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長居し過ぎた。
バーグマン宰相への報告を兼ねて訪れた王城内のゼパーネル邸。楽しい夕食の一時は俺が取り出した最高級調味料の数々により、時を忘れるほどの味比べ品評会へと姿を変えていた。
夕食を食べ終わった後は酒宴に突入し、軽く茹でただけの鳥のささみに似たお肉を摘まみに、どのタレが一番合うかを真剣に語り合う酔っ払いの集団と化していた。
それはそれで賑やかな一時を楽しめたのだが、楽しみ過ぎて閉門の時刻を大幅に超過してしまった。
だが、バーグマン宰相を迎えての夕食会ではよくある事らしく、客間の隣には宿泊用の布団が用意されていた。
今晩は俺もここに泊まることになり、明日の朝一でマリーダ商会へ向かうこととなった。
今はバーグマン宰相と二人で客間に残り、魔の山脈での報告の再確認や報酬の受け渡し方法と時期などを話し合っている。
アシュリーやシャルさん、ゼパーネル宰相は屋敷の最も奥にあるプライベートスペースへと向かい、既にここにはいない。
「こんなところじゃろう」
淡い魔法光が灯るランプが一台だけ置かれた座敷テーブルに座るバーグマン宰相が、鼻に掛かる老眼鏡らしき眼鏡を外して話し合いの終了を宣言した。
そして、手元の手帳から視線を動かし、反対側に座る俺へと向ける。
「ところでシュバルツ君」
「なんでしょうか」
「貴族家の令嬢たちが噂しているそうじゃが、“黒面のシャフト”の素顔は相当に醜いそうじゃな」
「バーグマン宰相の耳にまで届いているとはお恥ずかしい」
「儂としては素顔を変化させるスキルに興味があるんじゃが、ちょっと見せてくれんか?」
バーグマン宰相は俺とシャフトが同一人物だと知っている。
銃器という共通の武器系統を使っているから――というより、『魔抜け』と最初から情報がバレていたシュバルツの存在と、牙狼の迷宮を単独で討伐したシャフトと名乗る謎の傭兵。
『枉抜け』や血統スキルの真実を知っている者から見れば、その違和感と突出した戦闘能力を結びつけるのに、そう時間はかからなかったことだろう。
俺としても、何が何でも正体を隠したかったわけではない。元々はこの世界に落ちた理由が不明だったから隠すように行動していただけだ。
結果、俺は自分が落ちた理由を知り、二度と帰れないことを知った。
そして誓ったのだ――俺をこの世界に落とした狂える邪神の邪魔をする。この世界に害悪を振り撒く迷宮を討伐し、その存在を滅ぼし尽す。
これまでに緑鬼、牙狼、坑道を三つの迷宮を討伐することが出来た。だが、迷宮は大陸各地に存在し、今もなお生まれ続けている。
俺の誓いは命を懸けたイタチごっこでしかないのかもしれないが、それでも構わないと思っている。この世界で一人のFPSプレイヤーで生きていく事を選択させられた時点で、戦いに明け暮れる人生は決まっていた気がする。
しかし、FPSは戦うだけのゲームではない。相手に撃ち勝つだけでゲームに、試合に勝つことが出来るほど単純ではない。
最も重要なのはゲームルールに沿ってチームワークを発揮し、一丸となって勝利を目指すことだ。
俺はこの世界でただ一人のFPSプレイヤー、一丸となる仲間はいないのかもしれない。それでも――俺の視界に浮かぶマップには目の前に座るバーグマン宰相を示す光点があり、屋敷のマップにはアシュリーたちを示す光点も見えている。
よく、“目に映る全ての人々を救う”なんてヒーローのセリフがあるが、それを俺が言い換えれば――。
迷宮を滅ぼし尽す為に生きていく。だが、それはこの自然界に生きる全てのものの為に、世界の贄になろうというわけではない。
しかし“マップに映る光点ぐらいは救ってみせる”――俺の知人、友人、大切にしたいと思える人くらいは救ってみせる。
この異世界というステージで共に生きる仲間なのだ――それが、チームプレイを最も大事にするFPSプレイヤーとしての生き方だ。
バーグマン宰相も俺にとっては味方と認識できる人物。シャフトの素顔を見せるぐらいの要望は応えても問題ないだろう。
「では――」
手を顔の前で軽く振る――その一瞬で、俺の顔は爛れたゾンビフェイスへと変わった。
「――っ!」
バーグマン宰相の想像以上に早い変化だったのだろう。目を一瞬だけ見開き、息を呑む音が僅かに聞こえた。
「それは……痛いのか?」
それ――とは丸見えになっている表情筋のことだろうか? それとも周囲の皮膚が爛れ、剥き出しとなった左目のことだろうか?
「いいえ、宰相閣下が見ているものは幻影に近いものです。実際に触ることも出来ますが、私自身は全く痛みを感じません」
「なるほど、それほどの変化を一瞬で行えるならば、“黒面のシャフト”の素顔を見られても『大黒屋』シュバルツとは誰も思うまい」
「すでに宰相閣下やゼパーネル宰相には見抜かれていますよ」
「それは『枉抜け』の事を知っておるからじゃ、『魔抜け』をただの無能者とも思っておらんしの」
「実際のところ、『枉抜け』の事を知っている人はどのくらいいるのでしょうか?」
「そうじゃな、クルトメルガ王国内では儂、ゼパーネル、現国王であらせられるアーシカ王、それと王太子であるカーン王子の四人じゃな。じゃが、他国の人間がどれほど知っておるかは正直判らぬ」
「そうですか」
四人か――思った以上に少ない。カーン王子の名前は初めて聞いたが、王太子ということは王位継承権第一位の人物ということか。
それに、現国王の名前を実は初めて聞いた。街中で王族の噂話を耳にすることがあるが、いつも「王様」とか「現国王」としか聞こえていなかった。
「一つ言えることは、どの国も『枉抜け』のことを広めるつもりはないじゃろう。国民に対し、今住んでいる世界とは全く別の世界があるなどと話をすれば、王は気が狂ったのかと噂される。愚かな家臣からは、武力をもって異世界の知識と財産を手に入れようと進言されることじゃろう」
「そうなりますか?」
「なる……いや、なったと言うべきじゃな。クルトメルガ王国は建国五〇〇年を超えたが、このオルランド大陸にはもっと歴史が長い国家も存在するし、滅亡を迎えた国家も数多い。その原因の一つに『枉抜け』が色々な意味で関わってきたのは一つの事実じゃ。『枉抜け』が持つスキルや技能は、我々が長い年月を掛けて受け継いできたものより何倍も力がある。それはお主も理解できるじゃろう?」
「えぇ、ですが魔法が使えないことは不便ですよ」
「それはお主のスキルがそういうものじゃからじゃ」
「では、過去に『魔抜け』でも魔法を使う人がいたと?」
「我らが建国王もまた『魔抜け』であった。しかし、王は未だに再現不可能な魔法の数々を自在に操ったそうじゃ」
「それは……スキルとは別のものなのですか?」
「あぁ別じゃ、スキルほど即時発動はせず、しかし効果は絶大。地を焼き、山を砕き、海を割るほどの大魔法じゃ」
「まるで……見たことがあるようですね」
「あるとも……建国王と共にオルランド大陸を駆け抜け、各地の迷宮という迷宮を滅ぼし、安寧の国を守るために常に前線に立ち続けたお方。建国王が身罷られた後も国を守り続け、六〇年前の大戦で多くの孤児たちを救ったお方だけが、その大魔法を扱う事ができた」
「ひょっとして、ゼパーネル宰相ですか?」
俺の問いにバーグマン宰相が答えることはなかったが――口角が上がり、妙に満足げ……いや、どこか自慢げな表情をしている。
「一つだけ忠告しておこう。あのお方は強大過ぎる力を持つがゆえに前線から下がることを決め、後進の育成に努めることを選択された。お主にも同じようにしろというわけじゃない――ただ」
「ただ――?」
「魔獣の姿をとるのはやめておけ、瞬時に変えられることをいいことに繰り返しておると、知らぬ間に心まで魔獣のものに変化して戻れなくなるぞ」
「……心得ておきます」




