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「ユミル、後方の足を止めろ!」
「キュッ!」
前方から姿を現したエンプレスアントの幼生体へARX-160を指切り射撃で牽制しながら、後方から迫るヘルゲイズ三体はユミルに任せる。
ユミルは尻尾の先から冷気の罠を踏んでヘルゲイズたちの動きを止めた。
低木林をうまく盾にしながら近づく幼生体たちだったが、僅かでも体がはみ出していれば狙いをつけることは難しくない。
足首を――肩を撃ち抜き、体勢が崩れたところで頭部にクロスヘアを滑らし、トリガーを引く。
幼生体を処理すれば残りはヘルゲイズのみ。四つ足を凍らされ、身動きが出来なくなったヘルゲイズたちはキャンキャン喚いていたが、魔砲を放とうとした瞬間に口腔へ氷槍が突き込まれれば、その喚き声も静かになった。
「よし、属性魔石は食べていいぞ。無属性は俺のだ」
『ゴハン! ママのゴハン!』
ヘルゲイズの炎が萎むように消えていき、最後に残った魔石に駆け寄ったユミルが魔石を器用に尻尾で包んで俺の方へと投げてよこした。
ユミルと狩りをするようになって三日、迷宮島のカルデラを目前にした岩地にまで再進攻し、フレイムリザードを中心に狩りを続けていた。
ユミルはすぐに戦い方を覚え、逃げの一手ばかりだったヘルゲイズが逆に美味しい獲物へと変わっていた。
相変わらず俺のことを“ママ”と呼ぶが、“パパ”だと教えるのも何か違うし、“シュバルツ”と名前を教えても、まだしっかりと発声することが出来ないでいる。どうせ“ママ”と聞こえているのは俺だけだし、ユミルの好きにさせることにして、より重要なことを教え込んでいる真っ最中だ。
「いいかユミル。魔獣は好きに狩っていいが、人型はむやみやたらに攻撃を仕掛けちゃだめだぞ。倒したってゴハンはどこにもないからな?」
白濁液となって溶けていく幼生体の姿を見せ、そこに魔石が残らないことを教え込んでいく。これはアシュリーやマルタさんを始め、多様な人種と会わせた時に餌と思わせないための訓練だ。
人型の中にはもちろん幼生体や亜人種が含まれてしまうが――。
「――だけど、お前に危害を加えようとしたら容赦する必要はないからな」
「キュ!」
同じことを何度も話して教えているのだが、返答も同じなのでちゃんと理解しているのかはまだ怪しい。それでも幼生体への攻撃は俺が仕掛けるのを見るまで静観しているので、人型を餌とは認識していないようだ。
そのかわり、魔獣を見かければ狩りたくて落ち着きをなくすので、これはこれで先制攻撃を取るための動きを教え込んでいる。
カルデラ周辺の魔獣はだいぶ狩ってしまった。幼生体の数がかなり多いことを考えると、迷宮から魔獣が溢れ出すのが止まってからだいぶ時間が経っているのかもしれない。
もしかすると、迷宮島の迷宮自体がすでにエンプレスアントによって狩られている可能性すらある。
だが、こちらとしても魔石を得るためには多数の魔獣を狩る必要がある。俺もユミルも、生きていくには魔石がどうしても必要なのだ。
「ユミル、今日はカルデラ内部にまで進むぞ」
「キュッ」
ARX-160のマガジンを換装し、TSSのウィンドウモニターのユミルが投げてよこした無属性魔石を落としてCPへと変換する。
『美味しい?』
「まぁまぁ、かな――さっ、行くぞ」
ユミルは俺が魔石をCPへ変換する様子を、自分の食事と同じものだと考えているらしい。大きく外れてはいないのだが、数度見ただけで俺がやっていることを理解した知能の高さに驚かされた。
新しいマガジンを腰の弾倉帯へと挿しておき、ゆっくりとカルデラの頂上を目指して歩き始めた。
カルデラ内部はレイブンで一度偵察しただけだが、密度の高い森林地帯の中に幼生体たちが犇めいている。
ここから目指すのは迷宮島の『火口の迷宮』のみ、そこにエンプレスアントもいるはずだ。
中か外か――草を掻き分け、道なき山道を進んでいると、ユミルの魔力を感じ取ったのか、幼生体たちの群れが近づく足音が聞こえて来た。
「ユミル、周囲を包囲されつつある。白い人型は敵だ――どうせゴハンは落とさない。見つけ次第攻撃を開始、蹴散らしながら迷宮を探すぞ」
『ゴハン、あっち』
迫りくる幼生体を迎え撃つつもりでいたが、ユミルが尻尾の先でカルデラ森林の奥を差した。
「迷宮の場所が判るのか?」
「キュッ!」
当然――とでも言いたげに、ユミルは胸を張ってすまし顔を見せていた。ドラゴンの魔力感知能力が迷宮の位置を捉えたのだろう。
カルデラ森林の最奥まではまだ数km以上あると考えていたが、まだ幼いドラゴンでもそれだけの範囲をカバーするのか。
「よし、目的地はそこだな――」
――樹の陰から姿を現した猫耳大男型の幼生体へクロスヘアを滑らし、通過する瞬間に指切り射撃で頭部を撃ち抜く。
ユミルも尻尾の先から氷槍を射出し、別の方向で魔言を唱えていた鼠顔と狸顔の二人を串刺しにしていた。
「行くぞッ!」
「キュッ!」
カルデラ森林では幼生体以外の魔獣や亜人種の姿は見かけなかった。すでに狩り尽くされ、迷宮から湧き出た傍から狩られているのだろう。
ユミルが指し示した方角へと進みながら、前方に現れた幼生体を狩っていき、一時間ほど進攻したところでソレが見えた。
あれはなんだ?
遠めに見てもわかる、周囲の樹々よりも高く大きい岩山。微かに蠢いているようにも見えるが、何よりも違和感を覚えるのは臭いだ。
「キュゥ~」
ユミルが鼻の周りに尻尾を巻いてヨタヨタとついてくる。俺もアバターカスタマイズでガスマスクを選択し、この生臭い臭いを遮断した。
俺がどこからともなく取り出したガスマスクが気になるのか、ユミルが俺の前をうろちょろしながらこちらを見上げ――。
『――いっしょ!』
いや、尻尾を鼻に巻くのとは全然違うから!
そんな些細な戯れをユミルと楽しみながらさらに進むと、俺たちの接近を待ち構えるかのように陣形を組む光点が見え始めた。そして、その最後尾――白い岩山と重なるように光る点が一つ。
どうやら、目的の一つ――エンプレスアントは迷宮の外に巣を作っていたようだ。森林の中にぽっかりと開いた空間には、幼生体がバリケードのように大木を重ね倒し、防御を固めていた。
その周囲に生える草花は腐り、土はヘドロのように柔らかくなっている。鼻を刺激する腐臭の原因はこれだろう。ヘドロ化した土には魔獣や人の物らしき骨がいくつも沈み込んでいるのが見える。
だが、何よりも目を引くのは最奥に鎮座する深紅のアリ型魔獣――エンプレスアントだ。白い岩山に見えていたものは巣山の類ではなく、エンプレスアントの巨大な腹部のようだ。
あまりにも大きく肥大した腹部はエンプレスアントの頭上で反り返り、まるでドーム型の屋根のように変形していた。その内側にはフジツボのような突起が所狭しと並び、呼吸をするように伸縮を繰り返しながら白い体液を滴り落としている。
他にも大小様々な蓑のような繭のような白い袋がぶら下がっている。どことなく、人型が逆さ吊りにされているように見えるが、あれは餌袋だろうか?
樹の陰に背を当て、リーンの体勢でエンプレスアントたちの様子を窺っていると、向こうも完全に俺の――いや、俺の真似をして樹の陰に体を隠し、隠しきれない長細い尻尾を何とかして隠そうと四苦八苦しているユミルの魔力を感じ取っているのだろう。
エンプレスアントの深紅の甲殻はまるでドレスのように何重にも波打ち、力強さよりも気品や美しさを感じさせる。
しかし、二つある複眼と頭部上部の三つの単眼は燃えるように紅く輝き、鋏のように鋭く太い大顎をガチガチと震わせ、幼生体に何か指示を出しているのが判る。
さて……エンプレスアントまではまだ距離があるが、射線は通っているので銃撃をする分には問題ない。
向こうがユミルを警戒して動き出せないのならば、こちらはその膠着を美味しく頂かせて貰おうか――。
リーンの体勢からARX-160を構え、エンプレスアントにクロスヘアと照星を重ねた瞬間――それを遮るように上から巨大な楕円形が落ちて来た。
「――なんだ?」
思わず構えを解いて確認すると、射線を遮ったのは白く大きな卵だった。上を見れば腹部のフジツボが大きく開いている。
あそこから落ちて――いや、産卵したのか?
落下の衝撃で卵の下部は割れ、白い液体が漏れ出している。みるみる萎んでいく卵の形が、大きな人型が片膝立ちしている姿へと変わり、頭部付近に赤い点が二つ光った。
人型は僅かな微振動と共に卵の膜を内側から破り、立ち上がる――。
――大きい。
卵から孵化したのは幼生体の三人組同様に真っ白な巨大ゴーレムだ。体長は三メートルにまで達するだろうか――岩のような体の部位一つ一つが太く、関節部分が煮えたぎるように脈打っている。
シエラから買った情報の中に、似た特徴の魔獣がいたはず――確か、ラヴァゴーレム。
「VuOooooooooo!!」
白いラヴァゴーレムはエンプレスアントの盾になるように立ち、カルデラ森林全域にまで響き渡る雄叫びを上げた。