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迷宮島への出発の日。マルタさんには食糧や物資の他に、フィルトニア諸島連合国で活動する際に必要になるであろう、アレやコレやを全て用意してもらった。
フィルトニア諸島連合国の玄関口である船上都市ビグシープまでは一般的な商船で約二週間。俺はUボートVII型で航行するためそれほどの日数はかからないと思うが、前回と違い――今回の航海には先導者がいない。
マルタさんにはマリーダ商船所で使っている海図を見せて貰い、それをウィンドウキャプチャーして保存してはあるが……正直言って、航海の素人が見たところで得られる情報は少ないどころか、見方すらよく判っていない。
それでも――方角と海図に描かれた目印の孤島や岩礁を頼りに航海し、小型無人偵察機のRQ-11 レイブンを日夜飛ばして近くを航行する船舶をチェックしていけば、大海原で遭難することだけはないだろう。
最悪の場合でも、適当な小島に上陸してしまえば転移してアマールに帰ることも出来る。
「準備は完了ですか? シュバルツさん」
「えぇ、マルタさん。準備は万全、緊急時の避難準備も用意済み、後はゆっくりと航海して南の小島で休暇ですよ」
「さすがはシュバルツさん、余裕ですな」
「無理はしないでね、シュバルツ。定期連絡は絶対に忘れちゃだめよ!」
「判ってるよ、アシュリー」
深夜のアマール港――蒼い月明りが海面に反射し、海の青色はキラキラと輝いて停泊する多数の船舶を幻想的に照らし上げていた。
俺の見送りに来ているのはアシュリーとマルタさんの二人だけ、少し離れた所には“君影草”のロイとレイチェルもいるのだが、この二人はあくまでもアシュリーの護衛として同行している。
インベントリから使い捨てアイテムの救命ボートを取り出して海へ投げ入れる。海水に触れた途端に勢いよく空気が噴射されて膨張し、オレンジ色のゴムボートへと姿を変えた。
岸壁から救命ボートへと飛び降り、アシュリーとマルタさんを見上げるように振り返る――。
「じゃぁ行ってくるよ!」
そう言いながら軽く手を挙げ、船外機のスタートボタンを押す。勢いよく回りだすスクリュー音と、「いってらっしゃい!」と叫ぶアシュリーとマルタさんの声が重なった。
海上で救命ボートからUボートへと乗り移り、進路を南にとって航海は始まった。
とはいえ、日中の大半は潜水航行し、消費していくバッテリーを見ながら回復のために海上航行へと移行し、そのタイミングでRQ-11レイブンを飛ばして偵察を行う。
海は荒れることもなく静かに波を揺らし、海中を泳ぐ何かを示す光点は巨大なUボートを避けるように離れていく。フィルトニア諸島連合国へと向かう航海は安全そのものだった。
しかし、基本的に潜水艦内で過ごすだけの日々は退屈そのものだった。航海開始後の数日間は物資の確認や銃器のメンテナンス、インベントリ内に保管している総弾薬数の確認など、やることは多かった。だが、それしかやることがなければすぐに終わってしまう。
暇すぎるので浮上して海上の風にでも当たろうかとUボートを潜水航行から海上航行へと移行し、司令塔に上がって外に出る。
「ふぅー、暑いなぁ……」
司令塔の上部デッキに背を預け、燦々(さんさん)と輝く太陽を見上げながら思わず言葉が零れた。
この世界も前の世界――地球と同じ丸い惑星なのだろうが、フィルトニア諸島連合国は赤道に近い座標に位置しているのだろう。
TSSからアバターカスタマイズを選択し、服装を南国向け、かつ水夫に近いものを選択していく――。
「確か衣装セットの幽霊海賊パックにそれっぽいものが――あった」
新しく選択した衣装は白シャツにズボンの軽装、それにノースリーブのジャケットを羽織っただけの海賊水兵スタイル。ARFを隠し持つのは難しいが、ハンドガンならショルダーホルダーで持てる衣装だ。
司令塔の上部デッキを動き回りながら、新しい服の着心地を確かめる。聞こえてくるのはUボートのスクリュー音に波の音だけ。頬を撫でる潮風に汗をかきながら、前の世界で訪れた南国の国々を思い出す――FPSの世界大会で訪れた東南アジア諸国。
「あそこも暑かったなぁ……ん?」
その時、見上げる青空に黒い影が見えた。黒い――大きな何か、楕円形の左右には翼らしきものが伸び、かすかに尻尾らしきものが――。
そこまで見えたと思った瞬間、真っ白な雲の向こうへと消えていった。それは、雲よりも高高度を飛行していたのだ。
Uボートの遥か上空を飛行していた何か――それを理解した瞬間、頬を伝わる汗が体中から熱を吸い取って全身に悪寒が走った。
「急速潜航!」
誰に言うわけでもなく、Uボート自体へ命令を飛ばして発令所へと滑り込んでTSSのウィンドウモニターを多重起動し、発令所中に浮かべて現在地のマップ情報に潜望鏡の映像を表示する。
また、ここまでマッピングしてきた海図を表示して黒い飛行物体が飛んで行った方角に何があるのかを確認する。
「未踏破領域か……けど、本当にいるんだな……ドラゴン」
雲の向こうへと消えていった黒い物体、そのシルエットから連想できるものはただ一つ――この世界において最強の魔獣、地上世界の覇者とも呼ばれるドラゴンだ。
黒いシルエットから判ったのは相当に巨大な体躯を持ち、四つ足に大きな翼を持つ西洋竜型のドラゴンだということだけ。
総合ギルドの資料館で見かけた資料によれば、俺が落ちたオルランド大陸には数匹だけ生息が確認されているレベルの希少な魔獣である。
ドラゴンは魔力がより濃く溜まっている場所に巣を作る習性を持ち、自らも魔力を振りまいて餌となる魔獣を呼び寄せるそうだが、アレの目的地も迷宮島だろうか?
だが、フィルトニア諸島連合国の伝統的な魔石狩りの手法は、迷宮を意図的に暴走させて溢れ出た魔獣・亜人種を狩るというものだ。それがより強大な脅威を呼び寄せる原因になるなら、危険すぎて伝統文化になるはずがない。
となると、あのドラゴンはたまたま海上を飛行していたのか?
そんな答えの出ない思考の迷宮に迷い込むながらも、Uボートは南へと潜航していった。
フィルトニア諸島連合国の玄関港である船上都市ビグシープを視界に捉えたのは、海洋都市アマールを出航してから一二日後の夜だった。
Uボートの水上航行速度から考えれば時間が掛かり過ぎてしまったのは、出港時の不安が見事に的中した結果だった。
大海原のど真ん中で目印を失い、方角だけを頼りに航行を続けていたが、やはり素人の俺に長距離航海は難易度高すぎた。
一般的な水夫ならば月の位置や夜空に輝く星の位置から現在地を割り出すのだろうが、俺の場合はRQ-11レイブンを飛ばし、フィルトニア方面に航行している船舶を追跡することでしか正確な位置を確認できなかった。
そのため、航海の後半は鈍足な大型商船の後方で潜航する日々となっていた。
大小二〇〇の船舶が連結し、一つの島のように海上に浮くビグシープは、フィルトニア諸島連合国内でも一つの国として認められている。だが、国と言ってもクルトメルガ王国のような王制を敷いているわけではない。
統治しているのは獣人種の一部族らしく、連合国を形成する島一つ一つが同じような統治体制を敷いているそうだ。
ビグシープの状況を潜望鏡で監視しながら、時が流れていくのを――夜の闇が色濃くなるのを静かに待つ。
船上の灯りが減り、都市が寝静まったのを見計らってUボートから救命ボートへと乗り移り、追跡を続けていた大型商船の船尾へと近づいた。
フィルトニア諸島連合国への入国審査はそれほど厳しくはない。貿易港として北のオルランド大陸と交易を行うことがメインの収入減であるため、商会関係者はギルドカードの提示と商船の乗員証明書などがあれば入都を許可される。
入都審査では『大黒屋シュバルツ』として商業ギルドのギルドカードを提示するつもりだが、乗船許可証がなければ密航になってしまう。これはマルタさんにマリーダ商船の乗員証明書を用意してもらうことで解決したが、入都の瞬間だけは人の波に紛れる必要があった。
そして夜が明けた早朝――大型商船がビグシープの船着き場に停泊するタイミングで俺も都市内部へと乗船し、意気揚々と下船してくる水夫に紛れて入国審査を行う事務所へと向かった。




