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魔の山脈から一時的に帰還し、『大黒屋』の開店準備をしている最中に、早くもお客がやってきた。エイミーが言うには、お客は頭巾を被った貴族風の方々……。
取りあえず、俺のことを呼んでいるらしいので、二階から一階へと下りていく。
「お待たせいたしました。店主のシュバルツで――」
一階の売り場に顔を出すと、カウンター前にいるかと思われたお客の姿はなく、浴室用品の売り場前に頭巾を被った四人と、付き人と思われる男性の姿があった。
「ようやく来たか」
四つ並ぶ頭巾の一つが振り返ると、やはりその人はバーグマン宰相であった。連絡役だけが来店するはずだったのに、なぜ本人が来ているのか。それも開店前の時間に……。いや、その理由は一つしかないか……。
「こ、これが本当に“奇跡の水”なのか……?」
「バード卿、バード卿! こ、これで本当に、本当なんじゃな?」
「このような品、国内外どこを探しても聞いたことがない――」
四つ並ぶ頭巾――。正確には山岡頭巾とも呼ばれる、防災頭巾に似た三角の頭巾と、鼻と口を隠す共布を付けて顔を隠してはいるが、目元と声を聞けば誰かはわかる。
一人はバーグマン宰相、そしてもう一人はクルトメルガ王国、総合ギルドのギルドマスター、マーレン・ベルダライン公爵の声だ。
他の二人の声は初めて聴く、頭巾を被っていない付き人の男性も初めて見る顔だ。
バーグマン宰相と付き人は俺が来たことに気づいたようだが、他の三人は気づかず小声で会話を続けていた。
さっきから何度も“奇跡の水”と話しているが――。まさか、手に持つ育毛剤の小瓶のことだろうか?
「おぬしら、店主がやってきたぞ。儂はシュバルツ君と話があるから、ちょっと待っておれ」
そう言って、浴室用品の売り場前からバーグマン宰相と付き人だけがこちらへと歩いてきた。
「少しよいか?」
「えぇ、お話は上で。エイミー、プリセラ、お客様たちを頼むよ」
「「はっ、はい!」」
エイミーとプリセラは、高級インテリア家具が並べてある一画に立ち、育毛剤について小声で熱く語っている三つの頭巾を、少し気味悪そうに見ていた。
一応、彼女たちにも育毛剤の使用方法や簡単な効能などは説明してある。もし質問を受けたとしても、返答に困ることはないだろう。
アルムとシルヴァラの方に視線を送ると、彼女たちも呆れた様子で三つの頭巾を見ていた。
俺の視線に気づいたのか、アルムが苦笑いを浮かべて、手をひらひらと振っている。「早く上に行け」とでも言いたいのだろう。
「そちらへどうぞ」
バーグマン宰相と付き人の男性を二階の事務所へ案内し、応接用のソファーへと促した。
「それで宰相閣下、今日は来られないと思っていたのですが――」
「儂も最初は来るつもりはなかったのじゃよ、シュバルツ君。じゃがな、ここで購入した“いくもうざい”の効果が凄すぎてな……。同胞に問い詰められてここまで案内してきたのじゃ」
「……効果、ですか」
「そう、これじゃ――」
そう言いながらバーグマン宰相が頭巾を外すと、以前までの側頭部が頑張っていた不毛の大地には、黒く若い生命が芽吹いていた。
こうなっているのではと、エイミーとプリセラの髪を見て、触った時に思い至っていた。
「お……、おめでとうございます、宰相閣下」
なぜか祝いの言葉が口から出たが、バーグマン宰相は皺だらけの顔を緩ませて再び頭巾を被って顔を隠した。
「今はバード卿と呼ぶのじゃ、一国の宰相が城下の一商店に通っているなどと知れれば、後々面倒じゃからな」
通うつもりなのか……。
「畏まりました、バード卿」
「うむ、それでシュバルツ君。向こうの状況はどうじゃ?」
そこからはドラグランジュ辺境伯領と魔の山脈の探索状況の報告へと話題が移っていった。
本来ならば、一緒についてきていた付き人――、“君影草”の一員である彼が連絡役となり、報告を伝えることになっていたが、今回は顔見せ程度になりそうだ。
「そうか――、迷宮はドラーク王国側か」
「だと思われます。先行している“山茶花”たちの姿もまだ発見していませんので、彼女たちもそちらへ向かっているものと思われます」
「それに……冒険者ではない集団か。それは君の言う通り、脱走奴隷か国抜けした者たちじゃろう」
「クルトメルガ王国は密入国者に厳しいと聞きましたが――」
「この国の成り立ちを知っておるか?」
「はい、存じております」
「圧政に苦しんでいた民衆や奴隷を受け入れて建国した後も、各地の脱走奴隷や国抜けした者を長い間受け入れ続けていたのじゃが、それが引き金で大きな争いになり、受け入れた者の中に間者が紛れ込むなど、それを制限せざるを得ない状況になったのじゃ」
「今後、もしも再び彼らのような集団を見かけたら、彼らをたす――」
そこまで言いかけた時、俺を見ぬくバーグマン宰相の眼光が変わっていた。
「そこまでじゃ、シュバルツ。如何に君が『枉抜け』であろうとも、国政に口を出すのは許さぬ」
「失礼を、いたしました……」
「よい……」
会話が止まり、事務所が静寂に包まれるかと思われたが、すぐさま一階からの声にそんな雰囲気は霧散した。
「バード卿はどこにいった?」
「これの製作者はここの店主なのか?」
「それよりも価格だ、バード卿が言っていた価格よりもはるかに高いぞ」
どうやら、下に残してきた三人が騒ぎ始めたようだ……。
「まったく――、年甲斐もなくはしゃぎおって……。シュバルツ君、下の三人を紹介しよう」
バーグマン宰相たちと共に一階へ降りると、三つの頭巾がカウンター前に並んでいた。カウンターには大量の育毛剤やシャンプーが置かれている……買い占める気か……。
「何を騒いでおるのじゃ。商店の中じゃぞ、わきまえんか」
「バード卿、どこへ行っておったのじゃ」
「店主と大事な話があると来る前に言ってあっただろうに――。シュバルツ君、左からベール卿、テーゼ卿、クード卿じゃ」
と、バーグマン宰相が紹介こそしてくれたが、俺の後ろで付き人の男性が俺だけに聞こえる音量で捕捉をしてくれた。
ベール卿は俺も気づいていたが、総合ギルドのギルドマスターであるマーレン・ベルダライン公爵。中央に立つ比較的若く見えるテーゼ卿が、クルトメルガ王国の王国財務長官、ロイド・テイセン伯爵。
そして、大きな体躯に不釣り合いな頭巾を被るクード卿が、中央騎士団のトップに立ち、王国各地の騎士団顧問を務めるアーレイ・クルード伯爵なのだそうだ。
宰相に財務、軍務の長、それにギルドマスターが揃って育毛剤を求めるのか……。この世界の住人は禿げやすいのだろうか……。
三人の紹介を受けている俺を、離れている位置で見物していたアルムとシルヴァラの声が耳に入ってきた。
「なぁ、姉さん。あの顎ひげが長い爺さん……、総合ギルドのマスターじゃないか?」
「あたしもそう思っていたところ、なんでギルドマスターがこんな出来たばかりの無名の商店に……」
たしか――、あの二人はBランク冒険者にまで上がっていたはずだ。どこかでギルドマスターの顔を見たことがあるか、あの特徴的な胸まで伸びる長くて白い顎ひげに覚えがあったのだろう。
だが、このままでは不味いか……。今にも頭巾を取って育毛剤を使い兼ねない雰囲気になりつつある。
「バード卿、それにお三方様。如何でしょうか、よろしければ上でお求めの商品について詳しくお話をさせて頂ければと思いますが」
俺の誘いに、三人とも頭巾の上からでも判るほどの笑みを浮かべ、二階へと上がっていった。




