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ゼパーネル宰相を筆頭としたゼパーネル家の面々――アシュリーとシャルさんが盛大な拍手に迎えられた後、俺が入って来るのを見てその拍手が疎らに変わっていく。
ゼパーネル宰相と次期当主のアシュリーだけではなく、シャルさんまでもが晩餐会の参加者には認知されていた――だが、俺のことは違う。
『大黒屋』シュバルツ、地図屋のシュバルツ、その名前程度なら知っている者もいるだろう。しかし、『大黒屋』の営業を開始してから売り場に立つ事はそう多くはなかった。
マリーダ商会から手伝いに来ているエイミーとプリセラに売り場の殆どを任せ、俺は魔の山脈へ遠征し、バーグマン宰相らと密談ばかりしていた。
俺の顔を知るものなど――。
「おぉ! 『大黒屋』! ここで会うとは思ってもいなかったぞ」
入場早々に貴族たちに囲まれ始めたゼパーネル宰相とシャルさんから少し距離をとり、給仕の女性からワイングラスを二つ受け取ったところで俺に声が掛けられた。
「こんばんは、クルード卿。今夜はアシュリーの横に立たせてもらっています。それに奥様には初めてお会いいたします、王都で商いをしております『大黒屋』シュバルツと申します」
声を掛けてきたのはアーレイ・クルード王国騎士団顧問だった。彼の横には奥方と思われる熟年の女性も立っている。
「こんばんは、クルード卿、それに奥様も。シュバルツをご存知だったのですね」
「やぁアシュリー・ゼパーネル、今日も相変わらず可愛らしい。『大黒屋』には“奇跡の水”を都合してもらってな、おかげでほれ、この通りだ」
「貴方が『大黒屋』さんね。この人ったら、貴方から買った“いくもうざい”? それを奇跡の水だって言って、寝室にまで抱いて持ち込んでいるのよ」
「おいおい、シェリー。他の人に聞かれたら恥ずかしいだろ、騎士団の団長たちに聞かれたらワシの面目が潰れてしまう」
そんな笑い話を交えながらグラスを揺らす――クルード卿は恥ずかしがりながらも、しきりに頭部に手を当てている。
初めて卿に会った頃の頭部は見事なM字を描いていたが、今は綺麗な一文字に変わっていた。
「あら、本当のことでしょ。それにしてもアシュリーさん、貴女の髪綺麗ね。香りもいいし、何を使ってらっしゃるの?」
シェリー夫人の言う通り、アシュリーの赤金の髪は誰よりも輝いていた。ゼパーネル宰相やシャルさん、そして会場を見渡せば幾人かの美しい女性たちの髪も輝いていたが、それらすべては『大黒屋』で販売しているシャンプーとリンスの効果だろう。
アシュリーの髪質の話に夢中になり始めた夫人を横目に、こちらはこちらで話題に事欠くことはない。
「しかし、ゼパーネル次期当主の横に立つのが誰なのかは、ワシらの中でも話題だったのだが、まさかお主とはな」
「色々ありまして……」
「色々……か、だが後ろを見てみろ、ゆっくりとな」
クルード卿の言葉を受けて僅かに後ろに目を向ければ、まだ貴族の子息たちがパートナーを連れて固まっているのが見えた。お互いに連れ添いがいるにも関わらず、子息たちの目はチラチラとこちらを――アシュリーと俺のことを見ている。
「彼らはまだ爵位を持たぬ若い男たちだ。今後は騎士団に入るか、親の領地で治政に勤めるか――まぁ、前途有望だが選べる先が少ない者たちだ。しかし、もしもゼパーネル家と近づければ話は違う、彼らにとっては数少ない転機となるはず……だったわけだ」
「そう言われましても……」
「そうだな――だが、気をつけておけ。何かあれば、彼らは無言の結束で君をアシュリー・ゼパーネルの横から引きずり下ろすだろう。ワシらとしては、些細な事で『大黒屋』に閉められては困る」
クルード卿が何を言いたいのかは判る。育毛剤が手に入らなくなっては困るから――だけだとは思いたくないが、俺がバーグマン宰相の依頼で魔の山脈へ“黒面のシャフト”を送り込んだことをクルード卿は知っている。
ドラム要塞を潰し、ドラーク王国の王女を隠れ村ヨルムに匿う手配をしたことを知っている。
それらすべてを知られるな、そう言いたいのだろう。
だがまぁ、その辺に関しては大丈夫だ。魔の山脈で暴れたのはヨーナだし、俺がバーグマン宰相から直接商談を持ちかけられたことを知る者はごく少数、シャフト=シュバルツという事実を含め、これらが公にされることはないだろう。
「ありがとうございます、気をつけておきます」
一応の返礼をしたところで、会場内に三王子の入場を告げる声が響いた。
楽隊が演奏していた優雅な弦楽曲が止まり、パイプオルガンに似た鍵盤楽器により厳かな曲が流れ始めた。歓談の声は静まり、参加者全ての視線が一つの扉に集まる。
ゆっくりと開かれた扉の奥から、六人の人影が近づいてくる。聞き覚えのある足音が三つ――。
一人目――いや、一組目のカップルが入って来る。
『カーン王太子……』
『王太子……』
『式典では座ったままでおられたが』
『歩けるまでに回復しておられたが』
周囲の貴族たちが一組目の姿を見て声を漏らした。カーン・クルトメルガ王太子――王位継承権第一位に座する未来の王。
しかし、その姿はあまりにも細い……何かの病気だろうか? 右手で杖を突き、左手は伴侶と思われる女性に組み支えられながら歩いていた。
まさか、これまで王都で全く姿も話も聞かなかった王太子が、一人で歩く事にも助けがいる状態だったとは……。
王太子が姿を見せたことで、一つ、また一つと手が叩かれ始め――歓声と拍手へと変わっていく。
ぼんやりとその光景を見つめ、俺も釣られるように力なく手を打っていると、隣にクルード卿が近づいて来た。
「王太子に会われるのは初めてか?」
「え、えぇ……」
「やはり、弱々しいお姿に見えるか」
「病気……ですか?」
「そうだ。王太子は生まれながら内包魔力が人よりはるかに多くてな、それが体を蝕んでおる。治療薬も方法もない、溜まった魔力を魔法という形で消費し、常に放出しつづけなければ体が崩壊するとまで言われておる」
「それなのに、王太子なのですか? どこかで療養し、治療の道を探った方がいいのでは?」
カーン王子の後ろに続き、第二王子のキリーク・クルトメルガが姿を現した。横に立つのは随分と派手な印象の女性、カーン王太子の伴侶が清楚な落ち着いた女性だったのに比べ、キリーク王子の服装も含めて主張が激しい。
「それは出来ぬ」
「何故ですか?」
「王家の長子であり、継承権第二位がキリークだからだ。バーグマンの下で動くお主なら、すぐにその耳に色々と入って来るだろう。キリークが王位を継げば――この国は変わる」
どう“変わる”のか、それをクリード卿が口にすることはなかった。
キリーク王子を迎える拍手は疎ら……というよりかは、迎える者とそうでない者――その差が激しい。若い貴族たちほど熱心に迎え、熟年の貴族ほど迎える熱は低い。
キリーク王子といえば、彼がクルトメルガ王国最大のクラン“覇王花”のマスターだ。入場口の近くには覇王花のサブマスター、金髪ポニーテールの長身エルフの騎士――フェリクス・メンドーザの姿が見える。
フェリクスはクランマスターであるキリーク王子を迎えるわけでもなく、じっとどこかを――。
視線の先を追う……そこには、カーン王太子に――ゼパーネル永世名誉宰相がいた。
貴賓席とも言える、繊細な彫刻が施されたロングソファーに座り、グラスを片手に歓談を始めている二人を見ている。
再びフェリクスへ視線を向ける。無感情に見える表情だが、目には冷酷で闇色に濁る光を宿していた。




