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ゼパーネル宰相から提案された予定外の報酬は、アシュリーのエスコート役としてクルトメルガ王国第三王子、アーク・クルトメルガの誕生日を祝う晩餐会へと出席する許可だった。
突然の提案に驚かされたが、まずは詳しく話を聞くことにした。今回の晩餐会では、数十年ぶりにゼパーネル永世名誉宰相が公の場に姿を現す。
そして、アシュリーを伴って出席する事により、彼女を正式な次期当主として内外へと知らしめる事になる。
だが、今回の晩餐会での主役はアーク王子であり、その同伴を務め、花嫁候補の筆頭であるラピティリカ・バルガ様のお披露目だ。
そして――王子だけではなく、晩餐会というものは男女ペアが基本。
ゼパーネル宰相には男装したシャルさんが付きそう。だが、現状アシュリーには特定のパートナーはいない。ゼパーネル家はクルトメルガ王家にとって最重要な家柄だが、貴族の肩書だけで権力の行使は認められていない。
しかし、不老のゼパーネル宰相が存命している限り、王家に一言を持てる唯一の家系であることは間違いない。
もしもアシュリーの婿となりゼパーネル家の一員となれば、それは王家に一言持つ唯一の力を持つ事と同義だ。実際に出来るかどうかは関係ない。出来る可能性の存在だけで、他の貴族のあらゆる爵位を超えて頂点に立つ事も不可能ではない。
今回の晩餐会で、もしも若い貴族の男子がアシュリーの同伴を務めれば、その人物が得る周囲からの羨望と期待の目はアーク王子の誕生を祝うどころではない。同伴者が得るであろう甘い汁を自分もと――有象無象の虫どもが集まって来ることは間違いないだろう。
ただでさえ、ゼパーネル宰相本人が出席することで参加者の目がゼパーネル家に向いているのだ。そこに次期当主の伴侶まで紹介されれば、晩餐会の主役を王家から完全に奪い取ってしまう。
王家に尽くす事を第一に考えるゼパーネル宰相から見れば、それだけは避けたい。
ならば同伴者なしで行けばいいのでは? と一瞬考えたが、それではアシュリーがフリーだと宣言するようなもの。国中の未婚の貴族男子が婿候補に手を上げ、更なる混乱を招くことになる。
そこで、俺というわけだ。
王都でも有数の大商会、マリーダ商会傘下として王都に商館を持ち、開業と同時に国政の重要人物達を顧客に持った『大黒屋』。
取り扱う商品は他の商会では決して手に入らない物ばかり、その生産地も製造方法も判らない品々に、他の商会は唇を噛みしめる思いでいるという。
そして、その商会唯一の商人であり、過去にどの商会でも見習いも下働きもしていないにも関わらず、王都に商館を開いたシュバルツ。すでにいくつかの商会はその正体にたどり着いている。
一つは“Dランク冒険者のシュバルツ”、もう一つは“地図屋のシュバルツ”。
それ以外は何もない、誰も知らない。
その謎の商人がアシュリーに付き添って晩餐会に現れればどうか? 晩餐会に参加する若い貴族家の男たちの目は、突然現れた婿候補に向き。晩餐会に招待された王都の有力者や商人達は、謎の商人の登場に驚く事になるだろう。
結果、ゼパーネル家への注目は分散し、アーク王子の生誕を祝う晩餐会の主役を奪うことは回避できる――が、それだと俺が注目をあびて終わるのですが?
「では、アーちゃんの付き添いには近衛騎士団長の次男を呼ぶ――」
「この報酬、有り難く頂戴いたします」
思わず言ってしまった俺に続いて――バーグマン宰相の呟きが聞こえる。
「……団長に次男はおらんぞ、まぬけめ」
客間に何とも言えぬ――のは俺だけか、バーグマン宰相は呆れた様子で座椅子に座り直し、ゼパーネル宰相はニヤニヤとこちらを見ている。
「なら決まりじゃな! 晩餐会当日に現地で合流するのじゃ、会場には早めに来るのじゃぞ。警備には『大黒屋』を妾達の控室まで通すように言っておくのじゃ」
「いい服着てくるんじゃぞ。それと、誕生を祝う会では男性が祝いの品を持ち寄るのが通例じゃ、何か用意しておいてくれ」
「何を用意するんですか?」
俺が聞いたわけではない。その声は配膳台を引いてやって来たアシュリーのものだ。
客間に入って来たアシュリーはシャルさんと同じ白い割烹着に白い頭巾を着け、首周りには俺がプレゼントしたルビーのチョーカーが光っている。
緑鬼の迷宮討伐後の収穫祭でプレゼントして以降、気に入ってもらえたのかよく着けてくれている。
「おお、夕食の準備が出来たようじゃな。妾は腹ペコなのじゃー」
「アーク王子への祝いの品じゃ」
「え? シュバルツも晩餐会にくるの?」
「そういう事になったよ。元々果実酒の納品で会場には向かう予定だったけどね」
「アーちゃんの付き添いとして、なのじゃ」
「えっ?!」
「えぇーー!!」
アシュリーの驚きの声に続いたのは、配膳台から持ち運ばれた大きな土鍋を客間のテーブルに置いたシャルさんだ。
「シャルロット、今夜のは大丈夫なんじゃろうな?」
バーグマン宰相が気になることを口にした。
「今夜は姉様と一緒に作ったから――だ、大丈夫よ!」
「鍋料理じゃな。これなら調味料を入れ間違えたり、肉を焼きすぎたりはないのじゃ」
今夜は――とか、これなら――とか、ちょっとこの鍋料理大丈夫なの?
アシュリーの方を見れば、顔を朱くしながら土鍋の蓋を開け、木製のお玉で黙々とお椀に取り分けていく。
「そ、それよりも! 本当にシュバルツに付き添いを任せるの?! それってまさか、姉様の――その……あの……そういうことなの?!」
「シャル、そのことは後でゆっくりと宗主様に聞くから、まずは分けるのを手伝って」
「んもー! その時はわたしも一緒だからね!」
アシュリーとシャルさんのやり取りを両宰相が笑いながら見守っている。俺も釣られるように頬が緩むが、ゼパーネル家の三人はまだしも、バーグマン宰相までもが家族のようにテーブルを囲んでいる。
バーグマン宰相は何度もここで食事をしているようだし、ゼパーネル家とは相当に深い間柄なのだろう。
そこからは魔の山脈の話も晩餐会の話もない、極々普通の夕食の一齣――のはずだった。
アシュリーとシャルさんたちが運んできた土鍋料理は、前の世界で言う水炊きに近いものだった。
鶏肉っぽい肉に見たことのない野菜やキノコがふんだんに盛られ、薄味だが上品で透き通る出汁の香りが胃を刺激する。
次いで並べられたのが、おひつからよそわれていく白いご飯。
この世界にも米はある。しかし、その調理法の殆どがおじやのような雑炊ばかり。たぶん、その方が野菜や肉と一緒に食べられるので、冒険者や探索者には都合がいいのだろう。
だが、目の前に置かれたお椀によそわれた白いご飯は違う。
暖かな白い湯気と共に漂う甘く芳醇なお米の香り、白く透き通るような粒一つ一つが艶やかな輝きを放ち、それは大魔力石が放つ極彩色の輝きにもまったく引けを取らない。
そして甘美な一時が始まる。
ゼパーネル宰相達は食べなれているのか、俺ほどにごはんの炊きあがり具合に感動している様子はない。
今夜の夕食を完成させるまでのストーリーをシャルさんが雄弁に語り、バーグマン宰相に突っ込まれ、ゼパーネル宰相がそれをケラケラと笑う。
アシュリーは相変わらず食事中の会話が少ない。一口食べるごとに表情がにこやかに変化し、料理の出来栄えに満足していることが窺える。
俺もお椀を手に持ち、まずは炊き立ての白いご飯を一口――。
「……美味い」
シンプルな一言だが、それ以外に言葉がない。この感動をあえて言葉に置き換えるならば――。
米一粒一粒の芯にまで熱がよく通っているが、熱過ぎずぬる過ぎず、口内より吐き出す水蒸気までもが鼻腔をくすぐる香りを放つ。
サラサラと口にはいるご飯を程よい硬さで水っぽさはない。一口噛みしめるたび広がるほのかに甘い旨味。
ずーっと噛みしめていたいと思いながらも飲み込む――喉を通り、胃に落ちると体の芯から温められる感じが心地よい。
このご飯は前の世界の炊飯器炊きよりも美味しく感じる。この武家屋敷の台所で炊かれたものならば、もしかして土鍋炊きだろうか?
前の世界では土鍋で炊かれたご飯を食べた覚えはない。これが本当のおコメの味か……まさか、異世界で本物のご飯を食べることになるとは思いもしなかった。
続いて鍋料理を頂く。まずは汁を少し啜る――流れ込むのは昆布だしを思わせるコクのある汁。
大きな白身の肉を葉野菜で包み、口へ運ぶ――歯ごたえの残る葉野菜を噛みしめて零れ出す肉汁。
「これも美味い」
食材の見た目は前の世界と少しだけ違うが、味は想像通り――だが。
「この鍋料理は、何かつけるタレなどはないのですか?」
「味付け薄かった?」
「いや、とても美味しいよ。美味しいからこそ、この料理を色々な味付けで楽しみたいと思ってね」
「例えば何が欲しいのじゃ? 水鳥鍋は海藻だしで調理するのが一般的なのじゃ」
俺の希望にゼパーネル宰相が一般的な味付けを教えてくれたが、この水鳥鍋――どう見ても水炊きにしか見えない。
俺としてはこの世界のポン酢や胡麻だれなどでも食べてみたいと思ったのだが、どうやらあまり一般的ではないようだ。
「 そうですね、例えばこれ」
そう言いながら大魔力石を入れて持ってきた布袋に手を入れ、最初からそこにあったかのように振る舞い、食品用ギフトBOXから幾つかの調味料を召喚した。
次々にテーブルに並べられる小瓶を見て、まずは興味深そうにシャルさんが手に取り、蓋を開けて匂いを嗅いでいる。
バーグマン宰相は中身よりもスクリューキャップやヒンジキャップに興味をしめし、ゼパーネル宰相とアシュリーは小皿にタレを少し落とし、恐る恐る味を確かめていた。
「シュバルツ、これなによ?!」
俺がテーブルに並べた調味料の数々は、コンチネンタルのキッチンスペースに保管されていたものだ。
最初は読めない文字が印字されたラベルが張られていたが、持ち出してすぐに剥がして捨てた。ラベルがなくても中身は色と香りですぐに判る。
並べた調味料はどれも鍋料理に合うものばかり、柚子、おろし、塩、しょうがなどが加えられたポン酢たち。それに胡麻や辛みそのタレ等々。
「お主はどれだけ調味料を持ち歩いとるのじゃ……」
「え? え、えぇ……料理が得意ではないので、持ち運べて色々な味が楽しめるこの小瓶たちには重宝しているんです」
水鳥鍋はそのままでも美味しいのは確か――だが、味付けで言えば薄味。
美味しいご飯に美味しい鍋、そして小皿に取り並べられた様々なタレ。前の世界で様々な味付けや料理を知っているからこそ、俺は味の幅広さをよく知っている。
しかし、この世界の人々はまだ成熟しきっていない。
王城や歓楽都市ヴェネールでの晩餐会などで食べた料理は素晴らしかった。だが、それは食材や料理技術が優れているだけではなく、技能《調理》の存在が料理の味を向上させている――それがこの世界の理。
技能の存在が広く認知されているからこそ、美味しい料理を持ち運ぶ、ちょっとした調味料を携帯するという文化が育っていない。
お弁当の文化がまだまだ未発達なのも、これが原因の一つなのだろう。優れた《調理》を持つ料理人がお弁当を作れば、どこで食べても、いつ食べてもおいしい食事が楽しめる。
しかし、技能《調理》は個人のものだ。機械的に均一な料理を大量生産できるわけではない。
美味しい料理は然るべき場所で、優れた技能を持った人物に対価を払って作ってもらうのが当たり前となっていた。
それに対し、俺がマリーダ商会と進めた美味しい料理を持ち運ぶお弁当という商品は、優れた技能を持った料理人とはいかなくとも、平均以上の《調理》持ちを揃えることで、冒険者や探索者、旅人や労働者に対し、手軽で一定以上の美味しい食事を提供する――そこに価値が存在する。
そして、俺がコンチネンタルより持ち出したワインや調味料たちはどうだったか?
コンチネンタルという最高級モーターホームに常備されているワインは、その品質もまた最高級品――ならばキッチンの調味料たちも――。
「美味しい……」
「この香りは胡麻か? なんとも食欲を誘う香りじゃ」
「ちょっとこれ辛い――けど、なんか癖になる味ね!」
「こっちのは柑橘系の香りがするのじゃ、ちょっとつけるだけでこんなにも味わいが色鮮やかになるとは……」
調味料たちもまた、最高級品なのである。
前の世界では味わう機会が減った、土鍋炊きの美味しいご飯。この世界の食材で作られた、シンプルだが旨みの詰まった水鳥鍋。そして俺が用意した最高級調味料の数々。
調味料の品評会と化していく家族団欒の夕食会は、時間が過ぎるのも忘れて夜遅くまで続いた。




