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第一区域にある屋内演劇場は、魔法建築と呼ばれる、魔力による建築資材の形成変化を利用した建築物だった。通常の建築物との違いは、魔力による耐力補強、デザイン性に富んだ外観、そして大きなホールの形成を実現させている。
アシュリーが言うには、こういう大型の魔法建築の建築物には、迷宮から持ち出された大魔力石などが魔力の供給源として利用されているのだという。
この屋内演劇場、正式にはクルトメルガ第一演劇場というらしいが、ぱっと見の外見はとても大きな円柱だ。
中に入り、傭兵ギルドのカードと、バルガ公爵家護衛としての証明書を提示、武器は回収されたが、特殊電磁警棒とウェルロッドver.VMBは持込が許された。
劇場に入場する段階で、すでに人目を集めてしまっている。とくに劇場で働く従業員達は目を見開き、完全に動きが止まってこちらを見ている者までいる。
その様子を見て、バルガ公爵やエメラーダ夫人は完全に笑っている。ラピティリカ様もニコニコしているが、アシュリーや公爵夫人たちの護衛たちは真顔――なんとか口元がヒクヒクする程度で押さえているようだ……。
俺達が向かう先は、第一区域の貴族やその近しい者しか入れない劇場の中の、さらに貴賓席だ。階段を上がり、舞台よりも高い位置にある貴賓室へ入っていく。
バルガ公爵夫妻の男性護衛は扉前に待機する。中に入るのは公爵家と俺とアシュリー、それと女性の護衛が二人だ。
貴賓席から舞台を見下ろすと、この劇場が円形の座席に突き出すような舞台の形をしている事がわかる。 舞台の前の一段下がったところに、管弦楽団が並んでいるのが見える。
やはりオペイラとは演劇と伴奏の歌劇なのだとわかる。
周囲に危険がないかを目視で確認し、ついでに客入りを確認していくと、下の舞台前も他の貴賓席も人で一杯だ……。全部でどのくらいの座席数があるのか判らないが、数百人はいるんじゃないかこれ。
これから見る演目は、第三区域の野外演劇場から始まり、瞬く間に人気の演目となったことで、第一区域の屋内演劇場でも取り扱われるようになり、今日はその初演なのだそうだ。王都での式典があったこともあり、今夜この演劇場には、多数の魔導貴族や有力貴族が集まっているはずだと、バルガー公爵は言っていた。
こちらを窺うような視線も、音も聞こえない、マップを確認しても不自然な位置に映る光点もなし。ある程度の安全が確認されたとして、エメラーダ夫人、ラピティリカ様、公爵の順で椅子を引き、席についてもらう。
公演時間は約2時間、これからどんな羞恥プレイが始まるのやら……。
やがて、明るかった貴賓室や舞台前の客席の灯かりがゆっくりと消えていく。どうやら始まるようだ、舞台の横から一人の男性が歩いてくるのが見える。
向かう先は、舞台の手前の一段下がったところに座る管弦楽団、どうやら彼は指揮者のようだ、観客が彼を拍手で迎えている。バルガ公爵夫妻やラピティリカ様もだ。
舞台にはまだ幕が掛かったままだ。拍手がやみ、演劇場が静寂に包まれる。まずは序曲か前奏曲か、指揮者が指揮棒をふり、静かな出だしの曲調から、激しい戦闘を予感させるアップテンポな曲調へと変化していく。劇場に響き渡る金管楽器の音、激しく掻き鳴らされる弦楽器の音が振動となって俺の体にぶつかってくる。
久しぶりに聞く管弦楽団の生音は、前の世界の音と比べても遜色ないように感じた。細かい技術や楽器の性能など知りやしない、体に、心にくるのだ。
生音に当てられ、心臓の鼓動が早くなるのを感じながらも、腰の前に組んだ手を強く握り、俺は観客ではないのだと強く意識する。ケブラーマスクのレンズに映る光点、管弦楽の音とは別の、何か不穏な音がしていないかを静かに聞き分けていく。
序曲が終わり、短い拍手と共に舞台の幕が上がっていく。
第一幕は、どうやら夕暮れの野外を模した舞台装置が作られている。王都の西休憩所だろうか? なんとなく似てるな、と思える休憩所の柱と屋根だけの小屋もある。馬はいないが幌付きの馬車もある。
どうやら、休憩所で受けた襲撃から演目は始まるようだ。
管弦楽団により、少し陽気な曲が演奏され始める。
舞台の袖から、太った商人風の男が陽気に中央へと進む。彼はマリーダ商会のマルタさん役だろうか?
彼は伴奏に合わせ、歌うように台詞を発していく。素のままに台詞をしゃべる事はなく、全て伴奏にのせて発している。
城塞都市バルガ近郊で見つかった新しい迷宮、それが早々に討伐され、これより、バルガ領では歓喜の収穫祭が行なわれる。そして、マリーダ商会は優先買取権を得て、バルガ領と共に更なる発展と繁栄を得る。
そんな内容の台詞と、高らかに歌い上げる声量は、伴奏の音量に負けることなく演劇場中に響き渡っていた。
登場人物が増え、マリーダ商会の従業員役だろうか、独唱が合唱に変わり、バルガ領とマリーダ商会の発展と繁栄が、やがてクルトメルガ王国の繁栄と栄光へと変わっていく。
場面は変わり、夕暮れの休憩所が、夜の休憩所へと変わっていく。
管弦楽団の曲も切り替わり、嵐の前の静けさを思わせるような曲調だ。ここまで、演劇の主役であろう”黒面”は舞台に上がっていない。
そして、襲撃が始まる。戦場トランペットのような音が、独奏で響き渡る。
盗賊団に襲われ、逃げ惑うマリーダ商会、やがて囲まれ絶体絶命のピンチ!
まじかよ……こんな古典みたいな登場するのか……あ、前の世界を現代と見れば、この世界こそ古典だったわ……。
舞台の袖から、打ち鳴らされる銅鑼の音と共に、光の玉――光弾? がマリーダ商会を囲む盗賊たちに直撃していく。
なにこれ、かっこいい……。
そして現れる”黒面のシャフト”――、軽装の黒い騎士服、そして黒の表地に赤い裏地のマント、被る仮面は勿論黒い――ベネチアンマスクじゃねーか!
ベネチアンマスクと言うのは、いわゆる仮面舞踏会などで着けられるマスクで、アイマスクなどがすぐに思い浮かぶだろう。舞台の上で黒マントを翻し、光弾を放ちながら大立ち回りをしている”黒面のシャフト”が被っているのは、目元から上だけで鼻筋や口は露出したタイプだが……。
しかし、あの放っている光弾は、光源として利用している光玉と同種なのだろう。歌うように魔言を唱えているのは判るのだが、言葉に魔力が乗っているせいで全く聞き取る事ができない。
攻撃魔法ではないようなので、被弾しても役者達が怪我をするという事はないのだろう。どうやら、オペイラとは演劇と伴奏と、そして魔法による歌劇なのだと知った。
”黒面のシャフト”がマリーダ商会の窮地を救い、勝ち名乗りを歌い上げたところで第一幕が終わるようだ。観客からの大きな拍手の波に押されるように幕が下り、これで小休憩に入るはず、幕が降りきっても鳴り止まぬ拍手に答えるため、役者たちが幕の隙間から登場し、拍手に答え礼をしていく、カーテンコールってやつだな。
「どうだい、シャフト君。”黒面のシャフト”の活躍は君と同じだったかい?」
役者が下がり、拍手が段々と収まりながら、各々が休憩に入っていく。それを見て、バルガ公爵が後ろに立つ俺に、振り返りながら聞いてくる。
「まったくもって、お恥ずかしい限りです」
「シャフトは、あのような大勢を相手に戦ったのですか?」
「ええ、エメラーダ夫人。休憩所での襲撃は、人馬合わせて60名ほどの大盗賊団によるものでした」
「まぁ! それを退けるなんて、シャフトは素晴らしい魔術師なのですね」
「いや、エメラーダ。彼は騎士団と魔術師の4名を相手に模擬戦を行い、体術のみで制圧した戦士なのだよ」
「それは本当ですの?」
「ええ、お母様。騎士団の訓練場で行ないましたのよ」
そんなバルガ家の会話に、ケブラーマスクのしたで苦笑いをしながら、質問に答えていった。
第二幕の幕が上がる。次の場面は……マリーダ商会の邸宅か、商館だな。俳優ばかりだった第一幕とは変わり、第二幕ではマルタさんの奥さんのマリーダさん役や、娘のミネア役、メイドたちといった女優たちが多く登場し、高音でありながらも力強さのあるソプラノボイスが響く。
ミネア役の子は相当に若いな、それでも少女の声はしっかりと演劇場に響いている。もしかしたらこの響く声も、なにか魔法的な補助を受けているのだろうか。
そう思うほどに楽しげに、軽やかに少女は歌い上げていた。
しかし、楽しげな第二幕の終わりを告げる。ミネアとメイドのメルティアが攫われ、重厚で静謐な曲調と共に、娘への、家族への愛を歌い上げていくマルタ役の俳優とマリーダ役の女優。
管弦楽団の生音と演劇場に響き渡る歌声に、心を打たれすぎたせいだろうか。彼らの歌い上げる歌詞に、前の世界にいる両親、家族を思い出していた。
俺の両親は、少なくとも俺がこの世界へと落ちる前には生きていた。兄弟はいなかったが、だからこそ、俺の好きなようにやらせてくれたのかもしれない。若いうちからFPSに嵌り、いつかは海外に出るんだと語学の勉強をし、逆にそれ以外には対して力を入れてこなかった。
親としては、勉学に励み、いい会社に就職し、嫁を貰い、新しい家族を作ってほしかったのかもしれない。親孝行……した記憶がないな……この世界で生きると決めて、尚残る後悔の一つだ。
何か出来ればいいが……せめてこの世界では、後悔なく生きていきたい。
やがてマリーダ商会に届く脅迫状、商会の繁栄よりも、家族の幸せを取るのだと歌い上げるマルタ役の後ろで、"黒面のシャフト”が一人マントを翻し、商会を出て行く。そして第二幕の幕は降り、舞台はクライマックスへと向かっていく。
第三幕は戦いだ。脅迫状の差し出し主、ヤゴーチェ商会に一人乗り込んだ”黒面のシャフト”が大盗賊団”鬼蓮”の団長、獣人族のルノードと大立ち回りを繰り広げる。
飛び交う光弾と、ワイヤーアクションか? と思うほどの跳躍と不可思議な加速、魔法の力なのかスキルを併用しているのかわからないが、歌い、光弾を放ち、舞台の上を飛ぶように縦横無尽に動き回り、接戦を演じている。
そして決着の時だ。ルノードが倒れ、残るはヤゴーチェだけである。ミネアたちを人質に取ったヤゴーチャ役の俳優が、べらべらと悪行を歌い上げていく。おもいっきり自白してやがる。
そして最後には、ナイフ一本で刺しにきたところを回避して打ち倒す。
これ、舞台の後方に、あからさまに邸宅を模した舞台装置があるのだが……まさか……
”黒面のシャフト”が断罪の歌を歌い上げる。低く低く響く重厚な歌声は、地獄の底から響くような、閻魔の裁きのようにも聞こえてくる。
”黒面のシャフト”は歌う、『王都の闇よ、貴様達を見ているぞ。王都の闇よ、貴様達の悪を塗り潰そう。王都の闇よ、これが黒面の裁きだ』
そして放たれる一際大きな光弾は、舞台後方の邸宅を飲み込み、光が収まると、邸宅は崩れた瓦礫へと変わっていた……。
俺が破壊したってバレるじゃねーか! しかも、なんという恥ずかしい決め台詞……。
そして最後にマルタ夫妻が舞台に出てきた。娘のミネア役の少女が助かった事を知り、歓喜の歌を歌う。それを見ながら”黒面のシャフト”が、なぜか袖ではなく、舞台の真上へと飛び上がりながら消えていく。
これにて、ヤゴーチェ商会の邪な企みは潰され、”黒面のシャフト”は王都の闇に宣戦を布告する形で消えていく。感謝と愛を歌うマルタ家の面々、観客席から巻き起こる拍手喝采と共に幕は降り、『王都に舞い降りた黒い貴公子、”黒面のシャフト”!』は閉幕となった。