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今年もよろしくお願いします
アシュリーと今後の射撃演習場の扱いについて話し合ったのち、俺たちの会話は何気ない雑談へと変わり、時間を忘れて話し込んでいたのだが――。
トントン
そんな安らかで楽しい時間は、丁寧に扉をノックする音で終わりとなった。
「失礼いたします。アシュリー様、シュバルツ様、ご夕食の準備が出来ました。それと、ドルーモ卿がご挨拶に来ております」
私室へやってきたのはゼパーネル邸の老執事、レスターさんだった。いつの間にか夕食の時間になっていたようだ。
「本日は宗主様とシャルロット様のご要望により、ささやかな晩餐会のご用意をさせていただきました。ドルーモ様を始め、少数ながらお客様をお迎えする予定でございます」
「わかったわ。ありがとう、レスター」
「アシュリー様の着替えは部屋に用意させてありますので、まずはそちらへ」
「じゃぁ、俺は先に行っておくよ」
晩餐会とは言うが、実際には客を招いての夕食会といったところだろう。ゼパーネル宰相だけでなく、カーン王太子とアーク王子がアマールに滞在するようになってからは、度々このような突発的夕食会が開かれていた。
特に理由のない、ゼパーネル宰相の気まぐれ開催なのだが、そうやって海洋都市アマール周辺の貴族や有力者たちと顔繫ぎの機会を作っておかないと、再び“覇王花”のような反乱分子を産む一つの種になりかねない。
アシュリーはレスターさんと共に自分の部屋へ着替えに戻り、俺はアバターシステムを操作して一瞬で着替える。
とはいえ、テールコートなどのドレスコードに沿った服装に着替える必要はない。ゼパーネル邸の晩餐会はもっとカジュアルな服装で大丈夫なので、シュバルツからシャフトへとセット衣装を変更し、タクティカルケブラーマスクを黒豹のベネチアンマスクへと変更し、オーバーコートを脱いでおく。
シュバルツとシャフトは別人だと外部に吹聴しているが、ゼパーネル邸内ではシュバルツのまま歩き回っているし、ここの使用人達は十二分に信頼できる者たちばかり。俺がシュバルツでありシャフトであることを知っても、そのことを口にする声を集音センサーは一度も捉えていない。
私室がある二階から一階へと下りると、大食堂にはすでにいくつもの光点が浮かんでいた。
「シュ――シャフト、やっと降りて来たのね、姉様は?」
「部屋に戻って着替えている」
大食堂に入ってまず声を掛けてきたのはシャルさんだ。いつも着ている冒険者としての軽装ではなく、少しお洒落な男装の礼服を着込んでいた。シャルさんは女性らしい服を着るつもりが全くないらしい。
手に持つのは黄色く泡立つ飲み物が入ったグラス――中身はショッピングセンターから持ってきたビールだろう。
晩餐会に招待された客人たちはまだ席についていない。食前酒として振る舞われた果実酒やビールを手に、ソファーに座るカーン王太子やゼパーネル宰相たちを囲み、立ち話をしていた。
その輪の中にマルタさんの姿も見える。俺も王太子たちに挨拶がてら、マルタさんと迷宮島遠征について話をしようと思ったのだが――。
「ほぅ、貴様が“黒き英雄のシャフト”か」
俺の前に立ち塞がるように、大樽のような腹を揺らして豚鼻の黄色髪――豚レモンが声を掛けてきた。
「……“黒き英雄”はやめて貰いたい、ドルーモ卿」
「フンッ、確かに……宰相直属とはいえ、たかが実戦部隊の一人に付けるには過ぎた呼び名だ。だが、それもアマール護衛船団の総司令官たるこのオレ、“海神のレイツェン”の前では霞むがな」
ビシッ!! と音が聞こえてきそうな指差しで俺の目の前に豚レモンの短くて太い指が突き付けられたが、俺の関心はその後ろ――。
豚レモンの後ろで俺たちの会話を聞いていたシャルさんが、今にもビールを噴き出しそうに顔を真っ赤にして震えていることの方が重要だ。
シャルさんに視線を向け、完全に目が笑っているシャルさんに無言で「噴くなよ」と忠告するも――あっ、無理だこれ。
「ちょっと失礼」
豚レモンを避けて追い越し、ドイツ親衛隊の黒服の内側に手を入れるフリをしながらインベントリよりタオルを取り出し、噴き出すシャルさんの顔へと押し付けた。
ブバッ――。
「シャル、晩餐会でそれは不味い」
噴き出したビールをタオルで受け止め、礼服が汚れないよう、口の周りをキレイにふき取ってあげる――。
「た、助かったわ……」
ビールに酔ったせいか、それとも吹き出すのを我慢していたせいか、シャルさんの顔が真っ赤に染まっていた。
「食事前に飲み過ぎるのは感心しないな」
「うっ……」
空腹にビールはよくない。前の世界では当たり前の知識だが、炭酸は胃の活動を活発化させる。そこに加えてビールだけを飲み続ければ、アルコールばかりが吸収されて酔うのも早くなってしまう。
軽く出来上がり始めているシャルさんをロングテーブルのいつもの席に座らせ、大食堂の隅に立つメイドたちに視線を送る。
それだけでメイドの一人が軽く頭を下げ、大食堂の隅に置かれたワゴンから水差しを運んできた。
「シャルロット様、どうぞ」
「ん、ありがと――まったく、豚レモンには困ったものだわ。いきなりあんなこと言うだもの!」
確かに……アレはさすがに噴く。
シャルさんの視線に釣られて俺も自称海神へ視線を向けると、ピクピクと肩を震わせながら虚空を指さし続けていた。
あれはもう無視だな。
そう心に決めたのと同時に、大食堂の入り口にアシュリーが現れた。着ているのは大型ショッピングセンターから持ち出したシフォンドレスを参考に、この世界の裁縫職人が作り上げた濃紺のロングドレスだ。
〈裁縫〉の技能レベルに左右されてしまいがちな裁縫技術だが、デザインに関しては前の世界のものをそのまま取り入れることが出来る。仕上がりに関しても、根本的な裁縫技術の研究が進めば技能の熟練度関係なしに、良質な製品が大量に生み出せるようになるだろう。
それにしても――透き通るような薄い生地に覆われたアシュリーの白い素肌は、とても官能的に見えてくる。
アシュリーが合流したことで、今夜の晩餐会という名のささやかな夕食会の参加者が揃った。
メイドたちに促されるように歓談に興じていた王太子や来客たちがロングテーブルに座り、俺もシャルさんの隣の席――アシュリーの指定席の椅子を引いて迎える。
「ありがと」
椅子に座るアシュリーが小声で呟き、俺も返すように耳元で呟いた。
「その服、似合っているよ。でも、注目され過ぎじゃないか?」
ロングテーブルに座る男性陣はチラ見だが、その連れの女性陣はガッツリとアシュリーの着る服を見つめていた。
「ふふっ、ありがと」
アシュリーは少し恥ずかしそうに顔を赤らめていた。隣に座るシャルさんはドレスの端をつまみ、物珍しそうに生地の手触りを確かめているが、女物の服に興味がないわけではないのか。
「アシュリー様のドレスは王都でも見かけた覚えのない意匠ですね。どちらの作ですか?」
アシュリーと比較的近い場所に座ったマルタさんが、客人たちを代表するかのように質問を投げかけた。その視線がアシュリーだけではなく、向かいの席へと移動する俺にも向けられたことから、マルタさん自身はドレスの大元が俺にあると見当がついているのだろう。
だが、問いの答えを今か今かと待ち構えているご婦人方には関係のない話。アシュリーは口角を上げて微笑むと、敢えてその答えが判り切った問いに答えた。
「このドレスは、ゼパーネル家で技術研究を行っている職人工房で作らせたものです。まだ市場に流すほどの品質には程遠いですが、意匠も含めてゼパーネル家が先導して管理しています」
「ほぉー、わたしの目にはすでに十分な出来栄えに見えますが」
「マリーダ商会の商会長にそう言ってもらえるとは、職人たちも喜ぶでしょうね」
そんな雑談を交わしながら、ゼパーネル家が職人工房を運営していることを客人たちに匂わせていく。これが広まれば、俺の流した技術や道具の隠れ蓑になっていくことだろう。
夕食会が始まった後も、話題はアシュリーの職人工房が中心となった。この職人工房、正確にはバーグマン宰相の子飼いが大半なのだが、今後はその表の顔を変えながらクルトメルガ王国の様々な技術・文化の向上に貢献していく。
夕食会が終わった後――俺はマルタさんを私室へ誘い、迷宮島へ出発した後のことを話し合っていた。
「それでは、採取できた属性魔石はこちらで捌いておきます」
「お願いします。それと、魔法陣の設置場所は確保できそうですか?」
「えぇ、ちょうど交易船が一隻帰港しています。その船倉に設置して港に停泊しておけば、誰にも不審がられずに物資を運べるはずです」
テーブルを挟んで向かい合うように座り、食後の紅茶を飲みながら話し合いを進める――マルタさんと協議しているのは、主に補給線についてだ。
CPの底が目の前にある現状、魔獣・亜人種から採取できる無属性魔石だけを当てにして遠征するわけにはいかない。フィルトニア諸島連合国から輸入した魔石もあるのだが、暴走を繰り返しているという破棄された迷宮島では何が起こるか判らない。
緊急避難路、魔石や食糧などの物資、アマールに滞在するカーン王太子とアーク王子の緊急時対応、それら諸々を考慮しつつも、俺個人が転送魔法陣を所有していることは秘匿しなくてはならない。
俺に所有権がある魔法陣の一組――ゼパーネル邸と王都を繋ぐ転送魔法陣は地下室に置いたままにする予定だが、当分の間はその管理を護衛船団から出向してくる海兵たちに任せることになる。
その為、迷宮島とアマールを繋ぐ魔法陣の設置場所がゼパーネル邸では不都合が出るのだ。
マルタさんには俺が自由に転移できる場所を用意してもらい、補給線の確保に加えて、迷宮島での活動報告をアシュリーたちに届けてもらう。これは携帯電話の使用を海兵たちに見られないようにするためと、明確な連絡手順を決めておかないとアシュリーが心配するためだ。
こうして――帰りが遅いマルタさんを心配してマリーダ商会の商船所から迎えがくる夜遅くまで、俺たち二人の話し合いは続き、出発の日を迎えたのである。




