この都市は長らく魔獣・亜人種により、何かの被害を被るということがなかった。
そのせいだろうか、この都市は他の都市のような堅固な城壁がない、見えているのは背の低い柵だ。それに囲われ、まずは民家が立ち並ぶ区域に入っていく、いやそれが本当に民家と言っていい建物なのかは判断がつかなかった。
スラム、そう言い換えてもいいのかも知れないと思わせるほど、不衛生な印象を持たせる町並みだった。
宿場町として街造りがスタートしたヴェネールは、やがて魔獣・亜人種被害が少ない事に貴族が目を付け、次々に別邸や舞踏会場が建設され、それに参加する貴族目当ての高級宿が立ち並び、また貴族や豪商が金を落とす、娯楽施設などが造られるようになった。
元々何かしらの名産物が合ったわけでもないヴェネールは、貴族や豪商向けの歓楽都市として発展し、同時に現地住民との間に貧富の差が広がった。
ヴェネールを治める小領主は、貧富の差が拡がるのをわかっていながらも、歓楽都市政策を進め、現在のこの都市の姿があるのだという。
街の中心へと続く大通りを進むと、王都や城塞都市バルガと比べると随分と低いが、それでも堅牢そうな石壁と城門が見えてきた。
ここから先が富に溺れる歓楽都市というわけか。
使用兵装
AN/GSR-9 (V) 1 (T-UGS)
この戦術無人地上センサーは、設置箇所から半径25mの範囲で震動・音響を感知し、ミニマップへと表示させる。このT-UGSは最大で2個設置する事ができ、俺の体を中心とした半径150mを越える場所でも、マッピングが出来ている場所ならば、T-UGSから半径25mを常に表示してくれる。
ウェルロッドver.VMB
WWII(第二次大戦)で特殊作戦用に開発された消音銃で、見た目は近接武器のトンファーと酷似している。弾丸は9×19mmパラベラム弾。この銃は実際に開発されたモデルを元に、VMB用にオリジナル武器として発展させたもので、ボルトアクションから、自動で装填をおこなうセミートオートマチックに改良されている。また、その形状を利用して、近接武器のトンファーとしても使用できる。