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誰もいない探索キャンプ本部テントの中で、誰に言うわけでもなく呟いた俺の言葉に答えるかのように、VMBのメール受信音が鳴り響いた。
「な……メールだと……?」
左腕のTSSを起動しようと、右手を動かしたところで、テントに誰かが入ってきた。
「あれ? シュバルツ君しかいないのか、迷宮の地図が完成したそうだね、お疲れ様」
入ってきたのはキースさんだった。
「キ、キースさん、お疲れ様です」
「レミさん、どこ行ったか知らないかい?」
「いえ、先ほどまでここにいましたが、先に出て行きましたので……」
「そうか、じゃぁ就寝用の天幕に行ってしまったかな、ありがとう。君もそろそろ寝たほうがいいんじゃないか? ここ二日、ずっと迷宮に篭っていただろう?」
「そうですね、俺も寝させてもらいます……」
俺はキースさんに軽く挨拶し、本部テントを出た。しかし、出て向かう先は就寝用のテントではない、俺は探索キャンプの外へ向かって歩いていった。
探索キャンプを離れ、何日か前に射撃練習をおこなった野原までやってきた。小さな星明りと月の輝きを見つめ、この異世界にも月があったんだなと、今更ながらに気づいた。
小さな丘のように盛り上がったところへ腰を下ろし、周囲を軽く見渡して、小さな虫の声しか聞こえてこないことを確認する。
少し震えている右手で、俺はTSSを起動し、メール受信BOXのタブを開こうとしたが……
「未読がこんなに……」
受信BOXには、数十件の新着メールが届いていた。一番最新の受信メールの件名は……
読めなかった……日本語でもアルファベットでもない、何かの記号のような象形文字のような羅列で書かれている。
ほんの数秒、その不可解な文字列に気をとられていると、文字の自動翻訳機能を思い出し。ヘッドゴーグルを展開し、文字を注視した。すると、読めない文字の下に訳文が表示された。
件名:答へむ 差出人:《ERROR》
俺は、自分の心臓が一際高く鼓動したのを感じた。胸に締め付けられるような圧迫感を感じる、震える指で、その受信メールを開いた。やはり読めない文字列……しかし、少し待つと訳文が表示されてきた。
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異なる世界より落とされし迷ひ子よ、我は《ERROR》
そなるたは《ERROR》によとは、此の世界へと落とされき
彼奴の目的は一つ、そなるた迷宮の主へと据うる為
然し、我其れ阻止しき
そなるた落つるは、止みられ何然はあれどなる
そなるたはちすにてに、此の世界に受け入れられたる
異なる世界に戻ることはあたはず
此の世界にて好ましく生けかしど有り
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な、なぜ古文……。
メールに表示されている原文の文字は、元の世界でも、この異世界でも見たことなのない文字だ。翻訳されたものが古文ということは、この文字はこの異世界の古文にあたる、相当古い文字なのだろうか?
いや、それよりも内容だ。差出人も、本文に表示されている名前らしき部分は翻訳機能がエラーを吐いている。たぶん魔言と同じように、名前自体に魔力がこもっているんだろう。
古文なんて学生時代以来で正確には訳せないが、なんとか意味は読み取れる。つまり、俺は誰かにこの異世界に落とされて、迷宮の主にされるところだったが、この差出人が阻止してくれたと……そして、すでに世界が俺を受け入れているから、元の世界には戻れない、後は好きに生きろ……そういうことか……?
「どういうことだよ!!」
俺の絶叫が、夜空に吸い込まれていく。思い当たることが多すぎる、俺のギルドカードに表示されていた、「出身地 VMB」の文字、あの時思った通りだった。この異世界はVMBを認識し、俺がそこから落ちて来たと知っていた、だから出身地がVMB……。
俺が落ちた場所の近くに生まれた、新しい迷宮……それが俺を据えようとした迷宮か、だから緑鬼の迷宮には迷宮の主がいなかったのか。
誰が俺をそんなものにしようとした……迷宮の主に誰かを、何かを据えれる存在……
迷宮の生みの親、邪神って奴か……。
つまり、この差出人は、邪神の対になる神か……俺は夜空を見上げながら、神の存在を探した。しかし、そんなものが見つかるはずもない。見えているのは、月と小さな星たちだけだ、聞こえてくるものは風に靡く草花の音と、虫の声。
俺がこの世界に、受け入れられているだと? 元の世界には帰れないから、好きに生きろだと?
「この人間離れした体が! 疲れを知らぬ、自然治癒力を持つこの体が! このVMBの力の数々が! 世界が認めているというのか!」
俺の夜空への叫びに答える声はない、新たにメールが来る事もなかった。俺の心内は様々な感情であふれていた。
俺を異世界に落とした者への怒り、元の世界に戻れない悲しみ、俺がこの異世界にとって異物ではなく、チーターではなく、受け入れられた存在であったことへの喜び、そして、VMBの力を自由に使える期待と楽しみ。
夜空を見上げたまま、俺の口から渇いた笑いがこぼれる。何に対して笑っているのか、俺自身よくわからなかった。
やがて、俺は夜空を見上げるのをやめ、TSSへと視線を戻した。受信したメールは数十件あった。それを確認しようとして、手が止まった。
件名に書かれているのは、俺を探す言葉、俺の死を悲しむ言葉、チームの勝利を伝える言葉、俺への弔いの言葉……どうやら俺は、元の世界から体ごと落ちてきたわけではなく、魂か意識か、精神体だけがVMBのアバターと共に落ちてきたようだ。そして、精神の抜け落ちた元の体は、死を迎えた……そりゃ戻れねぇわけだ。
震える指で、メールを一つ一つ確認していく、P0wDerのチームメイト達、VMBのフレンド、会社の同僚、色々な人達が俺の死を悲しんでくれていた。
彼らに、俺が生きていることを伝えることは出来ないだろう。いや、日本人、「斉藤漣」は間違いなく死んだのだ。今ここにいる俺は、「シュバルツ・パウダー」、これからこの異世界で、生きていく。
◆◆◇◆◆◇◆◆
翌朝、俺はバロルドさんとキースさんに、一旦、城塞都市バルガへ戻ることを告げ、まずはマイラル村へと移動することにした。レミさんは居なかったが、マイラル村とキャンプを往復しているらしい。
今はギルドへ入ることへの返答は保留だ。その選択肢も一応、有りえるとは思うが、加入後の俺の立ち位置が不透明なので、即答できるものでもない。レミさんに確認すればいいだけの話だが、今はそれよりも俺は、牙狼の迷宮が攻めたくてしょうがなかった。
この世界が俺を受け入れているというならば、俺の好きなように生きろというならば、俺は俺をこの世界に落とした者の邪魔をしてやる。迷宮という迷宮を討伐し、俺をこの異世界に落としたことを後悔させてやる。なんともまぁ、小さな目的だが、今はそれでいいと思っている。
山茶花の二人に別れを告げ、迷宮の死に際を見にまた戻ることを約束し、俺はマイラル村へと向かった。フラウさんとミーチェさんは、このままキャンプに残り、空魔石の回収や近隣の警護の仕事を請けるようだ。
マイラル村へ入ると、すぐに城塞都市バルガへ向かう荷馬車に乗せてもらうことにした。
俺自身の持つ移動車両を使ってもいいのだが、収穫祭の影響でマイラル村と城塞都市バルガの間は、頻繁に荷馬車や冒険者や労働者、商人を乗せた馬や巡回馬車が走っている。
無駄に目立って、牙狼の迷宮に入ってられなくなっては困るので、ここは自重した。
城塞都市バルガへ到着したのは、日が落ちる少し前だった。総合ギルドで今回の報酬を受け取るのは明日にして、俺はまずは今晩の宿を確保しようと、「迷宮の白い花亭」へと向かった。
「いらっしゃいませ、お食事ですか? それとも御宿泊ですか?」
「宿泊でお願いします」
「あら、シュバルツさん。お帰りなさい、またご利用していただけるのですね」
「迷宮の白い花亭」の女将、ミラーナがいつも通りのニコニコ顔で迎えてくれた。
「部屋空いてますか?」
「ええ、空いております」
俺は1週間分の宿代を支払い、鍵を受け取って部屋へと向かった。部屋の場所は前回と違ったが、基本的な内装は同じだった。
部屋に一つだけある木の椅子に座り、明日からの予定を立てる。約一月後には緑鬼の迷宮が閉じる、その時が収穫祭が最高に盛り上がる瞬間で、俺もその瞬間に立ち会うつもりだ。
明日はまず総合ギルドに向かい、レズモンドさんから今回の協力要請の報酬を貰う、アシュリーがいれば挨拶もしたいな、バルガを出る時に寄った時は居なくて、挨拶できずにいたままだったからな。
その後はマリーダ商会だ。今回の探索で得た魔石を売却し、無属性魔石の補充と、野営用の道具類などを購入する。
その後は食料だ、俺は『魔抜け』の為、転送魔法陣は利用することが出来ない。階層を下がれば下がるほど、安易に戻ることが出来なくなってくる。水は清浄の泉があるが、基本的な食料は十二分に持たなくてはいけない。
食料は本当にどうしようか、自炊を念頭に料理具を用意するか、それとも完成品を弁当のようにしてもらい、ギフトBOXへと大量に仕舞うか。このあたりもついでにマルタさんに相談しよう。
そうして俺は、久しぶりの宿のベッドでの一人寝で、新たな気持ちでの異世界生活をスタートさせていく。




