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体全体を多孔質な灰色の石へと姿を変えていくラムトンワームを、超大型建設機械Bagger293の運転室から見つめていた。
荒野を模したフィールドマップの玉座の間に突風が吹く――砂の城が崩れていくように、ラムトンワームだったものが石となり、砂となり、玉座の間から姿を消していく。
同時に、荒野のフィールドダンジョンの風景が歪んだように見えた。ラムトンワームだけではなく、この玉座の間にも何かが起ころうとしている。
運転室から外へ出て、荒野に降り立つ。Bagger293をガレージに送り、PhaseRifleを構えて警戒する――。
ラムトンワームだったものが完全に消え去り、玉座の間に吹く風がより一層強くなる――遠くの風景が更に歪み、大地がめくり上がる様に砂塵が舞う。
視界全体が砂煙に覆われ――それが晴れると、俺の目の前には見覚えのある玉座の間があった。
二〇mは続く、長く紅い絨毯。その先で三段上がり、一台の玉座が置かれている。だが、その席に座る迷宮の主はもういない。
視界に浮かぶマップに光点はなし。マップに見えているのは荒野だった時には見えていなかった最奥の部屋――台座の間へ続く扉だけだ。
あとは台座の間から大魔力石を取り外し、この迷宮を死に至らしめるだけなのだが、その前に俺には聞くべきことがある。
「ミテ……いるのだロウ?」
俺以外誰もいない玉座の間で、誰に問いかけるわけでもなく問いかける。だが、返答はない。あるはずもない、ここには俺しかいないのだから。
「キコエテいるのだロウ? イヤ、聞こえているはずだ……コタエロ!」
俺のことを見ているはずだ。
俺の言葉を聞いているはずだ。
俺が何を成すのか、興味があってしょうがないのだろう?
「コタエロ!!」
玉座の間に俺の怒声が響く――このタイミングでしかコイツは答えない。迷宮が死を迎えた後、一度だけメールを送ってくる。大魔力石を手に入れた直後か、一息ついた後かは判らない――向こう次第だ。
だが、今回は俺が望むタイミングで答えてもらうぞ。
「オレの体は一体どうなってイル?! VMBのシステムと同化が進む意味は何ダ! 迷宮で活動すると同化が進む理由は何ダ!」
VMBのシステムとの同化現象が、迷宮で活動することで進むことは牙狼の迷宮を討伐した段階で判っていた。
しかし、それが意味することが判らない。自然界で活動することと、迷宮で活動すること、何が違う? この問いに応えられるのは、コイツだけだ。
無限にも思える静寂の時が流れ――ついにメールの受信音が鳴ることはなかった。
答えられないのか、それとも答えるつもりがないのか、このタイミングで聞こうとしても無駄なことだったのか。
しょうがない……先に大魔力石を確保するか。
そう考え、一歩足を踏み出した瞬間――目に見えているすべてが、変わった。
無機質な石造に囲まれていた玉座の間は、ドス黒い床に赤い魔力ラインが毛細血管のように張り巡らされ――まるで、体の中にいるような空間へと変わっていた。
赤い魔力ラインは所々で瘤のように膨らみ、鼓動するように瞬いている。白骨の肌に感じる空気は酷く冷たく、そして充満する腐臭。
何か様子がおかしい。玉座の間がこんな風に豹変することは今まで一度もなかった。
体の底から震えが走る。何かに見られている――誰もいないはずの玉座の間で、誰かが俺を見ている。
これまで何度かメールを送ってきた存在ではない。それと同等、もしくはそれ以上とも思える存在――。
迷宮を生み出し、自然界に生きる者すべてを憎み、恨み、この世界を蝕む悪意の塊――そして、俺をこの世界に落とした存在、すでに名前も失われるほどに古い神話の邪神。そいつがいま、俺に接触してきた。
視界に見覚えのあるウィンドウモニターが浮かび上がる。TSSを操作するためのものではない。VMBをゲームとしてプレイするときに使用するコミュニケーション機能の一つ、テキストチャットウィンドウだ。
ゆっくりと浮遊するように俺の眼前に移動してくる。だが、このチャットウィンドウを操作しているのは俺ではない。
プイッ♪
そして、数カ月ぶりに個人宛チャットメッセージの受信音が鳴った。だが、表示された文字を読むことは出来なかった。
それはいい――少し待てば自動翻訳機能が動き出し、翻訳文が浮かび上がる。
それがいつもの流れ、俺を迷宮の主という楔から解放してくれた存在からのメールでもそうだった。
文字とも思えないような記号と象形文字の羅列、その歴史が古すぎて翻訳文までも古文で表示されるため、読むのに一苦労するわけだが。
翻訳された古文が、記号と象形文字の羅列に被る様に浮かび上がる。
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可愛し、可愛し、我の子
憎たらしき彼奴に親子の楔断ち切られし我の子
然し、我子は元気に育ちてくれき
強く育ちて我いへに帰りてきき
おのが身のこと不安? 心配? 怖し?
力の使ひところどころ教へてあぐ
力に溺れる快楽教へてあぐ
力に狂う解放感教へてあぐ
貴方の母たる我つきたるが為大丈夫
迷宮にて乳飲むごとく、魔素吸ひたまへ
迷宮にて血啜るごとく、生命吸ひたまへ
迷宮にて肉喰らうごとく、魔石吸ひたまへ
そして、愛づる母のあらまし叶へて頂戴
強く育ちて彼奴の子ら殲滅すぞ
大きに育ちて彼奴の世界破壊すぞ
歪みて育ちて彼奴の全て増悪すぞ
そしてかしにより、此の母枉法もちて狭ままの世界より救ひ出だしておくれ
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少しずつ増えていく古の邪神からのチャットメッセージが、次々に古文へと翻訳されていく。
長い――そしてなにより、狂ってやがる。母と書いてあるようだが、邪神とは女性――女神なのか?
古文の意味を完全に読み取ることは今回も出来なさそうだが、いくつか判ったことはある。
俺とVMBのシステムとの同化現象が進むきっかけが何なのかは判った。迷宮内で魔獣・亜人種を斃し、魔石を手に入れ、それをCPに変換するために取り込む。その一連の流れが、まるでゲームで経験値を稼ぐかのように俺の中で蓄積し、同化現象を進めるのだろう。
そして、古の邪神は女神であり、狭まの世界に囚われ、救いを求めている。だが同時に、この世界に生きるもの、存在するもの全てを増悪し、破壊することを望んでいる。まさに迷宮誕生にまつわる伝承の通りだ。
迷宮とは、自らを救う迷宮の主を育てる訓練場であり、自然界を滅ぼすための前線基地ってわけか。
歪んでいる――コイツこそが誰よりも、何よりも歪んで育っている。やはり、迷宮などという存在は一つ残らず討伐しなくてはならない。
もしもコイツが解放されるようなことになれば、この世界の現実はもっと冷酷で残酷なものになるだろう。力に溺れ、狂い、歪んだ者たちで溢れ、混沌が空を覆う。
そんな凄惨な未来と、そこで泣く友人・女性たちの姿が思い浮かぶ――それを振り払うように左手を振ってチャットウィンドウを掻き消すと、玉座の間は元の石造の空間へと戻っていた。
話は終わりだ。
俺は前へと歩き出し、目の前にある台座の間へと続く扉を押し開いた。
 




