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「全く、何年たっても騒がしい一族じゃ」
リビングキッチンに逃げた先では、バーグマン宰相が待っていた。育毛剤を愛でるのは落ち着いたのか、ソファーに深く座り込み完全にくつろぎモードになっている。
「シュバルツ君、何か飲み物をもらえるか?」
「これは気づきませんで申し訳ございません。果実酒で構いませんか?」
「あぁ、それで頼む」
リビングキッチンに置いてあるワインセラーから一本取り出し、キッチンでコルクを抜いてワイングラスと共にバーグマン宰相のもとへと戻った。
ワインのラベルが見えないように手で隠しつつ、グラスに注いでバーグマン宰相の前に置き、俺はアイランドテーブルの椅子へと腰を下ろした。
「いい香りじゃな――、もしかして王競祭で出されたという果実酒か?」
「はい、同じものです。ご存知でしたか?」
「王城で噂になっておる。産地不明でマリーダ商会の専売になっておるからな、たしかに……貴族や騎士たちが探し回るのも納得できる味わいじゃな」
グラスを回しながらワインを楽しんでいたバーグマン宰相だったが、その視線が浴室へと一瞬動き、それが俺の方へと戻った時には宰相の雰囲気は一変していた。
「ところでシュバルツ君。転送魔法陣をどう利用していくつもりなのじゃ?」
育毛剤やワインで緩んでいた好々爺の雰囲気は消え去り、クルトメルガ王国の内政を仕切る、厳格な宰相の姿へと戻っていた。
「一組はこの商店に設置し、転移の出入り口にする予定です」
「繋ぐ先はどこじゃ?」
「――まだ決めていませんが、各地の地下迷宮になると思います」
「ゼパーネルが言うとったが、君はその力で――、迷宮討伐を願ったそうじゃな、相違ないか?」
「はい。これは私の生きる目的であり、目標です」
「そうか、ならば……」
そこでバーグマン宰相の言葉は止まった。その先を言うべきか言わざるべきか、まだ自身の中でも判断が下せない事だったのかもしれない。
目をつむり、しばしの静寂が俺とバーグマン宰相の間に流れた。
「……ならば、さらに転送魔法陣が必要になるとは思わぬか?」
そっと呟かれた一言は、俺がまさに望んでいたことだった。
転送魔法陣と模写魔法陣を二組手に入れることが出来たとは言え、それで往復できる場所は一ヵ所だけ、VMBの個人ルームとの行き来がやっとになる。
今後、各地の迷宮討伐を行っていく事を考えれば、転送魔法陣と模写魔法陣は何組あってもいい。
しかし、便利すぎるが故に転送魔法陣は迷宮の存在する土地を支配する国家に所有権が発生し、模写魔法陣の製造技術は国家によって管理されている。
迷宮を討伐したからと言って、その迷宮から持ち帰った転送魔法陣が討伐者のものになるわけではない。
俺が転送魔法陣と模写魔法陣を所有できたのは、どの国にも属していない島で、どの国の魔法陣か判明しないものを回収できたからに過ぎない。
それだけでも相当に運のいいことだったが、バーグマン宰相からそのような言葉が出るということは……。
「それは……、国に支配されていない土地に迷宮が存在すると言うことですか?」
「確証はない、正確にはクルトメルガ王国の領土ではないからな。じゃが、状況を考えれば存在するのはまず間違いない」
「そこを……、私に攻略しろと?」
「君だけではない。極秘裏にだが、すでに一パーティーが捜索と討伐に向けて出発しておる。じゃが、単独で迷宮を討伐するほどの猛者を送り込めれば、その成功率も隠密性も高まろう」
「では、私にその先行しているパーティーに合流し、迷宮捜索と討伐に協力せよとのご命令ですか?」
「概ねそうじゃが、これは命令ではなく商談じゃ。そして、先行しているパーティーに合流する必要はない。逆に、一定の距離を置いて行動し、捜索・攻略を援護。そして、状況を報告してもらいたいのじゃ」
「商談? それに援護と状況報告ですか?」
「そうじゃ。報酬は成功報酬になるが、先行しているパーティーが討伐を成功させれば、回収された転送魔法陣に模写魔法陣をつけて一組譲ろう。もしも君が討伐すれば、これを二組じゃ」
そう言いながら、バーグマン宰相は指を二本立てながら話をつづけた。
「状況をもう少し詳しく話そう――」
バーグマン宰相によると、討伐目標とされる迷宮がある場所は――、ドラグランジュ辺境伯領の北、魔の山脈とも呼ばれる山岳地帯だった。
クルトメルガ王国の北に隣接するドラーク王国との国境線でもある山脈、そこはドラーク王国とお互いに支配権を主張しない緩衝地帯となっていた。
しかし、この山岳地帯には豊富な魔鉱石の鉱脈があると目されており、それに誘われて多くの魔獣・亜人種が徘徊している。そしてそこに、今回の目的地である迷宮があるらしい。
正確な場所はまだ判っていないが、魔の山脈からドラグランジュ辺境伯領へと流れる魔獣・亜人種の増加傾向から、存在するのはまず間違いないと考えているそうだ。
しかし、国境線ともいうべき山脈を、たった一パーティーの規模で探索するのは無謀では? と聞くと、迷宮が存在すると思われる場所は、事前の調査ですでに見当がついているそうだ。
あとはこの動きをドラーク王国に悟られないように、最小規模で迷宮討伐を果たさなくてはならない。何故ならば、ドラグランジュ辺境伯領の騎士団を魔の山脈に進み入れることは、ドラーク王国との休戦条約により禁止されている。
また、多数の冒険者や探索者を送り込むことは、それ自体を軍事行動として捉えられる可能性もある。討伐後の迷宮の支配権含め、ドラーク王国との余計な諍いを避けなくてはならなかった。
「なるほど、大体理解できました。しかし、私が秘密裏に動かなくてはならない理由は?」
「――『枉抜け』だからじゃ、『枉抜け』に自由な行動を許しているのはこの国くらいじゃ、ドラーク王国は過去に『魔抜け』狩りとも呼ばれる国中の大捜索をしたこともあるほどに、その血と智を欲しておる。『魔抜け』がドラグランジュ辺境伯領に現れたと知れば、必ずやちょっかいを出してくる。それにじゃ――」
「それに?」
「転送魔法陣と模写魔法陣の使用を個人に許したなどと知れれば、他の貴族やクランが黙ってはいない。所有権を主張する国がいない場所だったとはいえ、個人に所持を許したのは特例中の特例じゃ」
確かに……、迷宮から得られるもので最も価値があるものは大魔力石と言われている。しかし、転送魔法陣もそれと同等以上に価値があるものであることは間違いない。
それを国が一括して管理・分配しているからこそ、各領地を治める貴族たちは自分の領地内の迷宮から回収された転送魔法陣を国に預けている。
だが、そこに俺と言う例外が生まれた。俺が『枉抜け』だという事実を含め、個人で転送魔法陣を所有していることは秘密にする必要があるようだ。
この倉庫の監視体制は構築できている、もしもの時のために防衛体制も構築するべきだろうか?
「で、どうじゃ。一応、先行しているパーティーが迷宮討伐を断念した場合、この協力要請はそこで終了、報酬は金銭と言う形で払うとしよう」
俺が大体の状況を噛み砕けたのを悟ったのか、バーグマン宰相が返答を求めてきた。もしかしたら、あまり時間に余裕のない話なのかもしれない。
「この話、承ります」
「そうか、行ってくれるか。ならば出発は明後日じゃ、ドラグランジュ辺境伯領へは第一区域の転送管理事務所から跳ぶがいい、これが転送魔法陣の特別使用許可証じゃ」
用意のいい……、俺が断るとは最初から思っていなかったのだろう。それも当然か、成功報酬とは言え、転送魔法陣と模写魔法陣が最低でも一組、最終的に俺が討伐することになれば二組。
期限は明確には切られていないが、先行しているというパーティーが迷宮討伐を断念すればそこで終了――、報酬は金銭。
たった一パーティーが何ヶ月も一つの迷宮にアタックし続けるとは思えない、そう長い仕事にはならないだろう。だが、気になる点もある。
「いくつか質問をさせて頂いてよろしいでしょうか?」
「あぁ、もちろんじゃ」
「仮に先行しているパーティーが迷宮討伐を断念し、撤退した場合。その後の迷宮攻略はどうなりますか?」
「その場合、ドラーク王国と情報を共有し、ドラグランジュ辺境伯領の辺境騎士団が迷宮討伐のために出兵することになる。ただし、その場合はドラーク王国の騎士団も討伐に向け南下することになるじゃろう」
「つまり、ドラーク王国との討伐競争に?」
「それだけで済めばいいのじゃが、迷宮内部では何が起こるかは判らん。一つ言えるのは、共同で討伐にあたるなどと言う平和的解決はまずない。クルトメルガ王国とドラーク王国との間で結ばれた休戦条約は、まさしく戦争を休止しているにすぎんからの」
「そうですか……。それともう一つ、先行しているパーティーはどこかのクランですか?」
「“山茶花”から四名、それとドラグランジュ辺境伯の長女、オフィーリア・ドラグランジュとその護衛騎士じゃ」
「オフィーリア? 彼女は怪盗“猫柳”を追っていたはずでは?」
「その怪盗の逃げた先が、魔の山脈じゃ。王都北部の町での目撃情報に踊らされて一度は北に向かったが、猫柳は王都に舞い戻り転送魔法陣を利用してドラグランジュ辺境伯領へ、その後は魔の山脈へ向かったことまでしかわからん」
「猫柳の逃亡先と迷宮に関係があるのですか?」
「これは辺境伯領とドラーク王国を行き来する行商人からの情報で定かではないのじゃが、魔の山脈にある迷宮内部に村を作っている集団がおるそうじゃ。そこが怪盗“猫柳”の本拠地と睨んでおる」
「では、先行しているパーティーの目的は、迷宮討伐のほかに怪盗“猫柳”の本拠地捜索もあると言うことですか?」
「そうじゃ。しかし、君はこの件に関して現地で行動に起こす必要はない。捜索の状況報告と、迷宮討伐に専念してくれ」
「わかりました」
そこからは細かい確認事項、とくに状況報告をどのようにしてバーグマン宰相に伝えるか、報酬が金銭になった場合の金額などを話し合い、この密談は終わった。
いや、正確には――。
「きゃぁぁー!!」
バーグマン宰相との密談が終わりを迎えようとした時、浴室スペースから幼女の叫び声が聞こえた。
激痛を訴えるようなその叫びに、俺の体は反射的に反応し浴室スペースへと飛び込んでいた。
「大丈夫か?!」
トイレ兼洗面スペースと浴室を区切る扉を開けると、目の前に広がっていたのは、泡に溺れる幼女とその隙間に見える二人の女性の――。
「「きゃーー!」」
「目がぁ! 目が痛いのじゃー!」
とりあえず、新たな叫び声を上げる二人を出来るだけ見ないようにしながらシャワーのノズルを掴み、目頭を押さえてキャーキャー喚くゼパーネル宰相の頭を押さえ、シャワーから吹き出る温水を掛けて泡を洗い流していく。
俺がゼパーネル宰相の世話をしているうちに、同じく泡まみれになっていたアシュリーとシャルさんの二人は、同時に入るには狭い湯船へと飛び込んでいた。
「シュ、シュ、シュバルツ!! あんた絶対にこっちむくんじゃないわよ!」
「わ、判っていますってシャルさん」
「気持ちいいのじゃぁ~」
マヌケな宰相の声を他所に、湯船と反対側へと顔向けたが……。
俺の視線の先は鏡面壁――、そこに映し出されるのは湯船に真っ赤になった顔半分を沈めているアシュリーと、逆に湯船の中で立ち上がって何かを振り上げているシャルさんの姿――。
「そっ、そっ、そっちも向くなぁー!」
いてぇ!
シャルさんが投げつけたシャンプー容器が俺の頭部へと当たった。
「シュバルツ~、“しゃんぷー”はとても気持ちがいいのじゃ、香りも好いし、妾は気に入ったのじゃ、じゃが目に染みてかなわん。なんとかならぬのか?」
「シャンプーハットというものがございます。あとでご用意します」
「ほぉー、よろしくたのむのじゃ」
「ねぇ、シュバルツ……そろそろ、いいんじゃない……?」
その声は湯船に沈むアシュリーの声、少し……とは言い難いほどの怒気を感じる声に、全身が縮み上がるような恐怖を感じた。
「あ、あぁ、そうだね、アシュリー……。それでは宰相、私はこの辺で――」
「さっさと、出てけぇー!!」
再びシャルさんの叫び声が浴室スペースに響き渡った。




