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「ザギール様!」
凍った卵から突如放たれた氷槍の一撃がフードの男の頭部を貫くと同時に、横に立つ別の男がドラーク王家第八王子の名を叫んだ。
膝から崩れ落ちるザギールの下へ駆け寄ろうにも、フードの男たちはおろか、飼育小屋の周囲を守っていた水夫たちの足も凍りつき、動くことは出来ない。
M24A2のスコープから目を離し、状況を広く確認すると――エンプレスアントの幼生体たちも、突然のことに動きを止めて様子を窺っていた。
やはり、あのフードの男はコティの兄――ドラーク王家のザギール第八王子だと判ったが、なぜ突然死んだ?
ザギールは何かの詠唱を唱えていた。その文言を俺が聞き取れたことを考えると、魔力を含まない魔法とは別の何か――“フェローシステム”に違いない。
だが、その血統スキルが発動するよりも先に、卵から孵化した何かはザギールを攻撃し、一撃で絶命させた。
孵化した何者かは、ザギールが何を仕掛けていたのかを理解していたとは思えない。目の前に立つ者へ何の理由も判断もなく攻撃を仕掛けた――どうやら卵から孵化したばかりの何者かは、相当に凶暴な性格をしているようだ。
「こ、この失態……どうすれば……」
「気にする必要はない……ザギール様がいなければ、我らはここで死するのみ……」
「おい、ふざけんじゃねぇぞ! 俺たちは依頼主が死ねば報酬が手に入らねぇんだ!」
「そうだ! 勝手に諦めてんじゃねぇぞ!」
ザギールの護衛だと思われる生き残ったフードの二人は足を凍りつけたままうな垂れ、その場を脱出する気すら起きていない。
逆に水夫たちは足元の氷を武器で砕き、行動の自由を取り戻していたが、フードの男たちを助けるつもりはなく。飼育小屋で孵化した何者かと、周囲を包囲している幼生体からどうやって脱出するのかを探っていた。
だが、そんな水夫たちの動きや幼生体たちの戸惑いよりも、俺の視線は飼育小屋の正面に釘付けになっている。
卵の状態は見えないが、ザギールの頭部を貫いた氷槍は溶けて水に変わり、飼育小屋の内側からは氷が割れるような破砕音が聞こえてくる。
出てくる――。
氷の殻を割って出てこようとしている。M24A2のスコープを再び覗き、トリガーに指を掛ける。飼育小屋を撃ち抜くのは難しい、孵化した以上……対象を正確に視認して急所を撃ち抜く方が間違いは起きない。
ジッと動きを止め、スコープの先に集中していく――。
幼生体たちも卵から何かが這い出てくることを警戒している。いや、むしろソイツの危険性を誰よりも判っているかのように、少しずつ距離をとって離れていく。
その動きをマップに映る光点で確認しつつ、飼育小屋の陰からソイツが出てくるのを待った。
水夫たちも卵から何かが出てくることは判っている。幼生体の包囲が崩れ始めたのを見ると、すぐに負傷者へ駆け寄り回復魔法を唱え始めた瞬間――。
今度は飼育小屋の壁を突き抜けて氷槍が射出され、魔法を唱え始めた水夫の上半身に大穴が開いた。
「ぐあぁ……」
「うわぁぁぁぁ!」
一瞬で絶命した水夫が負傷していた水夫に覆いかぶさり、混乱した水夫の叫び声だけが響いた。
「ま、魔法は使うな! 魔力かスキルに反応してやがるんだ。負傷者を引きずって海に出るぞ、治療はその後だ!」
二発目の氷槍に怖気ついたのは水夫たちだけではなかった。幼生体たちの包囲はさらに崩れ、逃げるようにして低木林へと駆けていく。
逃げ足が早い……そういえば、マルタさんの護衛依頼でもあの獣人種の三人組は一目散に逃げだした。自分たちが置かれている状況が悪ければ、自己保身のために逃走することが染みついているのかもしれない。
水夫たちは海岸線へ、幼生体たちは低木林へと交差するように逃げ出し、キャンプ地に残るのは水夫の死体と白濁液の水たまり――そして、まだまだ数の有利を大きく確保していたはずの幼生体たちを退ける、卵から孵化した何か。
徐々に静けさを取り戻していくキャンプ地の中で、唯一飼育小屋の中から聞こえる氷の割れる音だけが鳴り続いていた。
そして、それも止まった――出てくる。
ザギールの頭部を問答無用で貫き、魔力に反応して攻撃の意思を持たぬものを殺したモノ。その二発だけで幼生体は逃げ出し、それが相当な力を持った証明でもあった。
マップには飼育小屋に映る光点だけが残り、それがゆっくりと動き出すのが見え、トリガーに掛ける指に思わず力が入る――。
さぁ、来い――!
「――キュィ?」
だが、スコープの中に入って来たのは透き通るように美しい水色の産毛を生やすトカゲ――いや、あれは――ドラゴンだ。一目見れば、それが自然界の頂点に君臨する生物だと判る。
敵対するのは不味い――直感でそう判断し、緊張からか僅かに震える指をトリガーから外す。
ドラゴンの赤子は飼育小屋の陰から頭部だけを出し、周囲を見渡して何かを探しているようだ。
一歩、二歩と警戒しながら柵を破壊し、飼育小屋の外へと全身を晒す――大きさは一メートル弱と言ったところだろうか、凍った卵に比べると幾分小さい体だが、水色の体毛は卵同様に透き通っているようで、体内を巡る血管らしき管が何本も見えている。
その管には極彩色に輝く液体が脈打つように流れており、それが濃厚な魔力の流れだと『魔抜け』の俺でも判るほどに輝いていた。
「キュウ~」
ドラゴンの赤子が再び鳴いた。目はまだ開いていないのか、鼻をクンクンさせて周囲を窺っている。頭部を失ったザギールの体を尻尾で撫でるようにして何か調べているが、触覚の役割を果たしているのだろうか?
「……キュッ」
――よく判らないが、お気に召さなかったらしい。
興味をなくしたようにザギールの死体から離れ、よろよろと覚束ない四つ足で移動しながら、今度は幼生体が溶けた白濁液を調べだした。
「……キュ~キュッ」
これもダメらしい――いや、何が正解なのか判らないが、あの赤子は肉食というわけではないようだ。
その様子をジッと見ていると――まだ目が開かないのか、崩壊した防護柵に躓いて顔から地面に激突した。
「キュッ!」『痛い!』
その時――ドラゴンの赤子の鳴き声に続いて、自動翻訳機能によって翻訳された機械音声が流れた。
今の声は――ドラゴンの言葉か?
これまで魔獣や亜人種の咆哮やギャーギャー喚く声が翻訳されたことがなかったので、自動翻訳機能は人の言葉しか翻訳しない物と思っていた。唯一の例外は迷宮の主のウェアウルフくらいだが、卵から生まれてきたあの赤子が、俺と同じ”枉抜け”とは思えない。
しかし、高度な知能のを持つドラゴンの言葉なら、自動翻訳機能が作動してくれるようだ。
翻訳できるということは、意思の疎通ができるということなのかもしれない。
ドラゴンの赤子は動き回ることを諦め、その場に座りこんでいた。まだ見えない目で周囲を見ようとしているのか、首をゆっくりと振っている。長い尻尾を遊ばせて地面を掃き、小石を器用に尻尾で包んで摘み上げては、ポイッと遠くへ投げていた。
その寂しげで不貞腐れた様子からは、ザギールの頭部を貫き、水夫の上半身に大穴を開けた主とは思えない愛嬌を感じた。
近づいてみるか――。
ドラゴンは自然界の覇者と呼ばれるほどに強大な力を持つ生物だ。魔獣とは違い、高い知性と強大な魔力を持つと言われている。ザギールがどうやってドラゴンの卵を手に入れたのかは判らないが、バイシュバーン帝国からの勅命は血統スキル〈フェローシステム〉を使い、ドラゴンをペットとして服従させることだったのだろう。
服従させたあとに何をさせるつもりなのかは判らないが、赤子とはいえドラゴンを手に入れれば、その力は大国の戦力に匹敵する。
あの赤子をここに放置してもいいが、血統スキル持ちが新たに送り込まれる可能性もある。バイシュバーン帝国の目論見を砕くためには、あの赤子を別の場所に移動させるか――斃すかだ。
茂みから立ち上がり、ギリースーツを解除してM24A2もインベントリに戻す。通用するのか判らないが、ARX-160を再び準備し、ゆっくりとキャンプ地へと歩き出した。