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魔の山脈から『大黒屋』へと転移した後、ヨーナからシュバルツに姿を戻し、地下倉庫から二階の事務所に上がって夜を明かした。
VMBの移動用車両などを同時に二台は召喚できない。LVTP-5に転送魔法陣を設置して魔の山脈に置いてきたので、地下倉庫に最高級モーターホームのコンチネンタルを召喚することは出来なかった。
事務所ではソファーに寝転んで野営用の布に包まり、魔の山脈では僅かな時間しかとれなかった睡眠を十分にとることが出来た。
十分にとり過ぎて起きたら昼を回っていたが……寝すぎた……。
マリーダ商会が売り出している冒険者向けの弁当をギフトBOXから取り出し、昼食を摂って食後のお茶を楽しんでいるところで、商店の外から声が聞こえてきた。
「こんにちはー」
「店長いないのかな、閉まってるよ?」
「出入口用の鍵は貰ったんだろ?」
「あぁ、そうだった。――たしか道具袋の中に……、あったわ」
どうやらマリーダ商会からエイミーとプリセラ、それに護衛のアルムとシルヴァラたちが来たようだ。
カップを片付け一階に下りると、ちょうど玄関の鍵を開けてエイミーが入ってくるところだった。
彼女たちには俺が長期間帰って来ない時のため、玄関扉だけを別の鍵にしてスペアを渡してある。
俺がいない時には営業はしないが、建物や商品には定期的な掃除が必要だからだ。
「ご苦労様。今日もよろしく頼むよ」
「あっ、店長! よろしくお願いします!」
「よろしくお願いします」
玄関扉前で綺麗なお辞儀を見せるエイミーとプリセラの二人は、何かを待っているのか、その場に立って真っすぐに俺を見ていた。
「何も言ってやらないのかい? あんたが商品を使うように指示したんだろ?」
そう言いながら店内に入ってきたのは、双子の狐系獣人種で姉のアルムだ。
「あたいらも使わせてもらったけど、高いだけあって凄いもの売っていたんだな」
続いて入ってきたのが妹のシルヴァラだ。しかし、何を言って……あっ。
そこで気づいたのが、アルムとシルヴァラの毛並みだ――。以前までの彼女たちの毛並みは、お世辞にも綺麗とは言い難かった。
女性としての素材はいいのだが、冒険者として――、マリーダ商会の護衛団として常に動いているせいか、彼女たちの毛並みにはツヤがなく、ボサボサっとしている印象だった。
しかし、今日の彼女たちは違った。
アルムの金髪も、シルヴァラの銀髪も、共に輝くようなツヤを放ち、肩口ほどまで伸びる頭髪も左右に揺れる大きな狐尾もサラサラになっていた。
なにこれ……全然違ってるんだが……。
改めてエイミーとプリセラの髪にも目を向けると、二人の髪質も綺麗なツヤを放っている――思わず、髪の長いプリセラへ手を伸ばして触ってみると、ごわごわしていた髪がサラサラの心地よい手触りへと変わっていた。
たった数日でこんなにも変わるか? いや、普通なら変わるわけがない……。
普段から使っていた俺は全く判らなかったが、世界の道理を枉げて存在しているのは俺だけではなかったようだ。シャンプーやコンディショナーの類もまた、前の世界以上の性能を持っていた……。
もしかしたら――髪を清潔に、健康にするという性質そのままが、この世界で具現化しているのかもしれない。
「あ、あのー」
「店長さんよ、プリセラが困ってるじゃないか、そろそろ仕事の準備に取り掛からないか?」
アルムの声で、目の前に映る真っ赤な顔に気づいた。
あまりの変わりように、プリセラの髪に触るのに夢中になってしまったが、その心地よい手触りと変化の理由を考えていたら、随分と長く触っていたようだ。
「おっと済まない。二人とも凄く綺麗になっていたんでね」
「「き、きれい……」」
「なんだいなんだい、店主様はあたいらよりもエイミーたちが好みかい」
好みって……シルヴァラがニヤニヤと笑っているが、エイミーとプリセラはまだ十五、六くらいにしか見えない。俺から見れば妹も同然だ。
「お喋りは終わりにしよう。エイミー、プリセラ、準備を頼むよ」
「「は、はいっ!」」
苦笑しながらもシルヴァラに返し、エイミーとプリセラはすぐさま店内の掃除と営業開始の準備に取り掛かっていった。
営業初日は暇ではあったが、基本的に何かを売るという仕事が好きなのだろう。
だが、そんなテキパキと動き出す少女たちの姿に、魔の山脈で遭遇したどこの誰とも判らぬ、喰い荒らされた人だったものを思い出してしまった。
あの中にも、この子たちと同じくらい――、もしくはそれ以下の大きさの腕や足が転がっていた。
もちろん、大人と思われる大きさのもあったが……。
「あの子たちが心配かい? まだ若いが、仕事は十分こなしていると思うぞ?」
そう言いながら、俺の横にきたのはアルムだ。
「なぁ、アルム。この国は――貴族や冒険者以外の、普通の人から見てどういう国なんだ?」
「変なことを聞くね。いい国だと思うよ? 中にはろくでもない奴がいるが、基本的に住みやすい国だ。あたしら姉妹の生まれはもっと北だけど、他国の話は少しだけ聞いたことがある……」
アルムもエイミーとプリセラの動き回る姿を見ながら、少しだけ小声になってその先を話し始めた。
「あんた……、奴隷ってしってるか?」
「あぁ……聞いたことはある」
「少し前まで、この国では奴隷って言葉について話すことは忌避されていた。最近はそれに対する劣等感も減って、それがないことが当たり前になったけど、北のドラーク王国は違う。
あの国では貧乏人や罪人は全て奴隷に落ちる。人買いや人攫いが横行し、ドラーク国内だけでなく、さらにその先のバイシュバーン帝国にまで売られる、そこでどんな仕打ちを受けているかは……」
「……その人たちは、国を出たりはしないのか?」
「無理さ、ドラーク王国とクルトメルガ王国の間にある魔の山脈は、冒険者でも危険な山道だ。それに、大規模な商隊でもなければ、出入りを許可されたりやしない。国民に優しいこの国でさえ、密入国者には厳しいからね」
「……そうか」
「話が逸れちまったね。この国の話だったか――」
「いや、ありがとう。俺は事務所に上がっているから、今日も警備と警護頼むよ」
「暇な仕事だが、給金が貰えるからにはしっかりやるよ」
他の三人にも声を掛け、俺は二階の事務所へと戻った。しかし、何気なく聞いただけだったが、アルムの話は非常に興味深いものだった。
もしかすると、魔の山脈で見つけたあれは……。アルムの話を考えれば、クルトメルガ王国を抜けたと考えるよりも、ドラーク王国から抜けてきた人たちだったのかもしれない。冒険者とは思えない体つきに服装の大人、貫頭衣しか着ていないと思われる子供。
どんな理由でドラーク国を抜けてきたのかは判らないが……、想像はできる。
貧困か――、逃亡奴隷か――、密入国になると判っていても、クルトメルガ王国に行きたかったが、魔の山脈をもう少しで抜けるというところでコボルトに捕捉された。
だが、国抜けをしてくる者というのは、実際にどの程度いるのだろうか? それに、受け入れの当てもなく飛び出してくるのか?
俺が疑問の迷宮に迷い込みそうになったところで、一階から誰かが階段を上がってくる音が聞こえた。
「店長―? 店先を掃除していたら、もうお客様が来ているんですけど……」
「もう? それは本当にうちのお客様なのかい?」
「えぇ……、頭巾を被った貴族風の方々と、そのお付きの方がシュバルツはおるかって……」
下から上がってきたのはエイミーだったが、頭巾ってまさかバーグマン宰相がまた来たのか? 仕事の進捗などの報告は、『大黒屋』の営業中に連絡役を客に紛れ込ませて行うとは決めていたが、本人が来るとは聞いていない。それに、貴族風の方々って……複数?




