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バーグマン宰相の執務室で行われたクルトメルガ王国の重鎮三人との密談は、俺にとって都合がいい形で話が進み終了した。
すでにクルード伯爵とテイセン伯爵は退室し、宰相と細かい部分の詰めを話し終え、俺は次の準備に取り掛かるために退室しようとしていた。
「待て、シュバルツ。最後に一つ言っておくぞ――今回の提案は受け入れたが、以前忠告したように国の政にはあまり口を出すでないぞ」
「もちろんです、宰相閣下。私の願いと国政、それを天秤にかけて今回の案を提案させていただきました」
「願いか……もしもクルトメルガ王国内へ引き入れたいと言えば、今回の話は流れていたじゃろう。魔の山脈という緩衝地帯に留めておく今回の案であればこそじゃ」
俺の願い――それがなんだったのか俺自身よくわかっていない。逃亡奴隷たちに対する憐れみだったのか、南部の海で見た少女の涙を二度と見たくなかったのか、山脈の湖畔で冷酷な現実に喰われていった者たちへの弔いだったのか。
もしくはこれら全てか……。今一定まらない自分の感情に戸惑いながら、俺は王城を後にし、『大黒屋』へと戻った。
商館へと戻る途中で、これから必要になる雑貨などを買い漁り、再び魔の山脈へと戻る準備を整えた。
ここからは時間の勝負だ。ドラグランジュ辺境騎士団が坑道の迷宮近くまで出てくる前に、コティーたちの隠れ村を完成させなくてはならない。
ヨーナの姿で地下倉庫に戻り、コティーに状況の説明をして数日待機しているように厳命した。当然ながらクルトメルガ王国との密約については話していない、アンデッドとクルトメルガ王国が直接繋がっているなどと、余計な情報を与えるのは不味いからな。
そこからは王都の転送魔法陣を使い、森林都市ドラグランジュへ。そして魔の山脈へと移動し、坑道の迷宮を目指した。
「この辺でいいか」
TSSのスクリーンモニターに周辺のマップを表示しながら、坑道の迷宮までの距離と水場となる湖畔までの距離などを測り、隠れ村を掘るに適していそうな山肌まで来ていた。
場所が決まれば、後は呼び出すだけだな。
ギフトBOXを複数召喚し、王都で買ってきた資材に食料、VMBの個人ルームで購入してきた最も粗末な家具の数々、そして最後に模写魔法陣を取り出して展開する。
同時に、アバターカスタムを操作して姿をヨーナからシャフトへと変更する。ここからはシャフトの出番だ。
この魔の山脈で動いているのはシュバルツではなく、シャフトだからな。ヨーナの出番も一旦休憩だ、いつまでもアンデッドがお世話して、いいことがあるわけがない。
俺の準備ができたのと同時に、模写魔法陣が光り輝き――次の瞬間にはドワーフのギリムを始め、力仕事のできる元奴隷の男たちが立っていた。
「ここは――魔の山脈か? お前は誰だ、あのほね――あいつはどこだ?」
『大黒屋』の地下倉庫からの転移を待ち構えていたシャフトの姿を見て、ギリムたちはヨーナの姿がないことと同時に、目の前に立つ黒面の男を目にして動きが止まっていた。
「俺は傭兵のシャフトだ。お前たちの作業が完了するまでの間、俺が護衛をする」
「あいつはどこだ?」
「“骨野郎”のことか? 知らん、俺は雇われているだけだ。それよりもさっさと作業を始めろ、森林都市から辺境騎士団がこちらへ向かっているはずだ。この場所を発見される前に、隠れ村の体裁を整えろ」
「わ、わかった。いや、よくわからんが――作業を始めるぞ!」
全てが腑に落ちたわけではないだろうが、ギリムは一緒に転移してきた男たちに声をかけ、俺が用意しておいた採掘道具などを手に取って山肌を削り始めた。
俺はその様子を見つつ、近くの樹に背を預けて周囲の警戒に努めていく。
ギリムの採掘技術は見事の一言だった。≪技能≫か≪スキル≫を使っているのか、山肌が豆腐のように崩されていき、どんどん掘り進んでいった。
一緒に転移してきた男たちはその補佐だ。土石を捨てたり、掘り終わった穴を魔法で補強したりしていた。
ローテーションで休憩を取りながら、日が落ちても作業は進んだ。途中でコボルトの集団が現れたりもしたが、そこはキッチリと首を刈って対応した。
「まぁ、まずはこんなもんじゃろう」
もうすぐ夜が明けようかというころ、ギリムの手が止まり、山肌を掘り進めて山中をくり貫くように作られた洞窟住居が完成した。
外からは一本の短い横穴が続き、その先には天井も高く、住人の集合場所にもなる円形広間が作られている。
その円周上には個室や共用部屋に、トイレや台所などの水まわりの部屋も並ぶ。床や壁は魔法で固められ、タイルのような内装になっていた。
外に出しておいた家具を各部屋へ運び、一応の生活環境は整った。円形広間にもう一度模写魔法陣を設置し、『大黒屋』の地下倉庫で待つコティーたちにこちらの準備が整ったことを知らせる。
地下倉庫に設置してある転送魔法陣は、使用準備が整ったことにより淡く光っていることだろう。だが、現在の時間を考えればすぐに転移してくることはないかと思われたが、予想に反して模写魔法陣が輝きだした。
「準備が整いましたぞ、コティー様」
「ありがとうなのニャ、ギリム。思った以上に綺麗に――ニャ?!」
転移してきたコティーと残っていた元奴隷たちをギリムが出迎えたが、転移した先の洞窟住居を見渡すコティーと視線が重なった。
「な、なんでシャフトがここにいるニャ……」
「久しぶり……でもないか、コティー」
俺の顔を見た途端、コティーはワナワナと震えだし――すかさず右手で自分の鼻を摘まんだ。
あのゴミ箱の汚水はそんなに臭かったか……。
「ニャ、ニャンデ……ココハドコニャ! ヨ、ヨーナハドコニイッタノニャ!」
自分の鼻を摘まみながら抗議の声を上げるコティーの姿に、横で眠たそうに眼をこすっていた少女たちが何事かとコティーを見上げていた。
コティーの後ろでは、俺のことを知っている少年エルフのフリックとコックのガラードがいつでも飛び出せるように身構えているのが見えた。
「ちょ、ちょっと待つんじゃ! コティー様はこの男のことを知っておられるんですか?」
「その男はシャフト――“黒面のシャフト”とも呼ばれ、たった一人で迷宮を討伐するほどの実力を持つ傭兵です!」
俺を睨みつけたままのコティーに代わり、フリックが俺のことをご丁寧に紹介してくれた。
「そう構えるな、今の俺はお前たちの敵ではない。今の俺はお前たちとの共通の知人によって雇われている、ただの護衛だ」
「ニャ、ニャンダト!」
「そ、そうですよコティー様。この人は我々が作業している間、一人休まずにずっと護衛に立ってくれていたんです」
まぁ、疲れないしな。
この洞窟住居を造るために作業していた男たちが、次々に俺の仕事ぶりを説明し、コティーを安心させようとしていた。その話を聞き、コティーやフリックたちの警戒も段々と解けていくのがわかる。
「ほ、本当に敵じゃないのニャ? あの時のこと、もう怒ってないニャ?」
あの時とは――大魔力石を盗み出した時のことだろうか。
「結果的に大魔力石は俺の手に戻った。もう過ぎたことだ。それよりもだ、お前にはある人から手紙を預かっている。今後のお前たちにとっては、いま俺のことを気にするよりも重要なものだ」
オーバーコートの内側に入れておいた手紙、それはバーグマン宰相と話し合って決めたことを記したものだ。差出人の名前は“大黒屋のシュバルツ”、今後迷宮から採掘される魔鉱石の取引は『大黒屋』が一手に引き受ける。
これまで秘密裏に取引していた森林都市ドラグランジュの某商会には、他国からの密入国者を手引きした罪で牢屋行きになってもらう。
その他、ここで生活する当面の間、近い場所に辺境騎士団の前線基地が設営されることや、そこへ生活必需品や食料などを行商に来る商人の受け入れ等々、日々生きていくために必要な様々なものが『大黒屋』経由で行われることの通達が書き記されている。
これにより、コティーたちは一見、魔の山脈での生活自治権を手に入れたように見えるが、その実――『大黒屋』を隠れ蓑としたクルトメルガ王国側と直接取引しなくては、生きていけない環境におかれることになる。
コティーたちは不満に思うところもあるかもしれないが、ドラーク王国の要塞を潰し、緩衝地帯となっている魔の山脈を実効支配するだけでは不十分なのだ。
その動向を監視し、コントロールし、いつでも手中に収められる体制を構築しなくては、ドラーク王国とバイシュバーン帝国との間に軋轢を生じさせることは難しい。
コティーは手紙を受け取り読み始めると、すぐに冷静さを取り戻して内容を深く読み込んでいった。基本的にこの娘は頭がいいのだろう、チラチラと俺のほうを窺いながら、書き連ねられた意味を正確に把握したようだった。
「……わかったニャ、すべてここにあるようにするのニャ」
「よろしいのですか、コティー様?」
「国に返されるよりかは何倍もいいニャ。それに、ここを拡大していけば――避難してきた民を受け入れることぐらいならできるはずなのニャ」
そこが落としどころだろう。
俺が用意した手紙には、ドラーク王国側から逃げてきた脱走奴隷や国抜けしてきた民については触れていない。この魔の山脈は正確にはクルトメルガ王国の領土ではない。国境線さえ越えなければ、ドラーク王国側からの非戦闘員の侵入を咎める理由はないのだ。
「一つ忠告しておくが、今日か数日中には辺境騎士団がこの付近にやってくるはずだ。その中にはお前たちを探していたオフィーリア・ドラグランジュの姿もあるだろう、くれぐれも姿を見られるなよ。怪盗“猫柳”は迷宮で全滅したことになっているからな」
「わ、わかったニャ。それと、ヨーナはどこにいったのニャ」
「あいつはもう、お前たちの前に姿を現すことはないだろう。俺が奴の依頼を受けてお前たちを護衛するのも、ただの気紛れに過ぎない。アンデッドなどに仲間意識など持たぬことだな」
コティーは終始オドオドとしていた。『大黒屋』の地下倉庫でヨーナと対峙した時の神々しさはどこへいったのやら……。
ドラグランジュ辺境騎士団が隠れ村にやってきたのは、その日の午後だった。
ミーチェさんに付着させたGPS発信機の反応も近い、辺境騎士団と山茶花は行動を共にし、規格外のアンデッド――第一級危険魔獣と、その種と格が判明したヨーナを捜索することになるだろう。
騎士団顧問を務めるクルード伯爵には、迷宮の討伐よりも先に、その周辺の捜索を行うよう指示してもらっている。
隠れ村と称した洞窟住居は、今後のことを考えて『ヨルム』と名付けられた。
その『ヨルム』に三人の辺境騎士団員と、『大黒屋』のドラグランジュ支店、支店長を名乗る見覚えのない男の四人がやってきた。
このドラグランジュ支店が、今後の『ヨルム』の生活を支援していくことになる。名義は『大黒屋』だが中身は俺とは全く関係がない、テイセン伯爵の子飼いの商人が支店長として取り仕切っていく手はずになっている。
『ヨルム』の代表者は、表向きはドワーフのギリムとしている。コティーやフリックを代表者にしてしまうと、オフィーリアと顔を会わせる事態になった場合に身バレを回避できないからだ。
支店長や騎士団員と話し合いを進めているギリムをよそに、俺は『ヨルム』の外へと移動した。
「どこへ行くのニャ」
外へ出た俺に声をかけたのはコティーだった。周囲にほかの人の姿はない、騎士団員の目を避け、『ヨルム』の奥の部屋で待機しているかと思っていたが、いつのまにか外に出ていたようだ。
「辺境騎士団が来れば俺の仕事は終了だ。ここにこれ以上とどまる理由はない、次の仕事へ向かう」
そう――俺には次の仕事、坑道の迷宮討伐という仕事が残っている。俺は別に人助けでここにいるわけではないのだ。
「そ、そうなのニャ……」
その後に続いて何か言うのかと思ったが、コティーは俯いたままで何も言う様子はない。
ならば俺にもかける言葉はない。場所は用意してやった、あとはそこで何をするか――それは彼女たち次第だろう。
もしも俺がこの先の彼女らに何かをしてやれるとすれば――それは迷宮を討伐し、魔の山脈という危険地帯を消滅させるぐらいだろう。
「シャ、シャフト!」
坑道の迷宮に向けて進みだそうとした瞬間、コティーが意を決したかのように声を発した。
「王都では申し訳なかったニャ! それと、色々とありがとうなのニャ!」
「……気にす――」
「~~~、~~~、~~跳躍!!」
気にするな、と言葉を返そうとしたが、コティーは言うだけ言って樹々の向こうへと跳んで行ってしまった。
その跳躍を見上げながら一つ息を吐き、俺は再び坑道の迷宮に進路を取った。
残る仕事はあと一つ――。