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キャンプ地で石投げ遊びをしているドラゴンの赤子へ近づいていくと、俺の足音が聞こえたのかトカゲに似た頭部がこちらを向いた。
「……キュイ?」
まだ見えていない目でこちらを見ようとするのと同時に、長い尻尾の先がこちらを探すようにユラユラと鎌首を上げて揺れている。
自動翻訳機能は赤子の鳴き声を完璧に翻訳してくれるわけではないようだ。いや、今のはただ鳴いただけか? 意思を持った声じゃないと翻訳できないのかもしれない。
ザギールと水夫を一撃で葬った氷槍に気をつけながら、一歩ずつ距離を詰めていく。CBSをいつでも展開できるように意識しながら、赤子の全体像を細かく見ていく――。
頭部はトカゲに似ているが、爬虫類の表皮は口の周りぐらいだ。眼元や頭頂部の方は水色の産毛に覆われ、透き通って体内の脈打つ血管が見えていたのが次第に見えなくなっていく。
小さな目は白い膜に覆われているのが見える。上眼瞼が何度も瞬きをしているが、トカゲのような爬虫類は下眼瞼も上下して瞬きをする。白い膜がピクピクと震え、動かそうとしているのも判るのだが――。
「――キュゥ」
あっ、諦めた。
「キュッ」
赤子は下眼瞼を動かすことを諦めると、今度は尻尾を払って地面に線を引いた。そして狙いをつけるように尾の先をこちらへ向けると、そこに冷気が集中していくのが見える。
氷槍の発射体勢か――赤子との距離はだいぶ縮まっている。だが、線のギリギリまで近づいても俺は一言も発していないし、赤子も翻訳機能が作動する鳴き声は出していない。
しかし、ARX-160をダウンサイトし、照星とクロスヘアの先に赤子の頭部をしっかりと捉えている。
そして流れるしばしの沈黙――。
「キュゥ?」『だぁれ?』
沈黙を先に破ったのは赤子の方だった。
首を可愛らしく傾げながら一鳴きすると、自動翻訳された機械音声が続けて聞こえて来た。
「俺は……シュバルツ」
『すはふう――?』
俺の言葉は聞き取れるのか――なら。
「シュバルツ――だ。君は地球、日本、USA、中国、イングランドという言葉に聞き覚えはあるかい?」
「キュウ?」
「――キリスト、リンカーン、ナポレオン、徳川といった言葉は?」
「キュウ~?」
知らないか――これは最初に確認したかったことだ。自動翻訳機能が作動したことで、この赤子が前の世界からの転移転生の類である可能性が残っていた。
迷宮の主とは全く違う気配から、その可能性は少ないと感じてはいたが、確認しておくに越したことはない。
これでこの赤子は俺と同類ではないと、一応の確認が取れた。だが、次に掛ける言葉が思いつかない。
『ごはん』
俺が言葉に悩んでいると、赤子の方から言葉を投げかけて来た。
「えっ、ごはん?」
『ごはん』
思わず繰り返してしまったが、赤子が再び餌の要求をしてくる。尻尾の先にはまだ冷気が集束しているし、地面に引かれた線を越えることを許された雰囲気はない。
しかし、問答無用で氷槍を射出された二人に比べれば、数倍は穏やかな対応を許されている。ならばこの関係を維持するか、さらに向上させる方がいいだろう。
インベントリから無属性魔石を一つ取り出すと、その魔力を感じ取ったのか尻尾の動きが変わった。集束していた冷気は霧散し、ヨロヨロと警戒しながら尻尾が近づいてくる。
長い尻尾といっても、俺と触れるところまでは伸びてこない。こちらから尻尾の先に向けて魔石を投げてやると、器用に空中で魔石をキャッチして自分の口元に運んだ。
「キュゥ~」
無属性魔石をキャンディーのように口の中で舐め回すが、どうやらお気に召さなかったらしい。悲しそうに一鳴きすると、再び尻尾が俺の前にやってくる。
『ごはん』
ごはん――と言われても、属性魔石の殆どはマルタさんに渡すために交易船に置いて来た。手持ちの大半が無属性魔石だし、残りはレア属性の雷や氷、それと光や闇しか残っていない。
これらの魔石も結局は売却するのだが、“レア”という響きだけで無駄に貯め込んでいたり、光と闇が合わさって最強にならないかと思い、残していたりする。この辺りはゲーム好きの性がまだ残っていると言っていいかもしれない。
「ほらよっ」
別段影響はないだろうが、闇属性を与えるよりかは光属性の魔石がいいような気がした。
赤子は再び器用に尻尾で受け取ると、ポイッと口の中に放り込んだ。
「キュイ~♪」
属性魔石なら喜ぶのか……。
赤子は口の中で美味しそうに光属性魔石を転がし、鼻まで鳴らしながら魔石舐めを楽しみだした。
『ごはん』
そしてこれだ――もう一つ光属性魔石を与えてやり、その様子を観察していると、赤子の下眼瞼がゆっくりと開いていく。
開いたばかりの黄色い目は――瞳孔を縦に細く閉じ、丸く開きながら俺を見ていた。そして、ゆっくりと周囲を見渡していく。目線とは逆方向には尻尾の先が索敵でもするかのように動いている。
今度は自分の手や足、尻尾をペタペタと触りながら俺との差異を確認しているようだ――。
『――いっしょ!』
「全然違う!」
「キュゥ~」
反射的に否定してしまったが、赤子が凹む姿を見ると俺が悪いことをした気分にさせられる。
赤子は座り込みながら尻尾を前足で器用に弄りつつ、俺のことをチラチラと見上げてくる。
「はぁ~」
しょうがないと思いながら溜息を一つ零し、光属性の魔石を投げる――。
尻尾を弄りながらも魔石の魔力を感じ取っていたのだろう。俺の手から離れた瞬間に尻尾が伸び、魔石をキャッチして口の中へ運ぶ。
「キュッキュ!」
赤子は魔石を舐めながら尻尾をユラユラと動かし、俺のことを見つめ続けている。何かを考えているのだろうが、ドラゴンの赤子の表情が何を現すかなど知るわけがない。
今はただ――魔石を美味しそうに食べているだけだ。
『ごはん……ママ、ゴハン』
だが、その一言で俺の体が凍りついた。
『ママ、ゴハン』
刷り込み……か。鳥類は孵化したあとに最初に見た者を親だと思うそうだが、まさかこの世界のドラゴンもそういった習性を持つとは考えていなかった。
だが、判らない。刷り込みという習性があるのならば、血統スキルの“フェローシステム”など必要ないのではないか? いや……ドラゴンの生態など、誰も知らないのかもしれない。
各都市にある総合ギルドの資料館では、ドラゴンの脅威と判明している巣の場所ばかりが記載されており、その生態に関する情報はどこにもなかった。
生態が不明だったのはドラゴンの魔力感知能力にも原因があったのだろう。卵から孵化した直後から、魔力に対して過敏すぎる反応を示していた。
あれは一種の防衛本能というものだろうか――それとも、魔力を持つ者を餌として認識し、孵化した直後から攻撃の意思を持って氷槍を射出したのだろうか?
『ママ、ゴハン』
魔石を舐め終わったら新しい魔石を放り投げ、ママ呼ばわりされていること横に置いて考察を続けた。
逃げた水夫たちやビグシープとの位置関係、バイシュバーン帝国やドラーク王国の動きなど――色々と考えたが、最終的に行きつく問題はこの赤子を――いや、正確にはドラゴンをどうするかだ。
考察に耽っている内に魔石を舐め終わったのか、ドラゴンの赤子は俺の足に巻きつくようにして横になり、気持ちよさそうに寝息を立てていた。
その姿からはとても自然界の覇者とは思えず、人にとって迷宮に匹敵――いや、それ以上の脅威とは思えない穏やかさを感じた。
……育てるか?
脳裏をよぎった馬鹿な考えを首を振って否定し、ARX-160のクロスヘアを静かに眠る頭部へと合わせる。
俺を“ママ”だなんて呼ぶが、それがいつまでも続く保証はどこにもないし、俺に対して氷槍を撃ち出さなかったのは、俺が『魔抜け』だったからに過ぎない。仮に連れて歩いたとして、他の人を見た瞬間に攻撃を仕掛けたらどうする?
それに、誰がドラゴンの母親になりましたなんて信じるんだ。
一瞬――アシュリーとゼパーネル宰相やバーグマン宰相、それにマルタさんは信じてくれそうだ――なんて楽観的な考えも浮かんだが、希望的観測に縋るのはよそう。
決意を固め、足元で眠るドラゴンに向けたARX-160のトリガーに指を掛ける。この距離で全弾撃ち込み、それでも足りなければコンバットナイフを抜いて傷口を抉る。そうすれば刃が脳幹に届き、絶命させることは出来るだろう。
ズピーー。
だが、そんな俺の決意を全く意に介することなく、ドラゴンの赤子は鼻提灯を膨らませて眠っている。
「か、かわいい……」
不意に出たのは言葉だけではなく、トリガーに指を掛けている右手とは反対側――左手が無意識にその頭部に伸びた。
「……冷たい」
頭部に生える艶やかな水色の産毛は絹のような柔らかさだったが、表皮の温度はひんやりとしている。迷宮島の暑さを考えると、その冷たさが心地よい――。
そして冷たい表皮の下から感じるのは、確かに脈打つ命の鼓動と、今まさに生きている生命の温かさだ。
「無理だ……」
この命は狩れない。
「……どうしよう」
トリガーから指を外し、赤子の横に俺も座り込んだ。ゆっくりと頭部を撫でながら、心地よい冷たさと毛並みの感触を楽しみつつ、こいつをどう育てていくかを考えた。