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『大黒屋』営業開始三日目、今日は営業初日、二日目とは違い、開店して少し経った頃から、明らかに購入目的で訪れるお客が増えてきた。購入される商品は主に浴室用品のシャンプーやリンス、コンディショナーだ。
客層は冒険者や商人、職人など様々だったが、そのほとんどが女性だ。
営業二日目の段階で、浴室用品を使わせていたエイミーやプリセラたちの髪に気付いた女性たちが興味を示していた。だが、その時は商品価格に足踏みをしていたのだが、この数日のうちに代金分を稼いだのか、それとも出し合って一つ買ってみることにしたのか。
女性冒険者や職人風の集団が、シャンプーやコンディショナーを一つずつ買いながら、「行くぞっ」と気合い入れて店を出ていく姿が何度かあった。
行くってどこにいくのだろうか? 王都にある公衆浴場という名の水浴び場か?
女性客からシャンプーやコンディショナーの効果や使用方法を細かく質問をされたり、会計カウンター前に集まる女性集団を相手に、これまで暇そうにしていたエイミーとプリセラの二人は忙しそうに応対していた。
その姿を視界に収めつつ、俺は何をしているかと言うと――。
「この中に目的地までの地図が入っています、対象も目的地を発見済み。現在は補給のために一度帰還している最中のはずです」
「承知しました。バード卿へお伝えします」
森林都市ドラグランジュから坑道の迷宮までの地図を入れた封書を連絡員の男性へと渡し、固有名詞をぼかしながら小声で簡単な報告を行っていた。
今日は執務から抜け出してくる余裕はなかったようで、バーグマン宰相や育毛剤を求める頭巾たちの姿はなく、連絡員の男性は封書を受け取り口頭での報告を聞き取ると、すぐにバーグマン宰相の下へと戻っていった。
そして、彼と入れ違うように新たに三人の女性客が店内へと入ってくる。
「こちらが例の商店です、お嬢様」
「ありがとう、シエラ。綺麗なお店ですね、どれが“しゃんぷー”でしょうか?」
「店主に聞いてまいります」
「お願いしますね、ヴィーさん」
おいおい、あれはバルガ公爵家の三女、ラピティリカ様とバルガ公爵のそばにいつもついている女護衛のヴィーじゃないか。それとメイドらしき赤毛の少女はたしか……西方バルガ騎士団副団長、ケイモン子爵の孫娘だったか――。
「おまえがこの商店の店主か?」
高級インテリアを見ているラピティリカ様とメイドのシエラから離れ、シャフトとして出会った時と同じアイマスクに口元を隠すフェイスベールを付けたヴィーが近づいてきた。
首から下は高価そうなマントで体を包んで隠しているため判らないが、街中でも堂々とマスクにベールを付けているところを見ると、その下も変わらずの黒い革鎧かもしれない。
しかし、バルガ公爵にべったりなはずのこの女がなぜここに……。
「いらっしゃいませ。私が当商店の店主、シュバルツです。本日はどの商品をお求めでしょうか?」
「フランク様を私の虜にできると言う、魔法の石鹸水を買いに来た」
そんなものは売っていない!
あっ、声に出ていなかったか――。
「申し訳ございません。そのような商品は取り扱ってはおりません」
「なっ、なんだと!」
俺の返答に思わず声を張り上げたヴィーに対し、店内にいたすべての女性たちの視線が向く。
そして、ラピティリカ様も俺の存在に気付いたようだ。「あっ」と小さな驚きの声が漏れたのが聞こえた。
「シュバルツさん、お久しぶりです。この商店は貴方のお店だったのですか?」
「お久しぶりです、ラピティリカ様」
メイドのシエラを伴い、ラピティリカ様がこちらへやってきた。
「ここは私がマリーダ商会の協力の下、先日開店させたばかりの商店ですよ。ラピティリカ様は私のことを聞いてここに来たのでは?」
シエラはバルガ公爵邸で見かけたものと同じ、白を基調とした正しくメイド服を着ていたが、ラピティリカ様はバルガ騎士団の騎士服風の上着に短いスカート、それに水色のベレー帽を被っていた。
「近々行われる晩餐会に向けて王都へやってきたのですが、こちらに住む知り合いに会ったら凄く髪が綺麗で、それでお話を聞いたらこの商店を紹介されたのです」
この『大黒屋』を知っていて、ラピティリカ様が会いに行く知り合い……アシュリーか。
王城の敷地内に住むアシュリーと会い、シャンプーやコンディショナーについて知ったのか。
近々行われる晩餐会とはアーク王子の生誕パーティーのことだろう……妃候補筆頭とはいえ、まだ若い彼女には不安があるのだろうか。
他の候補との差を広げるために、シャンプーやコンディショナーを欲したか。
まだ販売を開始したばかりのシャンプーやコンディショナーを使用している王侯貴族は少ない、それこそゼパーネル一族くらいなものだ。
だが……。
「お求めの品は浴室用品のシャンプーにリンス、コンディショナーですか?」
「え、えぇ……そうです。人気の商品のようですが、ありますか?」
ラピティリカ様は店内の様子を見渡しながら不安そうに聞いてきた。まだ人気とは言い難い商品だが、今日は何度も女性客の集団が来店しては一つずつ買い求めて行っている。傍から見れば買い手が殺到している人気商品に見えることだろう。
「もちろん、在庫はございます。ですが――、もう“決まり”なのではないですか?」
「……わかりますか? ですが、楽観はできないのです。王国内にはまだまだ多くの迷宮があります。実績だけでは並び立つものが現れる可能性は高いのです。
それに――、私は一人の女としてアーク王子に認められたい。私たち魔導貴族に生まれた女たちは、自分たちを子孫を残すためだけの道具とは考えていないのです」
「その通りだ。私もフランク様に認めてもらうのだ」
おまえは黙っていろ、ヴィー。
緑鬼の迷宮討伐で初めて出会ったとき、彼女は可愛らしい冒険者の少女だった。
シャフトとして一ヵ月という期間限定の護衛についたとき、彼女は守るべきお姫様だった。
そして、『大黒屋』の店主として出会った今、彼女は一人の女として自分を輝かせようとしていた。
「わかりました。シャンプーなどを始め、必要な浴室用品一式をすぐにご用意しましょう」
「ありがとうございます!」
「とんでもない――、こちらこそお買い上げありがとうございます」
「店主、浴室用品一式は三組用意するのだぞ! お嬢様と、私のと、奥様のだ」
お前のは要らないだろ……というか、ヴィーよ。バルガ公爵を落としたいのに
奥様の分まで用意するのか。
「奥様……の分もですか?」
「そうだ、美しき奥様を愛するフランク様の姿が、私の心を掴んで離さないのだ!」
そ、そうですか……。
ヴィーの真っ直ぐな告白を横で聞いているラピティリカ様は、それに嫌悪感を示すことなく、逆ににこやかに微笑んでいた。
父であるフランクリン・バルガ公爵を信じているのか、それともこの横恋慕を含めて、ヴィーがバルガ公爵家に認められているのか。
まぁ……俺には関係のないことか……。
その後、ラピティリカ様たちは浴室用品を三セット以上購入し、メイドのシエラやヴィーと共に帰っていった。大通りに停まっている馬車の中で、彼女の護衛騎士が待っている。
その日のうちに坑道の迷宮に戻り、TSSを起動してミーチェさんたちの位置を確認した。
この位置は森林都市ドラグランジュか……。都市内で俺がまだマッピングしていなかった、湖の小島に建つ領主館の位置で点灯を続けている。
GPS発信機はミーチェさんの軽鎧に付着させてある。それを脱いで別の装備に変更している可能性はあるが、GPSの光点が浮いている限りは発見されて外されていることはない。
仮にGPS発信機に気付いたとしても、彼女たちにはそれが何なのか、どのような効果があって、誰が付けたのか、その答えに一切近づくことはできないだろう。
現代知識がゼロではな――、知らないことは想像できないし、知識を組み合わせて想像することすらできない。
『大黒屋』の次の営業日までは五日間の猶予を持った。この五日間でまずは地下十階の門番の間を目指す。とはいえ、そこを守護する門番はすでに討伐され、今では怪盗“猫柳”の本拠地として利用されているだろう。
そこ以外に、迷宮内に潜伏できる場所は考えられない。清浄の泉は魔獣・亜人種の近づかないセーフティーゾーンではあるが、本拠地などと表現するほどの広さはない。
となれば門番の間だ。門番さえ排除すれば二度と魔獣・亜人種が湧くことはないし、転送魔法陣を利用して外と出入りが自由にできる。
門番の間に繋がる迷宮の門を閉じて管理すれば、万が一の魔獣・亜人種の襲撃も防げるのだろう。
現在地は坑道の迷宮地下四階の小部屋、この階層のマッピングは完了している。アバター衣装はヨーナに変更済み、兵装も整え、まずは地下五階に向けて移動を開始した。
地下五階を抜けて地下六階に入ると、迷宮内部の景色は変わらないが雰囲気が明らかに変わった。
迷宮の外の坑道と比べて、幅や高さが倍以上あるのは変わらない。だが――坑道の壁面をスケルトンアバターで姿が変わった骨の指先で穿ってみると、随分と深く掘り進められる。
フィールドダンジョンか……、地下六階から自然界を模したフィールドダンジョンが形成されているとはな。
地下六階を進んでいくと、坑道の内壁に鉱石らしき異物が埋まっていることに気付いた。大きさは様々だが、黒曜石に似た光沢のある闇色の中に、赤色や青色などの揺らぐ光が見えた。
確か――この魔の山脈には魔鉱石の鉱脈があったはず、魔鉱石の実物をしっかりと見たことはなかったが、この不思議な鉱石がそれなのだろう。
この坑道の迷宮――、魔鉱石を掘る坑道に出現したため、内部のフィールドダンジョンでも魔鉱石が採掘できるようになっているのか……。
魔鉱石の鉱脈は魔獣・亜人種を引き寄せるが、魔鉱石は魔素が凝固して生まれてくるものだ。
魔素溜まりである限り、魔鉱石は発生し続ける。適切に管理すれば、継続的な魔石資源を採掘することができる。
この坑道の迷宮もそうだ。迷宮の魔素が固まり、魔鉱石を生み出している。
この迷宮、もしくは討伐後の鉱脈を管理できれば、多大な利益を享受することができるだろう……だが、ドラーク王国との摩擦を考えると難しいところだな。
探索再開から数日が経過し地下六階、地下七階とマッピングを一〇〇%にし、地下八階へと下りてきた。この階層には清浄の泉がある。道中に出てくる魔獣・亜人種はコボルトの上位種に変わってきたが、個体の強さはそれほどでもない。
コボルトは生体武具を持つ代わりに、魔法による攻撃手段を持たないようだ。この程度のならば、ある程度の戦闘経験がある探索者が数人いれば地下十階までいくのはそう難しくはないだろう。
そこに人数が加われば尚更……か。
視界に浮かぶマップには、この先に小部屋があることを示していた。それに加えて水の湧く音――清浄の泉だ。
清浄の泉に入っていくと、そこには明らかな野営の設備――と言えるほど立派なものではないが、採掘道具に道具箱、寝具用と思われる布や焚火の跡に竃らしき構造物……。
この迷宮には何かしらの集団が住み着いているのは明らかだ。
しかし、どれも破壊されて踏み荒らされていた。
足元を確認すると、人の足跡に加えて三つ指の蹄のような足跡が多く残っていた。どれもまだ新しい――、この野営道具などを使っている集団とは別に、俺より先行して迷宮内を移動している集団がいるようだ。この三つ指の蹄跡は移動用の動物か何かだろうか?
これまでの情報を整理すれば、清浄の泉を拠点化していたのは怪盗“猫柳”で間違いない。採掘道具と思われるつるはしやスコップに似た道具も置いてあることから、ここで魔鉱石を掘っているのだろう。
ここに潜伏する上で、魔鉱石を採集して何に使っているのかはわからないが……。
では、この足跡はどの勢力だ? ミーチェさんに付着させた発信機の位置を確認すると、森林都市ドラグランジュを出発したようだが、まだ魔の山脈を移動中だ。
山茶花とオフィーリアたちではないとすると……他の冒険者か探索者、もしくはドラーク王国側の探索者ということか。
どうする……今回の依頼の目的は坑道の迷宮をドラーク王国に知られることなく討伐し、魔獣・亜人種が魔の山脈に寄り付き、南下することを防ぐことが一つ。
もう一つは先行して動いていた山茶花四人とオフィーリアにヴァージニアの計六人の動向を把握し、迷宮討伐と怪盗“猫柳”の本拠地捜索を援護し、バーグマン宰相へと状況報告を行うことが一つ。
この二つが俺の役目だ。
だが、もしも俺たち以外の勢力やパーティーが迷宮討伐に乗り出しているとしたら話が違ってくる。
それがクルトメルガ王国側の探索者ならまだいいが、もしもドラーク王国側に迷宮の存在を知られ、向こうも攻略に乗り出しているとすれば、この迷宮は戦場になりかねない。
清浄の泉を越え、地下九階と地下十階のマッピングを一〇〇%にしながら門番の間を目指したが、坑道内の地面には三つ指の蹄跡がいくつもついていた。
蹄跡の地面への沈み具合を考えると、二足歩行で結構な重量がありそうだ。ストライドは長く、足も相当に速いだろう。
そして、視界に浮かぶマップに門番の間が現れる前に、それが聞こえてきた。甲高い鳴き声に激しい剣戟の音、それに悲鳴や怒声――戦闘音だ。それも互角の戦いではなく、一方的な殺戮の音……。
俺は移動速度を速め、門番の間へと向かった。




