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坑道の迷宮討伐を開始して二週間が経過していた。
ここに到達するまでかなりの時間を要した。地底湖の清浄の泉を超えても、さらに奥までフィールドダンジョンは続いていた。
だが、それももうすぐ終わる。俺の眼前には、地底湖にかかる通路を塞ぐように、白柱に支えられた白い門――迷宮の門がそびえ建っていた。
これまで幾度となく見てきた迷宮の門同様に、びっしりと刻まれた彫刻と中央上部に置かれた玉座。
自然界に生きる者たちと、迷宮が生み出した魔獣・亜人種との戦い。それを玉座に座り見下ろしているのは、一匹の魔獣。
蛇のように長い体は、玉座に巻き付くかのように踊り、その鎌首を背もたれから正面へと流している。
しかし、頭部があるであろう場所にはそれはない。目もなく、耳もなく、鼻もなく――あるのはただ一つ、胴体と同じだけの大きさを持つ、大きな口。
ワーム……それもこいつは、ラムトンワームと呼ばれる上位格。門の上の小さな玉座の彫刻ではわからないが、資料館の情報では数十mはある巨大なミミズ型魔獣のはずだ。
こいつが坑道の迷宮の迷宮の主、ならば――この門の先に待つのは一体何か?
門番の間はそれなりに広い広場だと思うのだが、迷宮の門の横からは何も見通すことは出来ない。視界を遮る壁のように妖しい紫煙が漂い、それが門番の間を区切っているのだと判る。
ならば進むしかない。迷宮の門を押し開き、中へと一歩足を踏み入れた。
門番の間は、大部屋よりもさら広い空間だった。そして、足を踏み入れてすぐに違和感に気づく。
足元を見ると、門番の間全体が水没しているのが判った。足首まで浸かるほどの水位だが、部屋全体がそうなのかは判らない。
牙狼の迷宮を思い出す。あの迷宮の門番も、水場を持つ門番だった。だが、内部を見渡しても何もいない――。
UMP45をダウンサイトし、歩行射撃の体勢で慎重に中央へと進む。足首程度だった水位は、次第に深くなって膝下辺りまでになっていた。
いる――視界に浮かぶマップには、門番の間を動き回る光点が一つ映っている。
だが、見えないということは姿を隠すスキルだろうか?
視界をFLIR(赤外線サーモグラフィー)モードへと変更するが、やはり何も見え――いた。
膝下が浸かる程度の高さしかない水の中に、明らかに熱量を持った何かが動き回っている。
小さいな……子犬ほどの大きさだろうか。
視界を通常モードに戻してよく観察すれば、僅かに水を切る飛沫が跳んでいるのが見える。その動きをUMP45のアイアンサイトでピッタリと追いながら、まずは挨拶代わりの指切り射撃でトリガーを三連射。
発砲の赤いマズルフラッシュが瞬くと同時に、動き回る門番の周囲に水柱が噴き上がる。
しかし、門番の移動速度は変わらない。外したか? と、もう一度トリガーに指を掛けたところで、門番の進む向きが変わった。
――来る。
門番の水中を進む速度が更に上がり、僅かだった水飛沫が激しく跳ね上げられ、真っすぐにこちらへと向かってくる。
相手は小型の水生魔獣か――胸元の高さからの撃ち下ろしでは、点の攻撃である銃撃がヒットさせるのが難しい。
相手が見えているなら話は違うが、形状も判らないでは狙いを定めることも出来ない。
迫る水飛沫にクロスヘアを合わせつつ、姿勢を低くして射線が重なる部分を少しでも増やす。
正面からの低姿勢射撃ならば当たるだろ――姿の見えない門番に向けて、もう一度指切り射撃で門番を狙い撃つ。
だが、またしてもUMP45の.45ACP弾は門番に直撃することはなかった。俺が外したわけではない――水中を泳ぎ進む門番の前方に、高速回転する水の円盾が複数出現した。
その円盾が銃弾を弾き返す。
銃撃が効かない? いや、効かないなら防ぐ必要はない。防ぐ必要があるものと認識されたんだ。
水の円盾で弾き返されるのもお構いなしに指切り射撃を続けた。門番は円盾で銃弾を防ぐのと同時に、直線的な動きを蛇行する動きに変えて、もう目の前にまで迫っていた。
視界に見えているUMP45の残弾数がゼロになる――銃身に取り付けてある帯――スリングを使ってUMP45を背に回し、腰からグレネードアックスを引き抜いて振り下ろす。
足元の水を吹き飛ばすほどの一撃を振り下ろしたが、直前で門番は水中より跳び出し、俺の横を通過して後方へと回避していく。
そして見た――確かに子犬ほどの大きさの門番を。
真横を通過していく門番は――カエル? いや違う、顔はカエルだが胴体には脚がない。代わりにあるのは、尾ヒレと蝙蝠に似た羽だ。
体はカエルの幼生であるオタマジャクシのように、ヌメリのある黒色と細かい斑紋に覆われていた。門番が通過していく瞬間、頭部の飛び出た赤い目が俺を嗤ったように見えた。
こいつはなんだ?
意思だけでTSSを起動し、スクリーンモニターの表示が目まぐるしく変わっていく。
振り返って門番の動向を目で追いながら、資料館でスクリーンキャプチャーしてきた魔獣図鑑を選択し、あの空飛ぶカエルが何なのかを調べる――。
これか……アクアリッパー。水を意のままに扱う魔獣で、肉食。知能が高く、いくつか危険度の高いスキルも持っており、単独で戦うのは自殺行為。とまで書かれていた。
アクアリッパーは俺と距離を取りながら、周囲を回るように水中を泳いでいる。
基本的に水から体を出すつもりはないようだが、その状態からどうやって攻撃してくるのかと警戒していると、俺の銃撃を弾いた水の円盾が再び形作られていく。
その数、四つ。水飛沫を飛ばしながら高速回転している円盾が床一面に張られた水面と平行になるように横になり、急加速して飛来する。
この攻撃は、以前に見た水属性魔法の≪渦潮円舞≫に似ている……。となれば、迂闊に防ぐのは不味いかもしれない――。
飛来する水円を回避するために一歩横に動こうとしたが、水に足をとられて動き出しが鈍る。
そこに一つ目が左手を掠めていき、装着していたライオットシールドが両断された。掠めただけの一撃だったが、ライオットシールドの耐久値はゼロとなり、二つに割れながら光の粒子となって消滅した。
思った以上に攻撃力が高い――。
その様子を目の端に捉えながら、歩いて回避することをやめて一気にジャンプし、続いて飛来する残りの三つを回避する――空中で反転し、グレネードアックスをダウンサイトしてアクアリッパーが進む先へとクロスヘアを合わす。
水中を高速で移動し、その姿がはっきりと見えないのならば、進む先を正確に予測して吹き飛ばす。
偏差射撃――相手の速度・方向から進む移動位置を予測し、そこへ予め射撃を行い着弾させる射撃テクニック。グレネード弾などの弾速が遅い銃撃を相手に着弾させるのには必須のテクニックであり、姿の見えない敵を壁越しに撃ち抜くのにも使われる、FPSの基本テクニックだ。
着弾までの放物線と着弾点を示すサークルを予測する移動位置に合わせ、トリガーを引く。
空気が抜けるようなわずかな音と共に、狙った位置へと擲弾が射出されるのを見ながら着水し、その勢いを殺さずに再び跳ぶ。
空中でグレネードアックスの擲弾を換装してダウンサイト――視界の先には噴き上がる水柱と、爆風で打ち上げられたアクアリッパーの姿が見えていた。
滞空する僅かな時間で状況を判断していく――初弾は狙い通りにヒットしたようだ。アクアリッパーは予想外の爆発と激痛に、奇声を上げながら空中を舞っていた。
ぬめりのある黒い体からはドス黒い血が舞い散り、鋭い牙が並ぶがま口からは長い舌と体液を吐き出しているのが見える。
ここだ!
打ち上げられたアクアリッパーが落下していく先を空中で予測し、クロスヘアを飛ばしてトリガーを引く。
銃弾でお手玉をするかのように、落下していくアクアリッパーに擲弾が着弾――そして噴き上がる爆炎。
再び着水し、続いて門番の間一面に張られた水の上を滑るように高さをとったスライドジャンプで、吹き飛んでいくアクアリッパーを追う。
二度の爆撃でアクアリッパーの周囲に浮いていた水の円盾は消え去り、無防備な体を晒して中空を滑空していく。
狙うはその胴体――グレネードアックスの柄を握りしめ、二度目のスライドジャンプで薙ぎ払うと距離を見極めた瞬間、アクアリッパーは鮮血を舞い散らせながら中空で急制動をかけ、蝙蝠に似た羽を羽ばたかせて急停止した。
「~~~~~~~!!」
何かを叫んだ。それは判るのだが音を音として聴き取れない。魔力の込められた奇声をアクアリッパーが叫び、俺の体を奇声と何かが突き抜けていった。
だが、それだけだ。
たぶん、咆哮に魔力を込めた状態異常攻撃だったのだろうが、残念だったな――それは俺には効かない。
魔力を込めた咆哮を物ともせずに跳びかかってくる俺の姿に、アクアリッパーの赤い目に戸惑いの光が見えた気がした。
着水からの二度目のスライドジャンプ。アクアリッパーを射程に捉え、グレネードアックスを横なぎにしようと振りかぶったのと同時に、アクアリッパーの両頬が膨れ上がる。
何か来る。
そう思った瞬間、口から跳んできたのは紫色に変色した長い舌――鋼鉄のような硬度を持った槍となり、振りかぶった右手を突き抜いてグレネードアックスを弾き飛ばす。
「クゥゥ!」
グレネードアックスの柄を破壊し、手のひらを貫通する一撃を喰らい、体中に電流が走るがごとく激痛が突き抜けた。
だが、アクアリッパーは目の前――空いていた左手で下あごに掌底を打ち込み、そのまま喉を鷲掴みにして二度と口が開かないように下から突き上げる。
気づけば、俺とアクアリッパーは門番の間の壁際まで来ていた。こいつを水に入れれば、また厄介な円盾を生み出すだろう。ならば、このまま止めを刺すしかない――しかし、UMP45はマガジンを換装していないしグレネードアックスは柄を破壊されてどこかへ飛んで行ってしまった。
背に回したPhaseRifleを扱おうにも、大型すぎてこの体勢では接射は不可能。コンバットナイフは舌が貫通した右手では、痛みで力が入らない。
攻撃手段がない――その事実に仕切り直しを選択することが頭をよぎったが、アクアリッパーを壁に叩きつきて考えが決まった。
このまま擦り殺す。
アクアリッパーが尾ヒレを器用に俺の左手へと巻き付け、締め上げるように力を入れてくる。
だが、俺の現在の体はスケルトンフェイスに合わせたスケルトンボディー。締め上げるには細すぎるだろう。
壁際でもう一度アクアリッパーの脳天を叩き付け、そのままウォールランへと移行して門番の間の壁を走り出した。
体を傾斜させ、アクアリッパーの頭部を壁に押し付けて、削りながら走り続ける。アクアリッパーの外皮は思ったよりか硬かったが、門番の間の壁も綺麗な平面なわけではない。
ごつごつとした起伏のある壁は、天然のおろし金のようにアクアリッパーの外皮を削り下ろし、俺が走り抜けた後には真っ赤な筋が残るようになってきた。
アクアリッパーは相変わらず左手を締め上げながらも、締め上げる喉からは低音の唸り声を何度も発していた。
どんなに恨めしそうに赤い目を光らせてこちらを見ても、俺は決して止まりはしない。ウォールランを続けながら笑い返した俺のスケルトンフェイスは、相当に歪んでいたことだろう。
睨み合うアクアリッパーの頭部が、摩擦による熱と火花を放つようになってきた。火花……それを見て、止めの一撃を思いつく。
走りながら腰のポーチに右手を伸ばし、取り出したのは一本のTH3焼夷手榴弾。
口でピンを抜き、僅かに開くアクアリッパーの口に押し込む。はるか昔の――子供時代の遊びを思い出す――カエルに爆竹を食わせて……。
三……二……一……。
ピンを抜いてから三秒。ウォールランから部屋中央へとジャンプし、天井へとアクアリッパーを投げた。
俺が着水するのと同時に、天井付近ではアクアリッパーの黒い体表が内側から赤く変色していき、突き出た両目から――大きながま口から摂氏二〇〇〇℃にも達する火炎が噴き出し、アクアリッパーは大きな火の玉となって落下していった。




