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『見つけき』
視界に浮かぶチャットウィンドウのログがその言葉で埋め尽くされていく。
晴れ渡っていた大型ショッピングセンター前の駐車場には大きな影が差し、背後に何か大きな気配を感じるが、マップに光点はない。振り返れば済む話だろうが、今それをしてはいけない――なぜかそう感じられた。
しかし、チャットログは目まぐるしく象形文字の羅列を表示し、その自動翻訳文が俺の視界を埋め尽くす――。
このタイミングでなぜコイツが……邪神が俺にコンタクトを取ってくる? それに、「見つけき」とは……見つけた?
背後から感じるプレッシャーに体が硬直し、声を発することも息をすることもつらく感じる。そして同じ言葉の羅列が止まり、別の文字列が流れ出した。
『可愛し、可愛し、我の子』
『憎たらしき彼奴に親子の楔断ち切られし我の子』
『然し、我子つはかむして迎へに来てくれき』
『命吸ひて強く育ちてくれき』
『いざ、枉法もちて狭まの世界に風穴を』
『いざ、貴方の母に救済を』
『いざ、生き別れし絆の再生を』
『いざ』
『いざ』
『いざ』
『共に彼奴の子らに厄災を』
『共に彼奴の世界に混沌を』
『共に彼奴の全てに滅却を』
『いざ』
『いざ』
『いざ』
息を潜め、声も物音も立てずに……いや、息が詰まるほどのプレッシャーに全く動くことが出来なかっただけだが、邪神の様子が段々変わっていく――狂っていくのが目に見えて判る。
集音センサーは聴き取れない何かをずっと拾い続けている――これは、狂える女神の声そのものなのか……。何も聴き取れないのは、話す言葉全てに魔力に宿っているからだろうか。
そう感じた瞬間――射撃演習場全体の空気が震えた。
『……我の子?』
『……何処に有るぞ我の子?』
『……声聞かせて我の子?』
『……我与へし力の波動覚えせて?』
『……何処?』
『……何処?』
『……何処?』
『何処に有るぞぉ?!』
『何処ぉぉぉぉぉ?!』
『何処なるぞぉぉ?!』
空を覆いつくす影が激しく揺らぎ、射撃演習場全体の空気が何度も震える。それはまるで――世界の外から俺の領域そのものが叩かれているような。
それは狂える女神の反応からも明らかだ……正直、背後から感じるプレッシャーと空気の震えから感じる狂気は、さらに強まって恐怖すら感じる。この世界に落ちて、明確な恐怖を感じたのは初めてかもしれない。
狂える女神は俺が何か動きを見せるのを要求し続けていた。声か――動きか――VMBの力か――何か行動を起こして存在を示せと狂おしく吠えている。
俺の姿が見えているわけではないのか……。
そう考えると、身の竦むような恐怖心が少し和らいでいく。大きく揺らぐ漆黒の影は少しずつその黒さが薄まり、激しく打ちつけられる空気の振動も次第に弱まっていく。
チャットログの勢いも弱まり、気づけば駐車場の空は何も変わらぬ快晴に戻っていた。
「消えた……か?」
背後に感じるプレッシャーもなくなり、狂える女神はその姿を消した。
振り返って大空を見上げても、その影も形も何もない。無人の駐車場を見渡しても、ショッピングセンターの中で感じた不気味さや寒気も感じない。
だが――とてもではないがこの場に居続けることは出来なかった。転送魔法陣を回収し、射撃演習場から個人ルームへと移動してアマールへ転移した。
「シュバルツどうしたの?! 顔が真っ青よ!」
模写魔法陣が置かれているゼパーネル邸の地下室に転移すると、俺の帰りをアシュリーが待っていた。
「大丈夫だよ……たぶん」
「たぶんって……何かあったの?」
駆け寄るアシュリーの心配する顔が目と鼻の先にまでくる。
あのチャットログのことを話すか――? いや、これから一人で迷宮島へと遠征すると決めただけでも随分と心配を掛けた。これ以上の心配事を増やすのは……。
だが、アシュリーはすでに俺の秘密を知っている。この世界の生まれではなく、別の世界から落とされた『枉抜け』だと。それに……アシュリーとの間に秘密を増やしたくはない。
「場所を変えよう……相談したいこともあるし」
その後、アシュリーと一緒に地下室からゼパーネル邸での俺の私室へと移動し、俺がこの世界に落ちた経緯をどこまで知っているのかを確認した。
その辺りについて、アシュリーとしっかりと話したことはなかった。前の世界について話したことはあるが、VRゲームやFPSについて話したことはない。
どう考えても理解することが不可能だからだ。それに、邪神や創世神の存在については情報が足りな過ぎた。
城塞都市バルガ、王都クルトメルガ、どこの資料館を漁っても神に関する文献が殆ど見つからなかった。見つけたとしても、どの文献も似たような情報ばかり……邪神が迷宮を生み出す根源であり、創世神が邪神をどこかに封印した。
邪神も創世神も、その名に関する情報はすでに忘失しており、伝承もまともに残ってはいない。
アシュリーは俺がこの世界に落ちた理由――元迷宮の主であることは知らなかった。ただ、別の世界より落ちて来た一人の青年、そうゼパーネル宰相から聞いていたらしい。
俺も自分から元迷宮の主などと口にしたくはない……それは認めがたい事実だからだ。そして、本当に“元”なのかも怪しいと考えさせられている。
しかし、射撃演習場に現れた邪神のことを考えれば、いつまでもそこに触れないわけにはいかない。
「邪神……あの領域にそんなものが……?」
「いや……正確には領域の外だと思う」
「その……“ちゃっとろぐ”というの、私も見ることが出来るかな?」
個人宛のチャットログはVMBのシステムに保存されている。私室で向かい合うように座るアシュリーに向けてTSSのウィンドウモニターを中空に浮かべ、チャットログを全面に表示させた。
「こ、これが邪神からの言葉……?」
「念のためだけど、声に出さない方がいい。マルタさんが話していたことだけど、邪神や創世神の名を口にすると体中の魔力を消費して死に至ると言っていたから」
「――えっ」
今にも声に出して象形文字を読み上げそうだったアシュリーが固まった。小さな可愛らしい口が僅かに動き、俺の言葉に返答する声も出なくなっている――。
「それに――アシュリーはこの文字が読めるの?」
「――っあ、読めない……」
その一言で、俺とアシュリーの間に妙な沈黙が流れたのは言うまでもない。
「と、とりあえず……シュバルツが迷宮島から戻った後も、“しょっぴんぐせんたー”の利用は控えるように宗主様とバーグマン宰相には伝えるわ」
俺もそれには賛成だ。数少ない情報しかないが、あの邪神が射撃演習場という俺の領域の“外”に封印されていることは容易に想像がつく。
あそこは前の世界でも、この世界でもない、第三の世界。それぞれの境界線である狭間の世界に、邪神が存在しているのだろう。
それに――チャットログの自動翻訳文から察するに、射撃演習場での会話やVMBの力を行使すること、施設から得られる物資を復元することに邪神が反応した節がある。
それも当然か、回収した携帯電話や食材などの物資――いや、射撃演習場という領域のみならず、VMBのシステムや力そのものが邪神から与えられたもの。
それを使えば――消費すれば、その力の波動が邪神に伝わっていたのかもしれない。
「あの領域で物資を消費したり俺が活動したりすれば、その動きを辿って邪神が寄ってくる。そう考えた方がいい、それに……あれは今の俺にどうこうできる存在だとは思えない」
それが――あの時に感じたプレッシャーや恐怖、その存在感を直に感じ取った結論だ。
あの狂える女神は狭間の世界に封印されたまま、その境界線にこちらから穴をあけ、仕掛けなくてもいい無謀な戦いを挑む必要はない。
俺は当初の目的通り、この世界に生まれた迷宮を潰し――滅ぼし――消滅させる。それが俺に出来る、狂える女神を後悔させ、永久の封印へと繋がる道の一つのはずだ。
「……だけど、一度流した技術や道具を止めるのは難しいな」
「何もかもをシュバルツが解決する必要はないし、広まり始めた技術や道具に関しては私が――ゼパーネル家次期当主、アシュリー・ゼパーネルの名においてしっかりと管理します。それが……私たちの“誓い”ですからね」
「了解。そちらはアシュリーに任せるよ」
そう――フライハイトで行われた晩餐会のあの日、俺とアシュリーはお互いに誓いを立てた。
射撃演習場の使用頻度を出来るだけ下げ、邪神が俺を見つけられないように距離を取る。その為の動きはアシュリーに任せれば大丈夫だろう。
「フフッ、任せて!」
俺の返答に満足したのか、アシュリーが満面の笑みを見せて微笑んだ。
よいお年を




