220
マリーダ商会の応接室に召喚したロイヤルウェディングケーキ。生クリームやホワイトチョコレートによって施された精巧な花模様や渦巻き模様が、白一色のケーキに純潔さと高貴さを漂わせていた。
召喚が完了するや否や、マルタさんは俺の横からウェディングケーキへと駆け寄り「ほぉー」とか「はぁー」とか、声にならない感嘆の吐息を漏らしながらケーキの周りをグルグルと動き回っていた。
「シュバルツさん、このケーキは一体どこの料理人が――どれほどの《技能》を持っていればこれほどのケーキ……いや、作品を作れるのですか?!」
そして弾かれたように俺のもとへと駆け寄り、逃げられないようにするためなのか、ガッチリと両腕を掴んできた。
「まっ、マルタさん落ち着いて!」
「これが落ち着いていられますか! シャフーワインといい、しゃんぷーといい、シュバルツさんが用意する品々はクルトメルガ王国のみならず、オルランド大陸に数ある大国のどこにも存在していません! 一体どこから仕入れているんですか!」
大陸中の国々を調べたのか……。彼にはもう、色々と話をした方がいいのかもしれない。
「……わかりました。全てを話すには時間が掛かりすぎるので、要点だけ話します。ですが、これから話す事はクルトメルガ王国でも片手程の人数しか知らぬ事、出来れば誰にも話さないでほしい。誰に話すかは、私自身が決めたいので」
「もちろん誰にも――マリーダにも話はしません!」
マルタさんを落ち着かせ、まずはソファーに座り直す。
さて、どこから話をしたものやら――。
「マルタさんは、神の存在を信じていますか?」
「か、神? 創世神さまのことですか?」
「たぶん、それです。名前はご存知ですか?」
「そんな恐れ多い! それに、創世神さまの名ははるか昔に忘れ去られました。古い言い伝えでは、その名を口にすると体中の魔力を消費して死に至るため、誰も口にすることがなくなり、歴史からその名が消失したとか」
それは初めて聞く話だ。城塞都市バルガの資料館でこの世界の事を調べて以降、様々な依頼や迷宮探索に明け暮れ、資料館で何かを調べる時間は減っていた。
創世神――名を口にしただけで死に至る神。それが俺を迷宮の主より解放した存在なのだろう。
「では、迷宮を生み出した邪神については?」
「そちらも古い神だとは知っておりますが……しかし、神々とシュバルツさんに何の関係が?」
「物凄く単純な話ですよ。邪神が私を別の世界からこの世界へと連れてきて、創世神が救ってくれた。私が販売している商品はすべて、この世界とは別の世界の品々なんですよ」
「……え?」
そりゃそういう反応するよな。
マルタさんは困惑の表情を浮かべ、どう答えていいのか判らず声を詰まらせていた。
だが、これが真実。VMBの力だとか、俺が元々迷宮の主として落とされたとか、疲れを知らぬゲームの体を持っているとか、そんな細かい話はどうでもいい。
神によって落とされ、神に解放されて放置された存在――それが俺だ。
「シュ、シュバルツさんは……神の子なのですか?」
「違います」
「なら……使徒なのですか?」
「それも違います」
マルタさんの言葉に、即答で返していく。あの狂える邪神は俺の事を“我の子”と呼んだ。だが、俺は邪神の子になったつもりはない。
同時に、俺は創世神とやらの使いになったつもりもない。あの存在もそんなことを望んではいないだろう。
「では……貴方は一体、何者なのですか?」
「私は私――シュバルツであり、シャフトですよ」
そして、ヨーナでもある。
マルタさんの顔に納得の表情はない。むしろ、謎が深まったとも言えるかもしれない。
しかし、俺が地球という歴史ある惑星の現代から異世界転移し、VMBというVRFPSのゲームシステムを身に宿した人ならざる存在――元迷宮の主だと話しても、それを理解する事が出来るとは思えない。
むしろ余計な混乱を招くだけだ。人は知識を持たぬ事、想像できぬ事を理解することは出来ない。
「つまり……オルランド大陸の外から来られたと? 商品はどのように取り寄せているのですか?」
「これが見えますか?」
マルタさんの目の前で軽く手を振る。そこに浮かぶのはTSSのウィンドウモニターだ。
「これは……シュバルツさんが時折いじっている魔道具……ではない何かですね」
さすがはマルタさん――魔道具ではない事は判っていたか。いや、『魔抜け』である俺に扱える魔道具は多くないし、目まぐるしく表示内容が切り替わっていくウィンドウモニターは、どう見ても魔石消費型魔道具には見えない。
「これは、神より授かった……えーと、転送魔法陣の小型化したものです。これで遥か遠くにある場所から商品を転移させています」
「そんなものが……」
マルタさんは恐る恐るウィンドウモニターに手を伸ばし、「触っても?」とこちらを見ながら呟く。それに軽く頷いて了承すると、マルタさんの指が画面に触れて――突き抜けた。
やはりそうなったか、VMBのシステムは俺との同化を続けている。俺以外の人間には使用する事が出来るわけがない。
元々銃器を受け渡すことも出来なかったし、システムに何らかの保護が働いている事は見当がついていた。
触れようと思っても触れる事が出来ないウィンドウモニターを、マルタさんはしきりに指で突っついている。
「こちらならどうですか?」
そう言ってテーブルに召喚したのは“魔力の認識票”。
「これは?」
「これは『魔抜け』である私でも転送魔法陣や模写魔法陣が使えるようになる、神から贈られた魔道具です」
「これもですか!」
マルタさんはテーブルに置かれた“魔力の認識票”にゆっくりと手を伸ばし――直前で止まる。僅かに俺を見てから、人差し指でまずは触れるかどうかをチェックしている。
触れるようだ。
「これは触れ――え? まさかこれは……いや、そんな……」
認識票を少し触っただけでマルタさんの様子が変わった。突き出された指は空で震え――それが指から手へ、手から腕へと伝わっていく。
胸元より魔石鑑定に使っている小さなルーペを取り出し、認識票には触らずに体を乗り出して調べ始めた。
「シュ、シュバルツさん……貴方の話を全て理解する事は私にはできないでしょう――ですが、この魔道具一つで、全てが真実である事は判ります」
「あ、ありがとうございます」
「シュバルツさんは、この魔道具が何で作られているかご存知ですか?」
「いえ、知りません――銀……いや、魔法銀ですか?」
「一見そのように見えますが、違います。この魔道具の材質は魔法金と呼ばれる――神代の鉱物。わたしは以前、建国王が愛用したという“魔法の杖”を鑑定させて頂いた事があります」
建国王……俺と同じ異世界より落とされて、この世界へやって来た人物。その経緯を考えれば、俺と同じように創世神、もしくは邪神とコンタクトを取った事は想像に難くない。
「この“魔力の認識票”ですか? 建国王の杖と全く同じ、材質の見通せない鉱石で作られている事が一目で判ります。我々はそれを魔法金と呼び、神の創りし鉱物と捉えています」
マルタさんは魔力の認識票に触ることはせず、まるで何か――触れたら溶けて消えてしまうような、そんな尊いものに接するかのように扱っていた。
「この魔道具は、無暗矢鱈に人の目に見せないのがよろしいでしょう。見るものが見れば、一目で計り知れない価値に気づく事でしょう」
「そうしておきます――マルタさん、話を戻しましょう」
魔力の認識票を回収し、目を向けるのはロイヤルウェディングケーキ。
この後はマリーダさんやミネア、商会の従業員達を呼び、ウェディングケーキの試食会へと変わっていった。
ケーキがイミテーションではない事はすぐに判っていたので、残る問題はその味と輸送手段、王子への贈り物として献上する手配などだ。
女子供のキャーキャー言う声に苦笑いしつつ、間違いなく一級品と言えるケーキの味に舌鼓を打ちながら、更に信頼関係が深まったと感じられるマルタさんと打ち合わせを続けた。




