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先行した元ビグシープの大船団は半日以上先の北を航行している。迷宮竜の移動速度を考えれば、そう簡単に追いつかれることはないだろう。
「ユミル、潜るから中に戻れ」
「キュッ? キュー!」
甲板の上を駆け回っていたユミルが司令塔まで戻り、梯子の掛かる穴へと飛び込んでいった。
それを追うように俺も司令塔から発令所に降り、Uボートを海中へ潜行させて行く。
呑気に海上で様子見をしていて、俺たちとUボートが迷宮竜にロックされても困る。
潜望鏡を伸ばし、海中から海上を監視し、水平線に現れた迷宮竜の黒い影の動きを追う。
同時に俺も北へ潜水航行し、一定の距離を保ちながら監視を続けた。
そして予想通り――いや、いくつかの予想の中で最も悪い状況が現実となり、俺も一つの大きな決断を――迷宮竜を斃す手段を実行する上で、最も大きな障害を越える決断を迫られていた。
迷宮竜は北上する三つの大船団のうち、最も大きく真北へ進路をとった大船団を追い始めた。
もしかすると、目の前の大船団よりもその先にあるオルランド大陸を目指しているのかもしれない。
「ユミル、転送魔法陣を理解できるか?」
発令所内を我が物顔で散策しているユミルがこちらに視線を向けると、何か思案するように頭を何度もひねり、俺の言葉を理解したのか細く長い尻尾をピンっと立てて――。
『――わかる! ユミル跳べるよ!』
ユミルの返答に頷き、Uボートの進路を東にとって迷宮竜との距離を稼ぐ。
Uボートの船内は狭く、転送魔法陣を設置するのは難しい。設置するなら浮上して甲板に設置しなければならない。
十分な距離を取り、転移の準備を整えてユミルと共にアマールへと跳んだ。
『真っ暗!』
転移した先は明かり一つない場所だった。転移した瞬間にマッピングされたマップを確認すると、ここが広い倉庫だと判る。
マルタさんには交易船に設置していた転送魔法陣を、アマールの沿岸部に移動するようにお願いしてあった。ここは多分、マリーダ商船所が管理する倉庫の一つだろう。
外はすでに闇の帳が下り、周囲に人の気配はなかった。
現在地点を確認し、ユミルをどこか安全な場所――と言っても、ゼパーネル邸ぐらいしか当てはないが。
そこに到着するまでは、ユミルの姿を他の人に見せるわけにはいかない。
「ユミル、こっちだ」
初めて見るものが全て新鮮で面白いのだろう。ユミルは倉庫内を駆け回っていたが、俺の呼び声に反応して外に出ると、星明りを反射するようにその体が淡白く輝いていた。
体から発する冷気が氷の結晶を生み、それが光を反射している。
ユミルを連れてから何度も見た光景だが、今日の輝きはこれまでで最も強く光っていた。
ユミルは急速に成長している。魔石を一つ食べるごとに体毛の艶が増し、龍鱗は脱皮を繰り返して大きく成長している。
北界のエルケイネスの大きさを思い返せば、人が抱えられる程度の大きさでいる時期は、極々短い期間だけなのかもしれない。
とりあえず、ゼパーネル邸までの移動は支援車両を召喚して向かうことにした。
ガレージからAEC装甲指揮車 ドーチェスターを召喚すると、光の粒子の集束をユミルが興味深そうに見つめていた。俺が当たり前のように行なっているVMBのシステム利用を、ユミルはどのように見ているのだろうか――?
『――いっしょッ!』
何を思ったのか、尻尾の先から氷の結晶が視認できるほどの凍気を放出し、細く長い尾を振り回して倉庫前に結晶の霧を作って遊びだした。
だが、光の粒子が形作るアリクイに似た箱型車両を出現させると、物珍しそうにドーチェスターの周りを駆け回り出した。
「ユミル、こっちだ」
リアのドアを開け、中に乗り込むように促す。ユミルは駆け回る勢いそのままにドーチェスターへと乗り込むと、備え付けの机に飛び乗って内装を見渡し始めた。
「キュ〜?」
ドーチェスターの車内はUボートと雰囲気は似ているだろうが、広さは全く違う。細い通路に無理やり拵えた居住空間ではなく、柱も壁もない一室だ。
俺もリアから乗り込み、ドアを閉めて運転席へと座る。
アマールのマッピングは一〇〇%完成している。今は現在地を正確に把握できなくとも、TSSのウィンドウモニターを広げてマップを表示すれば、ゼパーネル邸までの道順含めて全てを知ることができる。
エンジンを始動させるスタートボタンを押し込み、重厚なエンジン音に微振動の広がりを感じながらヘッドライトを点灯させてアクセルを踏み込んだ。
「キュ?!」
ドーチェスターが走り出したことをユミルも感じ取ったのだろう。背後に視線を向けると、小さな覗き穴しかない車内を器用に後ろ足で立ち上がり、外を見ようと頭部をゴソゴソやっているのが見えた。
好きにさせておいても大丈夫か――。
ドーチェスターをできるだけ目立たないように走らせ、何事かと目を見開く通行人を避けながら夜道を走らせ、程なくしてゼパーネル邸の門が見えてきた。
「おい、あれはなんだ?」
門番前に立つ警備兵たちが
ゆっくりとゼパーネル邸正面の坂道を上がり、門番の警戒を必要以上に高めないように気をつけながらドーチェスタを停車させた。
「ユミル、ここで少し待っていてくれ」
「キュッ!」
運転席から居住スペースで寝転ぶユミルに声をかけ、サイドのドアから外へと降りた。
「シュバルツさん!」
門番を守る警備兵の一人は俺の顔を知っている男だった。
ゼパーネル邸には宰相やアシュリーたちの他に、カーン王太子をはじめとした王族たちと、その婚約者となったラピティリカ・バルガも滞在している。
王都から護衛として多数の人員が招集されており、ゼパーネル家と懇意にしている俺を見慣れる者も多い。
それでもこのタイミングで俺を知っている警備兵が立っていたのは運がいい。
「夜分遅くにすまない。アシュリーか宰相に戻ったことを伝えてもらえるか?」
「えぇ、もちろんです。少し待っていて下さい」
俺の下へ駆け寄ってきた警備兵に声を掛けると、すぐに折り返して邸宅へと駆けて行く。
門を越えるときには腰の長剣に手をかけているもう一人の肩を叩き、「心配ない」とだけ伝えて駆け抜けていった。
もう一人の男は俺とドーチェスターの間で視線をフラフラとさせ、掛けたままのエンジン音を聞きつけ、他の警備兵もだんだんと増えてきた。
多少目立つのはもう慣れてしまった。俺が――というより、クラン“火花が馬なしで動く不可思議な鉄箱を操っていることを噂する者も少なくはない。
『大黒屋』シュバルツだけでなく、“黒面のシャフト”として王族を何度も移動用車両に乗せているし、王都での騒動では派手に立ち回った。
移動用車両の見学者たちは邸宅の敷地からこそ出てこないが、周囲を警戒するフリをしながらしっかりとこちらを見て囁き合っていた。
集音センサーで何を話しているのかは全て筒抜けだが、周囲の目よりも邸宅の中から聞こえてくる走る足音の方に意識が向いた。
「シュバルツ!」
邸宅の扉が開け放たれて飛び出てきたのはアシュリーだ。
「ただいま、アシュリー」
ドーチェスターのヘッドライトが照らす中を駆けてくるアシュリーだったが、その勢いが次第に弱まっていく。
ライトに照らされて輝く赤金の髪はいつ見ても美しく、浮かべる満面の笑みは迫り来る危機と恐怖を忘れさせた。
だが同時に、自然と腕を広げて胸に飛び込んでくるのを迎え入れるのが物凄く恥ずかしい状況になっていた。
『オォ〜』
『おい、なんだよ。次期当主って婿候補いないんじゃなかったのか?』
『お前どこからきたんだ? あの人は王家にも品物を納品している大商人で、ここにくればアシュリー様といつも一緒にいるんだぞ?』
『ばっか、それよりも“火花”だろ? 両宰相お抱えの実行部隊に属する冒険者だって話だぞ』
『“火花”ってまさか、第二王子の謀反を一人で潰した“黒面のシャフト”がいるところだろ?』
『“黒い貴公子”か?!』
『待て待て……王家にも商品を納品していて、宰相お抱えのクランと関わりがある商人……それって、“奇跡の水”を売ってる――いや、売ってた『大黒屋』じゃないか!! 王都の商店じゃ納品予約待ちでいつ買えるかもわからないだ……いま在庫持ってないかな……』
ドーチェスターに誘われて集まっていた警備兵たちが、俺とアシュリーの距離が縮まっていくのを見ながら囁き合っていた。
アシュリーもそれが判ったのだろう。赤面しながらゆっくりと近づき、俺の前で「おかえり」とだけ呟いて付いてくるように促して振り返った。
誰かが鳴らした口笛に俺まで顔が熱くなるが、一先ず邸宅へ退避だ――って、ユミルをどうしよう……。




